なんでも日記

出かけた時気付いた事や、身の回りのニュース等をとりとめも無く書きます。

邪馬台国は”何処に?”

2011年01月25日 | テレビ・新聞
1800年前の邪馬台国
魏志倭人伝と遺跡から探り当てます

奈良県纏向(まきむく)遺跡と、北九州の吉野ヶ里遺跡
1910年から論争が続いているそうです
どちらも何とか、自分たちに有力な証拠を探そうとします

魏志倭人伝には2000字に渡って
邪馬台国の事が書かれています

その中の言葉に宮室(政治棟)・楼観(物見やぐら)
居處(王の住まい)・城柵が有り
吉野ヶ里には、これらが全部有ります

もう一つ、武器や道具に鉄器が使われていたようで
2000点もの鉄器が出ているようです

を制するものは、国を制する と言われたそうで
北九州には鉄が産出します

その鉄で出来た剣の端に丸い輪が付いています
これは、中国の剣と同じだそうです

一方、纏向遺跡には
3世紀頃の柱穴が300も見つかっており
当時国内最大の館跡
王の住み家ではないかと思われています
その王が卑弥呼では

九州から関東にかけての土器が出てきているのは
これらの国の連合国で卑弥呼を女王にたてたのでは・・・

そして、桃の種が2765個も出てきました
これは、古い中国では祭祀の時には回りに桃を置いていました

桃は、厄払い不老長寿のお供え物だったそうです
又、宗教上大切なもの、生命の源だったようです

銅鐸の破片も沢山出てきました
銅鐸はとても丈夫で高温にして
故意にたたき割ったものだそうです

これは、それまで弥生の神が使っていた銅鐸を否定し
卑弥呼の鬼道(初期の道教)で
民を導いたのではないかとされています

何れにしても、両者に決定的なものは無く
ロマンはまだまだ続きそうです

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