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ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

メルボルン行:ヤラ川リバークルーズ下り編

2019年08月10日 | オーストラリア:メルボルン

ヤラ川にはさまざま船が
停泊していたり航行していたり。




リバークルーズも大小あり

数社が運航。


サウスゲートの前に乗り場があり



これに乗ってみました。



1889年に建設された
クイーンズ橋と近代的なビルの

この対比


熱効率のためなんでしょうが

ミラーガラスのビルばかり


メルボルンコンベンション&
エキシビションセンター

メルボルンは奇抜な建物が
非常に多いです。
さすがアートの街


帆船のマストが見えます。



これはタワマンなのかな?



ウェブ橋という歩行者専用の橋

名前の通りクモの巣のよう。


建設中のアパートメント

ウォータフロントの一等地で
数億円するんだろうなぁ


広々して海のようですが
ここもまだヤラ川

コンテナヤードがあり
クレーン並んでいます。


川幅があるのでコンテナ船が
入って来れるんですね~

深水も十分ある訳です。
本当にオーストラリアは
すべてが桁違い(笑)


クルーズはこの辺で折り返し。


赤い橋は上が有料道路になっている

ボルト橋


これもマンションなんだろうか?

好き嫌いが分かれそう


古い倉庫街



スタジアム



ウォーターフロント再開発が進み

あちこちにクレーンがあります。


川下から上って来ると
高層ビル群が圧巻

でもマンションがかなりある


クルーザーの数がオークランドとは段ち。



これも自家用



シドニーのダーリングハーバーで
見たような光景。



コレとか



2016年完成のコレとか

オーストラリアのランドマークは
常に3棟なの


まだまだできるらしい。



こういう倉庫も再開発されそう。



見えてきたのはシーフェラーズ橋



2009年に完成した歩道橋

歩行者のためだけにこれだけの
橋ができるところに、この街の
公共交通機関の発達ぶりを実感


商業施設が増えてきて

シティーに戻ってきました。


1961年完成のキングス橋と



1889年完成のクイーンズ橋

隔たっているのは70年の歳月
だけではなくその美しさも


1888年完成のプリンスズ橋

川に掛かる橋としては国内で
最も古い部類に入るそうです。
クルーズはここで一周り。


初メルボルンだったら
乗るべきクルーズでした。




メルボルン行:ヤラ区

2019年08月09日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルン。
オーストラリアで不動産投資を
始めるまでに見ておきたかった
三大都市の最後の都市


2日目はホテル近くで見つけた



フレンチなカフェでスタート



その後は街の中心であるヤラ区へ

飲食やショッピングだけでなく
アートシーンの中心でもあり
至る所にオブジェがあります。


中央を流れるヤラ川(全長242キロ)



リバークルーズの船が
たくさん停泊しています。



娯楽とグルメの殿堂らしい

クラウンカジノ


貨物列車が通過。
見るからに重そうな真っ黒な物

手前にも動物のオブジェ


鉄のコイルかな?



ビルの谷間を延々と過ぎていき

なんともオーストラリアな眺め


その後ろには貨物が続き

大陸らしい驚きべき長さ
100両とかになるのか?


サウスバンクの玄関口

サウスゲート


周囲は幅広いプロムナードで

そぞろ歩くにはもってこい。


オーストラリアの川沿いでは
よくある光景で

ブリスベンもこんな感じでした。


緑豊かなのも歩く楽しみ



メルボルンコンベンション&
エキシビションセンター



対岸にはシーライフ

観光アトラクションの
中心でもあるよう。


エバンウォーカー歩道橋は
歩行者専用の橋で下にある
ポニーフィッシュアイランドは
島全体がバーになっていました。

夏の夜には良さそうな場所。


歩道橋の先は塗装工事中だった
フリンダースストリート駅



シートが掛かっていない部分もあり
街のシンボルというのも納得な赤

川沿いはフリンダースウォーク
という遊歩道になっていました。


オフィス街の摩天楼

オーストラリアの都市はどこも
大きな川があってステキです
逆に言えば川があるから
発展したのでしょうが。


大きな川の河口という
植民地の出発点が
見えるようでした。




夢見:1キロ先のトイレ

2019年08月08日 | 浅き夢見し

「私」は夫と一緒に
オーストラリアの
どこかにいました。


宿泊していたのは
ホテルではなく、
会員制クラブの
クラブハウスらしい
2階建ての建物でした。

(※イメージとしてはこんな感じ)


変わった場所ですが、
滞在は快適でした。
ただし、ひとつの
大問題を除いては。


大問題とは、施設内の
トイレが壊れており
系列施設がある
1キロ先まで行かないと
トイレがないことでした


1キロ歩くのは苦では
ないとしても、トイレと
なるとややこしいもので、
非常に不便で不満でした。


別の場面では、私たちは
クラブの年次総会らしい
会議に出席していました。


前には中年の白人女性がいて
施設の運営状況について
説明しています。


質疑応答の中で、誰かが
壊れているトイレについて
質問すると、女性は、
「他の優先事項があるので
当面は修理を考えていない」

と回答し、何の反論もないまま
議題が移っていきました。


「トイレに行くのに1キロも
歩くなんて、おかしいわよ。」
次の場面で、「私」は日本語で
語気荒く話していました。


目の前にはランニングシャツを着た
30代の日本人男性がベッドに
片肘をついて横たわっています。


男性はトイレがある系列施設に
長期滞在していました。
トイレに来た時に知り合い、
日本人などいない場所なので、
何の気なしに話し始めました。


男性の部屋は左側の壁際に物が
うず高く積まれ、右側にベッド、
真ん中が細い通路になっており、
「私」は立ったまま話し、男性は、
「うん」とか「ああ」とか、
生返事を繰り返していました。


自分は不便を感じていないので、
「私」の話に身が入らないのか、
乱雑な部屋に感じられたような、
「どうでもいい」という
投げやりな態度だったのか。


その時、モーテルのような
ガラスの引き戸が急に開き、
小柄な若い白人カップルが
部屋に入ってきました。
2人はリュックを背負い、
オーストラリア人ではない
外国人旅行者のようでした。


男性とカップルは会釈しあい、
カップルはベッドと物の間の
狭い通路を通り、カーテンで
仕切られた奥に入っていきました。


ガラス戸にはカーテンがかかり、
強い西日を遮っていましたが、
理由はそればかりではなく、
男性は中が見えないようにして、
部屋を又貸ししているようでした。


=============


釈然としない気持ちで
目が覚めましたが、
意味のない夢のよう。


単にトイレを我慢しつつ
夢を見ていたのか


連日メルボルンの写真を
見ているせいか、場所の設定は
自然にオーストラリアに(笑)



メルボルン行:メルボルンの中華街

2019年08月07日 | オーストラリア:メルボルン

日本を出てからNZに移住するまで
アジアで20年近くを過ごした私。
最初に留学したのが台湾
結婚したのはシンガポール
子どもが生まれたのは香港


そんな塩梅なので、海外に行っても
中華街があれば必ず行きます


ビクトリア州議事堂からは徒歩圏内。
歩いているだけで、
アジアが近づいてくる感じ(笑)



怪しいカタカナ表記が

日本人経営でないことを
物語るスイーツ屋


こういうストレートな表現は

逆に日本人経営では?


中国語圏に入ってきました。



立派な門があります

墨爾本唐人街
墨爾本(モーアルベン)は
メルボルンの音訳


中華街ではなく唐人街という名称に

歴史の古さを感じます。
ゴールドラッシュに沸いた
19世紀中葉からあるのでは?


上海料理だったり



広東料理だったり



古い洋館と赤提灯の妙



一角が街の一部として完全に
定着しているのを感じます。



ご当地版ウーバーイーツ

徒歩、自転車、バイクなど
あらゆる出前があるよう。


台湾スイーツのゴンチャの行列



黙々とポケモンを描いていた

チョークアーティスト


飲食店に混じってかなりの頻度で

不動産屋


日本語表記で怪しさ倍増(笑)



ここも西頭(ニシトウ)という

日本語名に相当無理が


店構えもまんま中華なのに。

ナゼ日本料理を装うのか


ここは作っているところが見え
人気店だそうですがやはり行列



並ばずに入れたコチラにしました。

上海小籠館


目玉焼き

まるで香港の即席めん朝ごはん
上海料理でこれ、アリですか?


野菜はタアサイでした。

パクチョイが来てほしかった。


小籠包



水餃子

上海料理で水餃子はほぼ反則技。
でもあったので頼みました。
すべて可もなく不可もなく(笑)


別の場所で行列ができていた店

「えっさっきの店の支店?」
と思った小籠館という名前。
でも、英語名が違うんですが


今回の滞在では行けませんでしたが、

華人博物館
ぜひ次回は行ってみましょう。


中華街の夜はまだまだ
続いていくようでした。





夢見:グレンイーデンの美容院

2019年08月06日 | 浅き夢見し

長い長い夢でしたが
いつものとおり
覚えているのは最後だけ。


「私」は夫と会員制クラブの
バーにいました。
英連邦らしいクラブ文化。
場所はオークランドでした。

(※こんなイメージ)


夫は来慣れているようで、
知り合いと挨拶をしています。
カウンターには意外にも
私たちと同年代の日本人男性が
マネージャーとしていました。


男性はグレンイーデンで
美容院を経営していますが、
商売が芳しくないので
店を閉めると言っています。


バーのマネージャーは
夜だけの副業だそうですが、
がっちりした厳つい風貌や
無造作な短髪など、およそ
美容院よりもバーの方が
似合う人に見えました。


「私」は男性の話よりも
「グレンイーデンって、
どの辺だったっけ?
行ったことあったかな?」
と、実在する地名に
気持ちが集中していました。


会話の間にもキウイの若い
金髪のウエイトレスたちが
次々にお皿に盛った料理を
マネージャーに見せに来ます。


「もうちょっと高く盛って
見栄えをよくして。」
など彼が指示し、客に出す前に
キッチンで手直しするそうです。


「美容院の前は飲食業にいた」
と男性は話しており、
「多芸な人なんだな~」
と「私」は感心していました。


さすがに店を閉めるとあって
男性は浮かない顔をしており、
「今からなんとかできないものか。」
と夫に相談し始めたところで、
「私」は席を外して夢が終わります。


=============


男性はバーのマネージャーより
もっと言えば大工のような風貌で
理髪や調理という繊細さよりも
骨太な印象の人でした。


その意外性以上に気になったのが
グレンイーデンという地名(笑)


起きてから思わずググりました。
確実に行ったことがない場所




夢が現実に近づく

2019年08月05日 | 夢の周辺

以前見ていた夢は
空を飛んだり
死者と話したり
ある意味、現実味のない
夢らしい夢でした。


ところが最近の夢は、
現実的な設定が多く
日中の経験の反映や
続きであることが増え、
ここに書き出しながら、
「あーアレだったのか
とわかることがあります。


例えば昨日上げた「脅迫状」


脅迫されるという設定は
京アニの報道に接したためで
夢の中で脅迫される側になり
少しでも犠牲者の気持ちに
近づこうとしていたようです。


石造りのアパートメントは
ここ数日、旅行記を書くために
メルボルンの写真を
見ていたからでしょう。

こんな写真がいくつもあります。


誰かとフラッティングと呼ばれる
共同生活をしているという設定も、
理由がありそうです。


夢を見る数日前に外食をしたとき、
居合わせたお客さんの誕生日で
ケーキが運ばれて来るや
店内がハッピーバースデーの
大合唱になりました。


そのテーブルは私たちの近くで
4人分にしては驚くほど大きな
ケーキでした。


他の客もそう思ったようで、
「ずい分大きなケーキねぇ」
と誰かが声をかけると、
誕生日を迎えた男性の
奥さんらしき若い女性が
「フラットメイトに持って帰るの」
と説明していました。


NZ、特に家賃の高いオークランドでは
社会人になってもフラッティングを
していることが珍しくありませんが、
女性は大きなお腹で
臨月近くに見えました。


「そうかこの人は共同生活を
しながら出産して子育てもするのか
というのが、私には小さな衝撃でした。


オークランドの住宅事情なのか、
彼らの望んだことなのかは不明でも
他人と暮らしながら家庭を築く
というのが新鮮な発見でした。


真っ黒なクロだけを抱いていたのは

クロが大人しいからでしょう。
靴下を履いたコロなら
ビビりなので抱っこして逃げる
という設定はどう考えてもムリ
その辺も現実の反映です。


こうしてみると
最近の夢はずい分と、
現実に近づいています。




夢見:脅迫状

2019年08月04日 | 浅き夢見し

夢の中の「私」の思考は
限りなく私自身のものですが、
今回「私」が置かれた状況は
現状とはかけ離れていました。


「私」はどこかの都会の
古い重厚な石造りの
アパートメントで数人と
共同生活をしていました。


NZやオーストラリアで言う
フラッティングで、場所も
オーストラリアのようでした。 


「私」は菓子類も売るパン屋に
勤めており、店で売っている
チョコチップ入りのクッキー
の件で言いがかりをつけられ、

(※こんなイメージ)


なんと脅迫状が家に
送られてきました


「ここに居ては命が危ない
と判断した「私」は急いで
家を出ることにしました。


小さな旅行用バッグと
飼っている黒猫を抱え、
フラットメイトに、
「荷物を持って外まで
送ってくれない?」
と頼むものの、みんな
曖昧に頭を振っています。


出ていく事情が事情なので
関わりあいたくないのです。
「夫はどこにいるの?」
姿が見えない夫のことを
考えつつ、バッグを持ち
猫をしっかり抱えて、
重いドアを身体で押し開け、
明るい外に出ます。


目の前にはクルマや通行人が
行き交う都会らしい光景が
広がっていました。


明るく平和な日常でしたが、
「このどこかに犯人がいる?」
と思うと身が引き締まる思いで、
猫が逃げないようにさらに
しっかりと抱いて通りへの
石段を下りていきました。


=============


この夢を見たのは数日前で、
京アニの特定社員に対して、
殺害予告や社に対する脅迫が
ホームページに200回ほど
書き込まれていたことを
報道で知り、
「脅迫されていただなんて、
どんなに不安で心細かった
ことだろう。」
と思ったことの反映のよう。


夢の中の「私」は脅迫に
逃げ出す選択をしましたが、
夫を置いて猫を連れて行く
夢ならではの頓珍漢。


黒猫は実物よりずっと
小さく軽かったものの
クロでした。

(※本ニャンは体重9.4キロ)



メルボルン行:未完のビクトリア州議事堂

2019年08月03日 | オーストラリア:メルボルン

聖パトリック大聖堂を出て


すぐ目についた立派な建物。

ビクトリア州議事堂


大きすぎて全体が撮れない(笑)

1855年に建設が始まり、
翌年には第1期工事終了


その後、何十年も建設が続いて
現在の姿になったそう。
1901~1927年の26年間は
メルボルンが臨時首都だったため
ここで連邦議会が開かれた
歴史的な場所でもあるそうです。


驚きなのはこの建物、

未完なんだそうな


1877年の設計によれば、
大きなドームと横にも別棟が
建設される予定でした。

(※当時の完成予想図)


1890年にほぼ現在の姿に。

上の写真と比べると
途中などがわかります。
(※写真はウィキペディアより)


しかし、1890年代に入るや
不況に陥り、その後の工事は
ついぞ着工されることがないまま
現在に至っているそうです。


1927年には連邦議会が
首都キャンベラに移り
連邦政府の予算で1929年に
現在の姿が完成しました。


1850年代のゴールドラッシュで
高まったメルボルンの地位は
時代の流れとともに変わり、
政治の中心をキャンベラに
経済の中心をシドニーに譲り


現在の経済規模でみると
シドニーがある
ニューサウスウェールズ州は
全国の約3分の1
メルボルンがある
ビクトリア州は
約4分の1


対面には1883年創業の

ホテル・ウィンザー


州名どおりビクトリア王朝の
古の栄華を今に伝える一角





メルボルン行:聖パトリック大聖堂

2019年08月02日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルン


壁画で埋め尽くされた
ホイザーレーンを出て街歩き。


5月のシドニー同様に、
街のあちこちにクレーンがあり
急ピッチで建設が進んでいました



見えてきた巨大なレシート
のようなオブジェ



女性参政権運動の碑
というそうで、英語名は
グレートペティション

オブジェは嘆願書を
かたどったものでした。


260メートルにもなった
膨大な嘆願書は、1891年に
ビクトリア州の女性3万人の
署名を集めて国会に提出され、
女性参政権運動の起点となった
重要なシンボルなんだそうです。


NZが世界初の女性参政権を
認めたのが1893年なので
それよりも2年前の事でした


しかし、ビクトリア州の女性が
参政権を得たのはその19年後の
1910年だったそうです。


すぐ近くのこぢんまりした
石造りの教会は



ドイツのルーテル教会でした。

さすがプロテスタント
質素で実用的な感じ。


その先の遠くからでも目立つ
天を突き刺すような尖塔を
頂くデーハーコテコテ教会は

聖パトリック大聖堂


さすがカトリック、派手です

80年以上かけて1939年に完成した


オーストラリア最大のゴシック建築

でもあるそうです。


オセアニアではなかなか

目にしない凝った造り


宗教とは無縁ながら、
建物を見るのが好きなので



教会でもお寺でもモスクでも
参観できるところには
積極的にお邪魔します。



立派なパイプオルガン

聴いてみたい


当時の建築技術の粋を集めた

ものなのでしょうが、


さすがにこの辺は輸入品(笑)



建国の人手不足と1930年前後の
大恐慌を乗り越えて

よくぞここまで
と思う反面、


この存在こそが大恐慌までの
バブルだったのかなぁとも

好景気でさぞや建設に向けての
献金も集まったことでしょう。


窓から漏れる光まで

オーストラリア色


庭もステキでした



街のど真ん中とは思えない

静かな一角


荘厳とみるか
威圧とみるか

宗教心のあるなしで
解釈が変わりそう。
どちらであっても
美しい教会でした。



メルボルン行:ストリートアートのホイザーレーン

2019年08月01日 | オーストラリア:メルボルン

8月に入ってもここでは
2017年10月(笑)
22ヵ月遅れからなかなか
脱せられません


デグレーブスストリートから
やってきたのは、すぐ近くの

ホイザーレーン


グラフィティから



壁画のレベルまで



通り全体が



ストリートアートで

埋め尽くされた


インスタ映えする(笑)

観光スポット


もちろん観光客多数で

写真を撮るのに
みんな行列


炸裂するパワーとカラー



3、4階の高さまで



梯子から描くんだろうか?



耳なし芳一の話ではないけれど



一片の余白もなく



ゴミ箱まで



これらは自治体の協賛を得て
定期的に描き直されるそう。

多少は規制もあるのか、


美しい青銅の紋章はそのままで

ちょっとホッとしました。


アートの領域であっても



自分の家や近所がこんなだったら

「絶対に嫌だな


と思うネガティブさもあり



刺々しさ、おどろおどろしさ



攻撃力、破壊力に満ちていながら



強い承認欲求も感じられ



それがまた息苦しさを

募らせる気がしました。


他の場所ではバンクシーの「作品」も

見られるそうです。


面白いけれどわざわざ来るのは

この1回だけになりそう。



(※トラの目にも見える窓の灯り)