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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.5  比嘉光龍

2009年04月27日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん




 さて、今回は前回のブログにコメントを頂いた方の質問をもとに書きたいと思います。うちなぁぐちのエキスパートになったのは、どういういきさつで?とのことですが、エキスパートと言われると嬉しいのですが、私はまだまだ修行中の身です。

 うちなぁぐちを話し、また、講師までするようになった理由ですが、大きくわけて二つあります。一つは、うちなぁぐちは、日本語や英語などとくらべて劣っている、言語として成り立たない、だから方言のレベルで良いのだという世の中の雰囲気に対抗したいという気持ちが根底にあるから。
もう一つは、うちなぁぐちは少数言語、現在では危機言語と言われていますが、それが私の生い立ちときれいに重なるんですよ。だからこそ、世界中に存在を知らしめたい、世界の人に私という特殊な人間が存在することを知ってほしい、それと同じく、うちなぁぐちという言語があるということを知ってほしいと思うんです。この二つですね。
 
 Vol3に書いたように、私の父はアメリカ人、母はおきなわ人。けれども父は知りません、したがって、日本国籍のみで英語教育は一切受けていないんです。しかし、22歳の時に2年近く米国留学しました。父親は知らないので完全に日本人留学生という立場で日本のパスポートを持って出入国しました。そう、私は見た目は西洋人ですが、中身は完璧な日本国籍人です。日本国籍人と書いたのは、日本国籍を有してはいるが、おきなわ人として生きたいと思う願いからです。英語は留学してから長い間使っていないので、もう忘れました。
 
 さて、ここまで書いてどうでしょう、皆さま、私のことを理解できましたでしょうか?多分、理解するのは難しいと思います。何かドラマか小説のようにしか私のことを捉えることは出来ないのではないでしょうか?そうでしょう、私も自分自身のことをどうやって世間の人に理解させることが出来るのだろうかと考えたら結構面倒くさくなります(笑)
 自分自身の生い立ちと、うちなぁの歴史の複雑さ。思いっきり重なっています。私の中では。私は、24歳まで自分が何者で、どう生きれば良いか分からず色々悩んでいました。その時に出会った三線、それからうちなぁぐち、そしてうちなぁの歴史。それらが好きになり、それらを自分のものにすることによって自分自身、自信を持って生きていけると思いました。

 現在でも、日本語お上手ですね、日本に来て長いんですかと、良く外国人と間違えられます。まあ、顔が顔ですから、当たり前のことなんですけどね。しかし、答えるのが面倒くさくなることは多々あります。
しかし、そういう風に聞かれるたびに、私は、うちなぁんちゅであるということを証明して見せるぞ、と良い意味で、うちなぁぐちを勉強する活力になっているのも事実です。答えになっているかな?






※2007年2月にドイツのデュースブルクエッセン大学にて、世界中の危機言語についての意見交換会が開かれ、世界中の研究者のなかで私にも意見を発表してくれとの機会に恵まれました。写真はその模様と、デュースブルク市内で撮ったおどけた表情の私。


text:比嘉光龍