なんでも日記

出かけた時気付いた事や、身の回りのニュース等をとりとめも無く書きます。

明治の女子教育に力を注いだ人

2012年09月21日 | テレビ・新聞
会津若松城(鶴ケ城)は戊辰戦争で女子少年を含め
最後まで戦い続けました

その中に来年の大河ドラマ綾瀬はるかさん主演の「八重の桜」
モデルになる新島八重はじめ、辛い思いをした女性たちがいます

   

女子部隊の中野竹子照姫の他、会津藩家老の娘山川咲子(後の大山捨末)など
悲劇の女性部隊や少年部隊の存在がありました
攻防の後、お城は燃えていなかったのですが、かなり痛んでいました

   

女子留学生募集に応じ、ここで津田梅子と知り合い
明治の女子教育に力を注ぐきっかけになっていきます

   

10年間の留学生活を全うし、アメリカ式の高度な教育を身に着けましたました
しかし、帰国した二人に思いを遂げる社会は有りませんでした

  

そんな時、捨松に結婚の話が有り、相手が宿敵薩摩の大山巌でしたが
お互い留学者同士、合い通じる所が合ったのと、政府の高官でしたので
国のために力を注ぐには、都合が良いと考えました

鹿鳴館のバザーで3日間で1億円ほどを集め
その一つとして、日本初の看護学校を建てました

   

看護の必要性は、濃尾地震の時すぐにやってきました
必死の戦いの日露戦争では、海外の取材を受け
司令官の妻と言う立場と堪能な英語で、日本の状態を訴え続け
アメリカのローズブェルト大統領の仲介を得、辛うじて勝つことが出来ました

  

女子教育も、津田梅子が女子英語塾を創立するに当たり、その援助もし
梅子が病気のため、塾長辞任の折、その後任探しにも奔走しました

   

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