大倉草紙

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【奈良】 東大寺戒壇院・正倉院

2008年07月16日 11時49分28秒 | 旅 - 奈良県
7月15日(火)
当日の行程:(近鉄奈良駅) → 【東大寺戒壇院】 → 【正倉院】 → 【多聞城跡】 → 【聖武天皇佐保山南陵・聖武天皇皇后天平応真仁正皇太后佐保山東陵】


昨日のことだが、お昼ちょっと前に正倉院へ出かける。


【東大寺戒壇院】


   
                 知事公舎

お寺……ではなくて、知事公舎の前を通り、東大寺戒壇院へ。


   
              東大寺戒壇院の門

   
               東大寺戒壇院

          
            東大寺戒壇院の御朱印

3月に東大寺を参拝したときには、お参りしていなかった戒壇院へ。
堂内には、多宝塔があり、その四方を四天王像(国宝)が守っている。
この四天王像は、奈良時代の塑像の最高傑作のひとつに数えられる。
創建当初の戒壇院四天王像は銅造で、現在祀られている四天王像は、東大寺の中門堂から移されたものであるといわれる。



【正倉院】(世界遺産)


   
                  正倉院

   
                 正倉院1階

   
                 正倉院2階

正倉院は、平日のみ参観できる。
といっても、公開されているのは外構だけで、宝物は通常時、非公開だ。

正倉院は、思っていたよりも大きな建物だった。
「正倉院1階」「正倉院2階」の写真は、案内板にあったのを写したもの。

正倉院のパンフレットが売っていたので購入する。
パンフレットというと簡単なものを想像するが、これはA4版で30ページ前後の立派なもので、中にはカラー写真も挿入されている。
50円で販売されていたのには驚いた。

毎年秋には、奈良国立博物館で正倉院展が開かれ、宝物の一部が公開されるという。
秋になったら、ぜひ行ってみようと思う。


   

   
              正倉院の近くにいた鹿

そして、毎度のことながら、鹿の群れ。
生まれて間もない子鹿を連れたお母さん鹿もいる。
子鹿は母親の乳を飲み、母鹿は常に警戒モード。
かわいい子鹿に近づきたいけれど、気の毒なので、すぐに退散する。


   
               轉害門(国宝)

轉害門(てがいもん)のほうから出る。
轉害門は、東大寺で唯一の天平時代の建造物である。
この門は大仏殿の西北、つまり吉祥の位置にあり、害を轉ずる意から名付けられたそうだ。



【多聞城跡】


   
 奈良市立若草中学校の階段            多聞城跡

若草中学校の校舎へ続く階段の傍らに、多聞城跡の石碑が見える。
多聞城は、1560年、松永久秀によって築かれた。
城内に多聞天が祀られていたので、その名がついたという。
日本初の四層の櫓を持つお城として知られる。
多聞城は創建から17年で織田信長の命を受けた筒井順慶によって壊されてしまう。
破却された際の石材等は、筒井城や大和郡山城に転用されたそうだ。
また、信長は安土城を築く際に、この多聞城を参考にしたともいわれる。



【聖武天皇佐保山南陵・聖武天皇皇后天平応真仁正皇太后佐保山東陵】


   
              聖武天皇佐保山南陵

   
      聖武天皇皇后天平応真仁正皇太后佐保山東陵

天皇陵の入口からまっすぐ進むと聖武天皇佐保山南陵があり、途中からやや右手に入ると聖武天皇皇后天平応真仁正皇太后佐保山東陵がある。
聖武天皇は、東大寺を建立した言わずと知れたあの天皇、聖武天皇皇后天平応真仁正皇太后は藤原不比等の娘で、悲田院や施薬院を設置した光明皇后のこと。

鹿が突然現れて、光明皇后陵の奥にある山の中へ入っていった。
人の気配に驚いて逃げていったのだろうか。
奈良で鹿を見かけることは多いのだけれど、まさかここにもいるとは思わなかったので、こちらも驚き、本当に神の使いに出会ったのかと錯覚した。

それにしても、暑い一日だった。
夏場は、ほんの少し歩いただけでもぐったりだ。

昨日の歩数:14,133歩