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ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

パース2回目行:古代川の跡ウェーブロック

2025年04月15日 | オーストラリア:ウィートベルト

2023年11月のオーストラリ
ア、2回目のパース2日目。


コンディニンシャイア(郡)の
ハイデンは巨石のある場所で
最も有名なのは、シャイアの
紋章にもあるウェーブロック



2回目のパースのハイライト



高波が瞬時に固まったような
不思議な巨大岩壁。高さ15m
全長110mの花崗岩の壁です。



年間10万人以上が訪れる名所

時間帯や光により、黄色や赤
など色が違って見えるそう。


パースから半日かけても来る
価値があるのがわかります。

悠久の自然が創り出した傑作


花崗岩から算出すると、その
形成期間は26億年ともいわれ
超大陸ゴンドワナが分離し始
めた2億年が“最近”に思える


ウェーブロックはハイデンロ
ックと呼ばれる広大な花崗岩
の島状丘の一部。島状丘とは
乾燥地帯の広大な平原に、周
囲の地形とは明らかに異なる
孤立した島のように見える丘
や山のことだそう。オースト
ラリアには多く、典型はウル
ル(エアーズロック)でしょう


解説によれば、ハイデンロッ
クに降った雨が地中に溜まり
長い年月をかけて花崗岩を浸
食し、水位が低くなったこと
でウェーブロックが地表に露
出。地中では次なるウェーブ
ロックが形成されているそう



私たちがウェーブロックを知
ったのはNHKのグレートネー
チャー
でした。地球原初の陸
地が太古の川に削られて誕生
したのであろうという壮大な
歴史に「いつか行こう」と

人が入らないと大きさが不明


筆で掃いたような神秘的な色



大きすぎて写真は撮れないも
ののウェーブロックの上のハ
イデンロックには登れます。



途中の貯水用のダム。1928年
に完成し51年に拡張されハイ
デンの貴重な生活用水だそう



岩の上にも岩で、風雨の浸食
で残ったり崩れたり自然任せ



島状丘とはよく言ったもので



地平線が見えるほど平原です



望遠で引いてギリギリ見える
青と緑の水は湖と池でした。

着色したような不思議な色


上空から見るとこんならしく

(※コンディニンシャイアより)


大きい方がレイクマジック(魔
法の湖)。小さい方がソルトプ
ール(塩池)。いずれもウェーブ
ロックから1.5kmながらツアー
には入っておらず眺めるだけ


レイクマジックは塩湖で湖底
は石膏。湖畔はグルっと砂浜
湖の色は光の関係で緑からピ
ンクにまで変わる幻想的な湖


ソルトプールは1周20mの小
さな池ながら水深6m。浮力と
健康効果は死海を上回るとか


ここからは一気にパースへ🚌



トイレ休憩以外はひたすら走
って行きの半分ほどでパース
着。予定時間を相当上回りな
がらもドライバーガイドのボ
ブが「見せたかった」という
トワイライトのパースの夜景
遠回りをしてくれました。

写真はこれが精いっぱいでし
たが、ボブの優しさ温かさに
重なる感動的な光景でした。


お国自慢は外部の者には往々
にして息苦しく感じられるも
のだと思っていますが、ボブ
の場合、隠しきれない西オー
ストラリア愛に溢れていて、
雄大な自然に佇んでいると、
それが心にしみて来ました。

12時間の充実したバスツアー
ありがとう、ボブ👏


この経験でオーストラリアの
バスツアーに目覚めた私たち

特に夫は100%観光でき感動


遅い時間で疲れててもいて、



AFLの試合を見つつホテルで



簡単な夕食に

素晴らし2日目になりました。


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パース2回目行:岩窟のマルカ

2025年04月13日 | オーストラリア:ウィートベルト

2023年11月のオーストラリ
ア、2回目のパース2日目。


1日がかりのバスツアーの遅
い昼食の後にやって来た、伝
説のアボリジナルが住んでい
たという岩窟マルカスケーブ



反対側にも穴があり明るい



深く広く明るく風通しがいい
せいか、清潔感があります。



外側も石に覆われているので



居住性の高そうな場所です。



ここにはたくんの岩絵が残さ
れ、その数は452点に上り重
要な岩陰遺跡でもあります。



有名なアボリジナルアート、
手形がたくさん残されており



多くが子どものもののよう。



これは部族のトーテムなのか



しかし、ここに過酷な伝説が


岩窟の名前の由来になってい
るマルカは地元ヌーンガー族
の私生児として生まれます。


母親は部族の掟で禁じられた
恋をしマルカを身籠り、マル
カは内斜視で生まれました。


非常に体躯が良かったものの
マルカは目のせいで槍が上手
く使えず狩りができません。

確かこのひと際大きな手形が
マルカのだったと思います。


とうとう不満が爆発しマルカ
は人間の子を捕まえて食べ始
め、地域を恐怖に陥れます。


マルカは1人でこの岩窟に住
んでいましたが、戒めに来た
母親をも殺し逃げ出します。


数々の罪でマルカは150km
以上離れた地で捉えられ、遺
体は葬儀に値せずと打ち捨て
られ蟻の餌食となりました。


マルカの伝説は掟破りへの警
告として語り継がれました。


アボリジナルは文化的もしく
は近親婚の問題を避けるため
に、結婚について部族ごとに
厳しい規律があり、ブルーマ
ウンテンズのスリーシスター
も、掟を破った三姉妹が岩
に変えられてしまったという

哀しい伝説でした。


過酷な自然の中で生き抜くに
は個人よりも部族が優先され
たであろう時代。障害のある
私生児として生まれ、存在そ
のものが禁忌だったマルカ。

たった1人で岩窟に住みつき


その空腹と混乱、孤独と絶望
はいかばかりだったか。生ま
れて来た子に罪はないのに。

(※周囲も岩ばかりの場所)


「実存は本質に先立つ」と唱
えたサルトルも斜視でした。


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パース2回目行:アウトバックのリアル

2025年04月12日 | オーストラリア:ウィートベルト

2023年11月のオーストラリ
ア、2回目のパース2日目は
バスツアーに参加しました。


西オーストラリアのアウトバ
ックに吸い込まれて行くよう
に、バスはひたすら直線の道
を走り続け、対向車も疎らに



トイレ休憩で立ち寄った集落

あるのはガソリンスタンドぐ
らいなもので買い物もここで


センターラインがあっても交
通量はなく、周囲はサバンナ



この辺も雨が降ると塩湖かな

農耕地にはならなそうな場所


忽然と現れた赤い砂山のよう
なものは、穀物なのでしょう

規模の大きさに圧倒されます


次に停まった、コンディニン

コンディニンシャイア(郡)の
簡単な案内板がありました。


ここは20世紀に入ってから開
拓が始まり、1910年に農地分
譲が行われ、当初は緑深い森
だった場所。最も肥沃な赤土
こそが森を育んでいました。

(※1920年代の収穫)


開拓民たちはすぐに25~30m
にもなる特定のユーカリ属の
ある場所に最良の赤土が広が
っていることに気づきます。


穀物生産が盛んになるにつれ
輸送手段の確保が急務となり
1915年には鉄道か延長され、
1930年代にはこんな光景が

今より家があるかも


2021年の人口は300人超。当
時とそうは変わらないのか?

(※1928年頃。手書きの看板
まるで西部劇の世界🐎です)


郡の産業は引き続き小麦生産
ながら近年はニッケル鉱山も
地元経済に大きく貢献してお
り、常時約500人のFIFO従業
員がおり、定住者より多い


FIFOとはフライ・イン・フラ
イ・アウトの略語。数週間ご
とに勤務と休暇を繰り返し飛
行機で『通勤』する労働形態
を指します。高給と休暇の多
さから過酷な労働環境(往々に
して地下)にもかかわらず、が
っちり稼ぎたい男女がこぞっ
て集まる職種でもあります。
 

鉱山はここよりさらに奥地



ガソリンスタンドがあるのみ
で確かに外部の人は住めない



コンディニンシャイアの中の
ハイデンに来ました。ここは
観光の名所で、まず来たのは

ヒポズヨーン(Hippo's Yawn
カバのあくび)という大きな岩


なかなかナイスなネーミング

ヒトが食べられそうです(笑)


穴は地質学上タフォニとイタ
リア語で呼ばれるもので、コ
ルシカ島発祥の風化浸食穴の
呼び名だそう。ヒポズヨーン
の場合、塩類が岩の中で結晶
化し、岩を壊すほどの圧力を
形成したとみられ、内側から
の崩壊は今も続いているそう


ランチになったのはパースを
出てから、かれこれ7時間後

ドライバーガイドのボブはさ
ぞやお疲れさま。ここでやっ
と1日の半分まで来ました。


壁から天井からびっしりドラ
イフラワーで覆われた内装で



どれだけの時間をかけたのか



古の調理台



1919年製のT型フォード

T型フォードは1908~1927
年まで製造されていたそうで
どこかの段階でアメリカから
ここまで遠路はるばる運ばれ
たのかと思うとロマンです。


古いものと手作りのものしか
ないアウトバックの暮らしを
彷彿とさせる演出がお見事

実際はなんでもネットで買え
るの世の中なのでしょうが


ビュッフェの食事はサラダも
新鮮で非常に美味しかった
写真がないのが残念。お腹が
ペコペコだったのかもしれず


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パース2回目行:ウィートベルトのソルトレイク

2025年04月11日 | オーストラリア:ウィートベルト

2023年11月のオーストラリ
ア、2回目のパース2日目は
バスツアーに参加しました。


ヨークを出て内陸を流れるエ
イボン川を渡りさらに奥地へ

エイボン川(全長240km)はス
ワンリバーに注ぐ支流で、内
陸部の重要な水源。エイボン
バレーという地名の由来にも


周囲はただただ平らな大平原



廃屋でも家があったり



人がいたりするとつい写真を
撮ってしまうほど人気がなく



ただ対向車とすれ違うのみ



一帯はウィートベルト地方と
呼ばれる(黄緑色部分)名前ど
おりの穀倉地帯で、運転手の
ボブも「ここは〇〇、ここは
◇◇」と作物の説明をしてく
れましたが、早春のせいか識
別できる作物は見あたらず

(出所:ウィキペディア)


春には菜種油の原料となる菜
の花畑が真っ黄色に輝くそう


豊かな赤土の土壌が広がり、
西オーストラリア州の小麦の
3分の2、羊毛の半分を産出し
小麦以外の穀物生産も盛ん。



舗装道路が急に砂利道になり



白やピンクの不思議な場所に



「塩田?こんな内陸部で?」



塩までは当たりでしたが塩田
ではなく、作物への塩害を防
ぐために「低地のここへ塩を
誘導している」という説明

そのため水が流れ込み道が傷
むので舗装していないと言っ
ていた気がします(うろ覚え)


いわゆる塩湖、ソルトレイク

乾季には干上がって塩が露出
し、雨季には湖になるらしい


どうも『塩=海』という発想
になってしまいますが、冬季
五輪を開催したアメリカのソ
ルトレークもユタ州の内陸、
しかも山間部。大地に塩が蓄
積されているのはままあるこ
とにせよ、初めて見ました。

塩加減によって草木の生え
方が変わり植物も必死です。


低地を脱して舗装道路になり



部分的に水がある場所もあり
塩の白に青が映えて美しい



塩の色は地中の鉄分などミネ
ラルの影響で白から赤へ変化

料理で愛用しているヒマラヤ
ピンクソルトのピンクを思い
出し納得あのピンクも鉄分


ソルトレイクを抜けると灌木
が広がり塩の誘導効果を実感



なだらかながら上り坂です。



簡単な道路標識。オーストラ
リア映画のワンシーンのよう

アウトバックらしい光景


ロードトリップ中なのかな



バスは一直線の坂道を行き
ウィートベルトの奥深くへ



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パース2回目行:西オーストラリア最古の内陸の町ヨークタウン

2025年04月10日 | オーストラリア:ウィートベルト

2023年11月のオーストラリ
ア、2回目のパース2日目は、
バスツアーに参加しました。


カンガルー除けの金網がつい
た大型バス。見晴らし良好

ホテルをノボテル・パース・
ラングリー
にしたのは、目の
前のホテル、パンパシフィッ
クが大型バスツアーの集合場
所になっていて便利なため。


次の集合場所スワンリバー対
岸クラウン・パースに来ると



えっこんなのやってる

モネ・イン・パリ展


パースを出た後バスは1本道
をひたすら東へ。西のパース
からだと内陸に向かうことに

1日がかりのツアーなので、
てっきりドライバーとガイド
の2人がかりなのかと思った
らドライバーガイド1人だけ


100kmを1時間半超で走破し

内陸の町ヨークタウンに到着


オーストラリアの地方部には
19~20世紀初頭の古い建物が
多数あるものの、ここは町並
みがそっくり残っています

(※ヨーク自動車博物館)


1829年にスワンリバー植民地
として、現在の西オーストラ
リアでの植民地建設が始まる
や人口増に伴う安定的食糧供
給が喫緊の課題になります。


1830年冬、弱冠21歳のロバー
ト・デール少尉は内陸部の探
査を命じられ、後にエイボン
バレーとして知られる、肥沃
な土壌の一帯に到達します。


報告を受け、ジェームス・ス
ターリング総督
は同年中に行
政単位の新設を決定し、西オ
ーストラリア最古の内陸の町
の礎がここに築かれました。


本国ヨークシャーに似ている
ことからヨークシャイア(郡)
と命名され1831年入植開始

現在のヨークシャイア庁舎


ヨーク郵便局

石造り。まだレンガが貴重だ
った頃の建物なのでしょう。


珍しい巻き角の羊の像

『アプソンダウンズ
ラントのふるさと』


運転手のボブによると、ここ
で映画の撮影があったそう


調べたら、児童文学の映画化
『ラント』の撮影が行われた
直後で、ヨークは話の舞台で
ある架空の村アプソンダウン
ズに設定されていたんだそう


訪問時は別のTVドラマシリー
ズの撮影も間近に迫っていて
町が活気づいていた頃のよう



人口3,000人ほどの町にとり
観光客が落としていく現金は
重要な収入源のことでしょう

地産できるありとあらゆるも
のが売られているようです。


そうでなければ穀物や木材な
ど現金化に時間のかかる農業
が町の経済の中心で過疎化が
進んでいるのも判りました。

レストラン、公認会計士、ギ
フトショップ、不動産屋、ス
イーツショップが入居した、
目抜き通り一番の商業施設


町に不釣り合いなほど大きな
教会の鐘楼が見えて来て往時
の人口の多さが偲ばれます。

聖パトリックカトリック教会


忽然と現れた壮麗な建物はタ
ウンホール(郡議会堂)。周囲
の何もない道と比べても特異



止まったままの時計と時間



1911年に完成したフェデレー
ションフリークラシカル様式



フェデレーション様式は1901
年に6つの植民地がオースト
ラリア連邦を形成し、事実上
イギリスから独立したことに
ちなんだ、オーストラリア独
特の建築様式。1890‐1915年
築の建物に多く見られ、エド
ワード朝(1901-10年)ネオバ
ロックの影響も色濃く装飾性
が強調されているのが特徴。


NZ最南端の街インバーカー
ギル市議会堂
を彷彿とさせま
す。あちらもカネに飽かした
エドワード朝ネオバロック

1906年完成。当時英連邦で多
数建設された公共建築の1つ


道を挟んだ隣は1886年に完成
したインペリアルホテル。前
年1885年に鉄道が開通し開業



このホテル、1968年に起きた
メッカリング地震(M6.5)で被
害を受けたそう。オーストラ
リアにも地震があったとは



地震後にベランダが増築され
現在の姿になったそうです。



バスツアーの限られた時間の
合間に「タウンホールに入る
か」「買い物をするか」で迷
わず後者を選んでチャリティ
ーショップで秒速の買い物

動物愛護協会RSPCAの店


バラして他のアクセサリーに
作り変えて寄付してしまうの
で素材だけ見て手あたり次第
購入。カードが使えたらもっ
と買えたのに現金のみで残念


「バスが出るから時間がない
の。全部買うから急いで~」

と言う飛び込みのアジア人の
爆買いにボランティアが大ウ
ケしながらテキパキ対応して
くれ私はバスまで全力疾走

(※上質の淡水パールはピアス
にリメイクして寄付しました)


ヨークはリアル映画村として
次々とロケ撮影の予定が入っ
ているそうで、いつかスクリ
ーン上で再会できたりして



アレっ羊の角が取れてる

試しに付けてこれで完成かな


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