6月14日(土)
当日の行程:(京阪・出町柳駅) → (京都バス・出町柳駅前~大原) → 【三千院】 → 【来迎院】 → 【音無の滝】 → 【実光院】 → 【勝林院】 → 【宝泉院】 → 【寂光院】 → (京都バス・大原~御陰橋) → 【下鴨神社】 → (京都市バス・一本松~上賀茂神社前) → 【上賀茂神社】
【来迎院】
参道入口 山門
三千院から呂川に沿って上流方面へ行く。
三千院の周りは、静かながらもお土産屋が軒を連ね、参拝者の往来があったが、ほんの300mほど離れただけであるのに、途端に山奥に入り込んでしまったような気がしてくる。
この隔絶した雰囲気が、寺というのにふさわしい。
本堂
本尊薬師如来坐像(重要文化財)
本堂は、たびたび焼災に遭い、現存するのは室町時代後期に再建されたもの。
本堂には、本尊の薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像(重要文化財)、釈迦如来坐像(重要文化財)などが安置されている。
「総礼伽陀」の声明の譜 聖応大師良忍上人三重石塔
来迎院は、1109年に聖応大師良忍が建立した。
良忍上人は、円仁が伝えた声明を統一し、「魚山流声明」を集大成したという。
以後、来迎院は勝林院と並んで声明道場の中心となったのである。
声明とは、節をつけて唱えるお経のことで、独自の記譜法を持つ。
本堂の壁には、「総礼伽陀(そうらいかだ)」の声明の譜が貼られていた。
本堂の裏手には、聖応大師良忍上人三重石塔(重要文化財)が、ひっそりと建っていた。
来迎院の御朱印
【音無の滝】
音無の滝の案内板
音無の滝
良忍上人が声明の修行をしていたとき、
滝の音と声明の声が同調して音が消えて無くなったことから、この滝の名前が付けられたという。
夫以外は誰もいなかったので、声明ではないが、歌をうたってみた。
まだまだ修行が足りないのか、滝の音はしっかりと聞こえた。
当日の行程:(京阪・出町柳駅) → (京都バス・出町柳駅前~大原) → 【三千院】 → 【来迎院】 → 【音無の滝】 → 【実光院】 → 【勝林院】 → 【宝泉院】 → 【寂光院】 → (京都バス・大原~御陰橋) → 【下鴨神社】 → (京都市バス・一本松~上賀茂神社前) → 【上賀茂神社】
【来迎院】
参道入口 山門
三千院から呂川に沿って上流方面へ行く。
三千院の周りは、静かながらもお土産屋が軒を連ね、参拝者の往来があったが、ほんの300mほど離れただけであるのに、途端に山奥に入り込んでしまったような気がしてくる。
この隔絶した雰囲気が、寺というのにふさわしい。
本堂
本尊薬師如来坐像(重要文化財)
本堂は、たびたび焼災に遭い、現存するのは室町時代後期に再建されたもの。
本堂には、本尊の薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像(重要文化財)、釈迦如来坐像(重要文化財)などが安置されている。
「総礼伽陀」の声明の譜 聖応大師良忍上人三重石塔
来迎院は、1109年に聖応大師良忍が建立した。
良忍上人は、円仁が伝えた声明を統一し、「魚山流声明」を集大成したという。
以後、来迎院は勝林院と並んで声明道場の中心となったのである。
声明とは、節をつけて唱えるお経のことで、独自の記譜法を持つ。
本堂の壁には、「総礼伽陀(そうらいかだ)」の声明の譜が貼られていた。
本堂の裏手には、聖応大師良忍上人三重石塔(重要文化財)が、ひっそりと建っていた。
来迎院の御朱印
【音無の滝】
音無の滝の案内板
音無の滝
良忍上人が声明の修行をしていたとき、
滝の音と声明の声が同調して音が消えて無くなったことから、この滝の名前が付けられたという。
夫以外は誰もいなかったので、声明ではないが、歌をうたってみた。
まだまだ修行が足りないのか、滝の音はしっかりと聞こえた。