どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

月の神マンチャコリ・・ペルー

2023年11月05日 | 昔話(南アメリカ)

     大人と子どものための世界のむかし話6 インカにつたわる話/加藤隆浩・編訳/偕成社/1989年初版

 

 この世に太陽がなく、真っ暗な時、人間は洞穴に住み、何日もかけて、食べられる土のとれる洞穴へでかけ、その洞穴の土を食べて暮らしていました。ある家で、娘を一人残して、土をとりに出かけたとき、見知らぬ男がやってきました。ごそごそする音をきいて、へんに思った娘は、音のするほうへ、つばをはきかけました。

 「とんでもないことをしてくれたね。どうして、わたしの顔に、つばをはきかけるのだ。しみになって、のこってしまうだろうに」という男は、つづけて両親のことを尋ねます。両親が食料にする土をほりにでかけたことをきいた男は、「これからは、わたしが、ここにもってきたものを食べるがいい」と、ソンビキ、パマキ、ブチャタロキなどの木をうえてくれました。この男はマンチャコリ、つまり夜空にのぼる<月>だったのです。

 マンチョコリは、「木に実がなっても、いちどにぜんぶとってはいけない、また違う木の実を、まぜこぜにとってはいけない、そして実は熟したものだけとるように」というとかえっていきました。ところが、みんなはマンチョコリのいいつけにしたがわず、てんでに実をもいでむさぼり食ったのでばらばらにおとされた実は、ごちゃまぜになりました。そこへマンチャコリがやってきて、いいつけにしたがわなかった人を、みんな虫にしてしまいます。いま、土の中にすんでいるカイツィコリや、ウマイロという虫は、このとき人間たちがすがたをかえた虫です。

 人間のままのこったのは、むすめとその両親、妹の四人だけでした。やがてむすめはマンチョコリの子をみごもりました。むすめが子どもをうむとき、マンチョコリは、「この木をつかんでいなさい。そうすればいたくないし、やけどすることもないからね。」といいますが、むすめは、ちがう木をつかんでしまい、子どもをうむとどうじに、焼け死んでしまいました。生まれた子は、人間でなく、まっかにもえた火の玉でした。この子がカツィリンカインティリ、つまり<太陽>でした。カツィリンカインティリには長いしっぽがありました。マンチョコリは、そのしっぽをこまかくきって、いいました。「これは白人、これは黒人、これは悪人、これは善人、そして、さいごのきれはしは、アシャニンカ族だ。」。やがて、風がたいそうつよくふき、白人、黒人、善人、悪人、アショニンカ族をふきとばしました。こうした人々は、あちこちの土地に、別々にすむようになったのです。

 つぎに、マンチョコリは、むすめの父親マオンテをよび、カツィリンカインティリを、とおくまでつれていって、うめてくるようにいいます。マオンテは、つれていくとちゅうで、けっして水をかけてはいけないといわれていましたが、あつくてたまらず、おもわず水をかけてしまいます。さらに遠くにいって、カツィリンカインティリをうめてかえると、それまでまっくらだった空にから、くらやみがさって、あかるくなりはじめました。太陽が東からのぼってきたのです。ところが太陽がのぼると、もやがかかりました。それをみたマンチョコリは、いいました。「おまえはカツィリンカインティリに水をかけたな。だから、もやがかかったのだ。もやがかかれば、かならず雨がふる。みんなおまえのせいだ。しかし、おまえが水をかけたのは一部分だけのようだ。だから、雨がふる土地もあれば、ほんのすこししかふらないとちもあるだろう。」。

 マオンテは、自分のしたことを、深くくやんでいました。あわれにおもったマンチョコリハ、マオンテを鳥にかえてやりました。アマゾンのあちこちにいるマオンテ鳥が満月の夜になるとなくのは、じぶんがまちがった行いをしてしまったことを、後悔しているからです。

 雨が降るようになり、昼までに、この世をてらすものができましたが、夜をてらすものがありません。そこでマンチョコリは、じぶんで夜をてらすことにしました。満月がちかづいて、月がだんだん大きくなっていくと、顔のしみがみえるようになりました。それは、マンチョコリがはじめてむすめにあったとき、かけられたつばのしみだということです。

 

 壮大な由来話です。

 今年は、日本とペルー外交関係樹立から150年です。


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