大倉草紙

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【奈良】 信貴山 朝護孫子寺 

2008年11月13日 21時08分48秒 | 旅 - 奈良県
7月21日(月)
当日の行程:(車) → 【信貴山】【當麻寺】【談山神社】【山田寺跡】 → 【大官大寺跡】


   
                世界一福寅

噂には聞いていたが、実際に目にすると強烈だ。
信貴山の入口では、世界一福寅が出迎えてくれる。


   

世界一福寅の隣には、かわいらしい福寅も。


   
                聖徳太子御像

信貴山案内図を見ながら歩くが、あまりに広くてどこへ向かえばよいのか分からない。
世界一福寅の手前に開山堂へ続く階段があったが、こちらは後回しにして、成福院や王蔵院の方角へ歩く。
すると、聖徳太子の像があった。

聖徳太子がこの山に登り、悪徒平定を祈ると、毘沙門さまが不思議な霊力を持った弓と箭を授けたという。
聖徳太子はそれをもって悪徒を征定する。
そこで、この山は「誠に信ずべく尊いお山だ」ということで「信貴山」と呼ばれるようになったそうだ。


          
             かやの木稲荷大明神

かやの木稲荷大明神のご神木は、樹齢1500年の榧(かや)の木。


   
               融通殿(成福院)

「融通がつく」とか「融通がきいた」という言葉の由来にもなっている融通尊。
成福院融通殿に祀っている融通尊は、後嵯峨天皇の御念持仏を下賜されたもの。


   
               浴油堂(王蔵院)

浴油堂での拝み方を浴油法という。
これは、真言密教の秘法中の秘法といわれているらしい。
浴油法では、行者(拝む人)は当然のことながら、本尊・毘沙門天も斉戒沐浴し、特別の作法を修するのだという。


   
            日本一大地蔵尊と三重塔

日本一大地蔵尊は、子どもを守ってくれる仏様。
総丈14.54メートル。
離れた場所にある本堂からも、はっきりと見える大きさだ。


   
      金集弁財天               縁結び観音尊

日本一大地蔵尊の前の階段を登ったところに、金集弁財天と縁結び観音尊が祀られている。
金集弁才天は、「お金が集まり融通もかなえて下さ」るそうだ。
実に分かりやすい名前だ。


   
                空鉢護法参詣道

縁結び観音尊と金集弁財天の脇の道は、空鉢護法参詣道になっている。
つづら折の山道。
暑い夏の日に登るのは、辛い。


          
                 空鉢堂

   
               蛇(巳)の石造

『信貴山縁起絵巻』(飛倉の巻)では、命蓮上人が托鉢のために信貴山から飛ばした鉢を、長者が米倉に閉じ込めてしまう。
命蓮上人は竜王の教えを蒙り、鉢を倉から飛び出させ、蔵を乗せて信貴山へ飛んで帰らせるというあの話だ。
この話から、念願必授を願う人々は、信貴山山頂に竜王の祠を建てて、その守り本尊として「空鉢護法(くうはつごほう)の神」を祀ったのだという。
竜王は「みーさん」と呼ばれ、拝殿の前には、とぐろを巻いた蛇(巳)の石造が置かれている。
蛇は実物はもちろんのこと、絵でも何でも苦手なのだが、撫でると御利益があるというので、恐る恐る触れてみた。


          
                信貴山城址

信貴山城跡の碑は、空鉢堂の裏手にある。
標高433メートルの信貴山を中心とする山城で、東西550メートル、南北700メートルに渡って120以上の郭を配していたという。
天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受けて50日間籠城。
その後、廃城となる。


   
               信貴山城址の道

案内板に、空堀の切り通し堀、土塁などの城郭跡が良く残っていると書いてあったので、参道とは違う道を通って山を下ることにした。
が、城に詳しくないので、どこが堀なのか土塁なのか、まったく分からない。
いったいどこに出るのか不安になりながら歩いていくと、大きな通りに出た。
「奥の院」を案内する矢印が見えるが、距離が定かでなかったので、本堂を目指して歩くことにする。
だいぶ歩いたが、まだ知った風景が目に入ってこない。
たまたま通りかかったタクシーで、信貴山へ戻る。


   
                  開山堂

再び信貴山へ。
今度は、開山堂から入ってみる。

   

開山堂を入ると、聖徳太子を中央に、堂内いっぱいに、弘法大師と四国八十八ヶ所の本尊が祀られている。


   
                 命蓮塚

開山堂の裏手には、命蓮塚がある。
命蓮上人は、延喜の頃に信貴山を中興した僧。
塚の上には、成福院墓石室十三仏と類似の十三仏が祀られ、周囲にも室町末期の一石一尊十三仏板碑が多く樹立されている。


   
本堂を目指して歩いていると、こんな寅にも遭遇。


   
       虚空蔵堂                 一切経蔵

虚空蔵菩薩は、丑年・寅年生まれの守り本尊なのだそうだ。

一切経を納めた経厨子は、一回転するごとに一切経をすべて読誦したのと同じ功徳があるといわれる。
ほかのお寺で何度か回したことはあるが、こちらの経厨子ほど重たいものはなかった。
夫と私の力ではビクともしない。
そばにいた子どもが手伝ってくれ、うんとこしょどっこいしょ、それでも経厨子は動かない。
その子どものお父さんも手伝ってくれ、うんとこしょどっこいしょ、やっと経厨子は動き出した。
「おおきなかぶ」ならず「おおきな経厨子」だ。


   
                 本堂遠景

   
        本堂             阪神タイガース必勝祈願札

本尊は毘沙門天。
右手に如意宝珠の棒を持っているのは、心ある者には金銭財宝を授けて商売繁盛させるという思し召し、左手の宝塔は、この中に充満する福を信ずる者の願いに任せて与えるという福徳の印なのだという。
毘沙門天は、寅の年、寅の日、寅の刻に出現したと伝わる。
それで、寅が信貴山のシンボルとなった。
阪神タイガース必勝祈願札なども置いてある。

本堂地下の戒壇巡りを体験した。
覚鑁(かくばん)上人が納めたという如意宝珠があり、この宝珠もしくは錠前に触れると、心願成就の御利益があるということだ。

御朱印のほとんどが、この本堂でまとめていただくことになっている。


          
                 厄除観音

   
             しもの世話にならない石

   
                 銭亀さん

本堂から千手院のほうへ向かう。
厄除観音の前には、「しもの世話にならない石」がある。
その名の通り、この石に腰をかけると、しもの世話にならずにすむという。
「銭亀さん」には、次のような説明があった。
「銭亀守りを授与所で授かり、一億円札と共に石臼にのせ『南無銭亀善神(なむぜにがめぜんじん)』と唱えながら石臼を右に廻してください お金の廻りが良くなります 合掌」
やってみなかった。
というわけで、お金の廻りも良くない。


   
  四国四十八ヶ所お砂踏み            幸運の臼

銭亀さんからふと視線を脇に逸らせば、化け猫みたいな顔をした寅が大きな口を開けて待ち構えている。
昔の遊園地へ来た気分だ。
四国四十八ヶ所のお砂踏みができるのだという。
ここを通り抜けると、千手院の護摩堂へ出る。
出口には、幸運の臼がある。
「ウン」と言って臼をつくと、良い運が授かるのだそうだ。


          
               護摩堂(千手院)

護摩堂では、命蓮上人が開壇以来1100年間、毎朝欠かさず毘沙門護摩が焚き続けられているそうだ。
護摩堂の周りにも、おもしろいものがたくさんあった。

   
               信貴山最古笑寅

   
       撫でると御利益があるという五鈷杵(ごこしょ)

   
                ゆめかなう堂

ゆめかなう堂のうさぎは、撫でると福が授かる「なでうさぎ」、寅は、撫でると運が開ける「なでとら」。


奥の院へ。
          
               奥の院 山門

奥の院へは車で向かう。
奥の院は、かつては信貴山の塔頭だったようだ。
楠木正成の幼名「多門丸」はここで授かったといわれる。


   
                  本堂

本尊は、聖徳太子が自ら彫ったと伝わる「汗かき毘沙門天王」。


          
                身代不動尊


   
           禅賦師童子・多聞天王・吉祥天女


   
               焼米湧出の霊場

奥の院では、焼米が湧き出るという。
聖徳太子が守屋大連追討の際、兵士の兵糧として授かった米を、焼米として後世迄も残し尊天の威徳を伝えるために奥の院内の淨域に納めたものと伝わる。


   
               信貴山のてぬぐい


  
     成福院の御朱印           王蔵院の御朱印


  
    朝護孫子寺の御朱印        朝護孫子寺の御朱印


   
     開山堂の御朱印            空鉢堂の御朱印


   
  千手院・観音堂の御朱印          奥の院の御朱印