ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

タスマニア行:囚人がいれば看守もいる

2024年03月15日 | オーストラリア:タスマニア

2023年3月のタスマニア2日目


世界遺産ポートアーサー史跡
でのハーバークルーズを終え



再び史跡内の散策を再開。な
にせ広い場所なので歩け歩け



海から広々とした高台に続く
刑務所の左側にあたる場所は



かつては今や想像もつかない
ほど、建物が密集していまし
た。その規模はどんなに丁寧
な解説や逞しい想像力をもっ
てしても追いつかないほど。

(※写真は1860年頃)


それらは刑務所を管理する司
令官を頂点とした軍人たちの
執務室や宿泊棟でした。囚人
が増えるにつけ、こうした施
設も増え続けていきました。


立派な石造りの司令部の入口



石とレンガの司令官執務室

大きな窓から刑務所が見え


出入港する船、続々とやって
来る囚人、兵站所に荷揚げさ
れる物資が良く見えたはず。



流刑地ポートアーサーの礎を
築いたチャールズ・オハラ・
ブース司令官。在任は1833~
44年の11年間に渡りました。



ブースは厳格さと公平さで知
られ、すべての囚人を罪状に
かかわらず平等に扱い、制度
に一定の透明性を導入したこ
とは、当時としては画期的で
した。同時に例外を認めない
硬直した管理体制でもあり、
良くも悪くも軍隊的でした。


ブースが建設を急いだ監視塔

19世紀にあっても「中世的」
と揶揄された装飾的な外観


1年間かけて1836年に完成

司令部や兵舎の警備が目的


監視塔の後ろ高台にして最後
部に兵舎3棟がありました。



当初は軍曹1名、兵士15名用
の木造1棟でしたが、1844年
には将校3名、兵士249名に
なり、48年には3棟目が完成

塔から続く階段の先が兵舎跡


この2軒からなるコテージは

タワーコテージと名付けられ
(※監視塔の右後ろにあった)


1854年に完成した現存の営舎

妻帯者の将校向けでした。


模型でもちゃんと黄色い建物

(※左側)


増築を繰り返したのが見て取
れる小さな建物群は司令官の
使用人部屋、洗濯部屋、厩等



1877年に刑務所が閉鎖され、
民間に払い下げられると、建
物の大半は取り壊されたり森
林火災で焼失したりし、レン
ガが持ち出され荒廃した姿に



レンガは官民の建物に再利用
され、今もホバートのどこか
に残っていることでしょう。



元はどれだけの量があったか



多くは建物の擁壁を残すのみ



監視塔は払い下げ後は博物館
になり森林火災も免れたもの
の、タワーコテージは1897
年の火災で半焼。再建後は養
鶏場として利用されたそう。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見:カップル誕生まで

2024年03月03日 | 浅き夢見し

目の前で誕生した初々しいカ
ップル
に顔をほころばせなが
らも、ドーナツ型のガラス張
りの建物の中にいる人は、こ
の世の人ではないという現実
に胸が締め付けられました。


こんなに若くして命を落とし
もうこの世にはいない2人。


=============


褐色の肌に艶やかな黒い巻き
髪の青年は、長年話を聞いて
いた知り合いの友人の弟だっ
たようです。面識のない人な
がら、夢を見ているときから
「彼」だと判っていました。


夢を見る数日前に彼が自ら命
を絶ったことを知りました。


彼はアラブ系ムスリムでした
が比較的リベラルな両親をも
ち、西洋(NZではありません)
の大学を出て、現地で順調に
キャリアを積んでいました。


最近交際を始めた女性は西洋
人のクリスチャン。近く両親
だけでなく親族に紹介すると
いう段階で、イスラエルのガ
ザ封鎖が本格化。女性は親か
らアラブ系ムスリムとの交際
を反対され、交際は破局。彼
は自らこの世を去りました。


「失恋を苦にして青年が自殺」
と一括りにされそうな話です
が、彼を追い詰めたのはたっ
た1人のガールフレンドでは
なく西洋という社会でした。


自分が身を置く社会に背を向
けられ、受け入れられていな
いと感じた孤独と絶望こそが
彼を苛み追い詰めたのです。


=============


命を絶った青年があの世に旅
立つ直前にここで誰かに出会
い、一緒にエレベーターだか
ロケットだかに乗り込むのか
と思うと少し救われました。


彼がどんな思いでこの世を去
っていったのか、その片鱗を
を知る身として、また同じよ
うな年齢の子を持つ親として
も、見たかった光景を夢で見
たのではないかと信じます。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見:カップル誕生

2024年03月02日 | 浅き夢見し

「私」は誰か(多分、夫)と見
慣れぬ建物の前にいました。


それはドーナツ型のガラス張
りの建物で、中心の空洞はど
こか高い遠い所につながって
おり、そこへは超高速エレベ
ーターだかロケットのような
もので飛び出すらしいです。


私たちは外にいましたが、中
には何人かの人がいました。


私たちからは彼らが良く見え
ましたが、彼らからは私たち
が見えないようで、座って話
していたり立っていたり、外
に注意を払う人はいません。


「私」はやや褐色の肌に、ウ
ェイビーで艶やかな黒髪の青
年と、温かみのある長い金髪
の女性に目が留まりました。


2人とも20代後半に見えまし
た。しかし、カップルではな
く、ここで初めて知り合った
のか、初々しい様子でした。


2人は外向きになった椅子に
座っていましたが、女性はし
っかり横を向き「私」からは
艶々の金髪しか見えません。


青年は前を見たり女性を見た
り。まるで彼女がそこにいる
のを確認しては、前を向いて
喜びを嚙みしめているかのよ
うに見え、満面の笑みです。


初々しいカップル💑の誕生
それを目撃し、こちらまで知
らずと笑顔になっています。


その時、音は聞こえなくとも
ドーナツ型の右手奥の方がざ
わつき出し、係員らしい何人
かが足早に向かっています。


すぐに静かになり、立ち上が
ってそちらを見ていた人も再
び座り、何事もなかったよう
にすべてが元に戻りました。


誰か亡くなったんだな」
「私」は自然にそう思い、厳
粛な気持ちになりました。


私たちはガラスの中にいる人
たちが、すでにこの世の人で
はないのを知っていました。


中にいる人が「亡くなる」の
は成仏してエレベーターだか
ロケットに乗る時が来たこと
を意味しているようでした。


(つづく)




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タスマニア行:流刑囚の見た景色

2024年03月01日 | オーストラリア:タスマニア

2023年3月のタスマニア2日目


世界遺産ポートアーサー史跡

刑務所の外には警備室。目的
を知らなければ穏やかな印象
さえ受ける青い屋根に六角形
の見晴らしが良さそうな窓。
しかし、大きな嵌め殺し窓が
無言で目的を告げています。


警備室の前はかつての港で流
刑者だけでなく出入港する船
や物資も監視していました。

今や空き地になった左手には


兵站所がありました。

(※写真は1860年頃)


史跡内には30棟以上の歴史的
建造物やその跡が残されてい
ますが、兵站所の完成は1833
年で真っ先に造られた建物の
1つ。その重要性が判ります。

今は跡地のみ残され芝の更地


兵站所は食料と衣料を備蓄し
ていましたが、最大備蓄量は
3ヵ月分のみ。目の前は埠頭
で物資を運んで来る船の出入
港管理も重要な任務でした。


受刑者にとって兵站所は宝の
山。警備を厳重にしても何度
も強盗に入られたそうです💦

目の前に警備室があるのに


荷揚げのために小さなクレー
ン👇も設置されていました。



1877年に刑務所が閉鎖になる
や建物は荒廃し、1880年の暴
風雨で床が剥がれ、埠頭も流
されて、1884年には廃墟に。


今も海中に残るクレーンの基石



ここからはハーバークルーズ

入場料に含まれていました。


史跡全体が見渡せて、思った
以上に広いことが判ります。



史跡はタスマン半島の縦に割
れた左側に位置し、周囲の岸
が良く見えますがここは海



天気もよく絵のように美しい
風景が広がりますが、ここか
ら南極大陸まで2,600kmほど



冬の寒さや暴風雨には流刑囚
も看守もその家族も苦しんだ
ことでしょう。外の世界から
海と山で隔絶された陸の孤島



島流しのイメージそのもの。

流刑囚たちは周囲の森林
伐採にも駆り出されました。


ここから先は外洋。悪天候な
らその荒れ方はいかばかりか



いくら想像力を逞しくしても
この美しさ。流刑囚の恐れや
苦しみは想像の彼方でした。



しかし、船が折り返し刑務所
が見えて来たときに、突然、



当時と同じ景色を見ている

と思うと鳥肌が立ちました。


流刑先がイギリスから目と鼻
の先のアメリカから、遠路は
るばるオーストラリアに変わ
り、ささいな罪で子どもまで
送り込まれた流刑植民地制度


あのどこかで寝泊まりし、



あの塔から監視されるのか

誰もが食い入るように見つめ
た景色を私も見ていました。


20分ほどのクルーズですが、
深い印象を残す体験でした。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする