うたれ弱く、ひ弱になった反面、非常に頑固でわがままなところがあり、「人それぞれだけれど、自分だけは別」という意識をもった若者が増加した気がします。家庭の中で大切に育てられ、赤ん坊の時のような全能感(自分が望めば誰かがそれを叶えてくれるはず)が壊されることなく成長したため、他者との比較で自分を相対化し、世界の中で自分は小さな存在にすぎないということが認識できず、自己愛幻想の中に生きている若者です。
こうした若者は、人と深く関わると自分の全能感が傷つくことがわかっているので、フェイストゥーフェイスで深く関わることを巧妙に避けているのです。情報ツールを活用し、自分の気に入った人たちや気の合う仲間らしき人たちとツィートすることで、社会参加や社会の中の自己実現が果たされていると錯覚できるのでしょう。
リアルの中での自分を直視するのは辛いこともあり、顔も名前も職業も隠し、バーチャルな世界の中で、傷つくことなく全能感を感じて生きていくことで幸福を感じるなら、それはそれでよいのでしょう。しかし、それが逆転したとき、すなわち、ひ弱な現実の自己を認識することをさけるためにバーチャルな自己が現実を破壊しようとしたときに、思わぬ悲劇がまっているような気がするのですが・・・。
こうした若者は、人と深く関わると自分の全能感が傷つくことがわかっているので、フェイストゥーフェイスで深く関わることを巧妙に避けているのです。情報ツールを活用し、自分の気に入った人たちや気の合う仲間らしき人たちとツィートすることで、社会参加や社会の中の自己実現が果たされていると錯覚できるのでしょう。
リアルの中での自分を直視するのは辛いこともあり、顔も名前も職業も隠し、バーチャルな世界の中で、傷つくことなく全能感を感じて生きていくことで幸福を感じるなら、それはそれでよいのでしょう。しかし、それが逆転したとき、すなわち、ひ弱な現実の自己を認識することをさけるためにバーチャルな自己が現実を破壊しようとしたときに、思わぬ悲劇がまっているような気がするのですが・・・。