goo blog サービス終了のお知らせ 

ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

パース2回目行:略奪か定住か

2025年05月19日 | オーストラリア:パース

こうして17世紀を斜め読みし
てくると「オランダはなぜオ
ーストラリアを植民地化しな
かったのか」という疑問の答
えが見えてくる気がします。


一番の理由が、17世紀のオラ
ンダと18世紀のイギリスの植
民地政策の違いではないかと


オランダが16世紀以降の植民
地政策の根幹である短絡的な
「略奪」を目指した一方、イ
ギリスは自国民の「定住」と
いう壮大で長期的な領土拡張
に向け植民地建設に臨みます


オランダはアベル・タスマン
の航海時でさえ香辛料など有
望な交易商品を求めていたた
め、気候条件が合わないタス
マニアやNZの「発見」に価値
を見出せなかったようです。


他方イギリスは国民の定住を
目指したため、農業に適した
平坦で広大、肥沃なオースト
ラリアは理想の大陸でした。


この違いはどこから来るのか


鍵を握るのが1760年代にイギ
リスで始まった産業革命でし
ょう。工業化で農民が職を求
めてロンドンなど大都市に集
中した結果、都市部の人口の
急増やスラム化、衛生状態の
悪化、犯罪の多発など、イギ
リスは産業革命の負の面にも
真っ先に直面していました。


イギリスはジェームズ・クッ
クを送り込み、1770年にオー
ストラリア東海岸の領有化を
宣言した当初より、流刑植民
地構想があったそう。軍とタ
ダ同然の労働力である囚人に
社会インフラを整備させ、一
般人が土地を購入して移り住
み「新大陸」を領土とするー
これぞオーストラリアの歩み


また、17世紀を飾ったオラン
ダはイギリスの台頭に手こず
り始め、新たな植民地獲得の
負担を負うより東インドでの
既得権益にしがみついている
方が効率が良かった可能性も


タスマンとクックを比べても
ともに海洋探検家とはいえ、
商人と軍人という決定的な立
場の違いがあったと思います


命がけの航海とはいえ、東イ
ンド会社に雇われたサラリー
マン的(私にはそう思える)な
タスマンと、英国王の命を受
け「地の果てまで行きたい」
と燃えるような野心と類まれ
な統率力を併せ持ったクック


特に原住民との武力衝突の際
には、対応の違いが際立った
のではないかと想像します。

(※ジェームズ・クック)


しかし、タスマンとクックは
120年以上の時を隔てながら
も共通のミッションとも呼べ
る期待も背負っていました。


それは、西洋で紀元前から一
つの仮説としてあった伝説の
テラ・アウストラリス(南方大
陸)
がニューホランド(今のオ
ーストラリア)のことなのかど
うかを証明することでした。

(※オーストラリア大陸「発見」
以前1531年の地図。科学的根
拠のない南北の陸地の均衡と
いう概念だけに基づいた仮説
で南方大陸が描かれています)


さらに「南方には金銀がザク
ザク出る幻の大陸がある」と
いう、これまた根拠のない言
い伝えもあり、伝説解明の名
誉と財宝の一挙両得という密
かなミッションもあったよう

(※1570年の地図。地図の出
所はいずれもウィキペディア)


イギリスはクックの探検でオ
ーストラリアが大陸であるこ
とを把握していながら、さら
に南方に大陸があると主張し
再びクックを派遣。財宝への
夢が捨てきれなかったのか⁉️


1773年、一行は南極圏に到達
しますが人が居住できる地で
はなく「伝説の大陸の発見に
は至らず」と結論づけます。


そのオーストラリアで19世紀
にゴールドラッシュが巻き起
こったのは、なんとも皮肉😆


話を再び17世紀の西オースト
ラリアに戻しましょう。1694
年に消息を絶った船の「生存
者の発見」のために、2年後の
1696年にニューホランドに送
られたオランダ東インド会社
のウィレム・デ・フラミング

(※出所:ウィキペディア)


おとぎ話のロビンソン・クル
ーソーを探し出す
ような内容
の密命で、デ・フラミングは
ロットネスト島と1697年には
今のパースにも到達します。


ちなみにスワンリバーも『ス
ワン川』(Zwaanenrivier) と
したデ・フラミングの命名。
初めて黒鳥の存在を知ります

(※河口到達を描いた18世紀の
版画。出所:ウィキペディア)


一行は西海岸を北上し、偶然
ダークハートッグ島に到達し
1616年にディルク・ハルトフ
が遺した白目製の大皿を81年
ぶりに発見し持ち帰ります。

(※ダークハートッグ島)


皿は今でもオランダの博物館
に展示されているそうです。


デ・フラミングもここに白目
皿を遺しましたが、その話は
またいつか別の機会にでも。


次回はデ・フラミングが『地
上の楽園』と呼んだロットネ
スト島に戻りたいと思います


やっと21世紀に帰りまーす😓




コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。