大倉草紙

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【京都】 南禅寺・金地院

2008年07月19日 16時13分21秒 | 旅 - 京都府
6月15日(日)
当日の行程:(JR京都駅)…(JRバス・京都~山城高雄) → 【神護寺】【西明寺】【高山寺】 → (JRバス・栂ノ尾~四条大宮)…(自転車) → 【六波羅蜜寺】【知恩院】【南禅寺】 → 【金地院】【幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」】【京都霊山護國神社】


【南禅寺】


   
              三門(重要文化財)

   
      三門を横から           三門から市街地を望む

南禅寺は、1291年、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創された。
南禅寺が建立される以前、ここには、後嵯峨天皇が造営した離宮があったそうだ。
京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の上の別格扱いの寺院。
つまり、日本で最も格式高い禅寺に位置づけられている。

南禅寺の三門は、「京都三大門」のうちのひとつ。
歌舞伎「楼門五三桐」で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言うのが有名だけれど、実際には、この三門が建てられたのは、石川五右衛門の死後のこと。


          
                  法堂

現在の法堂は、1909年に建てられたもの。
それまであった法堂は、豊臣秀頼が寄進したものだが、1895年に焼失した。


          
                 水路閣

水路閣は、琵琶湖の湖水を京都へ運ぶために作られた水道橋。
現在も、琵琶湖からの水を運び、人々の生活を支えているそうだ。
琵琶湖疏水事業は、第3代京都府知事の北垣国道氏が、首都機能移転後の京都を復興させようと行ったものらしい。
京都は、ただ京都でありさえすれば、それで十分なのに。
琵琶湖疏水のルートの問題上、ここに造らざるをえなかったという事情もあったようだが、それにしても残念に思う。
明治期の急激な西欧化の跡を南禅寺で見るとは思わなかった。

と、否定的なことばかり書いたが、建造物としての水路閣は、なかなか美しいものではある。
聞けば、ドラマの撮影によく使われる場所だという。
人が集まっていたのは、それでなのか。


   
                虎の子渡しの庭

方丈(国宝)は、大方丈と小方丈から成る。
大方丈は、豊臣秀吉が建造寄進した御所の清涼殿を移築したもの。
襖絵は、狩野元信、永徳による。
小方丈は、桃山城の小書院を移築したもの。
襖絵は狩野探幽による。

方丈の前には、「虎の子渡しの庭」と呼ばれる枯山水の庭が広がる。
この庭は、小堀遠州作といわれる。
小堀遠州の手による庭園は多いなあ。


          
                 如心庭

如心庭は、小方丈の前にある。
その名のように、心字形に石を配した枯山水の庭。
解脱した心の如く落ち着いた雰囲気の庭園だといわれる。


   
                 六道庭

如心庭が、解脱した心の庭であるのに対し、六道庭は、六道輪廻の戒めの庭だという。
六道とは、「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の6つの世界であり、我々はこの6つの世界で生まれ変わり続けるという仏教の世界観が六道輪廻なのだという。


   
                   大硯石

この硯石は、紅縞という大理石でできている。
岐阜県大垣市赤坂町の金生山で採掘されたもの。
この原石は、すでに掘り尽くされてしまっているため、貴重なものなのだそうだ。


   
                  南禅寺垣


   
               南禅寺のてぬぐい


          
               南禅寺の御朱印



【金地院】


金地院は、室町時代に足利義持が大業徳基を開山として洛北・鷹ケ峯に創建した禅寺。
江戸時代に、「黒衣の宰相」と呼ばれた以心崇伝によって南禅寺の塔頭として現在地に移転される。


   
         表門                   明智門

明智門は、明智光秀が母親の菩提のために大徳寺に寄進建立したもの。
明治初年に金地院に移築する。


   
              東照宮(重要文化財)

崇伝が、徳川家康の遺言により造営したもの。
家康の遺髪と念持仏が祀られている。
創建当初は諸堂が完備していて、日光東照宮と比されるほどであったという。
拝殿、石ノ間、本殿等は、京都に残る唯一の権現造りなのだそうだ。


   
                東照宮の内部

天井の鳴龍は、狩野探幽の筆。
三十六歌仙の額は土佐光起の筆で、歌は青蓮院宮尊純法親王の筆跡。


   
               方丈(重要文化財)

崇伝が伏見桃山城の一部を徳川家光から賜り移築したもの。
襖絵は狩野探幽・尚信の筆。


   
                鶴亀の庭園

鶴亀の庭園は特別名勝。
小堀遠州の作。まただ。
前面の白砂は、宝船を象徴すると同時に海洋を表わす。
長方形の大きな平面石は東照宮の遥拝石で、その右側が鶴島で左側が亀島だという。