ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

クイーンズタウン行:行くも地獄、残るも地獄

2022年11月30日 | 南島:クイーンズタウン

2021年4月のクイーンズタウ
ン。クルマで約20分のアロー
タウンに築かれた19世紀の中
国人居住区
の話がまさかの3
話目自分もまたアジア人移
民である以上、150年前に起
きたことでも気になります。


なぜ彼らは黄禍と呼ばれた過
酷で理不尽な人種差別の中で
もここに留まり続けたのか



最大の理由は当時の中国の状
況でした。貧困、人口増、病
気やアヘンの蔓延、清朝の劣
勢と列強による植民地化など
社会は混乱を極め、地方の小
作農の赤貧は絶望的でした。

(※当時の広東省の小作農)


2度にわたる列強とのアヘン
戦争(第1次1839-42年、南
京条約締結。第2次1856-60
年北京条約締結。アロー戦争
とも)と、世界各地で起きた
ゴールドラッシュ(カリフォ
ルニアは1848年から)が重な
ったのも大きな誘因でした。


海に面した広東省では多くの
若者がなけなしの金をはたい
て命がけで海を渡りました。

(※数百人を乗せた移民船)


行き先はまず『金山』と呼ば
れた米国で、後に金が見つか
ったオーストラリアやNZは、
『新金山』と呼ばれたそう。


NZで中国人金鉱労働者の採
が始まったのは1865年。



1871年当時広東省の労働者
の平均年収は12~14NZポン
ドでしたが、オタゴの中国人
金鉱労働者のそれは、約6倍
の77NZポンドで、3分の2を
貯金できる目論見でした。


1870年に17歳の若さでNZ行
きの船に乗ったジェームス・
シュン。親族一同で36オンス
の銀をかき集め、若者の新天
地行きに賭けます。彼は同村
の9人の若い衆と、330人が
乗る移民船に乗り込みます。

(※ジェームス・シュン)


香港を出て3ヵ月後、海が荒
れ、船の一部が壊れ中に水が
入り、大の大人たちが絶叫す
る阿鼻叫喚の状況となる中、
ジェームスと12歳の男の子だ
けは泣き叫ばなかったそう。


「肝っ玉が小さい奴には向か
なかった」と彼は言います。
長い航海で命を落とす者、難
破する船もあったでしょう。


行くも地獄、残るも地獄か。


移民の多くが100~200NZポ
ンドを貯め故郷に錦を飾り、
小さな農場を買い小作農を脱
することを夢見ていました。


初期の頃であれば5年近くを
耐え忍べば、夢を実現できた
者もいたとみられています。


しかし、金の枯渇や人種差別
で状況は厳しさを増します。



まさかのまさかでまだ続く💦


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クイーンズタウン行:黄禍の中で

2022年11月29日 | 南島:クイーンズタウン

2021年4月のクイーンズタウ
ン。そこからクルマで20分ほ
どのアロータウン。19世紀に
中国人たちが住み始め居住区
を形成していたという史実。


招かれても歓迎されない人々

彼らはなぜここに来たのか


中国語の『招工入境』と英語
の『金鉱』に答えがあります。


1860年後半から1880年代に
かけて、NZ南端部のアロー
タウンのあるオタゴ地方や、
サウスランド地方にはいくつ
かの中国人居住区がありまし
た。彼らの目的はゴールドラ
ッシュでの一攫千金でした。


最盛期にはオタゴ、サウスラ
ンド、ウエストコーストの金
には、約8,000人の中国
人がいたと言われています。



彼らがユニークなのは正規の
労働許可証、今で言えば就労
ビザを持っていた点です。


それが招工入境(採用入国)の
根拠で、ゴールドラッシュで
世界中から波のように押し寄
せ、波のように去って行った
西洋人たちとの違いでした。


オタゴのゴールドラッシュは
1865年にはほぼ終了し、金を
掘り当てようと集まった数千
人の西洋人たちはウエストコ
ーストに去って行きました。
(※ウエストコーストでの金
発見
は1864年のことでした)


オタゴは人口の急減による地
元経済の悪化を恐れ、オース
トラリアの金鉱から中国人労
働者を招聘することを決定。


「人がいなくなるよりも、例
え猿のような外見であっても
人口が増える方が望ましい」
(1867年の地元新聞)
と自治体主導で決定しました。


中国人たちは広東省出身者で
オーストラリアの採鉱技術を
仲間内で共有し合いました。



1871年には近くのワカティプ
金鉱の労働者は、中国人が西
洋人を上回るようになり、ア
ロータウンは中国人居住区の
中心となって発展しました。


中国人人口と経済的影響力が
拡大するにつけ、それを懸念
する人種差別が激しくなりま
した。中国人による『植民地
化』を恐れるという説まで飛
び出し、NZも他国に倣って
1881年には悪名高い中国人
への人頭税を導入しました。

(「黄禍」と題されたマオリに
絡みつく辮髪のタコの挿絵。
新聞が世論を煽る傾向も顕著)


アロータウンには反中国人西
洋人金鉱労働者協会まで結成
されました。中国人たちはト
ラブル回避のために西洋社会
とは距離を置き、自分たちの
結束を一段と強め忍耐強く難
局を乗り越えていきました。

(※「隔離された生活」)


水のある川沿いに小屋を建て



互いに支え合っていきました。



一帯は今では想像もできない
見事な農地でまるで農村。自
給自足社会が実現しました。

写真上が居住区の中心でシン
ボルだった、アラム・ストア


背後の岩山も十分に活かされ



頑丈な石造りの小屋を建て、



丁寧に茅で葺けば立派な家に



さらに岩を背に小屋をかけ、



壁代わりにした質素な小屋も



トタン屋根のこんな戸建ては
憧れ🏡だったんでしょうね。



この厳しい環境下でも、彼ら
はなぜここに留まったのか


またまたこの話を続けます。


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クイーンズタウン行:アロータウン中国人居住区跡

2022年11月25日 | 南島:クイーンズタウン

2021年4月のクイーンズタウ
ン。アロータウンに入るや、
紅葉がひと際鮮やかで、英語
で言うところのオータムカラ
ーズ(autumn colours,秋の彩)
という複数形での表現がなん
と合うのかと思いました。



剥げた岩山とのコントラスト



標識がある村の中心に入って
来ました。さらに鮮やかな彩



過去2回には来ていなかった
アロータウン中国人居住区跡
という場所に来てみました。

英語のアローは弓に番える矢
なので、アロータウンの中国
語訳は箭市。今は市というほ
ど大きくない所なので箭鎮。


ブッシュクリークという小川
に沿い、復元された質素な住
居が点在している場所です。

かつては20棟ほどあったとか
どこも扉や窓があり西洋人で
も住めると形容されたそう。


『オールド・トム』とか『コ
ン・ラム』など居住者の名前



ここの印象がないのもむべな
るかなで、NZ政府が中華系
移民への差別に対し歴史的な
謝罪をしたのが2002年2月。

(※説明は英中のバイリンガル)


私たち一家が訪れていた19年
前のことで、政府の肝いりで
歴史保存区として整備し終え
たのは2003年のことでした。

(※修復されたアワ氏のトイレ)


アラム・ストア

居住区で唯一現存する19世紀
の建物。この地の中国人社会
の中心的存在で、1925年にア
ラム氏が亡くなり廃業。放置
後1986年に修復されました。


アラム(亜林)氏

川で溺れかけた西洋人を救け
地元の名士になった大人物。


亜林は英語にも堪能で地域で
一目置かれる中国人社会のリ
ーダーでした。商売上手で店
は欧州や中国からの輸入品、
食品・薬・タバコの販売の他



翻訳や代書屋、賭博場、宿屋
や地下金融も兼ね、中国人移
民たちの心の拠り所でした。

床は当時も石のままだったそ
うですが、それでも訪れた者
には温かく感じられたそう。


男ばかりの過酷な暮らしを強
いられる中、酒や賭博、中国
語での団らんは、心の慰めだ
ったのではないでしょうか。



彼らを苦しめたのはオタゴ地
方の極寒の気候以上に、人種
差別という心寒(落胆の意)さ
せられる社会だったようです。

招かれても歓迎されない人々


次回もこの話を続けます


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クイーンズタウン行:アカルア・ワインズ&アーティザンキッチン

2022年11月23日 | 南島:クイーンズタウン

2021年4月のクイーンズタウ
ン。スキー場コロネットピー
を出た後は、黄葉と紅葉を
潜り抜けて、アロータウンへ



移住前2回クイーンズタウン
に来た時も訪れていた場所。
クイーンズタウンとは裏腹に
とても気に入った村でした。

メルマガにもしていました。
~アロータウンの再会~


しかし、クイーンズタウンを
経由せずしては来れない場所

ここも19年ぶりの再訪です。


到着したのはアカルア・ワイ
ンズ・アーティザンキッチン




珍しくワイナリーランチ

夫もさすがにワインで🥂


この店、今は扱うワインが変
わり店名がモラ・ワインズ・
アーティザンキッチン
に変わ
りましたが、同じオーナーで
名前以外はまったく同じとか



暖房もあり寒くはなく外席で



端整した素晴らしいガーデン



ロングランチを楽しむ一家



夫の旬のカボチャが最高



私はこの手のサラダが大好き

毎日コレでも構わないほど


アーティザンを名乗るのが判
る鮮度とセンスとこだわりと



〆のコーヒーを飲んでいたら
オールブラックスのネヒ・ミ
ルナー=スカッダーが、奥さ
んとランチに来ていました。



お忍びで来るにはいい店かも



忍ぶ必要がなくてもそう思う



ワインセラーもありましたが
飲まない私たちにはご縁なく



かつての馬車の方が気になる

お子さま並みだったりして(笑)


クイーンズタウンに来るたび



ランチをする店になりそう



店の前はこんなに雄大な景色



またいつか来ましょう



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夢見:社員寮

2022年11月22日 | 夢の周辺

旅行記に戻ろうと思ったら、
私も夢を見たのでもう1本


長い複雑な夢でしたが、かろ
うじて思い出せる最後の場面


「私」は古い町並みが続くオ
ーストラリアのような場所に
いましたが、一緒にいたのは
先日、膝枕の夢を見たばかり
の中小企業経営者の奥さん、
つまり若い社長夫人でした。


彼女は19世紀の重厚な石造り
の2階建ての建物の前におり
傍らの数人と真剣に話しなが
ら厳しい表情をしています。

(※こんなイメージの建物)


ご主人の膝枕のときと同様、
「私」はそこにいるのに、彼
女には見えない存在のようで
私たちに会話はなく、「私」
は見守っているばかりです。


厳しい表情なのは一大決心を
迫られていたからです。彼女
は石造りの建物を買うかどう
か迷っていました。購入の目
的が社員寮のためと知って、
「私」は安堵していました。


膝枕の夢の中で、ご主人の深
い苦悩を知ったところだった
ので、社員寮が要るほど人手
不足が解消されたことを、夢
の中でもともに喜びました。


奥さんは決心できかね、夢の
中では物件購入には至りませ
んでしたが、社員寮という事
実(夢でも?)に「私」はホッ
として、目を覚ましました。


これが採用再開の予知夢にな
ることを祈りつつ、クイーン
ズタウン旅行記に戻ります。


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生き方・老い方・死に方

2022年11月20日 | 夢の周辺

夫が夢という幽体離脱の中で
死後の下見を始めたと感じ、
非常に興味深く思いました。

(※たった1人で向かう一本道)


人は物心がついてからは、先
の事を漠然と考えるのが自然
なのではないでしょうか


大人になったら
結婚したら
子どもができたら
家を買ったら
起業したら


・・・・・たら
・・・・・たら
・・・・・たら


と、生きて行く方向性のよう
なものを個々に定め、そちら
に向かって行くのでは
れが一定の年齢に達すると、


子どもが巣立ったら
仕事をリタイアしたら
健康ではなくなったら


と方向性が健康や老後という
特定のものに絞られ、思いつ
くことが、生き方よりも老い
方になり、さらに時が経ると
死に方に変わる気がします。


私にとって生き方が老い方に
変わったのは、50歳でした。


長年50歳でセミリタイアする
ことを心に決めていて、その
歳で老後に向けた不動産投資
を開始したとたん、日々の生
活は一緒でも、見えてくる風
景が違ってくるようでした。


それが数年で、さらに死に方
にまで変わってきたのです。


夢の中で繰り返し『天国』ら
しい場所
を訪ね始めました。


『天国』というのは便宜的な
名称で、死んだ後の魂が帰っ
ていく場所を指しています。


夫が夢の中で同じような経験
をしたことは、先の見通しが
老い方から死に方に成熟して
きたのでしょうか。4歳年上
の私が見てきたものを、夫も
見始めたのかもしれません。


死後の世界をのぞくことは不
吉でも哀しいことでもなく、
生き方や老い方を考え続けて
きた自然な延長に思えます。



夫は昨夜も夢を見たそうで、
遠いどこかに1人でいて、そ
ろそろ帰らなくてはと思い、


「そういえばパスポートがな
い。どうやって取るのかな」

と思ったところで夢が終了。


スーツケースだのパスポート
だの、旅のシンボルが散りば
められているのが興味深い


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夢見:空のスーツケースの旅

2022年11月19日 | 浅き夢見し

「ヘンな夢を見たんだ・・・」
と夫が神妙な顔で語った夢。


「夫」は我が家で一番大きな
紫色のスーツケースをクルマ
に積み込み、一直線の一本道
をクルマで走って行きます。


乗っているのは「夫」1人で
スーツケースは空でした。


道は果てしなく長く、辺り一
面青かったのに、いつしか道
の先が黒っぽく見え吸い込ま
れて行くように感じたそう。


=============


夢の状況を聞いたとたんに、
「これは『死後の下見』だな」
と感じました。私は自分が死
んだ後らしい夢を繰り返し見
ているのでピンと来ました。


まず、「夫」1人であること。
すでに旅に出ていること。そ
して、スーツケースが空っぽ
であった点がカギになります。


「私」の下見も必ず1人で、
を上って行きます。「私」
の場合はいつも手ぶらです。

(※イメージとしてはこんな坂)


徒歩かクルマかの違いはあっ
ても1人で、行き先がはっき
りしない遠い場所に、何も持
たずに向かうのは同じです。


あの世に行くのに現世の物は
何も必要ないことを、空のス
ーツケースは示しています。


三途の川を渡るための六文銭
など必要ないのです。その時
が来たら、すべてを置いて、
行くべき所に向かえばいいの
だと私は夢から学びました。


行き先がはっきりわからなく
ても迷うことはありません。


生前の経験から本人がなじみ
易く、わかり易い道が示され
るようです。それが「私」に
は坂道、「夫」にはクルマで
行く一本道だったようです。



死後の下見では同じような状
況が繰り返し夢の中に出て来
る可能性があるので、今後の
夫の夢の展開に乞うご期待


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クイーンズタウン行:自然美と人工美

2022年11月18日 | 南島:クイーンズタウン

2021年4月の移住後初の(私の
み)クイーンズタウン2日目。


クルマで高台へ。これはパラ
グライダー場なのだろうか



絶景かな絶景かな~



箱庭のようです。



かと思えば荒涼とした山肌も



到着したのはコロネットピー
というNZ有数のスキー場



私はスキーをしないどころか
スキー場という場所に来たの
も生まれて初めてだったかも

少しでも雪があってビックリ


これが降雪機というものか



氷も張ってました



閉館中でしたが、シーズン中
はごった返すんでしょうね。



白銀の世界になったらさぞや
美しいんだろうとは思いつつ
来たいとは思わない正直な私

夫もスキーは卒業だそうで、
冬にはご縁がなさそうです。


2人とも寒いのも暑いのも苦
手になってきましたが、代わ
って次男とガールフレンドが
今年ここでスキーデビューし
これからよく行きそうです。


雄大な大自然という眺め



実際は入植者によって徹底的
に開墾され尽くされた人工美



紅葉する樹木の多くも外来種



濃い緑の広くは植林



古からの姿を今に伝えるのは



南アルプスばかりなのかも。



けれど、その両方が調和して



美しいのがクイーンズタウン

と今回つくづく思いました。


過去2回は商業的に踏み荒ら
されて痛々しく見え、踏み荒
らす側の観光客という自覚か
ら楽しめなかった街ですが、



今回はありのままに受け入れ
ることができました。20年近
い歳月が私を大人にしたのか



紅葉の季節だったことが、心
境の変化に一役買ったのか



自然が織りなす季節の色は

掛け値なく美しい


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クイーンズタウン行:新たに出会った街

2022年11月17日 | 南島:クイーンズタウン

私には19年ぶりだった2021
年4月のクイーンズタウン


整然と切り立つリマーカブル
スの美しさに圧倒されつつ、



20年近くも距離を置いていた
場所に踏み出してみました



朧げに覚えている光景もあり



それはそれで単純に懐かしく



家族の大切な思い出の1頁

(※当時8歳の長男)


あの時もカモがたくさんいて



ここでエサを買った気がする



王冠を頂くこの店もあった



この教会の写真も撮ったはず。

アジアからの旅行者にはレン
ガではなく石造りが珍しく


有名なファーグバーガー

2001年開業だそうで19年前
にはあったと知ってビックリ


行列のできる店は苦手なので
隣の系列のファーグベーカー

ここでペイストリーをゲット


バーにジェラートと多角経営



コレはさすがになかったはず



ちょうど第一次大戦の戦没者
慰霊記念日アンザックデーに
近かったので、慰霊塔に花輪



オーストラリア色黄色の花輪



オーストラリア政府と国民から

アンザック軍(ANZAC)とは、
オーストラリアNZ連合軍。


Australian and New Zealand
Army Corpsの頭字語。とも
に戦いともに倒れ、今もつか
ず離れずともに生きる両国。
私たちにも格別な国🦘です。


ワカティプ湖の上に歓迎のア
ーチのような美しい虹が出て

食わず嫌いの街は過去になり
私はこの街に出会いました。


きっとまた舞い戻るでしょう。

できたら紅葉の季節に


夜は最も気になっていた店へ



キングメイドヌードルズ

手打麺がウリの中国・蘭州麺 


だいぶ雰囲気の違う御仁が打
ってましたが、ドタンバタン
のライブパフォーマンスは



付け出しからして本格的で、



コレはいい店を知ったかも



私は細麺(手打ちじゃないけど)
の混ぜ麺にしました



オークランドにも店があり、
次男たちの行きつけと知った
のは帰ってからでした。一緒
に行ってみましたが、クイー
ンズタウン店の方が遥かに上


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クイーンズタウン行:食わず嫌いの街

2022年11月16日 | 南島:クイーンズタウン

2021年4月はマンゴヌイ+ワ
イタンギ旅行
の後、再び荷物
をまとめ今度は南島へ出発。

(※眼下は南島らしい眺め)


この旅の方が先に計画してい
たもので延期されたファーノ
ース出張と重ならずラッキー

(※雪を頂く南アルプス)


丸い緑地はハンググライダー
とかパラグライダー用なのか

北島とは違う光景に興味津々


着陸したクイーンズタウンは
雨の中でした。移住後何度か
来ている夫と子どもたち。私
は移住前の2002年に来たきり
で実に19年ぶり3回目の再訪
(※初回は1993年でした)



過去2回の訪問ではあまりい
い思い出がなく、その美しさ
ゆえに観光客や観光業、さら
には不動産開発業などに踏み
荒らされて痛々しく見え、な
ぜか楽しめない場所でした。

(※2002年のクイーンズタウン)


あの時はアジアからの観光客
でごった返す中国正月に、宿
泊先も予約せずに来るという
暴挙に出てしまい、あわや車
中泊というほど空室がなく


大雨の中『満室』のサインが
出ているホテルやモーテルを
私が1軒1軒訪ねて回り、なん
とか夜中の12時近くに見つけ
た開業直後の宿で、2泊500ド
ルの破格で話をつけました。


当時の為替で2泊で3万円
新築とはいえモーテルなのに

でも背に腹は代えられず


名前も場所も記憶にないです
が、敷地からワカティプ湖に
おりられました。4歳の次男



8歳になったばかりの長男

長男用の簡易ベッドが新品で
スタッフが取説を見ながら真
夜中に組み立てていたのを思
い出します。子どもたちは眠
くて眠くて親のベッドで爆睡


2004年の移住後は愛猫の介
護で家族揃っての旅行ができ
なくなり、夫と子どもが出か
けて行くのを内心ホッとして
見送るほど、足を踏み入れた
いとは思わなかったクイーン
ズタウン。食わず嫌いの場所

2009年の夏休みの次男(12歳)


夫が憧れを込めて撮ったワカ
ティプ湖畔で夕食中の老夫婦

(※今や憧れではなく現実)


19年ぶりに気が変わったのは


1)コロナで海外に行かれない
2)デルタが猛威を振るい始め
近くNZに上陸するのは確実
3)自宅の買い替えに着手し、
当面旅行どころではなくなる
4)次男が行ったばかりだった


という条件が重なったため。
前々から再訪したがっていた
夫も大喜びで実現しました。


宿泊はペッパーズビーコン・
クイーンズタウン
。まだ外国
人観光客が来れない時期だっ
たせいか、私たちでも手が出
た4泊で516ドル也19年前
のモーテルの半額でした



でも円換算だと4万3,000円。
その間の円安に愕然とします


ペッパーズ詣でが続いていて

マーティンボロクライスト
チャーチ
に続いて3ヵ所め🏩


コロナ禍でもクッション多数

人もマスクをしていない頃😷


部屋からワカティプ湖が見え



ベランダにも出られます



外に出るや紅葉に目を奪われ



食わず嫌いへの食いつき開始



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夢に出てくるシンボル:『象徴』

2022年11月15日 | 夢の周辺

ちょうど膝枕の夢を見たとこ
ろなので夢の中のシンボルに
ついて再び取り上げます。今
回は『象徴』についてです。
(※前回の話はコチラで)


「私」は最初から膝の上の男
性が知人であることを判って
いました。彼は「私」にとり
身近な企業経営者で『象徴』
としては打ってつけでした。


シンボルは夢のようなあやふ
やで瞬間的な体験を記憶とし
て留めるためには重要です。


「彼だ!」と認識したとたん
本人を取り巻く状況(経営者、
家族持ちなど)が実際と同よう
に認識され、傍観者の自分が
見ていたぼんやりとした状況
に焦点が定まるようでした。


瞬時の状況把握による夢の記
憶の固定化が、象徴の果たす
役割ではないかと思います。


象徴の重要性をはっきりと理
解したのは、2年前に見た夢
コロナは背中からやってくる
でした。NZの新型コロナ対策
を率いて国民的英雄となった
医務技監が出てきたことで、

「コロナは背中からやってくる」
というメッセージをしっかり
受け止め、覚えていました。


別の誰かが同じことを言って
も、特に注意も喚起されず、
メッセージどころか、夢その
ものを覚えていたかどうか


夢を見た後に知ったことに、
医務技監が示していたのは東
洋医学で風門と呼ばれる風邪
を引き起こす邪気の進入路で
した。私は背中の冷えに敏感
で、以前から体調を崩しそう
になると、肩にショールをか
けて背中を温めていました。


なので医務技監のメッセージ
にも、コロナがそこから入っ
て来るという説明にも、夢の
中でさえ大いに納得し、それ
ゆえ起きてからも思い出せる
鮮明な記憶となったらしく、
夢の中の『象徴』の重要性
に気づく一件となりました。


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夢見:膝枕

2022年11月14日 | 浅き夢見し

「私」は公民館のような殺風
景な部屋の、板の間の中央で
正座しています。そこは間違
いなくNZなのですが、端の入
り口からぽつぽつと入って来
る人たちが、アジア人ばかり
で日本人もいるようでした。


みんな「私」の姿に一様に驚
きながら、何も見なかったよ
うに壁際を通って行きます。


「私」は気まずさを感じつつ
も身動きが取れずにいます。


気まずさは、男性が「私」の
膝で膝枕をしながら1人でぶ
つぶつ言っているからです。


私たちはリアルの知り合いで
彼は若い企業経営者でした。


「いったい中小企業をなんだ
と思ってるんだ」
「どんな思いで毎日仕事して
るのか、わかってんのか」
「このままじゃ黒字倒産が起
きてもおかしくない」
「需要があるのに、まともに
商売ができないなんて」


男性のぶつぶつは主に政府に
向けられたもので、事業主に
求められたコロナでの休業や
厳格な対応、その後の品不足
や物価高、そして今のNZ最
大の問題である人手不足に対
する不満で溢れていました。


彼のつぶやきは独り言で、た
またま横になったらちょうど
いい高さのモノがあったので
枕代わりにしたという感じ。


「私」に話しかけている訳で
も、膝枕をしているという意
識もなく、「私」を背に向け
て、固く目を閉じ、腕組みを
しながら横たわっています。


彼の頭はひときわ大きく、重
く、不満がぎっしり詰まった
石のようでした。そのせいか
大人なのに4頭身ほどの子ど
ものような体型に見えます。


企業経営者の置かれている状
況が察せられるだけに、苦し
い心境の吐露に同情しつつ、
起こすまいとしていました。


「私」にできることはなく、
寝た子は起こしてはならない


しかし、その間もこちらを怪
訝そうに見ながらアジア人た
ちが部屋に入ってきます。い
ずれ夫や彼の奥さんもやって
来ることでしょう。夫には事
情を説明すれば判ってもらえ
るでしょうが、奥さんがどう
思うかは判りませんでした。


彼を起こさずに膝枕を解消す
る方法が思い浮かばず、そも
そも頭の重さで立ち上がれな
いほど足が痺れていました。


「どうしよう、どうしよう」
と思いつつ夢が終わります。


=============


雨宿りに軒先を貸すように膝
を貸してはいましたが、夢で
も現実でも私は傍観者です。


経営者たちの苦境に心を寄せ
つつ、一消費者として意識的
に立ち振る舞うばかりです。


彼はそんな経営者の象徴とし
て登場したのでしょう。夢で
よくあるシンボライズ。泡沫
の夢の中で、一目で状況が把
握できることが象徴の役目。


部屋の端を腫れ物に触るまい
と通り過ぎていくのは、無名
で無数の当事者ではない消費
者たち。石のように動けずに
いる「私」は彼らの無言の視
線を背中に浴びていました。


それは十分なサービスを提供
できずにもがいている経営者
たちに注がれるものと、同じ
物だったのかもしれません。


1年前から断続的に続けてい
た家の改装は、コロナ、品不
足、物価高、人手不足を乗り
越えて、なんとか終わりが見
えてきました。関係者に感謝



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マンゴヌイ+ワイタンギ2回目行備忘録:2021年4月

2022年11月12日 | 国内:北島備忘録

2021年4月はデルタ株がイン
ドで猛威を振るっていたもの
の、NZには上陸しておらず
コロナ禍の中休みのようなタ
イミングでした。夫の出張で
5年ぶりのファーノースへ


4泊5日が8本になりました。


=============


NZ一の公衆トイレ

ファーノースの玄関はトイレ


オールドオーク

前回魅せられたホテルに投宿


愛でても愛でても

どの角度から見ても美しい


疑わしくない眺め

サメがマオリに教えた一等地


マンゴヌイ・ドライブ

オフシーズンのビーチ散策


カリカリ半島のマイタイベイ

友人のルーツを訪ねて


ケリケリで朝食を

いい場所を知りました


ストロング&フリー

誰もがそうあるべき


次は再び南島に飛びました


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マンゴヌイ+ワイタンギ2回目行:ストロング&フリー

2022年11月11日 | 北島:ファーノース

2021年4月の2回目のマンゴ
ヌイ+ワイタンギ3日目はワ
イタンギ泊。ケリケリから30
分でどこも近いファーノース

コプソーンホテル&リゾー
ト・ベイオブアイランズ



何度か宿泊している便利な立
地で、水の向こうはパイヒア



コプソーンはミレニアム系の
中国資本のホテル管理大手。

地元有力イウィ(マオリ部族)
が所有する一等地のホテルの
管理委託を受けているのかと
いう話はココでもしました。


コロナ対応なのか、ベッドリ
ネンは最小限でのっぺらぼう

安全第一ですね👷


対岸のパイヒアの埠頭に行き



フェリーで別の対岸ラッセル
に行きました。この近くて水
で隔たる複雑な地形がなんと
もファーノース。カヌーを自
在に操ったかつてのマオリに
とっては、高速道路に囲まれ
たような立地だったのかも



ラッセルの埠頭は左に行けば
有名なデュークこと、老舗ホ
テルのデューク・オブ・マル
ボロ
ですが、あえて右に行き

ゲーブルス


オフシーズンに長期休業する
ため、涼しいオフシーズンに
ばかリ来ていた私たちには立
ち寄る機会がない店でした。



1847年にできた歴史的建造物
の中で愉しむファインダイン
というコンセプトの店



しかし、メニューはパブ飯



サービスも決していいとは言
えずほとんどの客がフェリー
で帰っていくため、フェリー
の時間が近づくにつれてウェ
イトスタッフの態度が変わり

「もう帰るんでしょう」といわ
んばかりで呼んでも来ない


なんとも味気ない夕食で残念



食事の内容はどっこいどっこ
いでも、活気やケレン味のあ
るデュークの方が旅先の食と
してはまだよかったのかも。

でもかつて3年連続で宿泊+
食事をしてデュークは卒業


こうなるとラッセルも卒業

とぼんやり思いつつホテルへ


翌日4日目はまさかの大雨



南国らしい、いや北国らしい
明るい大粒のスコール風の雨

夫は終日仕事へ。私は部屋で
嫌いではないリゾートの雨


夜はパイヒアの水上レストラ
ン、シャーロッツキッチン

ケリケリのアーティスト、レ
スター・ホールの絵で有名


まずは夫お疲れさんで乾杯🍻



場所も食事もカジュアルで



旅先気分を盛り上げてくれて



なかなかいい店です。ここは



再訪します



夜コーヒーもあったし(笑)

(👆ない店も多いので)


5日目はあっけらかんと

晴れました


またの機会に出直します



レスター・ホールはマオリや
キウイアナをフューチャーし
たポップアートで人気の画家


本人は白人男性でマオリ系で
はありませんが、近年、一部
マオリからの執拗な攻撃を受
けていて、画廊が彼の作品を
扱わないことを決め断筆決定


20年の活動を強制終了させた
という報道にはさすがに胸が
痛む思いでした。言論の自由
も表現の自由も悪意がない限
り、認められなければならな
い自由社会で、圧力による創
作活動の停止はあってはなら
ならず、残念でなりません。

ストロング&フリーは今とな
っては彼にこそ贈りたい言葉



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マンゴヌイ+ワイタンギ2回目行:ケリケリで朝食を

2022年11月10日 | 北島:ファーノース

2021年4月の5年ぶりのファ
ーノース3日目。マンゴヌイ
を出てクルマで南下すること
小1時間で到着したケリケリ
ファーノース最大の街です。


マオリ人口も多く、マオリの
地名が多いのもファーノース


カリカリ(魚の群れを釣る所)
とかケリケリ(農業が有名で
「掘れ掘れ」の意らしい)とか


ぜひ朝食に来てみたかった、

オールドパックハウス


パックハウスとは収穫した青
果を箱詰めする梱包作業場。



そんな雰囲気そのままの店



店内にあった新聞記事風アレ
ンジのこの店の来歴によると

ロッド・マクダーミッドとい
う人が第2次大戦中にこの地
を購入し、1960年代に妻の
フロと移り住み、オレンジや
キウイの栽培を始めたそう。


不幸にもフロは若くして病死
し、ロッドは男手1つで4人の
娘を育てつつ、家の地下で収
穫した果物の仕分けと箱詰め
をたった1人でしていました。


1979年にこの作業場兼冷蔵
所が建設され、最盛期には70
人以上が作業をするまでにな
り、親や祖父母が働く傍で子
どもたちが遊んでいる、家庭
的な雰囲気で知られました。

(※カフェの一角は今もこんな)


ロッドはノースランドでの柑
橘とキウイ生産のパイオニア
として、ニュージーランド・
メリット勲章(NZ国王でもあ
ったエリザベス2世により19
96年に創設された勲章)を授
与され、フルーツ、特にオレ
ンジの地として知られるケリ
ケリの草分け的存在でした。

(※ロッド本人や一家を知る
地元民も多いことでしょう)


80年代~2012年までここは
ロッドの娘夫婦が営む製材所
兼家具工房として利用され、
2013年にここを購入した現
在のオーナーはカフェ、青空
市場、パン屋、肉屋、雑貨屋
として往年の姿を保持しなが
らノースランドの生産品のシ
ョーケース、地域の中核たら
んことを目指しているそう。


そんな気概が反映されたキャ
ビネットフードの質の高さ



カフェは地元生産者と密接に
連携し合い、まさに地産地消



水のボトルもベラバッカ

自然に宣伝にもなりそう。


充実したサラダに迷いコレに



美味しいコーヒーとともに



理想の朝ごはんになりました。

まさに「ケリケリで朝食を」


店内の植物もすべて本物で、

フェイクプラント優勢の中で
ぐっとハートを掴まれます


食後は目の前のマカナへ。

有名なチョコレート専門店
ショートブレッドが絶品


オークランドにできた支店が
閉店してしまい北島リアル店
はここのみなので貴重な機会

あれこれおみやげに


72%ダークチョコレート・オ
レンジスナップもお気に入り



ケリケリに来たら誰もが必ず
行くであろうストーンストア

1835年に完成。現存するNZ
最古の石造りの建物で、設計
は宣教師、建設は囚人という
その時代ならではの組合せ


CMS(英国聖公会宣教協会)18
33年は、礎石が置かれた年?



入口のアーチをかたどる、こ
の黄色い石はシドニーから運
んだサンドストーンという当
時の宣教協会の羽振りの良さ



奥のケンプハウスは1822年
完成の宣教師の住まい。現存
するNZ最古の木造建築。二
大最古が隣同士で、宣教師が
早くから入っていたケリケリ



自給自足の生活を偲ばせる、
果樹🍊や畑が広がる広い裏庭




目の前のストーンストア・ベ
イシン。淡水が豊富にあった
ことも宣教師がここに居を定
めた決め手だったそうです。

(※さらに詳しくはコチラでも)


ストーンストア・ベイシンに
注ぐワイぺカコウラ川。今は
柵があって行かれませんが、
以前は石を自由に行き来でき



かつてカメラごと水没経験有

2回水没させたニコンは無事
さすがメイドインジャパン


ケリケリはいつかゆっくり滞
在したいと思いつつ、なかな
か機会がないまま今回も通過


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