ねがいのいえ理事長 藤本真二のブログ

障害を持つ方たちに寄り添い支援する日々の中で感じたこと、そのほか伝えたい話題などを、思いのまま日記風に綴ります。

誰もが同じ

2021-07-13 00:12:33 | Weblog
 障害ではなく通常の入園で来た子がじっとしていられなくて大変と保育園から訴えがあり、現場で手伝いに入る日々。診断を受ければおそらくアスペルガーと言われるであろう園児。意に反するたびに起こす激しい癇癪にどう対応していいかわからない保育士へ、体のやりとりを通じた心のケアを伝え、思い通りにならなくて一瞬激しく抵抗しても、すぐに気持ちを切り替えてクールダウンできる現実を自身の目で確認した保育士に変容が生まれたこの3週間。

 思いを言葉で的確に伝えることができないのは、障害がなくても、幼児には誰にでもあること。先週は、いつも他の子よりも何でも上手に早くできる女の子が、すねて動かなくなり。そばに座って「悲しいんだね」「そんな日あるね」と何もせずにただ共感。やがて抱っこを求めて甘えてきたので、自分から離れていくまで静かに抱きとめた。翌日はインストラクターを招いて初めてのマットとトランポリンを体験する日だった。その日も抱っこされたまま、他の子たちが熱狂する間もその輪に入ろうとせず。しかしだんだん体はやりたくて前のめりになっていく。「一緒にやってみる?」と聞くが、それでも参加できないまま、「今日はこれで終わります」というインストラクターの声がかかった。みんなでありがとうを言い片づけが始まろうとしたその瞬間、前に出て行った彼女の姿をみんなが見てとり、そのままマットとトランポリンをやり遂げるのを待った。

 同じ月齢の子より何でもできる素直でいい子だった彼女に、どんな負担がのしかかったのかはわからない。しかし時にその気持ちをわがままに表したい時があるのは当然のこと、それがその日だった。最後にマットとトランポリンをやり遂げて誇らしげにその時間を終えた体験は、もやもやする気持ちを発散し乗り越えて前に進む道のりだった。週が明けて今日、食事もトイレも一番に終えた彼女は、「座って待っててね」という先生の指示に穏やかに反応していた。

 心を支えるケアが大切なのは、障害のある子もない子も同じ。障害福祉の現場職員はもちろん、保育園や学校や、人を支える世界中の全ての支援者に広がって欲しいと願ってやまない。

ザリガ二の鳴くところ

2021-07-10 21:41:33 | Weblog
 今春オープン予定だった女性棟グループホーム、秋に予定していた児童センター、来春オープンの男性棟ぐるグループホーム、3件のプロジェクトが予想外の延期になり、全て秋着工、春同時オープンかもというピンチな状況。逆に、新規事業が保留で一種暇な毎日。読書が進んでしょうがない…

「このミステリーがすごい」ランキングはいつも裏切られ感が強いが、海外編の充実ぶりが出色。2019年の全米で一番売れたという「ザリガニの鳴くところ」は、貧困と児童虐待をテーマにした児童文学の金字塔。純文学として感動したのは中学生の時に読んだ「風と共に去りぬ」以来。

 自分の幼少期が重なる暴力シーンに涙し、兄弟との再会シーンにさらに涙、ミステリーとして素晴らしいどんでん返しのラストはむしろ不要だった。今この時も苦しんでいる全ての子どもたちを支えたいと改めて思った。しかしそんな子どもたちを救う活動は、我が子を捨て養育を放棄する親を容認することになるのかもしれないところに疑問を禁じえず。

 保育園の園庭に発注した素敵なブランコが届き。園児たちの喜ぶ顔が楽しみな反面、順番待ちに起きる熾烈な競争をどう指導するのか、不安ももたげる

思い出の積み重ね

2021-05-30 23:01:35 | Weblog

深い愛着を抱いた登場人物が突然亡くなるショックは大河ドラマの宿命だが、その悲しさに泣いてしまったのはいつ以来だろう。

30年前、「翔ぶが如く」で名もない若き書生を演じた堤真一が、今は貫禄の演技力で徳川の重鎮を演じた素晴らしい存在感。史実だから仕方ないが、これほど悲しかったストーリーは久しぶり。

 30年前に観劇に凝っていた頃、銀座の博品館劇場で観た堤真一を思い出す。盲目なのにポジティブでひたむきな、はっちゃけた青年の役だった。同時に、一緒に行った友人が観劇前に博品館のおもちゃ売り場で欲しいと言ったダチョウのぬいぐるみを後日プレゼントしたことも思い出した。

 私たちの人生は、そんな出来事の積み重ねで成り立っている。思い出の累積が人生そのもの。些細な出来事を見て悲しんだり感動したり、それにまつわる思い出を思い返したり、そんな人生の厚みを、支援者と呼ばれる私たちが、利用者のみなさまにその体験の機会を提供できているだろうかと、いつも考える。考え続けなければならない。

 重度障害のみなさまに、東京フィルハーモニーと一緒に第九を歌ったり、ホノルルマラソンを完走したり、伊豆の遠洋で野生のイルカと泳いだり、などの機会を次々と創出していった師匠には、今も遠く及ばない。それらの体験のひとつひとつが、その方たちにとって大切な思い出になっているに違いない。

 自分はこれだけのことを成し遂げましたと師匠に誇れる日が、いつか来るだろうか。




悲しみは止まらない

2021-05-25 23:43:36 | Weblog
 今日のクローズアップ現代、「脳波でロボットを動かせる技術」に釘づけ。脳の障害で動かなくなった体も動くようになるという。内面の意識を表現するすべを持たない「閉じ込め症候群」の方たちが表現できる日が来るのは遠くないかもしれない、と感動。なのにその技術を軍事利用しようなどと馬鹿げた話にはあきれたが。

 感染の止まらない世界なのに、空爆を続ける国があり、火山が噴火する国があり、多くの子供たちの命が失われる日々。この大変な時になぜこんなことが続くのだろうと、悲しみは止まらない・・・

強制的なシステム

2021-04-18 22:53:02 | Weblog
 報酬改正の概要を理解するのに時間がかかり、体制届の提出締切と、2年務めた自治会役員のまとめが重なり、大変な一週間だった今週。自治会長の任期を終え、次期会長へ箱一杯分のファイルを引き継いで解放感にほっと一息。

 とはいえ新型コロナウィルスの影響であらゆる行事が中止となり、この1年は何もすることがなかったが。それでも毎月の役員会で災害のときに助け合える自治会になれるために何をすべきか語り合い、町内のこまごましたトラブルの相談にのり、一緒に協力しあう住民の仲間ができて。
 
 人は誰しも、今の自分の気持ちが何なのか説明できない時があるだろう。この一週間なぜか、人生で何度か体験する大切な人との別れの寂しさを感じて泣きそうな気持ちでいたのは、よく考えたらこの人たちとの関係がもう終わるからだったのだろうか。

「障害があっても地域で普通に生きることを目指す」のだと我々はよく語るが。では「地域で普通に生きる」とは何のことだろうかと考える。

 近所の人といつも笑顔で挨拶をかわし、町内の清掃を率先しておこない、祭りや運動会や行事にいつも参加することだろうか。しかし忙しい現代人は、隣に住んでる人の顔を知らず、行事も参加したことがない人が多い。いろんな人がいるが自分はもともと、誰にでも笑顔を向けて挨拶をする人間ではない。行事にも清掃にも参加したこともなかった。

 それは地域で生きていることにはならないのだろうか。いや、地域にはそんな人もいると理解を示したうえで、わずらわしさを負担に感じながら町内の面倒な役割を果たす人もいる。この日本社会で、地方の隅々まで張り巡らされた自治会と民生委員の制度は、素晴らしいシステムなのではないか。誰もがいやいやながらも、逃げようのない形で順番が回ってくることによって、きちんと成り立っているこのシステムは、奇跡的と言ってもいいのではないか。

 半強制的だったがしかし、終わってみればいい2年間だったと間違いなく言える。一緒に歩んだみなさんに心から感謝です。

地域で生きるとは

2021-04-03 20:11:54 | Weblog
 2軒の保育園でお別れ会。入園のとき赤ちゃんだった園児たちが,お別れの時には園長を「ふっくん」と呼ぶようになり。春から次の幼稚園や保育園へ、それぞれ巣立って行きました。最後の日の夕方、保護者が迎えに来てもみんな「帰らない」と言って園庭で遊び続けていました。

 障害者の支援では出会った利用者に生涯寄り添うので利用に卒業がないねがいのいえでは,別れの機会があまりなく。あとになってからじわじわと寂しさが押し寄せて,可愛かった子どもたちとのお別れをかみしめました。

 翌日スーパーへ買い物に行ったら,卒園した園児の親子が偶然いらしていて「あ、ふっくんだ」と言ってくれました。互いに親しく声を掛け合う大人と子どもがいて,小学生になったときにばったり会ったら「大きくなったね」と感激し。高校生になったときに驚いて二度見し,同じ街でそんなふうに一緒に生きている実感を、これから数十年つなげていくことができる。地域で普通に生きるとはこういうことなのだろう。

 スクールバスに乗って特別な学校に通う障害の子は同じ町内の子でもつながりにくい。共生社会への第一歩はやはり統合保育からかな・・・

年始つれづれ

2021-02-11 02:21:49 | Weblog
春オープンの予定だった女性棟のグループホーム、スタッフ確保も順調で準備万端だったのに、建設側の都合で未だ着工すらできず大幅に遅れる模様。児童センター計画も助成金審査の発表待ちでまだ何も見えず。感染拡大とともにジム通いも自粛中。現場はスタッフが回してくれるので出る幕がなく。「忙しいのにすみません」とみんなに言われるが、意外と暇な毎日。

早く新規事業をやらせてくれないと、年末以来、ずっとミステリーを読んでばかりで他に何もしなくなりそう。「このミステリーがすごい」上位に上がる作品は例年通り今年も裏切られた感が強いが、海外部門で史上初の3連覇を達成した作家が素晴らし過ぎ。長い間TVの脚本家として人気番組を数多く世に送り出した実力は本職の作家以上。30年前のミステリードラマに脚本で名前がクレジットされているのが感涙もの。アンソニーホロヴィッツ。分かり合える人と語り明かしたい。いつもミステリーの話をツーカーで語り合っていた中学時代の同級生は貴重な存在だったとしみじみ想い出す。

新たな土地の案件が持ち上がり、首尾良く購入できれば、グループホーム50人の目標達成のための用地確保が完成、5年後にはその目標も達成できる見込み。なんとしても入手したいところ。目標達成したら後継者に譲って、全国へ支援の旅に巡りたい……

感染拡大

2021-01-09 18:12:12 | Weblog
 再びの緊急事態宣言から初めての週末は、福祉サービスも保育園もいつも通り。障害のある方たちはこんな状況でも自宅にい続けるのは困難なのでこの状況は前回と同じ。しかし保育園の利用者は。前回と違い今回はみんな、会社を休まないらしい・・・

 先月、研修の帰りに夕食に立ち寄った居酒屋で一人黙々と食べていたら、それほど若くもない若者たちが店中に響く声で品のない話をして盛り上がっていた。テレビの取材に答える街の人たちもまた、身近に感染者が出てないから実感がないと言い、クリスマスや年越しは祝いたいと街に出て行く。一人で家で過ごすのは寂しいと言うが、人生のほとんどを一人で暮らしてきた自分は耐性があって幸いだったかも。

 一方で病床は逼迫し救急搬送の行先が見つからない事態が発生している。医療従事者は清掃業者がやるべき仕事まで背負わされて疲弊しているのに、差別を受けているというが。

 自粛に協力する気がない人と医療従事者を差別する人は、感染しても病院には行けないと決めたらどうだろうか?

 ブログの更新が減ってますが、ねがいのいえの活動に関わる話はFacebookにアップしてますのでそちらもご覧ください。
 https://www.facebook.com/shinji.fujimoto.96/

 仕事に関係のない趣味の話はこのブログになります。

深く、強く

2020-12-12 00:14:37 | Weblog
 著書を読んでくださった方が勤務のあとで会いに来てくださり、昨夜遅くまで懇談。
「次は現場の関わりを見学させてください」と言われ、
「どの方も他の施設や学校で大変だと言われた人たちですが、ここにいると穏やかな人にしか見えないので参考にならないかもしれません」と語ったところだったが。

 今朝、半年ぶりに行動障害のパニックがあり朝一番から対応に入り。久々の格闘であとから痛みが出たが、2ヶ月前からトレーニング再開しておいてよかったと安堵した。

 行動障害の青年のパニックに日々悩まされるご家族が自身の治療のため入院となり、明日から2週間のショートステイを控える親子。
「よろしくお願いします」とあいさつする母に、ゆっくり休養していただきたいと思っていたら、「自分のほうが寂しいんです」という言葉をお聞きし。

 他人から見たらあんなに大変な毎日なのに、母は苦しいとは思っていなかったのだと初めて気づかされ。親子の愛情の深さ、強さに感動し、それを知らなかった自分が恥ずかしくもなり。

 今日はどうしても歌いたい気分になり、感染を警戒しずっと控えていたが、ひとりならOKと自分に許してカラオケへ。
 全ての人が幸せでいて欲しいと願いながら。愛する人へ届けたい想いを綴った曲を熱唱した。

今日はひと休み

2020-09-29 22:41:48 | Weblog
先月ハローページのような申請書のファイルを提出した国庫補助金に続き、今月は財団の補助金に申請。タウンページのようなファイルを昨日郵送し、追跡確認にて本日無事到着を確認。

加えて多忙の一因だった新設保育園の初監査が本日来られて、取り憑かれたように多忙だった1ヶ月がようやく一段落。自治会と国勢調査の仕事も残しながら、さすがに今日は午後からひと休み。

夜からまたショートステイの手伝いに入り。大量の夕食を食べた直後に夜食とドリンクの要求を訴え続ける自由奔放なお姫様に、決して甘やかさない母のようなスタッフ。対して可愛い子に甘いおじさんは適当に要望に答え、ようやく先ほど眠ってくれました。

そんないつも通りの日常。

先日、児童発達支援の相談に来た家庭は、いっときの預かりでは解決しない養育上の課題が家庭にあり、求められてもいないのに生活全般の支援に触れ、親としての責務を果たすのが支援する条件であると説教までしてしまい。

福祉は24時間は当たり前。世の中の全ての人を支えようなどと思い上がってはいない。しかし出会った人の全ては支えようと思うのみ。