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澤地久枝『密約』について(2)

2006-12-31 00:12:17 | 
失礼を承知で言えば、私が感心したのは「密約」や「すりかえ」ではなく、澤地氏の人間観察力である。澤地氏が、同じ年生まれで相当苦労をしてきた蓮見事務官に関心を持ったことが、『密約』を書くきっかけであった。澤地氏は実際法廷に通い、蓮見氏にもアプローチする。蓮見氏は、裁判では起訴事実を全面的に認め、裁判を早く終え、世間から忘れられたいと望んでいた。

「『あのとき、女として私は魔がさしたのかも知れない。しかし過ぎたことは、過ぎたこと、後悔はすまい。それよりももう一度、沖縄返還交渉そのものが、正確に真実を歴史の上に記されることを願う』という心境にまで、這い上がってきて欲しい。」このように澤地氏は蓮見氏に呼び掛けるが、拒絶された。

蓮見氏は、法廷では、政治や経済に関心のない平凡な女、情事におぼれて秘密書類を持ち出させられた弱い受け身の女であると提示された。このようなことを前提として、蓮見氏は起訴事実を全面的に認めた。一審判決は、懲役六ヶ月、執行猶予一年であり、蓮見氏はこれに服した。しかし澤地氏は、このように描かれた蓮見氏の人間像に基づいた議論に疑義を呈する。

「十九やはたちの小娘ではない。有能な秘書事務を十年も続けてきた分別と、四十代の女盛りをむかえた生身のひとりの女。……隙間風の吹くはだはだの夫婦生活。ゆれて燃える女心がそこにあったとしても不思議ではない。なにも知らずにだまされて肉体関係をもち、書類の持ち出しをそそのかされたのだと主張する方がむしろ不自然なことであった。」

そして澤地氏は、この蓮見氏とかつて関係をもったX氏の証言を引き出している。X氏は仕事で外務省に出入りをしていた。蓮見氏と仲良くなったX氏は、食事をする関係になった。あるとき蓮見氏はX氏を食事に誘い、「遅くなってもかまわない」と言い、暗かった青春時代、結婚生活の中での寂しさ、自殺を企てた過去などをはき出すように述べた。蓮見氏は店を出ると、酔うほどのアルコールではなかったが、歩けいないと言う。タクシーに乗せると、蓮見氏は、正体がなくなったように体をもたせかけてきた。とてもそのまま帰れる状態ではなく、どこかで休もうと言うことになった。X氏はつぶやく。「そういうときの男がどんな気になるものか、わかりますか?」

このように抜き出すと澤地氏が、蓮見氏を断罪しているかのように受け取れるが、決してそうではない。政治に翻弄された一人の女性として、しかも自分と同時代を苦労して生きた女性としての共感を持ちながら記述されるのである。このあたりを理解するには、本を読んでもらうしかない。(続く)
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3 コメント

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Unknown (solaris)
2006-12-31 13:40:43
密約の内容は忘れてましたが、こういう事件があったのは覚えています。

>裁判を早く終え、世間から忘れられたいと望んでいた。
という蓮見氏にとっては、このように本に書かれる事はとても不本意だったのではないかという気がしますが、そのあたりはどうなんでしょう?了解はとってあるのだろうかと心配になります。
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Unknown (ogintern)
2007-01-01 01:09:56
solaris様、コメント有り難うございます
蓮見氏は「裁判を早く終え、世間から忘れられたい」と法廷では述べていました。しかし種々の事情があったのだとは思いますが、一審の終結前後に、蓮見氏は週刊誌やテレビなどで種々の発言をして(例えば外務省某高官に愛されたことをほのめかすことから夫婦生活に至るまで)不必要な個人的事情まで述べていたようです。
澤地氏が『密約』で、蓮見氏の個人的事情に立ち入って書いているのも、そういうことが背景にあると思われます。澤地氏は『密約』を書くにあたり、蓮見氏の了解をとっているかどうかは分かりません。(多分とっていないと推測できます)
現在この事件に言及するときは、蓮見氏の名前を出さずに、外務省事務官とされるようです。
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Unknown (Solaris)
2007-01-01 22:06:57
なるほど。そういう事情なら、このように本に書かれてもいたしかたありませんね。すっきりしました。しかし、つくづく、人間というのはアンビバレントな生き物ですね。

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