大倉草紙

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【京都】 大原⑥ (寂光院)

2008年07月08日 07時13分29秒 | 旅 - 京都府
6月14日(土)
当日の行程:(京阪・出町柳駅) → (京都バス・出町柳駅前~大原) → 【三千院】【来迎院】 → 【音無の滝】【実光院】【勝林院】【宝泉院】【寂光院】 → (京都バス・大原~御陰橋) → 【下鴨神社】 → (京都市バス・一本松~上賀茂神社前) → 【上賀茂神社】



 
寂光院は、天台宗の尼寺。
開基は聖徳太子で、父である用明天皇の菩提を弔うために建立したといわれる。
建礼門院子が平家滅亡後に隠棲したお寺として有名だ。

寂光院は、大原のほかのお寺から離れた場所にある。
長閑な田園風景が広がり、空気がきれいだ。
ところどころに、「朧の清水」「沙羅双樹」「落合の滝」など、建礼門院縁の地を示す看板が控えめに立っている。


   
       朧の清水                 沙羅双樹

「朧の清水」には、建礼門院子が朧月夜のときに、水面に自分の姿を映し、そのやつれた姿を嘆いたという伝説が残っている。
かつては清水が湧き出ていたのだろうが、今では枯れていた。

沙羅双樹も植えられている。


   
       落合の滝           高倉天皇皇后子大原西陵

「ころころと 小石ながるヽ 谷川の 河鹿なくなる 落合の滝」
建礼門院子が和歌に詠んだという落合の滝。

「高倉天皇皇后子大原西陵」は、寂光院に隣接している。
御陵の前には、花がたむけられていた。
高倉天皇とは不仲だったというけれど、お墓もずいぶん遠くにあるのだなあ、と思う。
高倉天皇の御陵は、小督のお墓のそば、清閑寺にある。


   
        山門                    本堂

寂光院の入口から、長い階段が続く。
その向こうに見える山門は、木々の葉に覆われていて美しい。

本堂は、とても小さい。
平成12年の不審火で焼失したため、現在の本堂は、平成17年に復元されたもの。
本尊は、六万体地蔵菩薩立像。
旧本尊地蔵菩薩立像(重要文化財)は焼損したため、復元尊像として制作されたものである。

旧本尊地蔵菩薩立像は焼損したとはいえ、その像内に納められていた小地蔵尊は焼け残った。
宝物殿には、黒く焦げている小地蔵尊が並んでいる。
壁には、火災を伝える新聞記事が貼られ、まだ煙の上がる本堂を写した1面の大きなカラー写真を見るのが辛かった。

この放火事件は、昨年、時効を迎えたらしい。


   
      四方正面の池            千年姫小松(御神木)

本堂の北側にあるのは、回遊式四方正面の庭。
奥には岩清水を引いた三段の滝がある。

「千年姫小松」は、『平家物語』の大原御幸に登場する松。
平成12年の火災がもとで、枯死してしまったが、現在は御神木として祀られている。


   
     諸行無常の鐘                孤雲(茶室)

寂光院には、「諸行無常の鐘」がある。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり
 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕はす
 奢れる者久しからず ただ春の世の夢の如し
 猛き人も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」(『平家物語』より)

高倉天皇の后となった子は、22歳で後に安徳天皇となる男子を出産する。
平家が壇ノ浦に滅ぶのは、それからわずか7年後のこと。
まさに諸行無常である。

「孤雲」は、山門の横にある茶室。
公開されていなかったので、遠くから眺める。


   
               寂光院のてぬぐい


          
               寂光院の御朱印