大倉草紙

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【京都】 知恩院

2008年07月18日 12時54分44秒 | 旅 - 京都府
6月15日(日)
当日の行程:(JR京都駅)…(JRバス・京都~山城高雄) → 【神護寺】【西明寺】【高山寺】 → (JRバス・栂ノ尾~四条大宮)…(自転車) → 【六波羅蜜寺】【知恩院】【南禅寺】 → 【金地院】【幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」】【京都霊山護國神社】


   
                三門(国宝)

知恩院は、浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没した地に建てられている。
現在のような大伽藍が建立されるのは江戸時代のこと。
浄土宗を信仰していた徳川家康が、知恩院の寺地を拡大して諸堂の造営を行ったことに始まる。
造営は2代将軍徳川秀忠に引き継がれる。
しかし、その後に、三門、経蔵、勢至堂を除いた諸堂はほぼ全焼し、3代将軍徳川家光によって再建されることになる。
このように徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることも理由ではあるが、京都における徳川家の拠点を作るという政治的な意味合いも大きかったといわれる。

三門は、秀忠の寄進によって建てられた。
三門は、三解脱門を意味する。
三解脱門とは、迷いから解放されて悟りの境地に至るために通らなければならない空・無相・無願の三つの門こと。
高さ24mのこの門は、日本最大の山門だという。
たしかに大きい。


   
                本堂(国宝)

境内は広々としていて、本堂も大きい。
知恩院では、すべてがガリバーサイズ。
大きいということでは同じでも、たとえば奈良の東大寺と比べると、どこか頑張っちゃっている感じがするのは、時代のせいだろうか。

本堂は、家光によって建立される。
法然上人の御影を祀ることから、「御影堂」とも呼ばれる。


   
                   忘れ傘

本堂の正面、向かって右側の軒を見上げると、「知恩院の七不思議」のうちのひとつ「忘れ傘」がある。
左の写真は、「忘れ傘」の下に置かれた案内板。
右の写真で、同じようなものが微かに見える。

左甚五郎が魔除けのために置いたとも、本堂付近に住んでいた白狐が、新しい棲処が欲しいと願い出て、それが出来たお礼にこの傘を置いていったとも伝えられる。
傘は水と関係があることから、知恩院を火災から守ると信じられている。

「知恩院の七不思議」は、「忘れ傘」のほかに次のようなものがある。
歩くと鶯の鳴き声に似た音が出る「鴬張りの廊下」、
三門工事の予算が超過した責任をとって自刃した大工の棟梁夫妻の自作の像が納められている「白木の棺」、
襖絵に描かれた雀が生命を受けて飛び去ったといわれる「抜け雀」、
杉戸に描かれた猫がどちらから見ても見る人の方を正面から睨んでいる「三方正面真向の猫」、
大方丈入口の廊下の梁に置かれている「大杓子」、
黒門への登り口の路上にある「瓜生石」。
これらのうち、実際に見ることができるのは、「鶯張りの廊下」と「瓜生石」である。


          
                鴬張りの廊下

「鴬張りの廊下」は、「忍び返し」ともいわれる。
二条城の廊下と同じように、外部から曲者が侵入するのを防いでいるという。


   
                  瓜生石

「瓜生石」は、知恩院が建立される前からあるといわれている。
この石の名前の由来には、自然とこの石から胡瓜のつるが伸びて実が生ったという説と、瓜生山に降臨した八坂神社の牛頭天王がこの石に現れて一夜のうちに瓜が実ったという説とがあるそうだ。
また、石の下に二条城へ続く抜け道があるとか、隕石が落ちた場所であるとか、様々な伝説がある石のようだ。


   
               経蔵(重要文化財)

三門と同じ1621年に建てられた。
内部には秀忠が納めた、八角形の輪蔵があり、一切経5,600余巻が収められているといわれる。
内部は非公開。


          
             大鐘楼(重要文化財)

高さ3.3m、口径2.8m、重さ約70tの巨大な鐘。
この大鐘が鳴らされるのは、4月に行われる法然上人の御忌大会のときと大晦日の除夜の鐘だけである。
除夜の鐘を鳴らす際には、1本の親綱と16本の子綱が付けられ、17人で同時に撞くらしい。


   
   御廟から石段を振り返る            御廟拝殿

知恩院の東奥の長い石段を登ると御廟がある。
法然上人の死後、門弟たちの手によって建てられたもので、法然の遺骨が納められている。


   
       千姫の墓                  濡髪祠

御廟の隣に、法然上人終息の地である勢至堂(重要文化財)がある。
勢至堂の奥には、千姫の墓がある。

千姫の墓の奥にあるのは、濡髪祠。
ここは、「忘れ傘」の話で触れた白狐の新しい棲処。
新しい棲処を作ってくれるように頼みに来た童子(狐が化けた童子)の髪が濡れていたことから、「濡髪堂」と名づけられたとか。


   
              知恩院のてぬぐい

          
               知恩院の御朱印