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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.3  比嘉光龍

2009年04月13日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん



いきなり、うちなぁぐちについてのコラムが始まってしまったので、私自身の自己紹介が遅れてしまいました(笑)
私は1969年に那覇市で生まれ、5歳のころからは「沖縄市(昔はコザ市と言っていましたが)」で育ちました。ですから、現在21歳です(笑)。
父はアメリカ人ですがロケットでどこかに飛んで行ってしまいました(笑)。あまり冗談ばっかり書くと訳が分からなくなる方もいっらっしゃると思いますので、まじめに書きます。
アメリカ人の父親のことは本当になにも分からないんです。母親は、「うちなぁ(沖縄)」の北部、金武町の出身ですが、生まれてすぐに母のお兄さん夫婦、つまりおじさん、おばさんに育てられました。学校も沖縄市にある山内小中、中部工業高と日本の学校に通いました。おじさん、おばさんは、普通の「うちなぁんちゅ(沖縄人)」ですので、英語はまったくわかりません。ですから、私も英語はまったくわかりません。当然ですよね、環境がまったく日本なのですから。
生みの母はよほどの事情があったのでしょう、私に一切本当の父のことを教えてはくれない内にあの世に旅だってしまいました。育て親である、おじさん、おばさんも、一切私の父親については聞かされていないと言っていました。こうなると、江原さんとか、美輪さんぐらいしか本当のことは分らないと思います(笑)。
私はアメリカの血を引いているのだが、アメリカとは一切関係なく、実際、22歳の時から2年近くアメリカに住んでいましたが、本当の父の名前も消息も分からないのでは、アメリカ国籍どころか、何の補助も受けられませんでした。ですから、私は日本国籍のみしかありません。
かなり特殊な環境で生まれ育った私ですが、ここまで書いてはじめて、私が日本国籍しかないこと、英語は話さないということを理解してもらえると思います。




ROK(AM864)ラジオ沖縄にて。毎週日曜午後1時から4時に放送される「民謡の花束・光龍ぬピリンパラン日曜日」の放送終了後の一枚。


text:比嘉光龍


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1 コメント

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前にも (MIKA)
2010-09-07 23:18:31
他のサイトで読んで
いましたので、光龍さんの生い立ちは軽く
知っていましたよ
色々あったんですね。
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