師匠がいる。
20年以上前、福祉の世界にはいってまもなかった頃、世の中で福祉と呼ばれるものがみんなどこか間違ってると思っていたとき、東京都豊島区に、一軒のアパートを改装し、24時間年中無休で、障害のあるかたも高齢のかたもお預かりして介護するという事業所が生まれた。まだレスパイトという言葉もなかった当時、事業として成功した日本で初めての場所。名前は「ゆきわりそう」。
小さな一軒家にたくさんの人がひしめき合い、笑い声の絶えない温かさであふれていた。そして、制度では救うことの出来ない困っているかたたちをひとりひとり違った形で支えていった。これでいい。こうでなくてはいけない。そう思った。
その代表の姥山さんが自分の師匠だと、本人の了解をとらずに世間に名乗っている。
講演会も数多くこなす姥山さんの、忘れられない言葉がある。
「たったひとりであろうとも、必要としている人がいるのならシステムを作ればいい。するとそのシステムが次に同じように困っている人をたくさん支えることになる」
今では大勢の利用者が通うゆきわりそうの作業所だが、最初はたったひとりの自閉症の青年のために開いたものだった。
ニーズが集まったら新しいシステムを考えるのだという世間の常識を超えた高い理念。
師匠から学んだことをそのまま実現するかのように、今日も新しいチャレンジに走り回りました。
20年以上前、福祉の世界にはいってまもなかった頃、世の中で福祉と呼ばれるものがみんなどこか間違ってると思っていたとき、東京都豊島区に、一軒のアパートを改装し、24時間年中無休で、障害のあるかたも高齢のかたもお預かりして介護するという事業所が生まれた。まだレスパイトという言葉もなかった当時、事業として成功した日本で初めての場所。名前は「ゆきわりそう」。
小さな一軒家にたくさんの人がひしめき合い、笑い声の絶えない温かさであふれていた。そして、制度では救うことの出来ない困っているかたたちをひとりひとり違った形で支えていった。これでいい。こうでなくてはいけない。そう思った。
その代表の姥山さんが自分の師匠だと、本人の了解をとらずに世間に名乗っている。
講演会も数多くこなす姥山さんの、忘れられない言葉がある。
「たったひとりであろうとも、必要としている人がいるのならシステムを作ればいい。するとそのシステムが次に同じように困っている人をたくさん支えることになる」
今では大勢の利用者が通うゆきわりそうの作業所だが、最初はたったひとりの自閉症の青年のために開いたものだった。
ニーズが集まったら新しいシステムを考えるのだという世間の常識を超えた高い理念。
師匠から学んだことをそのまま実現するかのように、今日も新しいチャレンジに走り回りました。