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秋のベネルクス三国紀行(6)オランダ №265

2018-03-21 10:04:46 | 日記
第5日目 2017年10月28日(土)15゜ 曇り ホテル「ノボテル セントラム」発 8:20
    
 オランダである。しかし、英語表記ではネーデルラントNederland(低い土地)で、国土の4分の1が海面より低い土地であることからきた国名である。その海面すれすれの湿地をドイツから輸入した人間の頭位の石を一つずつ並べるという途方もない労苦を重ねて今の国土を造ったということです。だから、オランダ人は神が世界を造ったというカトリックの教えを信じなかったという。
 司馬遼太郎の「オランダ紀行」によれば、17世紀オランダ人一般が自立主義や合理主義、あるいは近代的な市民精神を持つに至ったのは、彼らが商業民族であったことと、プロテスタンティズムの浸透による。しかし、それは、血みどろの戦いを経た。この間オランダを支配していたカトリック国スペインと戦わければならなかった。その結果、16世紀末に独立し、同時にオランダは飛躍した。
 オランダの面積は九州ほどで、現在の人口はおよそ1700万人。経済規模は日本の7分の1だが、一人当たりGDPは14位で日本の22位より上である。しかし、17世紀当時、人口200万人に過ぎなかったオランダは、その圧倒的な航海技術としビジネスセンスにより、世界に君臨した。アメリカの歴史学者ウォーラーステインによると、歴史上、最初のヘゲモニー国家がオランダである。ヘゲモニー国家というのは、軍事力ではなく、圧倒的に強い経済力によって一時的にほかのすべての国に対して相対的に優位に立った国のことである。ちなみに、18世紀のヘゲモニー国家はフランス、19世紀はイギリス、20世紀はアメリカである。

    
1 キンデルダイク
 キンデルダイクは風車で有名である。国土の4分の1が海面よりも低いオランダにおいて、排水システムは最も重要な問題であり、その国土で生活するためには欠かすことができない。アルブラセルワールト地方では、13世紀から排水の問題が発生していた。オランダ人は、干拓地に過度の水が入らないように大規模な運河を掘ってきた。
 オランダ人は風車を建設し、水面がある一定の高さに到達した際に風車のポンプを利用することで水面の維持を図った。また、ポンプによって川に排水された水は再利用が可能となった。とはいえ、人間の力では水面を完全にコントロールすることは不可能であり、オランダは過去に深刻な洪水の被害を何度も受けている。

    
2 ハーグの国際司法裁判所
 ハーグはオランダの行政都市で、政府機関、各国大使館、オランダ王室などがある、落ち着いた佇まいの緑豊かな町。国連機関などもある国際的な都市ですが、北海沿岸の有数なリゾート地であるスヘフェニンゲンの海岸もあり、夏場は多くの観光客で賑わうということです。1899年と1907年国際平和会議が開かれたところで,平和宮には、最近退職した皇太子妃雅子様の父君小和田恆氏が判事をしていた国際司法裁判所があります。

    
3 ハーグのマウリッツハイス王立美術館
 ついに、フェルメールとオランダで出会うことができました。世界に三十数点しかないフェルメールの作品のうち3点がある美術館で、なかでも、『真珠の耳飾の少女』(青いターバンの少女)』(1665年頃)は、この絵をモチーフにしたトレイシー・シュヴァリエの小説(のちに映画化)で一躍有名になった作品。
 『デルフトの眺望』(1660 - 1661年頃)は、プルーストの『失われた時を求めて』に重要なモチーフとして登場する絵画である。他にも、レンブラント『テュルプ博士の解剖学講義』(1632年)、「自画像」(1669年)等がある。
 建物は、17世紀半ば、ヤーコプ・ファン・カンペンの設計で建てられたもので、オランダ古典様式建築の代表作とされる。館名はここに住んだナッサウ=ジーゲン侯ヨハン・マウリッツ(1604年 - 1679年)にちなむ。
 コレクションはオランダ総督ウィレム5世と、その子のオランダ初代国王ウィレム1世の収集が中核となっている。王立美術館として開館したのはウィレム1世の時代、1822年である。美術館の規模はさほど大きくないが、オランダ絵画をはじめ珠玉の名品を収蔵することで知られる。
    



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