ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ブリスベン行:はちみつ山マウントクーサ

2017年08月20日 | オーストラリア:ブリスベン

ニューファームデリの後は、中心部に戻って市バスでココへ。

マウントクーサ
標高287mでブリスベン一高い山
オークランドのワンツリーヒルが182m
ウェリントンのマウントビクトリアが196mだから


これでもけっこう高い

市街地がこんな大きさでこんな距離感。


頂上の見晴らし台やキオスクは1918~ 1950年に建てられた

歴史的建造物


趣があってなおかつ現役というのが

いいね


マウントクーサはかつて、大きなユーカリの木1本を除いて頂上を
切り開いたため、ワンツリーヒルとも呼ばれていたそう。


地元のアボリジニたちはこの山でハチミツを採取していたため
Kuta(ハチミツ)の山と呼んでいたそうで、
Kutaの英語表記がCoot-thaになってクーサになったそう。


なので頂上のカフェはそのままの名前



開拓当初から入植者の憩いの場だったそうです。

1912年の見晴らし台


今でも地元民だけでなく大勢の外国人観光客が来ていました。

直通の市バスがあるので、レンタカーがなくても来やすいです。
観光バスもけっこう見ました。


ブリスベンの近代史は1823年に測量監督ジョン・オクスレイが

一帯を探索して中央の川をブリスベン川と命名したことから開始。


こんなクネクネ川をずっと測量して回ったんでしょうね~



1824年には流刑植民地(Penal Colony)の建設が始まり

1835年にはアボリジニたちは周辺に追われ、疫病の流行や
生活手段の喪失で劣悪な環境に追い込まれていたよう。


1865年



1911年




時代はぐっと下って1988年

ブリスベン万博で街は一段と発展
(※そんなものがあったことすら記憶にない


この辺が



この辺で



この辺が



この辺らしい。



300m未満の山が最高峰というのがわかる

平坦な街並み。
まぁオークランドも似たようなものですが。


とてもキレイな場所でしたが



なにせ暑くて



思考回路が完全にショート

気温そのものより日差しの強さがツラかった


再びバスに乗って中心部へ。

前回9月には1日10時間以上も歩き回っていたのが
信じがたいほど


いろいろやってみたいことや、行ってみたい場所もあったのに
あの日差しを前にあっさり断念
同じ行き先でも時期が大事なことをつくづく実感しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブリスベン行:熱烈再訪ニューファームデリ

2017年08月19日 | オーストラリア:ブリスベン

2月のブリスベン行2日目。
毎日もれなく快晴

ビクトリア・ブリッジの上には


ラグビーテンスの旗



国際大会といえども

それほど盛り上がっているようには見えなかったのは気のせい?
オーストラリアのラグビーの位置づけはこれぐらい?


街ブラするにも朝から暑い



可愛いワラビーたち。



ここはもうとっととフェリーに乗って目的地へ行こう

赤いラインの無料市営フェリー、シティーホッパーに乗船。


キター

この一生懸命走ってる姿がたまらない(笑)


高速の有料シティーキャットにはいつデビューすることか



急いでないし遠くにも行かないのでシティーホッパーで十分

船内ののんびり気分も旅気分にマッチします。


対岸サウスバンクの大観覧車

これも夫が高所恐怖症だから、いつデビューすることか


海もだけれど、河がある街って本当にステキだと思います。



人と自転車専用のグッドウィル・ブリッジ
 


ブリスベンのスカイスクレーパー

若い時だったら「あんなビルで働きたい」と思ったかも。
今は在宅業万歳ですわ(笑)


街を代表するストーリー・ブリッジ

前回は歩いて渡ったけれど、今回は暑すぎる~


フェリーで下を通過



両側ともマンションが増えてきて住宅街に。

刻々と風景が変わります。


起点のノースキーから乗船して

終点のシドニーストリートで下船。
〆て42分


ここからはニューファームの住宅街をテクテクと



樹木の大きさが街並みの古さを物語り



落ち着きと美しい彩りを醸しています



お屋敷と呼ぶべき大きな家もあちこちに。

これは公共の建物かな?


この窓の造りはNZで見ないな~

ステキだけど


家の造りも違うし~



海外の住宅街は歩いているだけでも楽しい



やってきたのは
ニューファームデリ
前回偶然見つけ、夫婦でいたく気に入り、


熱烈再訪

相変わらず地元の人らしいやや年配者で混み合ってました。
年齢的にもちょうど良くなってきたのか(笑)


ここは元がデリなので

メニューが豊富で本当に美味しい


ピアディーナは毎日食べたい美味しさ

フィリングが上品な量なのもツボ


こなれた街のこなれた店

歳をとったときに家の近くにもこんな店があったらなぁ


ここはブリスベンに来るたびに絶対に立ち寄ると思います



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見:3つの帽子

2017年08月17日 | 浅き夢見し

今朝の夢。


「私」はごちゃごちゃしたアジアの市場風の場所にいます。
建物の中ながら、屋台のような土産屋風の店がズラリと並び、
どの店もこまごました安物を店先にびっしり並べています。


この手の場所は散策しても、買い物をすることはまずないのに、
「私」はふと目に付いた帽子を手に取っていました。


それは青いバックスキンのハンチングとフェルトのベレー帽で
2足組靴下のように細いプラスチックの紐でしっかりとまっています。
2つセットで売っているようです。


「私」はバックスキンの深い青に惹かれ、試したいと思ったら
プラスチックの紐が外れてしまい、
帽子の間から別の帽子が飛び出してきました。


「3つセットだったのか
と驚きながらも、飛び出してきた青いチェックのニット帽を
とても気に入り、買うことにしました。


その時、どこから来たのか、
「ボクはあっちで絵を見てるから。」
と、穏やかそうな白人の男性が声を掛けてきて、あっちを指指し
ちょっとはにかんだように微笑みました。


「あ、うん。」
「私」も戸惑い気味に返事をし、あっちを確認してうなづきました。


カーフらしい薄茶の皮ジャン姿の男性が行ってしまうと、
「そうだ!あの人が新しいハズバンドなんだ。」
すっかり忘れていたことを思い出しました。


私たちは中学生のデートのようにぎこちなく、照れていました。
「きっといい人なんだろうな。」
と思いながら、新しいハズバンドのためにもセットの帽子を手にし
お金を払おうとすると、


シャッターが閉まってる
店名も何もないベージュ色のシャッターが完全に閉まっています。
いつの間にか他の商品もきれいに片付けられていました。


「私」は2組の青い帽子を持ったまま棒立ちでしたが、
「明日払いに来ればいいよね。」
と深い自信に満ちて、帽子を持って帰ることにしました。



======================



今日、リアルな私と夫は国籍授与式に参加し
NZ国籍を取得しました。
夢の中の「新しいハズバンド」はNZそのものだったようです。
嬉し恥ずかしの新しい門出、だったのか


英語で「2つの帽子を被る」とは二足のわらじを履くこと。
日本とアジアの2ヵ所でそれぞれ約20年ずつ生きてきた私が、
残りの人生をNZという第3の場所で生きていくのは
「3つの帽子を被る」ことになるのか


飛び出してきた3つ目の帽子もまた、NZそのものだったようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見:721号室

2017年08月16日 | 浅き夢見し

またまた旅行中らしい夢。
夢そのものが旅であることを実感するような夢でした。



======================



「私」は夫らしき人とホテルの狭く長い部屋で言葉を交わした後、
用事で部屋の外に出ました。この辺は漠然とした記憶の断片。


用事を済ませて部屋に戻ろうとすると、部屋が見つかりません。
「おかしいな、おかしいな。」
と心当たりがある辺りをウロウロするものの
部屋番号が連番ではなく、自分の部屋が見つかりません。


普通のホテルではなく、バーだのソファーだのがあるすぐ後が
部屋になっていてドアに番号が貼ってあります。


ドアもホテルのように廊下に沿ってずらっと並んでいるのではなく
バーエリアを挟んで向かい合うようにドアがあるかと思えば、
外側の通路に面してドアが並んでいたります。


外側の通路には外向きに長椅子が設えてあり
外を見ながら座れるようになっています。
何人かがグラスを手に足を組んで談笑しつつ外を眺めています。
もう一杯引っかける時間帯のようです。


焦っている「私」は外を眺めることもなく、あちこち歩き回り
ドアにある部屋番号を確認しては、
「この辺は600番台なんだ~
と思いながら、700番台ではないことにがっかりしていました。


忙しそうなスタッフをなんとか捉まえて尋ねてみると
「あー、その部屋ならコチラですよ。」
とあっさり教えてくれました。


「あった
ホッとしてドアを開けようとすると、ドアの番号は
72の後が、のぞき穴の丸になっているではないですか!
「この部屋は720号室じゃない自分の部屋は721号室よ!」


慌てて振り向き、バーの反対側の部屋番号を確認するところで
夢が途絶えます。



======================



目が覚めた時は、
「あれはホテルというよりも、空港のラウンジだな~」
と思いました。多くの椅子が窓に向かって設えてあったからです。


あえていえば
こんな感じ?


しかし、長い通路といい、狭く長い部屋といい、
客室やバーが一緒になった入り組んだ造りといい、
「あれはクルーズ船だったのかもしれない。」
と、後から思い始めました。


まともなクルーズには乗ったことがないので想像の産物ですが。
考えたら一度も外の景色を見ませんでした。
『7』と『2』は私のラッキーナンバーで夢の中でもちゃっかり(笑)


しかし、迷子になる夢がどうしてこんなにも多いのか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見:マッサージ師

2017年08月13日 | 浅き夢見し

一瞬目覚めたときはかなり細かく覚えていたのですが
その後また寝てしまい、最後の部分を覚えているのみ。



======================



「私」は広い部屋にいます。大勢の人がいてビルの中のようです。
その混沌とした場所をあえて例えれば、社員食堂か避難所か?


社員食堂に思えたのは、長テーブルがいくつもありスーツを着た
日本人ビジネスマンが何人か座っていて、談笑して寛いでいます。
中には元同僚だった見知った顔もありました。


避難所に思えたのは、「私」はそこに宿泊していたからです。
そこでマオリの可愛いほっそりとした少女に出会いました。


少女は11歳で、学校を出たらマッサージ師になりたいと言います。
なぜマッサージ師なのか尋ねると、「手に職が必要だから」と答え
とてもしっかりしています。


少女は練習台になってくれる人を探しており、「私」が請負ました。
実の私も夢の中の「私」も、人に身体を触れられるのは嫌ですが
少女の夢を叶えるために協力することにしました。


気がつくと「私」は半裸になり、バスタオルを羽織っていました。
少女は雨続きで商売道具のタオルが乾かないと困っていたので
「私」の場所に干すように勧めました。


と言っても、個室があるわけではなく大きな部屋の一角を占有して
いるだけなのですが、「私」はバスルームの前にスペースがあり
そこに洗濯物を干すとよく乾きました。


少女は家族が買ってきたコーン入りのアイス2つを手に持ち、1つを
お客の「私」を差し出しながら、自分も嬉しそうに食べています。


「こういうところはまだ子どもなんだなー」
と、しっかりした少女のあどけなさに少しほっとしつつも、
ビジネスマンたちに立ち去る気配がなく、施術が始められません。


部屋には衝立になるものがないので、お互い丸見えなのです。
とても半裸のまま寝転がれるような状態ではありません。


仕方なく「私」はバスタオルを羽織ったまま、所在なげに歩き回り
壁際の一人席で食事をしている、かつての仕事仲間を見つけ
声を掛けました。


彼は見るからに定食のようなものを食べているところでした。
「私」の妙な恰好に驚いたようですが、お互い軽く挨拶をし
彼は相変わらず忙しそうで、バリバリ働いているようでした。



======================



全く脈絡のない夢(笑)
常連の夫も出て来なければ、家に帰ろうとするシーンもなく
かなり変わった構成でした。


しっかりしたマオリの少女が出てきたのは、マオリ女性がミスNZに
なったという報道に接したからかもしれません。


差し出されたアイスはこんな感じ?

もっとコーンが細くて長く、カラフルな紙が巻いてあり
その上にちょこんとアイスが乗っている感じでした。


ビジネスマンたちの存在はハテナハテナ?????
かつての仕事仲間のことは先日ふと思い出していました。
残暑見舞いでも送ってみようか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブリスベン行:初のラグビーテンス

2017年08月08日 | オーストラリア:ブリスベン

私の人生で初上陸だった2016年8~9月のオーストラリア
訪れたのはサンシャインコーストとブリスベン


それから5ヵ月後の2017年2月に再びブリスベンへ。
今度は10人制ラグビー国際大会ブリスベンテンスのために

7人制のスピード感と
15人制の多彩さを
足して2で割ったような試合を期待
何せ初めての大会なので楽しみ


前々日に前乗りしたらブルースの選手と同じ便でした。
フツーにエコノミークラスに乗ってました(笑)
(※まぁオークランドから近いし~)


覚悟していたつもりながらブリスベンは思ったより

暑かった


とりあえずこの辺は行っとけ

ということで


街ブラしましたが



あんまりエンジョイできないレベルの暑さ

オークランドも十分暑いのに、身体が調節できない感じでした。


建物好きなので反射的に写真だけは撮ってましたが

(※ビルの上のアレはなんだろ?)


そのスピードも鈍く

(※あの欠けたような庇は?)


いつもに比べて省略気味



証券取引所ホテルって

1863年というところがスゴい!


冷房の効いたお店に入って涼んでも

買い物がしたいわけでもなく


食欲も湧かずカフェもパス



ピーカンのお天気

オーストラリア以外の選手は大変かも


前回のブリスベンで1日10時間以上歩き回ったのがウソのよう

偶然とはいえ9月といういい季節に来ていたようです。


オーストラリア出身の友人にも
「ブリスベンに行くなら9~10月がいい」
と帰ってから教えられました。

な・る・ほ・ど

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見:リカちゃん

2017年08月07日 | 浅き夢見し

長い夢だったようですが、記憶にあるシーンは
赤ちゃんを抱いてうろたえている「私」。
生後2、3ヵ月の丸々太った可愛い赤子。


「私」は赤ちゃんをのぞき込みながら、動転していました。
「リカちゃん
その子が年上の実の友人であることを知っていたのです。


「リカちゃん、どうして赤ちゃんになっちゃったの?」
傍の夫も動揺しています。夫もそれが誰だかわかっていました。


心配そうにの見つめる私たちとは裏腹に赤ちゃんはご機嫌で
ニコニコしています。その幸せそうな笑顔を見ているうちに
動転も動揺も薄らいでいきました。


なぜ友だちがこんな姿になってしまったのか最早どうでもよく
笑顔に釣られてこちらも顔がほころんだところで夢が終わります。



======================



あまりにも鮮明な夢だったので、暑中見舞いも兼ねて件の友人に
メールを送ってみました。


リカちゃんが赤ちゃんになってしまい、
「どうしよう!リカちゃんがこんなになっちゃった!​」
と言いつつ抱っこしてあやしている夢を見ま​した。


もしかして理香ちゃん妊娠?
ナイナイ

自分が妊娠?
ナイナイ

リカちゃん、アラカン??
そもそもリカちゃんって何歳?


年上だということは知っていても、知り合った30年近く前から
「リカちゃん、リカちゃん
と呼んでいました。私たちを紹介してくれた共通の友人が
そう呼んでいたので、夫や息子たちまでリカちゃん呼ばわり(笑)


それぐらい彼女はリカちゃん人形さながらに、永遠に愛らしく、
可愛らしく、彼女もトシをとっているのがどうもピンとこない!
でもお互いとっくに50代で妊娠なんて冗談を超えてホラー
じゃ、どうして赤ちゃん


本人からの返事は、
> 夢の話、なんだか楽しそう。
> 西蘭家の赤ちゃんになってみたいです(​((​o(​*゚▽゚*)​o)​))♡​
> 私、還暦まであと半年をきりまして、、、、、


そうだったのか
還暦で暦が一周して人生は第2章へ
夢の中で赤ちゃんに戻って「私」を訪ねてくれたようです。
ぜひ還暦は赤いおべべでお祝いしてね。


驚いたけれど、とってもほんわかして祝福に満ち​ていて
誰もが笑顔になるような夢。
リカちゃんの今後の人生もまた、そうでありますように

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンガリロ・ラグラン行備忘録

2017年08月06日 | 国内:北島備忘録

1月に2017年の初旅行として行ってきた
毎年恒例のトンガリロ、そしてオマケのラグラン(笑)
4ヵ月後の5月にやっと旅行記が始まり
7ヵ月後の8月にやっと終わりました
計8本


その間にラグラン再訪してなくてよかった~
とか意味不明な安堵感
周回遅れはなんとか避けたいところ。


ではでは自分用の備忘録です。


トンガリロ・ラグラン行:トンガリロまで

毎年恒例の初詣代わりのトンガリロ行
今年もハミルトン経由でレッツゴー


トンガリロ・ラグラン行:6回目のトンガリロ・クロッシング

何回行っても楽しいし飽きることがないのは自然のなせる技?


トンガリロ・ラグラン行:6回目で初登頂

6回目にして初めてトンガリロ・クロッシングのコースにない
トンガリロ山に初登頂


トンガリロ・ラグラン行:ハミルトンのツーバーズ

下山して再びハミルトン。初めてのカフェへ。


トンガリロ・ラグラン行:ラグランの三冠王

3回目のラグランは地元ロースタリーのラグランロースト三昧
飲食住全てでお世話になりました。


トンガリロ・ラグラン行:ピピファラウロア・トレール

前々から行ってみたかった風力発電のタービンのある場所へ。
往復18kmのワイカト的光景が広がるコースでした。


トンガリロ・ラグラン行:水の町ラグラン

川あり海ありの本当に美しい町


トンガリロ・ラグラン行:ラグランの愉しみ

ナルヌイで波を見ているだけでも幸せな気分。
肩の力を抜きたくなったら、またここへ来よう


さすがに7ヵ月遅れは遅すぎます
後もつかえているので、ピッチを上げていきた~い!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンガリロ・ラグラン行:ラグランの愉しみ

2017年08月05日 | 北島:ラグラン

ラグランは何度も何度も
訪ねて行きたい場所。
ここでの私たちの愉しみは・・・・


ラグラン・ロースト
コーヒーを飲み



タイニーブレッド・ショップ
(ちっちゃなパン屋)と呼ばれる
ルアプケ・アルチザンブレッド
でパンを買い



ナルヌイビーチに行って



ただただ波を見る。

寄せては引いていくのを
飽きもせずに眺め


そこに入って行く人たちを眺め



彼らが波に乗るのを眺め



次の波を待つのを眺め



それをじっと観ている人たちや



見守る人たちを眺め



彼らが帰っていくまで
眺めていても



飽きないものです。



2日目の夜もやっぱり

フードデパートメント


朝も来たけれど

せっかく敷地内に
泊まっているんだから


ホテル内のレストラン同様
せっせと行かなきゃ

(※他の場所に泊まっていても
行ってたと思いますが


ここのピザとサラダがあれば
旅先の食としてはかなり完璧



さらにホームメードの
超人気ジェラートまで付けちゃう

グリーンは抹茶ではなく、
なーんーと
ピスタチオ


長い旅も最後の夜

(※旅行記が長いだけで
ホントは4泊5日


最後の朝はコレから
スタート



相変わらずほとんど満席で
天井の写真ぐらいしか撮れない(笑)



シャック

お客が引いたところを
そっこーパシャリ


朝らしく

ブルーベリーアサイスムージーボウル


夫のは

キャビネットフードだったかな?


最後にラグラン唯一の
チャリティーショップにどっさり寄付(笑)

少しでも地域貢献をしたいと思い、
善が大掃除で出した衣類など
(※親に買わせただけで
ほとんど着てない物が何着も
旅行中ずっとクルマのトランクに
入れっ放しで持って来ました。


2017年1月の初旅行も
天気に恵まれて無事終了

さぁ、日常に帰るどー
(※ってあれから早7ヶ月


超飛び飛びでしたが
長い間お付き合いありがとうございました



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見:マオリの子

2017年08月03日 | 浅き夢見し
長い間大変ご無沙汰してしまいました。
更新していない間もご訪問下さった方々にお礼申し上げます。



1週間ほど前の夢。


経緯はわからないものの、家に小さな男の子が運ばれてきました。
意識がないのか、弱っているのか、とにかくぐったりと動かず
赤ちゃんという大きさではなく、2、3歳に見えました。


黒く硬いウェービーな髪でマオリの子だと思いました。
顔が少し汚れていましたが、外傷はありません。


ふっくらしたベビーファットが残る身体に張り付くように
襟のある格子柄のウエスタン風のシャツを着ていました。


張り付くように見えただけで、よく見るとシャツが濡れており
身体が冷たいほど冷え切っていました。


「これは尋常ではない」と悟った「私」は、男の子の服を脱がせ
自分も裸になって胸に抱き寄せました。
肌の触れ合う部分が驚くほど冷たく、男の子は眼を閉じたままです。
「私」は全身全霊で母性の塊となり、男の子を助けようとします。


そして二人羽織りのように男の子を抱いたままバスローブに包まり
古い洋館風の高い天井の廊下で、右の部屋のドアを開けました。
男の子をベッドに寝かせてあげようとしたのです。


ところが開いたドアの中は海の底のように壁から天井から真っ青で
ドアの前のダブルベッドには白髪の白人の老女が寝ていました。
ベッドもインテリアも白で統一され、美しくも寒々しい部屋でした。


「そうだこの部屋は貸し出したんだっけ。」
「私」は慌ててドアを閉めました。幸いテナントは寝入ったままで
ドアが開いたことには気づきませんでした。


「いつの間にあんな色に塗ったんだろう?」
一つ屋根の下に住んでいながら、「私」は知りませんでした。
「部屋中を真っ青に塗るなんて、私たちの発想にはないなー」
と思いつつも、男の子を寝かせたく慌てて真ん中のドアを開けると、


「あらー、みこと
今度もドアの前がベッドになっていて、知り合いの年配のキウイが
照れたように起き上がるところでした。


「あっゴメンなさい!そのまま寝てて。」
「私」は自分が半裸の上、その部屋を自由に使っていいと彼女に
言っていたのを忘れていたバツの悪さで、慌ててドアを閉めました。


「こうなったら、自分たちの寝室に連れて行くしかない。」
「私」は左のドアから寝室に入り、自分たちのベッドの上に
そっと男の子を寝かせ、バスローブで覆いながら添い寝をしました。
夫もいつの間にか居て、心配そうに男の子をのぞき込んでいます。


その時、男の子は急に意識が戻ったのかパッチリと目を開け
「ボクの物ゴチャゴチャにしないでよ。写真が65枚あるんだから。」
と驚くほどハッキリと言いました。


ベッドの上には男の子の持ち物らしい写真や小さなオモチャが
レジ袋から飛び出るように無造作に置いてありました。
チラリと見えた簡易アルバムには若い黒髪の女性の写真があり
その人が男の子の母親だと察せられました。


2、3歳だと思っていた男の子のしっかりした物言いに
「もっと大きかったんだろうか?」
と思うと、本人の意識が戻ったこともあり自分が半裸でいることが
居心地悪く、バスローブを着て立ち上がって夢が終わります。



======================



2つ目の部屋で寝ていた78歳の友人だけはリアルな知り合いで
男の子も青い部屋の老女も知っている人ではありませんでした。
家は自宅と同じ造りながら、もっと古く大きく天井も高い設定でした。


「この子を助けなきゃ!」
という最初の強い使命感が、意識が戻ったことで急速に萎えます。
極度の気持ちの集中と弛緩が印象にあるばかり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする