ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:フェデレーションウォーク

2020年05月31日 |  オーストラリア:ゴールドコースト

2018年6月の初ゴールドコースト


2日目の午後は地図上でも
見るからに不思議な形の

フェデレーションウォーク
コースタル・リザーブへ


サーファーズパラダイス
から北へ真っすぐ、鎌の
ように突き出た人工的な形

上が北、右が海、左が陸地
でリアルではこんな位置。


写真だと圧倒的に逆さま
(※環境保護団体フレンズ・
オブ・フェデレーション
ウォーク
のサイトより)

「ゴールドの傍らのグリーン」
というコピーが最高


写真でも無数のビルが突き出る
サーファーズパラダイスにだけ
緑がないのがよくわかります。


ここはかつて砂丘で左の1970年
代はこんな姿だったそうです。

2011年には右の姿になりました。


砂丘の部分は元々は海と川に
挟まれたストラドブローク島
という縦長の島の一部だった
のですが、1898年に暴風雨と
高潮が重なり、防波堤のよう
だった島が決壊して、2つに
分断されてしまいました


かつて島の最南端は現在の
半島の根元左側に位置する
シーワールドの辺りだった
というからビックリです

半島に見えるほとんどが分断
された島の一部だったのです。


分断を機に川の河口は決壊し
た部分へと北上してき、小島
となった部分は砂で覆われる
砂丘となり、メインビーチと
呼ばれる半島の根元部分につ
ながり鎌型の姿になりました。


かつての島の南端、分断され
た小島の部分にはムーンダレワ
という小さな集落があり、1880
年代から人が住み着いていま
したが、分断されて以降は土地
の劣化が進んでいきました。

1938年の床下浸水の家


島の分断から40年後の1938年
以降、ムーンダレワは政府の
支援のもと住人の転居を進め、
1953年に海の中に消えました。

集落は半島先端の公園から、
ゴールドコーストシーウェイ
という海からの進入路の辺り
に位置していたそうで、今や
見る影もありません。


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:サーファーズパラダイス

2020年05月30日 |  オーストラリア:ゴールドコースト

おやすみ





そして





おはよう

あまりの違いに仰天(笑)


これが



こうなって



これも



こうなった



やっと自分たちがどういう
ところに来たのかを理解

見たことのないオーストラリア


まずはビーチへ

これぞビーチという美しさ。
流木の1本も貝殻の1枚もない。


サーファーズパラダイス



サーファーじゃない人にも

昔からパラダイスだった


ブリスベンの湘南みたいな
(↑わかりにくい例え💦)



私が5歳の頃からこんなで

ハワイを追って成長してきた
国内随一のビーチリゾート


人が少ないので、アイビスが
おネエさんの周りをウロウロ。

おネエさんはスマホに夢中


泳げる時期はエラいこっちゃ💦

ということになりそう。


海岸沿いはホテルやコンドが



競い合うように建っています。



こんなに需要があるもの

とつい思ってしまうほど
全部で何室あるんだろう


ちょっと奥に入ると好みな感じ



名前も時代がかってます。

昔は人気の宿だったのかも。


小さな橋を見つけて渡ると



パラダイス・アイランドという
この上ないネーミング(笑)



天国の島は中州でした。



コーヒーのロースタリー発見



多肉席もありましたが



テーブル席でブランチ



裏通りなので観光客より
ジモティーが多そう。



エネルギーチャージ

完了


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:初めてのゴールドコースト

2020年05月29日 |  オーストラリア:ゴールドコースト

14話目にしてやっと到着


初めてのゴールドコースト

滞在は3泊4日


ホテルの部屋からの眺めは



ザ・サーファーズパラダイス

「オーストラリアにもこんな
場所があったんだ~


改めて知るコテコテぶり

でも広々しているところは
さすがオーストラリア


若い時だったらアガって夜も
泳いだであろうこんな光景

今はいっちょ上がりの50代


この手の人工的なモノには



すっかりなびかなくて(笑)



トミカのようなトラム



白波が立つビーチも



外に出てみるとひと際混み
合っていたクロックホテル
3階とも飲食のみの営業

オーストラリアにあるあるの
かつてのホテル、今のバー



目の前をトミカが通過



ちょっと歩いただけでも
驚くべきアジアぶり

誰がカネを落としている
のかよくわかる


ラブリーな店構えのここは
移住エージェント兼不動産屋

中国人向けの投資と移住
のワンストップサービス


こんなものがその辺に

アワビ


魚の浮袋

香港の乾物街のよう。


となったら夕食はまぁ
こうなりますわな(笑)



意外にも、かなり正しい
香港軽食でこういう食を
求める客層の存在を実感



夜点心はルール違反でも



久々のアジア食に一息



香港の快餐(ファストフード)
のノリそのものの店でした。



サークル・オン・カビル
という一大開発された場所

ホテル、アパートメント、
ショッピングセンターなど
アジアでよくある複合施設


タワーの間には巨大モニター



ラグビーリーグの真っ最中

ここはリーグの地盤


眠らなそうな街ですが

私たちはここでおやすみ


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夢見:反省文

2020年05月28日 | 浅き夢見し

「私」は「夫」に付き添って
日本人夫婦の家にいました。


2人に会うのは初めてで、
ご主人、正確にはご夫婦は
「夫」のクライアントで、
仕事上の問題が起きたため
駆け付けたという設定。
(※なんの仕事なのやら)


「夫」とご主人が真剣に話し
込んでいる間、「私」と奥さん
はソファーに座ってとりとめ
もない雑談をしていました。


夫婦とはいえ「夫」の顧問先。
自分には関係ないと割り切り
ざっくばらんに話していました。
奥さんも気さくな人で会話は
ごく自然なものでした。


もう1人、日本人ではない
小柄な女性が一緒にいました。
最初に「ミン」と紹介され
奥さんの友人のようでした。


ミンは会話には加わりません
でしたが、日本語がわかるら
しく、一緒に笑ったりして
3人で打ち解けた雰囲気でした。


ご夫婦はタイのホテル投資で
大損失を出し、それを「夫」
に言い忘れたため、事業計画
だか何だかが大きく狂って
しまい問題が起きていました。


それを知って、ミンはタイ人
なのかと納得しました。


「タイの件は関係ないと思って
言ってなかったんですよ。」
と言うご主人の静かな声がして、


「私がきちんと聞き出していれ
ばこんなことにはならなかった。
これは完全に私のミスです。」
という「夫」の声も聞こえます。


ソファーの奥さんも明け透けに
「タイはねー。大失敗だったの。」


夫婦は見るからに裕福な富裕層で
それも彼らの代でそうなったの
ではなく、育った家が富裕層で
あるのがよくわかる2人でした。


金持ちケンカせず
という言葉がありますが、本物の
金持ちとは彼らのように穏やかで
損得勘定に関して自分の責任や
リスクよく心得ており、まず
人にせいにはしないものです。


きっとこの人たちのことだから
どこかの離島のバトラー付きの
1室でも買ったのだろうと思い、
「ホテル投資は高級な部屋こそ
利回りが低くなるからね~」
と、ふと口にしてしまいました。


その時奥さんは驚いたように、
「えっ?高級な方がダメなの?
ミン聞いた?」
と友人を振り返り、2人で身を
乗り出すように、私に質問しか
けると「夫」が突然立ち上がり、
カバンから紙を取り出しました。


原稿用紙のような定型用紙、
反省文用紙でした


どこでそんなものを手に入れ
たのか、縦書きの日本語が
手書きで書いてあり、「夫」は
それを読み始めました。


自分の非を認め顧問先に謝罪
するという内容で、読み終わ
るやご主人も立ち上がり、夫
が深く頭を下げながら手渡し
ご主人は小さな声ながらも、
「確かに受け取りました」
とはっきりと言いました。


それで問題が解決したらしく
5人で食事に行くことになり
「あー、お腹すいちゃった
と奥さんが明るく言います。


部屋に漂っていたほのかな
緊張感が消え、「私」は壁
に掛けておいてもらった
スカーフを受け取り、ご主人
が戸締りをしながら部屋を
出たところで夢が途絶えます。


=============


この2人には完全なモデルが
いてリアルの友人夫婦です


コロナの件で最近連絡を取った
ばかりだったので夢にも登場。
ミンは別名のシンガポール人。


ロックダウンで元々在宅業の
夫の仕事ぶりをさらに見聞し
「誠実だなぁ」と思ったのが
反省文になったもよう


と書いたところで、当の本人
たちからメールが入り、
「旅行で行ったプノンペンの
高層アパートを衝動買い」

とあり、大爆笑💦


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:グラスハウス・マウンテン国立公園

2020年05月27日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

5泊6日のヌーサ滞在を終えて
いよいよゴールドコーストへ。

やりたいことは多々あれど
続きはまたのお楽しみ


道すがら前々から立ち寄って
みたかったグラスハウス・
マウンテン国立公園



ヌーサからもブリスベン
からもほぼ1時間の距離。


国立公園は2700~2500万年前
の火山の噴火でできた13峰の
5km四方の山域を指す、と
NHKの番組で言ってました。

真っ平らな場所に小さな山が
ちょこちょこと出ています。


一番まとめて見られそうな
グラスハウス・マウンテンズ
ルックアウトという見晴台へ。

山というより巨大な岩に見え
ますが、オーストラリアの山
はほとんどがこんな感じ。


これらの岩山は地下のマグマ
溜まりと火山の火口をつなぐ
火道に溜まった溶岩が冷えて
固まり円筒状になった岩栓。


長い年月を経て周囲の火山が
風化してしまった後、岩栓だ
けが残りこういう姿になった
ものだそうです。


NHKでは噴火はなく、地中
に岩栓ができたものと説明
していたので諸説あるよう。


ひと際大きなビアーワ山

標高556mでこれが最高峰
岩栓だけでこの大きさという
ことは、周囲に大きな火山が
あったんでしょうね


特徴的なクーナウリン山(377m)



モザイクがあったので一緒に。

これはちょっと柱っぽい。


別の角度からの2峰のよう。



標高253mのンガンガン山





中央のティブロガルガン山(364m)
右のティバロウカム山(220m)
平らな左はクーイー(177m)





ベアーブラム山(278m)





タンブブドゥラ・ツインズ(双子山)
338mと294m





英語でグラスハウスは「温室」
なので一大農作地なのかと
思っていたら(笑)、命名はかの
キャプテン・クックが1770年
に行い、山の頂上が故郷ヨー
クシャーのガラスの溶融炉に
似ているという理由だそう。


「温室」より「ガラス工房」
の方が想像が広がりそう。


クックはベアーブラム山には
登頂し、ティブロガルガン山
は登頂できなかったそう。


20世紀初頭には人気行楽地に

当時は登山道がなく大変でした
がスカートで登るオージー(笑)


今は登山道が整備されている
そうですが、ロッククライミング
が必要な山もあるそうです

これなんかそうかな


入植初期にはこんな大木もあっ
たものの取り尽くされ今は平原

見るのも辛いこんな写真💦


この見晴台は1930年代には



火の見やぐらだったそう

出火を見つけても、こんな山奥
からどうやって知らせたのか?


周囲を散策できるコースがあり

バンクシア・スピヌローサ
という黄色い花がきれい


天気のいい日のドライブには
もってこいの場所でした。



下りていく途中にカフェで休憩
グラスハウス・マウンテンズ
ルックアウト・カフェという
まんまのネーミングでした。

「WiFiがないので、1990年に
戻ったつもりでおしゃべりを」

好きです、このノリ


デボンシャーティーが有名だ
そうですが、やっぱりコーヒー



ここの眺望は素晴らしかった



クーナウリン山が目の前



本格的なライダー姿の男性が
車椅子で数人の仲間と現れ、
「いつか朝、目が覚めたら歩
けるようになっていることを
夢見てる。諦めてないんだ」

と、店の人と話していました。


外に出たら三輪のバイクが。

夢が叶いますように


写真の整理と山名の日本語
表記が大変な回でした~(笑)


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:2回目のヌーサクイーン

2020年05月26日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

ヌーサ最後の夜なので
ヌーサヘッズを出た後は
テワンティンに移動し


ヌーサ川を航行する
サンセットクルーズの
ヌーサクイーンに乗船。

良心的な$10クルーズ


仕事終わりに釣り
カッ飛んで行くのかな?



この時間はまだ明るいです。

対岸のノースショア


橋がなく足はカーフェリー

行政が運航しています。


ハウスボート

確実に住んでそう。


大型ヨット



いろいろなものが航行中

パーティーボート
貸し切り用かな?


ペリカン(笑)



前回このクルーズに乗り
この横一列に並ぶ木々



横一列に並ぶトリに

(※これは前回の光景)


強烈な既視感に見舞われ、
10代か20代で初めて知った
アンリ・ルソーの「紅鶴」

を見て以来、ずっと心の中に
あった風景にここで再会。


探し求めていた風景
「ここだったのか

と思ったクルーズに再乗船。
同じ景色を目にしながら心が
安らぐような懐かしいような。


思い出せない何かが目の前を



静かに静かに過ぎていくよう。



あれはミサゴかな?

番でいます。


一定の所まで来るとサーっと
飛んでくるブッチャーバード

前回とまったく同じ展開。


船長からご褒美をもらって



その後は船首像のアルバイト

前払い制です


日没の時間に合わせて出航
するので完璧なタイミング



厳粛で荘厳なひと時



そしてひょっこり現れる

静寂のクーロイバ湖


訳もなく涙ぐむような光景



私のDNAはここか、ここに
よく似た場所を知っている。




そう確信して帰りました。

いつか、それが「どこ」
だったのかわかったらなぁ。


最後の夜は当時はあった
ホテルのレストランで


私のブルスケッタはこれで
夕食が終わりそうな量(笑)



イカ男の夫はイカに大喜び
ありそうでないメニュー



メインはポークと魚に分かれ



どっちも味わいました。



ステキな店だったので

心から惜しまれる閉店。


これから何度も何度も
ヌーサを訪れるでしょう。

今回はこれにて


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:ヌーサヘッズ

2020年05月25日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

5日目は冬用リネンなど
買い物や部屋の片付け
不用品の寄付などで、
1日中出たり入ったり💦


昨日のギンピ―の帰りに

バニングス(ホームセンター)
で必要な物も購入済み


折り畳みの洗濯物干しを
新調して、大きいものも
干せるようにしました。

(※部屋は洗濯機付きです)


前回とりあえずこうしたのを



今回はとりあえずこうして💦



冷蔵庫の上もこうだったのを



とりあえずこうしました。



前回ホテルに張り替えを
頼んでおいた椅子




キレイに張替えられていました。



いずれ赤が基調のリネンも
寒色系に替えていきたい



やりたいことはいろいろ
あれど、続きは次回に

最後に来たのはヌーサヘッズ
大きなビーチがあり街の中心


将来のライフセーバーたちが
トレーニング中でした。



ここは彼らの拠点である

ヌーサヘッズ・サーフ
ライフセービングクラブ



大人気のレストランでもあり
ライフセービングの活動資金
の捻出に思い切った改装中



とっくに完成しているはず。

(※なにせ2年前の旅行記💦)


目抜き通りヘイスティングス

中心にそびえるソフィテル


レストラン、カフェ、バー



お店が鈴なりの通りです。



カフェでシュガーを齧って
いたレインボーロリキート

この2羽の話はコチラでも


賑やかなヘイスティングス
の一番端っこの静かな一角



フェリックス・エスプレッソ
&ワインバー



フレンチ系のカフェ&バー

(※前はヌーサジャンクション
に店があったヌーサ・ホット
ブレッド・ショップ
系列でし
たが名前が変わっていました)


ヌーサヘッズは店が多いのと
カフェが遅くまで開いている
ので便利で助かります



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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:ギンピー街歩き

2020年05月24日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

19世紀にゴールドラッシュが
巻き起こった割には、当時の
街並みはあっさり風味



とはいえ1867年の金発見以降、
次々と人が流入して開発が進み
街は繁栄していきました。


しかし、中心部は1881年の大火
で木造建築が焼き払われます
その教訓から、復興は石造りの
建物を中心に進んだそうです。


1882年完成。現在は弁護士事務所



このひと際目立つ屋上は

エミュとカンガルー


この2軒は焼け跡に建てられ
右は弁護士事務所、左は検眼店

左は1885年完成。
ゴールドラッシュ目当てに
やってきたスウェーデン人
建築家ヒューゴ・ドゥリーツ
が依頼を受けて増改築し、
コテコテスタイルが誕生
彼はその後、人気建築家に。


色は違っても同時期に建て
られたらしい19世紀の建物



街並みは当時と同じはず



1890年完成
現ギンピ―地方議会の事務所



1892年完成



1895年完成
スミスフィールドは鉱山会社

ここも現在は弁護士事務所


これも当時の建物でしょう。

ファサードの上に飾りを付け
るのが流行っていた時代。
この時代のハワイの建物なら
飾りはまずパイナップル


ここはかつて地元の名士
となったファーガソン家が
雑貨屋を営んでいた場所



しかし、1885年の大火で
店は消失してしまいます。

ファーガソンは1886年から
ギンピ―市長を1期務め、
ギンピ―証券取引所
(※そんなものがあったとは)
ギンピ―ガスの創設にも
かかわっていきました。


この辺はもっと後の時代の
建物か大きく改築されたか。



これはコテコテのアールデコ

1920年代か?現役のホテルです。


しかし、ゴールドラッシュ後に
新たな産業に恵まれなかった街
は当時の規模を必要とせず、
そのまま寂れていく建物も。

ファサードと建物が合ってない


NZでもあるあるのこんな姿。

まるでワイカトの内陸部か
ノースランドかという光景


ゴールドラッシュ後も港町
としてNZの主要都市だった
ダニーデンは別の道へ

(※ダニーデンの街並み)


そうはいっても街のピークが
ゴールドラッシュだったのは
どちらの場所も一緒でした。

(※ダニーデン駅)


1993年に初めてダニーデン
を訪れたときは国内第4位の
経済規模でしたが今は第6位。
今後も抜かれることはあって
も抜くことはないでしょう。

でも一番好きな地方都市


「金なのになんでギンピ―
と思い続けたギンピーの話も
(答:アボリジナル語だから)
4日目もこれにて終了


街歩きにはトレイルマップ
があったので、ぜひ次回に


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:栄華の跡が一堂に

2020年05月23日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

ゴールドラッシュといえば
私にとり、こんなだったり



そんなだったり 



あんなだったり



カネに飽かせた当時の栄華が
しのばれるものがあるはず

(※いずれもNZのダニーデン)


コレだけってことはないよね



ダニーデンも金が採れたのは

こんな山間の場所


今や当時がしのばれるものは
なにひとつ残っていません。

ここに5千人も住んでいたとは💦


ギンピ―の中心部にやってきて
あるあるこの手が

1902年完成の裁判所
3代目の建物だそうです。


凝ったコートオブアームズ



最初の裁判所は1860年代に
建てられ、2代目は1876年
に建てられた建物でした。



今はカントリーミュージック
研究所なる意外な用途に



1880年に完成した旧郵便局



馬が写っているような時代と
比べても変わりません。



でも建物ごと売却か賃貸
に出ていました。

歴史的建造物指定だから
管理が大変そ~💦


1890年に完成した教会



ぐっと時代が下がり1940年代
に完成した警察署



はっきりそう書いてあるし



パトカーも停まってる



でも張り紙には
「ここは警察署ではありません」

1千万豪ドルをかけた新しい
警察署が100m先にありました。


1905年完成の芸術学校

現在はギンピ―のギャラリー


大きな邸宅のように見えますが

これはかつてのクイーンズランド
ナショナル銀行の支店でした。
(※ナショナルオーストラリア銀行
が1948年に吸収合併)


銀行は1872年にブリスベンで創業。
半年以内にゴールドラッシュに
湧くギンピ―に支店を開設し、
開業からわずか21日間に6,000
オンス(170キロ)以上の金を取引
したんだそうです。


支店は1877年にレンガ造り
となり、この建物は支店長
の住居となり、1898年には
行員の宿舎として増築され
現在は自治体の事務所。



ゴールドラッシュに湧いた
とはいえ端整な街並みで

全体的にあっさり風味(笑)


コテコテなバブリー度では

ダニーデンの勝ち


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:ギンピーの戦没者慰霊

2020年05月22日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト
クイーンズランド州はヌーサ
からクルマで小1時間のギンピー


「こっちが中心部らしいよ。」

とクルマを走らせてきたら


これは中心部に違いない

と確信できる凝ったロタンダ
(※オートラリアのロタンダ
は円形とは限らず大き目な
キオスクのようなものです)


ここはギンピ―記念公園といい

第一次大戦の地元出身の戦没者
167人の慰霊のための記念公園。
主に復員兵によって建設され、
1921年に完成しました。


ポールが2本立った変わった
造りの場所は



この地から出征した兵士全員の
名前が刻まれたレンガの壁

戦没者だけでなく天寿を全う
した人まで全員への弔いは
初めて見たように思います。


これは1920年に建てられた
ギンピ―&ウィッジー戦争
記念ゲート

ウィッジーは近隣の人口
800人ほどの小さな集落。


デザインはコンペで、費用
は民間の寄付とギンピ―市
で800ポンドを集めて完成。


除幕式に後のエドワード8世
となるエドワード王子が来た
というから驚きです

(※1922年のエドワード王子)


エドワード8世は離婚歴のある
アメリカ人女性ウォリス・
シンプソンと結婚するために
イギリスでは歴代最短の326日
で退位したことで有名な国王。


メーガン妃との結婚で王室
を離脱したヘンリー王子は
彼とやたらに比較されており💦
どちらも離婚歴のあるアメリカ人
との結婚、スキャンダルの多い
自由奔放な生活、国民の人気と
共通するところが多いよう


中の両壁はモザイクと壁画の
戦争絵巻になっています。

オーストラリアとNZの国旗
そしてANZACの文字


19世紀の大英帝国時代は
植民地化のための侵略戦争

自分たちの犠牲よりも
現地の犠牲の方が遥かに
大きかったのに、その辺は
まぁスルーですわな💦


ANZACはオーストラリア・
ニュージーランド軍団 (Australian
and New Zealand Army Corps)
の略で今でもアンザックデーは
両国の休日です。



これまでの戦争で亡くなった
オーストラリア人は計10万2千人

そのうち第一次大戦が6万人以上
と最大で、第二次大戦は約4万人


NZも同様で両国で戦争と言えば
今でも第一次大戦なのです。



人と人が対面して戦った最後
の戦争とも言われ、敵味方双
方に多数の犠牲者が出ました。



特に多数の犠牲者が出た
トルコのガリポリの戦いは
今も語り継がれ、子どもでも
知っている有名な史実です。


犠牲者の数はNZ2,700人、
オーストラリア8,700人、
イギリス2万1千人、フランス
1万人で、祖国防衛を果たした
トルコ軍は8万7千人でした。


こんなに長い月日を経ても
なぜ英霊を慰霊し続けるのか
私なりに移民の眼で書いた
メルマガがあるのでご興味が
あれば長いですが💦どうぞ。



「ガリポリの記憶」
「ガリポリの記憶 その2」
「ガリポリの記憶 その3」
「ガリポリの記憶 その4」
「ガリポリの記憶 その5」


第二次大戦はアジア太平洋で
多数の犠牲者を出しました。



慈善団体の救世軍から届いた
クリスマスプレゼントを開ける
兵士の姿になんともほっこり。



日本が降伏して終戦。



刀を置く日本兵



女性たちの役割も時代と
ともに後方支援から



前線へ。



今の任務のほとんどは平和維持

どうか世界のどこにも戦闘のない
平和な時代が訪れますように


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:金枯れて山河あり

2020年05月21日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

1867年に金鉱が発見され
世界的なゴールドラッシュ
のブームに乗ったギンピ―。


しかし緑豊かな農地が続く
ばかり。史跡はないのかと
思っていたら、ありました

樹木でほとんど見えませんが


コレです

木造ですが8mと3階建てほどの
高さがあり、何もない農地の中
ひと際目立つ建物でした。


ここは、No.1 スコティッシュ
ギンピ―金鉱&砕鉱所という
スコットランドに本社を置く
鉱山会社の所有でした。



かつては巨大なやぐらもあり、
1867~1923年まで操業し、
160万トンの鉱石を処理して
66万オンス(19トン)の金を
生産したそうです。一時は
ギンピ―の金生産量の13%
を担っていたそうです。

望遠でかろうじてかつての
建物の跡が撮れました。
今は州所有ですが野ざらし
のように見えます。


こちらも歴史的建造物指定の
モンクランド州立小学校



天然芝のトラックがスゴい

裸足で走ったら気持ち良さそう。


この一帯は1870年に金鉱が
見つかり、急激な人口増で
度重なる州政府への陳情で、
1884年に開校したそうです。


これは校舎ではなく校長の
宿舎で1890年に改装され、
それでもほぼ原形だそう。



校舎の方は増築を繰り返し

普通の小学校の姿に。


学校の裏手にあった
錆びついた線路



かつて何もなかったのが
偲ばれるほど真っすぐです。



金鉱は100年前にほぼ枯渇、
1970年代に再び操業を再開
したものの、生産量は限られ
2013年に最後の鉱山会社が
海外資本に売却され、第2幕
も幕を閉じたようです。


ここで育つ子にも地元の金は
すでに史実なのかな



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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:歴史を創った山師

2020年05月20日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

2018年6月の5回目のヌーサ
も4日目。今回の滞在で唯一
観光して回った日でした。


地名と金が出たというのは
知っていても、それ以外は
何も知らずにやってきた
内陸の小さな町ギンピ―


「どうしてこんなに何も
なさそうな場所に金


ド素人には判らなくても
一攫千金を夢見る人には
独特の嗅覚があるはず


彼らは険しい山の中から、
川の中まで何週間、何ヵ月
も地図のないような場所を
何十キロもの機材や生活用
品を携えてさまよい続け、
夢を追い続けた山師たち。


イギリスから金鉱探しに
やって来たジェームス・
ナッシュもそんな1人で、
1867年にこの地で初めて
金鉱を発見しました

町は一時ナッシュビルと
呼ばれたそうで、後に
アボリジナル語ギンピ―に。


1848年にカリフォルニアで
金鉱が見つかると、世界中
から大挙して人が押し寄せ
ゴールドラッシュが起き、


1851年にはカリフォルニアで
ノウハウを得たイギリス人が
ニューサウスウェールズ州で
も金を発見。オーストラリア
でもゴールドラッシュ開始


ニュージーランドも1861年
にオタゴで金鉱が発見され、
世界のブームに乗りました。


ナッシュがギンピーにやって
来たのには理由がありました。


財政破綻に陥っていた当時の
クイーンズランド州が、
「ブリスベンから90マイル
以内に金鉱を発見したら
3,000ポンドを支払う

という懸賞金を出したのです。


山師も博打なら自治体も博打
19世紀の植民地のダイナミズム
というかメチャクチャ💦


労働者の週給が1、2ポンドだった
時代なので、3,000ポンドは一生
遊んで暮らせる金額でした


ギンピ―はブリスベンから 147km
マイルにすると91マイル💦
そのためクイーンズランド州は
懸賞金の支払いを渋りました。


交渉後、最終的にナッシュには
1,000ポンドが支払われました。
州は破綻を免れ息を吹き返し、
自治体の博打は成功しました


だから地元の人たちは、
クイーンズランド州を救った町

と永遠に胸を張るわけです。


ナッシュは兄弟で7,000ポンド
分の金を発見して山分けし、
州の懸賞金もあって、助手に
1,500ポンドを支払っても
3,000ポンドは手にしたはず


しかし、鉱山株投資や商売で
失敗し全財産をスってしまい、
その後は州政府に火薬庫の番人
として年収100ポンドで雇われ
1913年に77歳でギンピ―で死去。


その名は地元の高校の校名や通り
の名前に今でも残されています。


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:クイーンズランド州を救ったギンピー

2020年05月19日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

野鳥園のようだった
レイクアルフォード・
レクリエーション公園




噴水には虹が出ていました

観光地というよりも地元の人
が寛ぐ場所で、もはや観光客
でもない私たちにはピッタリ
な、いい場所を知りました。


近くにカフェがあるのを調べ
ておいたので行ってみると

大勢のご老人がバスに乗り
込むところで、ホームの
お出かけの日だったよう。


彼らと入れ違いで入った店

団体でも入れる十分な広さで
開放感があって眺めもいい


窓の外には高架トロッコ



まずは何か頼みましょう



シンプルで新鮮で基本のキ
老若男女に永遠に愛される味

ここはギンピー金鉱歴史博物館
に併設されたカフェでした。


レイクアルフォードの一角の
ような立地ですが、州立では
なく地方の博物館によくある
愛好家による運営でした。
第1,3,5日曜日には青空
マーケットも開催しています。

看板にあるとおり、ギンピ―は
クイーンズランド州を救った町


公園にあった記念像の彼ら、
金鉱夫のゴールドラッシュが
破綻したクーンズランド州の
財政を救ったのだそうです。



博物館参観は次回にし、外へ。
トロッコで運ばれてきた鉱石
を巻き上げやぐらへ運び込み

(※これは後世の再現で実際は
さらに6mぐらいあったとか)


さらに鉱石を細かく割り砕く
砕鉱機にかけて金を抽出して
いったそうです。

かつての建物が残っています。


驚いたのはこの巨大物差し



なーんとこの地の洪水の記録

1893年には25m以上水没


近年でも20m超の洪水を経験
していてビックリしました。

治水の難しさにこの国が
水域が広く、海までが遠い
大陸なのをふと実感


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:レイクアルフォード

2020年05月18日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

2018年6月の5回目のヌーサも
早4日目となり、この調子で
いけば8泊9日が9本で終了



この日は晴れてドライブへ

とりあえず降りてみた公園には
大型の鳥がいっぱい
ヒトより多く、まるで野鳥園


驚いたのは人をほとんど
恐れずすぐそばにいます。

カモ


プケコのようなネッタイバン

嘴の先が黄色です。


ちゃんと歩道を歩くガチョウは

トゥールーズグース
(↑調べました)
トゥールーズはソーセージ
だけじゃなかった(笑)


メスは白いので2組の番



バリケン
(↑調べました)

かなり大きいアヒルで
これらは家畜を放したよう。


優雅に泳いでいると思いきや



いきなりお食事

黒鳥もたくさんいました。


ウが陸地で羽干ししてます

NZにもいるシロハラコビトウ


このブログのプロフィール写真
にもなっていて、常に水上で羽
干しをするのかと思っていたら

ドヤっ


ってなもんでした(笑)

陸地でもここなら安全?


オーストラリアクロトキ、
アイビスとも呼ばれる
オーストラリア固有種



湖中央部はアイビスの
コロニーらしく体長80cm
ほどの数百羽が大騒ぎ

耳をつんざくような音です。


木も大きいので大きさが判り
づらいかもしれませんが、



この巣材の太さ長さ

まるで鉄筋のようです(笑)
これからコンクリ流す


集団見合いなのか



産卵の場所取りなのか



羽をバサバサやって大もめ💦



上に下にの大騒ぎです



さらに参戦して来るのも。



大型の鳥ばかりでムクドリや
スズメがいない不思議な光景

まだ羽干ししてる~


ここはヌーサから小1時間の
ギンピーという場所にある
レイクアルフォード・
レクリエーション公園

ピクニックでもBBQでも
小さい子がいたら1日遊べそ
うな遊具もある公園でした。


公園内の金鉱夫記念像

ギンピーは金の町でした。


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ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:ホテル投資1年生

2020年05月17日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

このブログにしてはマッハ
のスピードで進む2018年6月
5回目のヌーサは早3日目


昨日のファーマーズマーケット
で買っておいた地元産バナナ

野性味のある濃ゆい風味


その後はクルマで朝食の定番
ベルモンドス内のカフェ

クランディスティーノ


酸味強めのパンチの効いた
朝から目が覚める1杯



そしてお隣のバニラフード
のサラダとタングルウッド
のパティスリーの3点セット



「これで生きていける
といつも思う魂レベルで
気に入っている食と場所

ヌーサの大きな愉しみです。


そして、昼ご飯

ではなく、なんとこれ夜ご飯
マッハのスピードすぎ~(笑)


途中の写真が皆無でして
いったい何をしていたの
(※なにせ2年前の話で何も
覚えている訳がなく💦)


思うにこの日も雨でホテルと
打ち合わせた後は、部屋で
コレだったもようです

食器戸棚などキッチンの整理


前回7ヵ月前がこうだったので

変わりなし


前回



今回

ナイフ類の位置が変わって


明らかに数が増えてる(笑)

2本追加されててウケます。


チャッカマンまである

増えたのは宿泊客の置き土産。


前回



今回

ソーサーがなくなっていて
チーズグレーター追加(笑)


ソーサーはこっちに移動



前回はこんな。



前回のザルやボール類



耐熱容器がここに引っ越し



こんなパイ皿あったっけ?



グラス類は



収納が完全に変わってます。

全部ふせてあるし、
マグも不揃いに💦


グラス類はホテル共通のもの
で統一しようとしましたが、
不揃いでも数さえあればOK
らしく、多めに置くことに。


ホテル投資1年生は雨のリゾート
でもあれこれやることがあり、
必要な物の買い出しもあります。



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