ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

サンシャインコースト・ブリスベン行:ポモナのヌーサ州博物館

2017年01月28日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

私は初めて行ったオーストラリア
夫も出張で行ったことがない場所ということで
サンシャインコーストのヌーサを選びました。


いつものごとく、旅行の直前は仕事が押せ押せなので
ほとんど下調べもしないまま飛行機に飛び乗り
現地に着いてからホテルのWiFiであれこれググる
という、進歩のないことをしてましたが、

ヌーサは周辺に小さな村や町が点在していて、
週末のドライブや観光にはもってこいですね


ユーマンディを出た後は

ポモナという、マオリ語のような名前の村へ


お目当てはココ

ヌーサ州博物館


英語名のNoosa Shire MuseumのShire(シャイア)は
今のcounty(カウンティー)の古語なんですってね
知りませんでした


ヨークシャー(Yorkshire)
デボンシャー(Devonshire)

といった地名はその名残


そういう古い場所こそ、
ヨークシャープディングだの
デボンシャーティーだの
イギリスを代表するような古典的な食べ物があるっ
なーるーほーどー


隣は可愛い教会で

どちらも歴史的建造物


教会がこの村の生き証人



19世紀の終わりか20世紀の初めにポモナ小学校を建設する際

どこに何歳の子どもが何人いるかを調査したもの。
学校の建設予定地から自宅までの距離がマイルで示され


建設された学校と生徒の写真

1904年頃


そして今も残る旧校舎

(※今の学校は別の場所にあります)


こういう古(いにしえ)の移民たちの姿を垣間見ると
なんだか胸が熱くなってきます
自分も移民のせいか、それが100年前のことであっても
ぐんと自分に引き寄せて想いを馳せてしまいます。


博物館内には周囲の歴史的建造物の紹介や由来が

それはそれは丁寧かつ素朴に展示されており


地元愛がひしひしと感じられます。

博物館員の高齢の女性もそれはそれは丁寧に対応してくれ
訪問者が私たちしかいなかったのにビデオも上映してくれ
あれこれ説明もしてくれました。


ポモナがサウスイーストクイーンズランドで過去2回も
最もフレンドリーな町
に選ばれているのがわかったような


その後はひとまずカフェでひと休み



トレイル518



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サンシャインコースト・ブリスベン行:ユーマンディ周辺

2017年01月27日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

ユーマンディ・マーケットは周辺も楽しい


町(というか村?)全体がレトロな佇まい



今でも現役の古い建物



開拓者時代がしのばれる?



このカフェはめちゃ混みでした。

暑かったからみんなジェラート狙いだったのかな?


ここはその名も時代がかった

インペリアル・ホテル
(帝国ホテル)


今やビクトリアンな雰囲気は微塵もなく

地元の人の憩いの場でした。
「入りにくい居酒屋」的な濃ゆい存在


遠くからでも目立ったこの看板

でもパン屋ではなく
カフェでした(笑)
でもググってみたら、本業はギフトショップのよう


目の前には大きな公園もあって

マーケットで買ったのか持ち込みか、ピクニックしている家族も


実はこの界隈で個人的に気に入ったのがココ

ユーマンディ・パビリオン・マーケット
20年の歴史だそう。
創業40年のユーマンディ・マーケットにあやかる2匹目のドジョウ?


こちらがやたらに『オリジナル』(本家)を強調するのもわかる



パビリオンの方は古本、古着、アンティークなど

手作り一辺倒のユーマンディ・マーケットにはないものがある


もちろん、ハンドメイド系もいろいろありました。

ク、クロコダイルダンディー
さっすがオージー


なかなかウケたのが、この床屋

このスペースでちゃんと営業してました!


手作り石けんやアンティークのピーターラビット

げっとん


しーかーし、
大失敗もありました
ランチまで時間があったので先にパビリオンに来てしまい
他にもとても気に入った手作りの鳥の置物がありました。


本チャンのユーマンディ・マーケットがあそこまで徹底した
クラフトマーケットだとは思っていなかったので
「あっちにもアンティークがあるかも
と思って下見だけにしてしまい、食後に戻ったら
はもういなくなっていました


ピーターだけでも残っていてラッキー

アンティークは一点物ですから
即断即決即買は基本のキ
しくじりましたわ


次回は
パビリオン⇒オリジナル
の順番を徹底させたいと思います


そうそう、もうひとつマーケットがありました

ここは3匹目のドジョウなのか


このディスプレーは



めちゃくちゃカワイイ



でもかなりの大きさがあり

「飛行機で帰るんだしー」
と冷静になって次の場所へ(笑)


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サンシャインコースト・ブリスベン行:ユーマンディ・マーケット

2017年01月26日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト
突然ひょっこり再開する
2016年9月のサンシャインコースト・ブリスベン旅行記
今後も超マイペースと思われますが、よろしくお願いします。


土曜日にヌーサ周辺にいるのなら
絶対に行くべき場所らしいです

ユーマンディ・マーケット
毎週土曜・水曜開催のローカルマーケット


オーストラリア初のアルチザン・マーケットと銘打つように

地元の工芸家たちの手作りの品が


どこまでもどこまでも並んでいる



一大青空マーケット



あっ、ちょっと屋根付きの場所もあります(笑)



スゴい人出で相当観光客も集まっているよう

周辺の人口と不釣合いな数(笑)


マーケットの始まりは1979年にさかのぼるそうです。
陶芸家クリスタ・バートンと友人のゲイル・ペリー=ソマーズが
ヨーロッパ風のアルチザンとファーマーのマーケットをやろう!
ということで始めたそう。


それが「ヨーロッパ風」と指摘されてハタと気がついた

フランスにいた時、マルシェといえばこんなもの。
野菜、海鮮、肉、チーズといった食料品を売る店と
自家製石けんやクリーム、手編みや手作り雑貨を売る店が
自然に混在してましたっけ?


そうか、オーストラリアでは違ったのね

すべてがいちいち手作り(笑)


1979年の初回:出店3店舗、来場者延べ8人、売上高30ドル
1985年:出店97店舗、年間来場者延べ14万3,000人
1990年:出店203店舗、年間来場者延べ26万人
2000年:出店350店舗、水曜日も開催開始


現在:出店600店舗、年間来場者延べ160万人
オークランド市民全員が1回は足を運ぶようなもの


国の規模が違うとはいえ

やはり大変な人気ですよね
でも広々しているのでゴミゴミした印象はまったくなし


これだけのマーケットだったら美味しいものがあるのは

お約束


目移りする数ですが



食べ歩きできるほどの胃袋も持ち合わせないお年頃



慎重に選んで



ここに賭けました

オーガニック&ビーガン


2人で半分こ。

お、大きくて、お、美味しい


ここでは手作りジンジャーエールをげっとん

濃ゆめなのに爽やかな喉越し


「もうお腹いっぱいだね~
と言いながら、こんなもの発見

モモ


こんなところで食べられるなんて

素通りできるわけがなく


これは週末のヌーサからのプチドライブにはもってこい
この周辺に来るなら土曜日は外せない、かもしれない


ユーマンディのお楽しみはここだけではありませんでした。


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夢見:クイーンズタウン

2017年01月22日 | 浅き夢見し
「私」たちは一家でクイーンズタウンに旅行中でした。
登場はしませんが子どもたちの気配がし、一緒にいるようでした。
ただ、年齢は実年齢より低くまだ学校に通っているよう。
どうやら夏休み旅行の最中でした。


私たちは小さな家のような造りのコテージ風ホテルに泊まっており、
すでに何泊もし、だいぶ観光した後のようでした。その間に、
その部屋を買い取って、そこで暮らすことになりました。


NZやオーストラリア、ハワイにもありがちな、住んでも貸してもいい
物件らしく、夫がそこを大変気に入り、夫主導で話が進みました。


オークランドに戻ることなく、旅行の延長で新しい生活が始まり
最小限の持ち物で暮らし始めました。家としては狭いものの
持ち物も少ないのでなんとかなりそうでした。
窓から遠くに山が見え、観光地らしい美しい眺めでした。


しかし、すぐに
「洗濯物を干すところがない
という問題に直面。外に干す派で乾燥機は使わないので
これには焦ります。外を見ても庭はホテルとの共有の場所で
個人的に使えるスペースはまったくありません。


リビングの一角に衣紋掛けを模したような、木製の桟があり、
リビングとダイニングの間仕切りにもなっているようです。
「これに干せっていうの?濡れた洗濯物を木に直接掛けるの?」


使い勝っての悪いホテルの非日常に、「私」は焦り出し
「そんなバカな!」
と思いつつ、
「こんなところにずっと住めるものなの
と思考が飛躍していきました。


場面は代わり、「私」は夫と2人で話し合っているところでした。
話し合うというよりも「私」が一方的に話していました。


「どうしてここに住まなきゃいけないの?
道路端でクルマの音もうるさいし、まるでモーテルじゃない。
これからずっと家の中に洗濯物がぶら下がっているのかと思うと
うんざりだわ。でも、オークランドの家も貸してしまったから
しばらく戻れないんでしょう?」


その時、
「そうだ子どもたちも休みが終わるから転校させなきゃ!」
と思うや、どの学校?制服は?と考え始め、ますます焦り
「私」はパニックになっていましたが、夫は黙って座っています。
雰囲気から察して、やはりここが気に入り去りがたいようです。


「いったい、どうすればいいのよ?」
と涙声に変わりそうなところで夢が終わりました。



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なぜクイーンズタウンなのかというと、理由がありそうです。
友だちの孫娘が大学を卒業し、わざわざオークランドから行って
クイーンズタウンで就職しました。


この話は15年ほど続けているメルマガ「西蘭花通信」に書いたので
よろしかったらリンクをどうぞ。

Vol.0723 ~50代の宿題10:自立~


楽しそうなメッセージや写真が送られてきて満足そうな様子
だったにもかかわず、なんと1週間で辞表提出
退職の理由は「ホームシック」


雇用契約により辞表を出してからも4週間は辞められないと知り
親に大泣きで電話をしてきて
「職場は好きだけど、こんなところにあと4週間もいられない」
と訴えたそうです
それが大学出の21歳という現実に私は口あんぐりでした。


その衝撃があまりにも大きくて、こんな夢を見たのでは?


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夢見:2017年初夢

2017年01月21日 | 浅き夢見し
見てから3週間も経ってからの記録で失礼します。


元旦12時の花火を見て、その後ベッドに入ってから見たのは
オーストラリアの日本人ブロガーらしき方と話している夢でした。
内容は全く覚えておらず、思い出せる限りの年初の夢を2本。
元旦の夜と、2日目か3日目の目覚めのときの夢です。
 


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場所はボランティア先。
スタッフしか入れない作業部屋。
すべては現実と同じでリアルです。
「私」は作業をしており、みんなと話つつ何かを片付けていました。


ちょうどそこにスタッフの通用門からリタが入ってきました。
こんがり日に焼け、華やかな彼女が一段とゴージャスです。


「ハッピーニューイヤー
彼女が笑顔で言い、一番近くにいた「私」に腕を広げてきました。
「私」も反射的に腕を広げ、2人でしっかりとハグをし合いました。


いつもよりきつく抱き合うと、なんとも肉感的な彼女。
体温も高く、生きる力に溢れているよう。
「私、ティムと離婚したの。」
ハグをしながら耳元に囁かれました。



「えっ
驚いて身を離し、しげしげと彼女を見てもやっぱり笑顔です。
「ホントに?」
「ホントよ。オンナがいたの!」
「えぇぇぇえ


「でもね、その彼女がキレーーーーーーなのよ~」
と、リタは唇を尖らせてビューーーーーーティフルと言っています。
悲しんでいるのか、褒めているのか、反応に迷っていると


「でもね浮気なんて絶対ダメ。もう一緒にはいられないわ。
で、別れちゃったの
と、なんともあっけらか~ん。


その頃には他の仲間も集まってきていましたが、リタは屈託なく
クリスマス休暇中の出来事を、旅の土産話のように話しています。


なんとさっぱりとしていて、しっかりした人
ボランティアの中でもリーダー格ですが、私生活もきちんと仕切り
何事もなかったようにボランティアに戻ってきたのです。



3週間前の夢でも彼女と抱き合った感触が掌に残っています。
当の本人は別荘に行ったきりで、今年はまだ会っていません。
実生活ではラブラブ夫婦で知られています。



======================



目が覚めると自分のベッドでした。部屋の外から声が聞こえ、
どうやら玄関で夫が誰かと話しているよう。
「こんな朝早くから誰だろう?」
と思っていると、ドアが開いて夫が部屋に入ってきました。
腕には小さな小さな子猫を3、4匹抱えています。


「ど、ど、どーしたの?」
「お客さんがくれたんだ。」
嬉しさと困惑が半々の表情。
「えぇぇぇぇえ


子猫を飼うとビックリして飛び起きると、部屋のあちこちに
うごめくものが
よくよく見ると、みな子猫


生後数週間かせいぜい1ヵ月ほどの大きさで、ヨタヨタしつつ
カーペットの上を歩き回ったり、ふとんの間から顔を出したり
クローゼットの上やベッドの上にもいます


「こ、こんなにたくさんもらったの?」
と驚いて夫を見ると、今度は部屋の中で何かを撒いています。


ビックリしてみると、2cmぐらいに切った色鮮やかなインゲンを
豆まきのように撒き、撒いた先には何十羽というキレイな鳥が
部屋の隅がキレイな布でも広げたように、うごめいています。


「なんてキレイな鳥なんだろう見たことないけどなんていう鳥?」
と思いながら、
「鳥がインゲンなんか食べる?種ぐらい食べるのかしら?」
と思ってしげしげ見ても、美しい羽にインゲンの緑がかぶさるだけで
食べている様子はありません。


みなハトのようにクッククックと喉を鳴らし、小ぶりのハトのよう。
「キレイだけど、鳥は飼うものじゃない・・・・」
と思い、デッキに出るドアを開けると、ものすごい羽音を立てて
一斉に飛び立っていきました。
その姿は空に延びる帯のようで、いったい何十羽いたのか?


「あとはこのネコたちか
部屋に仁王立ちになりながら、周りでもぞもぞ動いている
小さな毛玉を見下ろすと、今しもふとんの隙間からグレーの子猫が
にゅ~っと顔を出してきました。



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生き物の中で最も好きな猫とその次の鳥が何十と勢ぞろいする
豪華な初夢
猫好き&鳥好きが怯むほどの数でした


夢での訪問はウレシいけれど、とまれ夢で良かった

@オーストラリアのヌーサにて


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夢見:エレベーター

2017年01月01日 | 浅き夢見し
新年明けましておめでとうございます
バタバタしているうちに年を越してしまいました。
今年もよろしくお願いいたします。


初夢はオーストラリアの日本人ブロガーらしき方と
意気投合するような話だったのですが詳細不明。
ブログは書くばかりで読むことはほとんどないので
どんな内容で何に意気投合したのか?


今日の夢は12月31日の朝の2016年の夢の見納めです。
いろいろな事が起き、最後の部分だけの断片的記憶です。



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コンサート会場のような広々した所を後にした「私」。
夢の中でいろいろあり、気分は高揚していましたがやや疲れていて
1日の終わりを実感するようでした。


天井の高いホールを出る前に、赤ちゃん連れの一家に会います。
廊下の脇のような、やや薄暗い場所で一家でひと休み中でした。
男性は体格がよくTシャツから太い腕がのぞき、1歳ほどの息子も
コロコロとして健康そうでした。赤ちゃん連れはなにかと大変です。


NZらしく知らない同士でも気軽に声を掛け、二言三言話したものの
内容は思い出せません。温かいやり取りがあり
「キウイらしいなー」
と思いながら通過。


廊下を抜けると正面は大きなエレベーターホールでした。
乗り込むと、すぐにアジア人らしい女性2人が走りこんできました。
「大丈夫よ、2駅だけだから。」
と1人がもう1人に言い、
「駅?」
と思って行き先を押すパネルを見ると、確かにボタンが2つしかなく
一番下の地上階と思われるものが点灯しています。


今いる場所と1つ目のボタンの間にはかなり距離があり
普通だったら何十というボタンが並ぶべき場所になにもありません。
各階止まりではない、高速の専用エレベーターでした。
2つ目と最後のボタンは近いものの、その間にも何かありそうです。


エレベーターが下がり始め、2人は洋服の話をしていましたが
下がるに連れどんどんスピードが上がり、苦しいほど重力を感じ
「こんなスピードで大丈夫なんだろうか?」
と顔が引きつる想いでしたが、声が出ませんでした。


身体が地上に叩きつけられるような大きな衝撃とともに
エレベーターが止まり、ドアが開き、転がるように外に出ました。
身体がバラバラになるような衝撃だったのに痛くもケガもなく、
私は駅のホームに立っていました。


そこはまちがいなく日本で、品川のような大きな乗換え駅でした。
遠距離列車と近距離列車が乗り入れ、人が右往左往しています。
日本らしくひっきりなしに人の往来とアナウンスがあり、
あまりにも多くのアナウンスに何も耳に入ってきませんでした。


都会らしい混雑とはうらはらに、海が近いと感じ
「上野駅が湘南にある感じかな。」
と夢の中でも自分なりに記憶を留めようと情景描写をしていました。


「ご乗車お疲れさまです。水曜日のお休みで混雑のところ・・・・」
というようなアナウンスが耳に入り、
「そうか、この時代は水曜日が週末みたいなものだったのか
と思いながら、何気なく声の主を見ると、駅員が紺の制服を着て
柱に据え付けられたマイクを取り出して話しているところでした。


「あっこの人・・・・」
その駅員は学生時代のアルバイト先で一緒だった人でした。
名前は思い出せませんが、どこか地方の出身で色白で大柄の
変わった苗字の人でした。


目が合いましたが、彼には「私」が見えていないのか、それとも
波のように過ぎていく乗客の1人でしかなかったのか・・・
「私」は行き先がわかっているらしく、落ち着いていました。


その時、洪水のようなアナウンスに混じって、遠くからかすかに
アオーアオーアオーアオーアオーアオー
という声が聞こえ、だんだん近づいてきました。





「あっクロだ」
と声の主がわかり、そこで目が覚めました。



======================



>エレベーターは幽体離脱の「あの世」から戻る新兵器なのか?
ココで言っていたばかりでしたが、
またまたエレベーター登場!
今回は相当の高低差を感じるリアル体験でした。


目覚めたとき、エレベーターで地上に叩きつけられた衝撃が
まだ身体の右側に残っていました。痛みでもダルさでもありません。
息も上がっていて、なんとも荒っぽく「この世」に戻ってきたのか?


ドアの外で鳴いている飼い猫が近づいてきたのではなく、
私が「この世」に急速に戻ったので声が近くなったのでしょう。
その辺も納得の上で、ゆっくりと目が覚め瞼を開けた感じでした。


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