ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ポストコロナの旅

2023年06月05日 | オーストラリア:メルボルン

過去最長のタイトルとなりま
すが、2022年11月は再びオ
ーストラリアへ。一時は3年
遅れが見えていた旅行記も、
とうとう7ヵ月遅れまで来て
年内には追いつきそうです。


=============


8月にヌーサから戻って3ヵ
月後、再びオークランド空港

(※NZ航空ラウンジ)


その間、自宅も階下の借家も



同時進行でリノベーションを
続け、上に住んだり下に住ん
だりしながら、なんとか終了



オーストラリア便が出る前は
いつもごった返すラウンジも

午後便だったせいか閑散と。


アメリカ直行便の宣伝が遥
か遠くに感じられた頃ですが

今や息子たち2人はとっくに
アメリカを往復しています。


また自由に海外に行けるよう
になったんだと感じる光景。



飛んで飛んで



雲の合間から田園風景が見え



NZなら南島のようながら



比較にならないほど広大で



パックリ口を開けた鉱区がな
んともオーストラリアらしい



着陸後はカンタス機がズラっ



到着したのはメルボルン

オーストラリア第2の都市


宿泊はエアポートホテルの
ントラ・タラマリン
に1泊だけ


先を急ぐ旅程だったので市内
にも行かずに、部屋から眺め



ホテル内のレストランで夕食
にしたものの、周辺になにも
ないため超人手不足のところ
に夕食難民旅行者が押しかけ

(※夫の旅先の定番バーガー)


このメニューで1時間半待ち

(※私も定番のシーザーで)


スタッフの必死さもひしひし
と伝わってきてコロナも大変
ながらポストコロナも大変💦


客がスタッフに労いの言葉を
かけるところがオーストラリ
アやNZらしいです。私たち
ももちろんそうして、食事が
できるだけでもありがたい


でもどうせ大変なら自由で安
全な方がいいに決まってる


レンタカーのナンバーが3HK


HKは私たちにとり永遠に香港
(👆NZ移住前に暮らしていた)
小さくアガって翌朝には出発


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:またいつか

2019年09月22日 | オーストラリア:メルボルン
2017年10月の初メルボルン
とうとう最終日を迎えました。


メルボルンの迷子と化したので
別のカフェを試すでもなく

再びマーケットへ行き、


マーケットレーンカフェへ。

2回目は念押しをしてマグで。


日曜日だったので、マーケットの
出店も人も多く、



華やいでみえました。



最後の最後まで街歩き

交差点の中で一時停止する


不思議な曲がり方



ちょうど同性婚の是非を巡る
国民投票が始まっていたので

街中至るところで見かけた



には圧倒されました


11月15日の結果はもちろん、
YES



最後に移住博物館へ。



いつの時代であっても
どの民族、家族、個人でも

移民にはみな物語がある


迫害され続けた原住民にも。



1851年にメルボルンで
金が見つかると、10年間に
50万人という爆発的な
人口増が起き、ヤラ川岸に
テント村ができたそう。



1854年には中国人採金者
3,000人が到着して反発を招き、


1855年には人種差別の象徴である
悪名高い中国人人頭税10ポンドが
課されるようになりました。


1857年には人頭税を免れるために
南オーストラリアに中国人を
乗せた船が入港するようになり、


そこから金鉱まで何百キロも歩く



後にグレートウォークと呼ばれた
過酷な旅が始まりました。



1888年に「白豪主義」が唱えられ、
反中国人政策が廃止される中でも
有色人種全体への差別が続き、



なんとかイギリスからの移民だけを

受け入れようとあの手この手。


白豪主義の提唱から100年以上を経て

国籍を取る人たちの顔ぶれも多彩に。


中国人たちの暮らしぶりも



時代の経過とともに



変わっていきました。



最後にここで腹ごしらえ



周波数を合わせるのが



難しい街でしたが



4日間楽しみました。



また、いつか



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:メルボルンの迷子

2019年09月21日 | オーストラリア:メルボルン

オーストラリア三都物語
最終章としてやってきた
2017年10月のメルボルン


しかし、その街で私たちは
迷子になってしまいました。


「コーヒーの都」といわれる街で

なかなか美味しい
コーヒーに巡り会えず


「食の都」といわれる街で
検索しても歩き回っても
「ぜひ今夜はココで
という店に出会えず

毎晩アジア食に逃げ込み


いくらでも見て歩けるはずの
不動産も早々にギブアップ



シドニーの不動産価格が
目先のピーク
をつけた直後で
メルボルンの供給圧力も
相当なものにみえました。



しかし、開発を止められず、
1戸でも多く売りさばき



少しでも早く完工しようと

フル回転のようでした。


街の規模に比べた供給過多に、
利回りを計算するまでもなく
下見は中止

ここはエアビー物件か?
よくあるタイプの鍵


それ以前に、この街に投資して
何回も訪れるというイメージが
まったく湧きませんでした。

シドニーやブリスベンでも
そう感じていましたが、


この街はそれ以上に
遠い存在に感じられ、
距離感も方向性も
楽しみ方も見いだせず
迷子と化しました。



次男がよく言っていた、
「オーストラリアに住むなら
メルボルンがいい。」

というのとは程遠い感覚で
感受性のせいなのか
世代のせいなのか(笑)


いつかまた旅行者として
訪ねてきましょう



シドニーは到着した日から、
「5年に1回来ればいいかな?」
と感じていましたが、
ここは7年に1回かな


忘れた頃にヒョコっと来ましょう。

その前にオールブラックスの
試合を観に来てるかな(笑)



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:残念な建物群

2019年09月20日 | オーストラリア:メルボルン

アートの街の歩き方
楽しむのと同じぐらい
スルーも大事でした
と言っていましたが、


いかんともしがたかったのが
メルボルンの建物でした


住宅にしろ商業物件にしろ



実用的なものに



どこまで芸術性を
持ち込めるのか



そんな課題を実践して
いるような建物を
いくつも目にしました。

(※RMIT大学の建物)


しかも、

非常に限られた予算で


芸術を装っただけの安易すぎる
カルチュラルアプロプリエーション
(文化流用)もあり

(※これは多分アパートメント)
「これだけの街で
と驚きました。


供給があること以上に
需要があることに驚き

立地といい造りといい
決して安物件ではなさそう。


何よりも衝撃だったのが、
RMIT大学のこの建物



壁に打ち抜かれたギザギザの穴が



19世紀の古い簡素にして重厚な
美しい建物を飲み込もうとする
おぞましい口に見えてしまい

正直ゾッとしました。


レンガとミラーという異素材、
異時代、異文化、異設計、
異なる美意識を調和させる
のではなく、古いものを
浸食していくような光景。



こんなにも醜悪な建物を
目にした記憶がありません。



この建物は限られた予算
ではなさそうながら、結果は

チープにしてアグリーという
心が刺々しく荒むような
見るに堪えないものでした。


この一帯は建築基準の緩和が
あったばかりなのか、新しい
高層ビルが競うように建ち、

「オークランドも一歩間違えれば
こうなっていたのかも
と思うとドキリとしました。
(※NZは地震もあるし)


前ブラウン市長の時にCBDでの
高さ制限全廃を検討していて、
政府の介入で全廃案は廃案に。


思わずパリのルーブルを
思い出してしまいました。


石造りのルーブル美術館に
ガラスのピラミッドという
斬新にして美しい異素材と
異設計を持ち込み、
新旧の見事な調和を実現

(※写真はウィキペディアより)


ちょうどパリで暮らしている時に
建設中だったので、賛否両論で
喧しくやっていましたが、
あれから30年以上が経ち、すでに
歴史の評価は下っているでしょう。


建物の場合はアート作品よりも
遥かに長く、恒常的に、
大勢の目にさらされ、
スルーすればいい
というものではありません。


ふと目にしたこの光景も
絶句する無秩序ぶりで

乱開発が進むアジアの街
ならいざしらず、これが
オーストラリアかと思うと
美しい場所が多いだけに
残念でなりませんでした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:アートの街の歩き方

2019年09月19日 | オーストラリア:メルボルン

次男は学生時代に何度も
オーストラリアに行っており、
「オーストラリアに住むなら
メルボルンがいい。
ご飯が美味しくて
アートの街だし。」
と言っていました。


アートの街というのは
早々に実感できました。

レベルが高い


しかし、創造は往々にして
破壊がつきもの。

完成度の高い美しいものが
チープに破壊されていく
という様子を目にするたびに
複雑な気持ちになりました。


街の至る所にアーティストがいて



アートに触れることができます。



歩行者専用のウェブ橋も



シーフェラーズ橋も

橋という実用インフラながら
デザイン重視は明らかで
その分費用もかけています。


ヤラ川の周りにはたくさんの作品が。



勢いこんなミスマッチも起きます



作品を見て歩く

アートトレイルもあるよう


ポップアップグローブの劇場が

感動するほど周囲になじんでいて、
公演がメルボルンから始まった
のがわかる気がしました。


400年前のシェイクスピア劇場だった
グローブ劇場を原寸大に復元した

豪華な仮設劇場
私たちも2ヵ月後に
オークランドで
「真夏の夜の夢」
を観に行きました。


アートは好きだし



人生に欠かせない

とも思っています。


しかし、楽しめる範囲を超え



自分の感性と合わないと



重いものだというのも実感。



「アートのおかげで
なんとか生きている」


と書かれた公衆トイレ。


心が育ち、安らぐような
いつまでも大切にしたい



アートを求めていても、



創造と破壊
安定と不安
期待と失望
といった
衝撃や混沌



傍若無人から
承認欲求まで
疎まれたり
求められたり



安らぎどころか
緊張と疲労を
迫るものも。



アートの街の歩き方は



楽しむのと同じぐらい



スルーも大事でした

描き終わったそばから
みんなに踏まれていた
ポケモンたち





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:いまさら目抜き通りへ

2019年09月18日 | オーストラリア:メルボルン

旅行から2年近くも経ち
今やどうしても思い出せない


なぜブライトンの帰りに
ココで電車を降りたのか

エルスターンウィック駅


来た時のように中央駅の
フリンダースストリート駅
になぜ戻らなかったのか?



写真を見返しても、何か
目的があった訳ではなく
長い間バスを待ちました。

目の前にこんな和食店(笑)


ハンガリー料理の店も発見

グーラッシュもある?
飲んでみたいけれど、
もうビーフ
は食べないしな~
と思いつつバスを待つ


通りがかったスケボーの
中学生ぐらいの男の子に
「ハロー
と元気良く挨拶されたり、


この自撮り全盛の時代に
「写真撮って
と可愛い女の子たちに
せがまれたり(笑)

この4人最高


さっきまでいたブライトン
とはまるで違う人懐っこい
下町風情な場所でした。

距離にしたら5キロもない。


これってオークランドの
セントへリアスからGIこと
グレンイネスの距離感
こちらもきっかり4キロ。

GIをこよなく愛する私です


なぜバスに乗ったのか
思い出せないので、
なぜ降りたのかも
思い出せない(笑)

なんとも派手なビル。
アパートメントかな?


1852年に完成した
セントポール大聖堂

「難民を受け入れよう」
という大きなポスター


タウンホール



マンチェスター
ユニティービル

1932年完成の
ゴシック様式の
オフィスビル
バブル期に計画され、
完成時には大恐慌
おかげでこんなに
美しい建物が残った


ブロックアーケード

1893年に完成した
ビクトリア期の最も
美しいアーケード
なんだそうですが、
一歩も入らなかった


もっと古い1870年完成の
ロイヤルアーケード



こちらは入りました。

十二分に美しかったです


オーストラリアのH&Mは
クラッシックビル入居率が
高いんじゃないかな



トラムがひっきりなしに来て

ショッピング客の足を支え、
クルマ中心のオークランド
ではあまり見ない買い物袋を
たくさん提げた人が新鮮


オーストラリアの二大デパート

マイヤーと


デビッドジョーンズ

夫がここでネクタイを新調
小さな旅のおみやげ


トラムの架線で網がかかったよう

中央郵便局の時計台


ときどき見かけるレトロな車両



見た目は古くても速っ(笑)



「明日は帰る
という4日目にして
慌てて目抜き通り散策
旅に買い物を求めないと
ついこうなってしまう


夜はまさかのキリニー再訪

2日続けての登場
店の人にもウケました。


チキンカレーと空芯菜の
サンバルカンコン



ハイナニーズチキンライス

チキン攻めの
シンガポールナイトで
メルボルン最後の夜を
締めくくりました


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:ブライトン散策

2019年09月17日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルンも
4日目になり、郊外散策です。


カラフルなビーチボックスが並ぶ

ブライトンビーチは


デンディーストリートビーチ
と呼ばれ(←ややこしい



1859年にブライトンビーチまで
鉄道が延長されたことで
人気の行楽地に一変したそう。

レンガのブライトンビーチ駅
2色使いが古さを物語ります。


突端はグリーンポイントと呼ばれ

1860年代はこんな感じだったよう。
なぜフランス国旗なのかはナゾ


現在はこんな感じで面影が残ります。



たくさんのイベントが開催され

現在も続くブライトンサンディ
フード&ワインフェスティバル

(Bright n Sandy Food and Wine Festival)
もここが発祥だそうです。


海岸の岩場はひび割れていて

長い年月をかけてゴールドの
砂浜になったんでしょうね。


絶対に食べられそうな海藻(笑)

美味しそうに見えるレベル
でも行政にとってはゴミ


沖合のヨットが街に似合って優美



街歩き開始



建物が大きくて高級感が漂います。



「イヌまで高そ~(笑)



塔のある家



この家のは本格的

実は私の長年の憧れ
子どもの頃に読んだ
塔に幽閉されている
ラプンツェル姫という
ありえない状況に
痛く心を惹かれたせい


お屋敷というべき家が



たくさん並んでいます。



こういう家が普通に見える(笑)



ナイキの店までレンガ造り



ブライトンスクールハウス
という旧校舎を利用した



カフェ

すごく好みの雰囲気だったのに


ナゼかこちらへ



ファッションブランドの
カントリーロード内のカフェ

ブライトンブイ
ちょうど2ヵ月前に
オープンしたところ


店内はニコール・キッドマンが

着たら絶対に似合いそうな
(↑つまり私には似合わない。
1着しか持ってないかも
オージーファッション
かなり私たちらしくない場所


食事はカントリーロードの
威信にかけてか(笑)



質が高く美味しかった



ビーガンメニューも充実



周辺もオシャレな店が鈴なりで



一帯の需要がよくわかる



商店街にダイアモンド専門店が
あるのがいい証拠(笑)

私なんか一生足を踏み入れる
ことはないでしょう


こっちは行くかも

不動産屋


帰りは隣駅のミドルブライトン
から乗車しました。

日帰りで来るにはいいところかも
こういうところもオークランドなら
セントへリアスかな



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:ビーチボックス

2019年09月16日 | オーストラリア:メルボルン

フリンダースストリート駅
からやってきたのは



20分ちょっとで着く

ブライトンビーチ


オークランドでいえば 
シティーからセントへリアスに
遊びに来るようなもの

目の前は海。


静かなビーチが広がるものの



中心部からたった13キロなので

摩天楼がよく見えます。


望遠だとめちゃ近っ(笑)



お目当てはコレ



そう摩天楼につながるように見える



カラフルな家々



でも家ではなく

バスイングボックス
(Bathing Box)
と呼ばれる海水浴のための
更衣室、自前の海の家です。


ビーチボックスとも
呼ばれているよう。

水道も電気もない
部屋というよりも箱


メルボルンのアイコンで
絵葉書や観光案内でも
よく出てくる場所です。



とにかくカラフルで



夏映えしそう



いや、それ以前に



インスタ映え

この辺は完全に狙ってそう(笑)


浪裏もあります

この辺はプロに頼むのか?


一番人気はオーストラリア国旗

撮影するのに行列ができていて


みんな堂に入っています



競うようなカラフルさの中



抑えたグレーの木目が

美しかったこの1室


ビーチボックスの値段は
家1軒分並みです

2017年には空き地だった
オレンジの左隣に市が
2軒を新築し、2018年4月の
オークションで32万豪ドルと
過去最高の33万7000豪ドルで
落札されました~
これって1軒2,500万円なり


今年3月にはこのコアラの1軒が

過去最高レベルの非公開価格で
売却されたそう


これを買えるのは地元の自治体の
住人だけなので、このエリアが
高級住宅地というのも
お値段だけでわかります




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:マーケットレーンカフェ

2019年09月15日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルン
4日目の朝は前日から
目を付けておいたココへ。

マーケットレーンカフェ


クイーンビクトリアマーケット
の目と鼻の先の店で

混み合っているのが
目立ちました。


レンガにペンキを塗っただけの

素朴にしてオシャレな店内


なんとか席を見つけました。

そうでなければ持ち帰り。


店の規模に比べて
スタッフが多く
忙しさがうかがえます。



学生のアルバイトかな



紙コップだったのは残念

コーヒーは断然マグ派


紙コップは紙というか
内側のコーティングの
臭いや舌触りが気になり
使い捨ては環境の敵
かと思うと、それだけで
美味しさが3割減


コーヒー好きの街で
コーヒーを淹れたい




オーストラリアでは年間
10億個の紙コップが
コーヒーに使われ、
1日にすると270万個
と言われるのを考えると、
コーヒーにこだわるなら
店も客もぜひマグに
こだわってほしい


その後は無料の路面電車に
乗りました。



これだけ公共交通機関が
発達していたら、クルマが
なくても大丈夫ですね。

公共交通機関が未整備のまま
クルマだけ締め出そうとする
今のオークランドは課題山積。


やってきたのは全面塗装中だった



フリンダースストリート駅



プラットホームは古色蒼然



色もレトロなままで



古き良き時代の趣。



でも発車標は見やすく



外の喧騒が嘘のような静かさ。



入って来る車両はモダンで

通勤通学の足なんでしょう。


さて、出発です



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:キリニーコピティアム

2019年09月14日 | オーストラリア:メルボルン

メルボルン博物館の後は、
周辺をぶらぶら散策


19世紀の建物が普通に現役

NZでは見かけないので
異国情緒を感じます


こんなにクラッシックな洋館が

タイ料理店


街路樹が美しいライゴンストリートは

リトルイタリーという面持ちで
イタリアンの店がいくつもあり
テラスでの食事も良さそう


その間にはアジア系の店もあり、
かつて洋食だった店がアジア系
の店に取って代わられている
という印象を受けました。


メルボルン大学も近い場所だし
アジア食のコスパは学生には
魅力だろうし~と、街の変遷に
想いを巡らしつつ・・・・


目星をつけたのが、ココ



キリニーコピティアム

2人で思わず、歓声をあげた
コピティアムという名称。
マレー語でコーヒーショップ


シンガポールでも普通に使われ

シンガポールで知り合い
結婚した私たちには
懐かしすぎる邂逅でした。


写真を見ただけで

夕食はココに決定


マレーシア料理は多々あれど

シンガポール料理の店は
ありそうでないのですわ。


この店は1919年創業の老舗。
シンガポールで3年も暮らしたのに
まったく記憶がありませんでした

イスラム教徒でなくても
ハラルに安心(笑)


フィッシュボールミー



チリクラブ



チキンサテ



カレーラクサ



テーブルの上が同窓会状態(笑)



ラクサの麺はもちろん2種類使い



店の人のシングリッシュも懐かしく

つい話し込んでしまいました。


メルボルンに来るときは

ぜひまた立ち寄りたいです



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:メルボルン博物館

2019年09月13日 | オーストラリア:メルボルン

「博物館に行くには体力がいる」
と思っています。


まず、ずっと立っている。
説明を読んで理解する。
展示物を鑑賞する。
数時間はかかる


大学の講義を2コマ連続で
受けるどころではない
能動的な知的活動で、
数時間ほぼ静止状態での
読んだり見たりは
数時間散歩するよりも
疲れる気がします


それでも行

そこに博物館がある限り


「今」を知るためには
来し方を知る必要がある
という考え方です。


王立展示館真裏の

メルボルン博物館


とにかく広いので

的を絞っていくことに。


先住民に敬意を払って

アボリジニ関連から。


私が永遠に郷愁を感じる
掘っ立て小屋の絵

アボリジニの画家
ジュディス・ヤング作


ポッサムの皮で作ったマント

誰もが一生これを持ち歩くそう。


これを被って寒さをしのぎ



赤ん坊を包んだり背負ったり

これもそれのよう。
(※ジュディス・ヤング作)


このひざ掛けもそうでしょう。



夜はこれを敷いて眠り、
亡くなればこれに包まれて
弔われる。


なんと簡素で高潔な生き方

現代人には真似できなくても
自然から奪うものを最小限に
自然を守り育んでいく
精神は受け継いでいきたい


これは太古に生息していた
史上最大の有袋類といわれる
ディプロトドンの顎の骨



こんな姿で「ウォンバットと
クマをかけ合わせサイの
大きさにしたような動物」

だったんだそうです。
人間が入れるような
袋を持っていたそうで
4万5,000年ぐらい前に
全滅してしまったそう


博物館内のカフェで一息入れ

さらに見学が続きます。
子連れの人が大勢いて
小さい時から博物館に
慣れ親しむって
素晴らしい環境


アボリジニにとって
オーストラリアは500以上の
ネーションから成り立ち
入植者には不毛に思えた
砂漠にもネーションが



場所が変われば文化も違い、



さまざまな道具や工芸品が。



ニャンもいました(笑)



高度な技術と芸術性



洗練された装飾性も。



時代はグッと下って19世紀。

1854年の目抜き通りの
コリンズストリート


1885年に初の路面電車開通




メルボルンっ子のトラム好きは

その時からのものだそう。


私もNZ移住前の香港生活では

トラムを乗り倒していました。
バスと電車のいいとこ取りで
とにかく手軽で便利でした


19世紀末のフリンダースストリート

活気が伝わってくるよう。


1930年代の手袋製造工場



その頃から人気だった
(※1861年開始)

メルボルンカップ
今でも学校が休みに
なりますからねぇ


1950年代のバークストリート

クルマでなく人が大勢いるせいか
街の活気が目で見えるよう


ここにもあったメルボルンの
コートオブアームズ

1847~1960年まで市場に
あったものだそうです。


右上がクジラという

以前のエンブレム
と同じデザイン


ちなみにオーストラリアの

コートオブアームズ


その実写版があって

コートオブアームズ好きには
(↑地味すぎる~
大ウケでした



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:世界遺産の王立展示館とカールトン庭園

2019年09月12日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルンは
レンタカーを1日も借りずに
歩くか公共交通機関を使って
見て回りました。


天気にも季節にも恵まれ
歩き回るには最高でした


クイーンビクトリアマーケット
から1キロあるかないかの
カールトン庭園



その中に建つ
王立展示館

2004年にオーストラリア初の
世界文化遺産に登録された
世界遺産のひとつ


1880年10月~1881年4月まで
開催されたメルボルン万博の
会場として建設されました。

入場者は延べ100万人以上
だったというから驚きです
当時のメルボルンの人口は
28万人。全国でも220万人(笑)


なのでやらたに大きくて

(※入口)


どうがんばっても

全体が撮れない(笑)


観光用パンフでも

何かしらんが欠けてます


大英帝国の威信をかけて



ありとあらゆるヨーロッパの
建築様式を盛りに盛って



ヨーロッパにはありそうでない、
オーストラリアらしい巨大な
建物を創り上げたんでしょうね。

万博は「工業の殿堂」として、
ピアノ、タイプライター、馬車
電灯、芝刈り機、家の装飾品等
ありとあらゆる工業製品が
一堂に展示され、これを機に
メルボルンっ子の生活様式は
一変してしまったそうです。


未完のビクトリア州議事堂には
付くことのなかったドームが



ここには付いています



庭園では新婚さんたちが
大撮影大会



花婿がレフ板を持って協力



広々とした庭園で

気兼ねなくとことん
撮影できそう


入口にあった簡易寝具一式

誰かが世界遺産を
棲み処にしているよう


彩を添えていた多肉園



すぐ裏手はメルボルン博物館

ここでガイドツアーを申し込めば
内部の見学もできるそうですが、
時間がなくて今回は断念


ぜひ、次回にでも


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:クイーンビクトリアマーケット

2019年09月11日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルンも
やっと3日目を迎えました(笑)


ホテルから徒歩圏内だった

メルボルンの台所といわれる
クイーンビクトリアマーケット


1878年の創業で140年以上
メルボルンっ子の食を支え
街のアイコンの一つとして
発展してきたそうです。

(※写真はHPより)


600店以上が出店しており

とにかく広い


どこからどこまでなのか

容易にはわからない大きさ


建物には「乳製品」とあっても

今はカフェになっていた一角


地元の人は馴染みの店へ
まっしぐらなんでしょうが



観光客はただウロウロ(笑)

アーティチョークが大きい


ブロック肉も大きい

どれも新鮮そのもの


やっぱりバナナが気になる
おサル夫婦

(※毎朝欠かせません)


湯船のように大きい段ボール

NZではこのリンゴ版があり。


住んでいたら絶対買いに来そう



でも今回は部屋食の予定がなく



ただ見て回るばかり。

パスタ専門店


ハチミツも



肉類も

NZは持ち込み不可だし


シーフードはOKですが、

コレ、おみやげにする


エビはやっぱり

クイーンズランド産でした


シーフードの店はどこでも

アジア系が多い気がします。


衣類や日用品を売る店も多く

おみやげを買う観光客の姿も。


でも、この辺のコピーライト

大丈夫(笑)


適当に見繕ったもので

マーケットで朝食を



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:再び中華街

2019年09月10日 | オーストラリア:メルボルン

8月中にメルボルン旅行記を終え
次の旅行記に入るはずが、
まさかの夢日記の連載と中断で
9月も早半ば
がんばりましょう


2周回遅れが見えてきた
2017年10月の初メルボルン。
2日目の夜も再び中華街へ


いろいろ歩き回った結果、
今回はこジャレた店はパスして
アジア料理で行くことに


行列ができていた

ラーメン屋


和食の店も多数あります。

(※日本人経営かどうかは不明ながら)


昨日行列ができていた
こっちに並んでみました。

小街小籠館


昨日の店と中国語名がそっくり。

上海小籠館
でも別の店でした。


メニューの内容も料理も
こちらの方が本格的で

夫の大好物、小籠包も
こちらの方が上でした。


野菜はガイラン



感激だったのは陽春麺

ここまでシンプルに
そのまま出してくれる
店はそうそうないかも。
昨日の店がすべて3なら
ここはすべて3.5でした。


食の街メルボルンは
店の種類も数も多く

気合を入れて調べて
来ないと何がなんだか


これも飲食

まさか


街の雰囲気のせいか、
一度ホテルに戻って
着替えて繰り出すよりも、
出かけたままの恰好で
軽く食べて帰る方が
合っている気がしました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルン行:キングスドメイン散策

2019年08月14日 | オーストラリア:メルボルン

プリンスズ橋を渡って
サウスバンクに出るや
右手は広々とした公園地帯
キングスドメイン公園


最初はビクトリア女王像が建つ

バラが有名なクイーンビクトリア庭園


日の沈まぬ大英帝国の象徴だった
ビクトリア女王
初代インド皇帝(女帝)でもあります。

英連邦のあちこちで像を見ますが
これが一番おっかない
さすが州の名に冠するだけあり
迫力が違います(笑)


公園内で見かけた

ポップアップグローブ劇場


丹精された公園が一段と華やかに



その先はガバメントハウスと呼ばれる
州総督の公邸

通常は非公開。


すぐ近くにあった藤棚



まさに見頃だったようで、



見惚れる美しさでした。



見えてきた国会議事堂のような建物は

シュライン・オブ・リメンブランス
と呼ばれる戦没者を祀る
ビクトリア州戦争慰霊館


ギリシャ神殿のような造り。



国旗を降納しているところで

慌てて中へ。


塔の内側と戦場を描いたレリーフ



オーストラリアだけでなく

英連邦の国旗が掲げられ


ニュージーランドもありました。

こういう所で見かけると
ひと際、胸を打ちます。


丁寧に記帳された戦没者名

手厚く弔われています。


外は美しい庭園で

ここで毎年の記念式典が
行われるのでしょう。


戦没者の象徴
真っ赤なポピー



若い人がたくさんいました。

どんな理由であっても
こういう場所に若い人が
いることは望ましい
と感じました。


その先にも王立植物園など
いろいろあったのですが、

なにせ広いわ時間が遅いわで


今回はここまで

また出直しましょう。


ヤラ川沿いをママチャリで帰宅する男性



スケボーパークの子どもたち



小さい子も見よう見真似で

がんばってます


西日に輝くプリンスズ橋

再びここに戻りました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする