移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2022年11月のオーストラリア
6日目。南オーストラリア州
第2の都市マウントガンビア
を出てアデレードへ一路北上
ただただ平地。ただただ直線
退屈を紛らわす美しい農村が
延々と続いていくのには感動
商業施設でもないのに沿道に
は数キロにわたって花が植え
られ、芝も刈られそれは見事
一帯はブドウ畑だったり、
果樹園や小麦畑だったり。
観光名所でもない普通の田園
風景なのにすべてが端正で、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/65/b70de9997d263864726e14d7d91235ff.jpg)
グレートオーシャンロードと
はまったく異なる光景です。
NZでは見ない木の杭と水道管
でできた整然と並ぶ簡単な塀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/df/791039cdde698c2d57391756074631f5.jpg)
動物除けなんだろうか?リサ
イクルが容易そうな地産地消
素材が自然な風景になじむ
温室効果ガスを大量に出すセ
メントを使わない努力が始め
られる以前から、こうして暮
らしてきたように感じます。
道端の遊休地もキレイに芝刈
りされ風力発電のタービンも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/8c/0793db43455c01fd2c7711b7c42cf0e5.jpg)
人工的なものは最小限です。
ここはまだライムストーンコ
ースト(石灰岩海岸)で.小さな
町や村が点在しているはずで
すが、高速道路沿道ではなさ
そうで、店はほとんどなし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/96/480530f43bbea4ad55eec5ebf8ae67c4.png)
(※
https://alchetron.com/Limestone-Coast)
通過するドライバー以外は目
にする者もいないのに、ここ
まで愛情と美意識をかけ流し
た農村風景に心打たれます。
暮らしぶりのゆとりなのか。
ロードトリップにはいい道
ライムストーンコースト北端
の町キースでひと休み。マウ
ントガンビアからアデレード
までのちょうど中間地点。写
真を撮ったり休んだりゆっく
り来て、ここまでで3時間半。
ヘンリー+ローズ
コロナ禍を脱しかけたばかり
の頃ゆえ、ネットで営業が確
認できた数少ない店でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c9/d15b79fc942fa0f6440ef0dd46b61b03.jpg)
確認して行っても閉まってい
ることがまだあった頃です。
カフェ+花屋+雑貨屋のワン
ストップサービスでクルマが
停まっては出ていくような店
ひと息つけてありがたかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e5/f7b011f391a1e7f39a49c53eca7f0ffe.jpg)
手作りスイーツも美味しい
さーて、一路アデレードへ
と思ったら、この大雨
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f6/f537e12c4650029cb855a4c0e2db94e9.jpg)
ワイパー最速が追いつかない
南極からの暴風雨にたじたじ
しかし、雨雲の絨毯攻撃が終
わればあっけらか~んと青空
この辺は降った形跡さえなく
麦穂が風にそよいでいます。
しかし、再び南西から黒雲が
山の向こうは降ってるよね
で、こっちもすぐこうなると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/bc/68c4503b00172b31b3ee8bb82e8ead32.jpg)
ここまで来ればもう市内です。
ただいま~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/3hearts.gif)
所有するホテル
の1室『アデレードの子』(と
呼んでいる)にチェックイン。
2019年4月以来で感無量です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/fb/4c228563dbab70eb51e4d6e43bafac1e.jpg)
ホテルの方針でオーナーでも
自室に泊まれるとは限らず、
別の部屋でしたがそれもよし
悪天候にも阻まれ7時間の運
転でヘトヘトなはずなのに夫
は元気にベトナム料理ご所望
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/63/1c48e9e5ffde3b316d83157c8194fb74.jpg)
クルマがないと行けない郊外
メイキッチン
2018年以来2回目でした。
とにかく混み合う店で大繁盛
コロナの反動が爆発してる(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/9a/572b95fcf3fc6967b55ae90092983aa8.jpg)
夫はビーフフォーでご満悦
私はチキンフォーでHappy
さぁ、いよいよアデレード
2022年11月のオーストラリア
5日目の午後はマウントガン
ビアからポートマクドネルへ
ここもまた『船の墓場』と呼
ばれた海域の一部でしたが、
1860年にポートマクドネル港
が開港するや、ヨーロッパへ
の小麦や羊毛の輸出基地とし
て、アデレード港に次ぐ南オ
ーストラリア州第2位の取扱
高を誇るまでに発展します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7a/7ff8f2da0ba581b67d8c8d1385020129.jpg)
(※
ロブスターだけじゃない)
しかし、華やかな経済成長の
陰で船の航行の安全を確保す
るための地道で弛まぬ努力が
続けられ、それは時として大
きな危険を伴うものでした。
開港に先駆け1856年に最初の
灯台建設計画が始動します。
1857年には建物が完成しまし
たがイギリスに特注した照明
設備を待ち、1859年1月マク
ドネル灯台が点灯しました。
灯台が建設されたノーサンバ
ーランド岬は海に突き出た崖
の上で、暴風雨は元より崖の
浸食により灯台守の安全が危
ぶまれたことから、1881年
に転移し、解体されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/2e/650283b1a863cb5773703c452906dc8a.jpg)
ノーサンバーランド灯台とも
呼ばれた灯台は役目を終えて
(※当時の灯台と灯台守官舎)
灯台跡は展望台になりました。
移転後は陸地に再建。規模も
設備もより拡張されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/b7/30a9df574d988c3109b9fc58338119e9.jpg)
(※1882年移転。写真は1906
年。灯台守とその子どもか?)
現在も同じ場所で稼働中
ノーサンバーランド岬での
歴代の主任灯台守と任期。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/9c/09c642a7a9ac83fd12416cb9ce3f6315.jpg)
厳しい任務だったでしょう。
初代主任灯台守となったベン
・ジャーメインは『マクドネ
ル港の父』ともいうべき人物
灯台操業から7ヵ月後にポー
トマクドネルから40kmほど
北上した地点でオーストラリ
アの蒸気客船アドメラ号が難
破し、89人が犠牲になる痛ま
しい海難事故が起きました。
ジャーメインは荒海の中を小
舟を操ってアドメラ号に近づ
くことに成功し船長をはじめ
数人を救助し、この栄誉で数
数の勲章を授与されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/2e/767c1702897b0f525858e5da81ca3fb3.jpg)
(※ポートマクドネル周辺の海
難事故とアドメラ号沈没場所)
ジャーメインはまた、マクド
ネル港建設に向け、建設地の
調査と選択を任されました。
周辺の岩や岩礁を調べ上げ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/7d/36751822514d6d8e2f17d296d3531708.jpg)
(※克明な記録)
こうしたひとつひとつを記録
していったのでしょうか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0076.gif)
建設地を最終決定し、開港後
は初代港長に就任しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/79/07b2019310702c2b7f3513c09bef857b.jpg)
(※1862年完成の旧税関。港
長事務所もここにありました)
1861年には灯台近くで転覆し
た船の乗組員救助の際、ジャ
ーメインは手の指を数本失う
という大けがを負いました。
灯台跡があるノーサンバーラ
ンド岬に行ってみました。岸
はどこもかしこも岩だらけ。
陸も崩れやすく立ち入り禁止
浸食された石灰岩はボロボロ
でいつ崩れても不思議はなく
グレートオーシャンロードで
見てきたよりももっと脆そう
草木も生えない厳しい環境
ラクダ岩
ここは古の寺院の遺跡のよう
大きくひび割れて浸食が進む
オットセイが昼寝中でした
まるで海上修道院モンサンミ
ッシュエル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_1.gif)
石柱を
十二使徒
と呼んで観光誘致に成功して
いる商売上手なビクトリア州
を真似てあれこれ呼べそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/95/040729e9b7de788c691dfe2992e1df56.jpg)
でもそれをしない南オースト
ラリア州の奥ゆかしさもいい
岬は州最南端でもあります。
晩年のジャーマインはうつ病
となり、1893年7月に失踪。
9月に自分の船の中で亡くな
っているのが発見されたそう。
ほぼ還暦だったそうです。
ポートマクドネル港は陸路の
発達もあり1914年の貨物船
カジノ号の寄港を最後に、漁
港としての道を歩みました。
カジノ号はあのグレートオー
シャンロード建設労働者の
一
大飲み会の契機になったあの
貨物船🚢1924年の座礁も含
め数々の事故を乗り越えて、
1932年にアポロベイで沈没。
バス海峡の荒波の中、満身創
痍で2,500航海したそうです。
2022年11月のオーストラリア
5日目。午後はマウントガン
ビアからクルマで30分ほどの
ポートマクドネルへ
『ポートマック』の愛称で親
しまれ、内陸のマウントガン
ビアの海の玄関口として発展
マウントガンビアを含む一帯
は
ライムストーンコースト(石
灰岩海岸)と総称され、その中
でもポートマクドネルは南オ
ーストラリア州最南端の町。
南極まで5,700kmだとか🐧
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/96/480530f43bbea4ad55eec5ebf8ae67c4.png)
(※
https://alchetron.com/Limestone-Coast)
港らしく旧税関。しかし、そ
れは名前だけで警察署と留置
所、郵便局、裁判所、港長事
務所まで入居していたそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/79/07b2019310702c2b7f3513c09bef857b.jpg)
(※今は宿泊施設
カスタムズハウス)
NZ最南端の町
ブラフを彷彿と
させ、危険な海域の港として
同じような苦労をしたよう。
ブラフと言えばオイスター。
でもポートマックといえば、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/11/d626f2b1bc7087e3d5c79225d887861c.jpg)
(※壁画で有名らしいポートマ
クドネル&地方海洋博物館)
ロブスター🦞
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7a/7ff8f2da0ba581b67d8c8d1385020129.jpg)
1950年代の典型的なロブスタ
ー漁師と漁具。ライムストー
ンコーストは州内随一のロブ
スターやシーフードの産地。
その中でもポートマクドネル
は最大の漁船数を誇るそう。
前夜のロブスターもこの辺で
水揚げされたものだろうか?
2018年に国と自治体が共同で
整備したウォーターフロント
町の歴史の丁寧で詳細な展示
それによると、ポートマクド
ネルは1780年代からオースト
ラリアの東海岸に向かう貨物
船により存在を知られていま
したが、正式な測量を経て18
00年に「発見」されました。
1840年代にマウントガンビア
への農業移民が本格化すると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/c2/0076f15cbb64f372dcd957cbc786b621.jpg)
(※農地が続くマウントガンビア)
旅客と貨物輸送への必要性か
ら、最寄りの港としてポート
マクドネル港建設に白羽の矢
が立ち開発が始まりました。
しかし、石灰岩に覆われ南極
からの暴風雨がたびたび襲う
この地もまた
シップレックコ
ースト(難破海岸)同様に『船
の墓場』で、ポートマクドネ
ルでは21艘が沈没したそう。
1859年に初めてこの地に灯台
が建設されたものの、同年に
40kmほど北で蒸気船アドメ
ラ号が難破し89人が犠牲に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/94/3d3b0b6aac37523f81d8bbd27205e8f8.jpg)
(※アドメラ号)
潮の干満によって見えたり見
えなくなったりしそうな岩。
小さな小舟で操業するロブス
ター漁も危険な仕事でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b2/d67ea4d78699326947c4669dd79b3e71.jpg)
(※停泊中の漁船。1890年)
現在のマクドネル灯台
今は港を抱くように長い長い
防波堤が建設されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a3/f50f20794e65c5225465eaa3878ef8f7.jpg)
1970年代建設。全長1.5km