ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ行:運河の向こうの日常

2018年02月09日 | ハワイ:オアフ島

ワイキキのこんな雰囲気はステキだけれど



たくさんの家が建つ地元民が住む山側も

気になってしまう質の私たち。


ワイキキの非日常に比べ、そこには日常が広がっているはず。



まずは川を越えて・・・・・と思ったら、



これはアラワイ運河という2.4キロの人工水路でした



1928年に水田や湿地の排水のために建設され、実質的に
観光地ワイキキと地元民居住区の境界線となっているそう。

(※ハワイでよく見かけたアウトリガー付きカヤック)


ダイヤモンドヘッドを正面に右がワイキキ



運河の向こうの高層はホテルではなく、いかにもマンション



ワイキキ側は再開発が顕著で

緑の囲いの中は工事中


完成したらこの古い集合住宅の日当たりはガラリと変わりそう。

不動産業者曰く、ハワイのその辺の規制は非常に緩く
早い者勝ち、造った者勝ちなんだそう


ワイキキ側の民家はいずれ高層建築に取って変わられるのか?



がんばって残っても固定資産税が高そ~

でも目の前が水路の一等地


居住区側には広々とした公園が広がっています。



水路を渡って生活観のあるエリアに入ってきました。



ここはかなり混み合っていました



やっぱり旅はこうでなくっちゃ

現地の日常を垣間見たい。


やってきたのはこの店でした




ハワイ行:ワイキキの鎮守様

2018年02月08日 | ハワイ:オアフ島

ダイヤモンドヘッド詣が終わって再びテクテクテクテク

こんな丸みを帯びた屋根って珍しい
布洋折衷
(※ハワイ=布哇)


再びワイキキに戻ってきました。

宿からグルっと一周して10kmぐらいでした。


ビーチ



みんな楽しそう



ザ・ワイキキ

という光景、なのかな?


こんなのも



世界に冠たるビーチとしては

思っていたより小さく感じました。


このこぢんまり感が逆にいい。

コートダジュールとかスゴーい規模ですもんね。


観光客の皆さんに交じってホームレスの皆さんも。

ヒロも多かったけれどワイキキも多かったです。


ハワイのホームレスに関しては前にメルマガを書いていました。
よかったらご覧下さい。
Vol.0729 ~家を失った普通の人たち~


グルグル歩き回って

ハイアットリージェンシー


とりあえず午後ラテ

アメリカンでした(笑)


ツインタワーの間はこんな風になっていました。



その後はリニューアルしてオープンした

インマケ
(と日本人は呼ぶらしい)


巨大バニアンツリーがアイコン



中庭というよりも植物と建物が一体化しています

この木は1800年半ばにNZ人マクファーレン夫妻が植えたもの
なんと植樹で、しかも、
NZ人つながり


1956年にインマケ前身のワイキキ・ビレッジが誕生します。
この木の上にあったツリーハウスはラジオ局だったこともあり



ビレッジの開発を指揮したアメリカ人ドン・ビーチが暮らし
店を構えた場所でもありました。

1957年のドン・ザ・ビーチコマー


実は彼、ハワイに来る前に全米で同名のレストラン網を展開
しかし、離婚を機に元奥が全店を掌握し、彼はハワイに都落ち・・・
という経緯があったようですが、ワイキキにとっては勿怪の幸い。

彼が持ち込んだポリネシアン・ビレッジというコンセプトが


当たりに当たり、ビレッジは大成功

ドンのダンサーはタヒチ人たちだったそう


今でもダンサーはハワイ人ではなさそうな人が多いような?

クックアイランダーとかもいそう。


ツリーハウスはモダンに造りかえられ

ミニミニ博物館になっていました。


樹齢150年以上の老木はワイキキ発展の生き証人。

まさにこの地の鎮守様



観光客ウケしそうな場所やものに事欠かない場所ですが

どうも私たちはこの地に「観光地」を求めていないようで


これみよがしの観光客仕様にはあまり心惹かれず



それよりもありのままの自然や



普通の人たちの暮らしが気になって



ビーチよりも川向こうのごちゃごちゃした住宅街に興味が



いつも絶賛行列中だった丸亀(笑)

この行列もある意味、観光地体験なのかな?


ハワイ行:ダイヤモンドヘッド詣

2018年02月07日 | ハワイ:オアフ島

2日目はウォーキングシューズに履き替えて

住宅街をトコトコトコトコ


初めてなのにワイキキには目もくれず

というかこんなに遠ざかって(笑)


歩きます

民家の感じがNZと違って興味深い


やってきたのはココ

ダイヤモンドヘッド


ハワイ語ではレアヒといい「ツナ岬」
(※ツナの背びれに見えるらしい)
英語の名前は19世紀に
「ダイヤモンドが出る
と勘違いされてついたそう(笑)


上から見ると円形の立派なカルデラ

横からの写真が有名なのでちょっと意外な発見


私にはライオンが寝そべっているように見えるけどー

(※1880年)


一帯は軍事上の要所として1906年にルーズベルト大統領の下
連邦政府が買い上げ、ルガー要塞として1950年まで使用され
頂上までの道は軍事用に建設されたものなんだそうです



でも、今回は先を急ぐのでサクッと見た程度

ふむふむ
(↑わかったつもり)


入り口到着



円形だからトンネルがないとカルデラに入れないのかー



トンネルを抜けると



雪国どころか

ドーンと緑のクレーター


その向こうが頂上



テクテクテクテク

よく整備された道です。


振り向けば山肌の住宅地

家がびっしり



確かに軍事目的のものがいろいろ。



あそこが頂上らしい。



こんな階段も軍事用

他の道もあったけれど、上ってみましたん


さらにこの螺旋階段を上ると



わぉぉぉお

ザッツ・ハワイな海
兵士たちはここから日々水平線を眺めていたのか?


360度の絶景



ワイキキ・ビーチ



緑も美しい



でも一番感動したのは足元の海の美しさ



時代とともに街は変わっても

ずっと変わらない美しさ


「ここは毎回来なきゃ

と思うほど感動しました


「危険」「立ち入り禁止」
って書いてあるんですけど(笑)

インスタ映えする景色でみんな一生懸命
(※という記事を10ヵ月後にあげてる私


下りは別ルートで



あっという間に下りてきてしまいました。



「NZでいえば、マウント・マウンガヌイかな?」
と思ったら、マウントもダイヤモンドヘッドも
標高232メートルでした


帰りしなにランチ

ダイヤモンドヘッド・マーケット&グリル


ハワイはどこでも新鮮なサラダがあってウレシい

リリコイ(パッションフルーツ)ジュースと。


夫はどこに行ってもコレですわ



エビLOVEの私はガーリックシュリンプ



さて、ダイヤモンドヘッド詣も終わったし
ワイキキ・ビーチでも行く


ハワイ行:ワイキキ入り

2018年02月06日 | ハワイ:オアフ島

旅行記29本目にしてやっとホノルルのあるオアフ島入り
行ったのが2017年3~4月だったので、
来月で丸1年になってしまう


いきなりエアビーにチェックイン(というのか?)

(※本当に途中の写真が皆無でした)


入社3日目の頼りないけれど愉快なハワイアン運転手のタクシーで
夫がネットでナビを確認しつつ、やっとたどり着いクヒオ通り沿い。


窓の外は

まるで香港


早い者勝ちの無節操なビルの建て方といい
狭いスペースぎりぎりの立体駐車場といい
3、4かきで泳ぎ切れる狭いプールといい
日当たりの悪い側の日中からの暗さといい
家の中やテレビ番組まで丸見えの近さといい



NZ移住まで長年見慣れた景色に思いがけず遭遇。

この小さなプールでもマンションの管理費って
跳ね上がるんですよね~(経験者談)


山側も、香港に比べたら高層建築はスカスカながら山肌の家々が

ビクトリアピークに続くミッドレベルの住宅地にそっくり。


ついさっきまでのこんな光景の対極で

ハワイの奥行きの広さを実感しました。


こんな街中にこそ



こーゆー人たちがいる

ハワイ島では一度も見なかったのに。
(※板載せて走っているクルマは見たものの)


ニュースキンが会員の一大集会をやっていて

大きなホテルは中国語の垂れ幕だらけ
誰が売り誰が買っているのか一目瞭然(笑)


あっという間に日が暮れて、夜は徒歩圏内のここへ。



丸亀製麺

ハワイ投資をしているキウイの先輩の一押し(笑)


ベリーグッド・ジャパニーズ・ヌードル
と大絶賛で、ハワイに来るたびに並んでいるよう。



私たちも1時間近く並びました

普段は「行列のできる店」はスルーな方ですが、
この店は朝にでも行かない限りいつも行列なんだそう。


私は日本でも行ったことがなかったので



なんだか新鮮



あまりの客数に店員さんたちはかなり必死の様子でした。

みんな観光客で時間があるから、ドンマイ


思った以上に揚げ物オンパレード

消去法でも揚げ物しか残らず。


結果、普段は食べないのに、こんなことに(笑)

エビ天2本はいくらなんでも多かった


さくっと食事を済ませて、食後はこちらに移動。

ハワイ島から着いたばかりの身にはコナ・コーヒーが
無性に恋しい


ハワイ島ではココばかりだったくせに(爆)



ワイキキ滞在は不動産投資情報の収集も目的だったので

さっそくヒルトンからこんなものをげっとん。
ハワイ島とは全然違う時間が流れ始めました。


ハワイ行:アメリカ最南端のパン屋

2018年02月05日 | ハワイ:ハワイ島

ハワイ島南西ホナウナウのペインテッド教会を出てさらに南下。

辺りは行けども行けども火山岩


建物らしきものはほとんどなく

岩がゴロゴロするばかりで植物はごくわずか。


暖かいせいか、不思議と荒涼とした印象はなく

岩の黒さが青空に映えました。


島を一周するハワイ・ベルトロードがあるばかりで

他には何も見当たりません。


やっと村らしい村にたどり着きました。

島の最南端の集落ナアレフ
南周りだと他にランチを食べられそうなところがなく
最初から立ち寄るつもりでいました。


エアビーのオーナーにも必ず寄るように言われてましたが

ココっ


営業しているのが信じがたい

オンボロさ(笑)


ちょっと立派な建物は、

やっぱり郵便局
なぜか郵便局ってどこも立派。州のではなく国のだから?


建物も古けりゃクルマも古い

よく車検通ってるなー(笑)
(※NZにもどっこいどっこいなのがありますが


それでも交通の要所なのかレストランが2、3軒ありましたが
お目当てはココ
 
プナルウ・ベイクショップ


アメリカ最南端のパン屋

なんだそう。確かにそう


店は観光センターも兼ねていて



日除けになるキオスクや池もあって

かなりの広さ。


19世紀にサトウキビ農園に入植したポルトガル人が持ち込んだ
スイートブレッドが看板商品

同じポルトガル発祥のものが日本ではカステラ
マレーシアではマーライカオになったとみられ
スイートブレッドもポルトガルつながりの姉妹品


ここはドライブインも兼ねていて料理も充実していました。

どこに行ってもこればかりの、私のシーザーサラダ


夫はロコモコ



食後はマラサダ

これもポルトガル語なんですね
マラサダ=ハワイだと思っていました。
コーヒー栽培といいポルトガル系の影響が色濃いハワイ


私たちもシンガポールに住んでいたときは、マレーシアのマラッカ
香港に住んでいたときは、すぐ隣のマカオと
大航海時代を経た国だけあって先々でポルトガル系にご縁あり
美味しい物がたくさんある文化なのもありがたい


美味しいだけでなく店全体に温かさが感じられる

素敵な場所


手頃なお土産も揃っていて助かりました。

いろいろなフレーバーのクッキーを買いました。


プナルウを出た後は島の西側とは対象的に



緑豊かな光景



そして青い

空と海


これが同じ島なのかと思うほどの違い



どちらもハワイ島の素顔です。



平らな土地も多く農業も盛んのよう。



ベルトロードという命名が納得できる眺め



左ハンドルでもなんとかなる(by夫)交通量

このまま島を一周して空港へ


ポリネシア文化と西洋文化と日系文化が混じり合う

私たちの来し方を見るような場所だったハワイ島
これから何度も何度も訪れそうです。


「よろしくねっ

「・・・・・・」


ハワイ行:聖ベネディクト・ペインテッド教会

2018年02月04日 | ハワイ:ハワイ島

前のオーナーの趣味らしく、ちょっと和テイストでもあった

カイルアコナのエアビー
アメリカ本土からの新オーナーのもとでどう変わるのか?
2人でせっせとDIY中でした


2泊3日だった街を後に



ハワイ・ベルトロードの州道11号線をさらに南下



目指したのは
聖ベネディクト・ペインテッド教会
これは正式名で、
通称はペインテッド・チャーチ


「塗装教会?ペンキを塗っただけの教会ってこと?」
英語でも日本語でもなんともチープな響きだったので(笑)
「一夜城的なも?」と思いつつ、名前が気になってやってきたら


ホナウナウの丘の上に立っていたのは小さな白亜の教会

さすがカトリック教会


華麗さや緻密さがプロテスタントととは全然違い
木造建築でよくぞここまで!という繊細さ。
 
でも、ずっと白壁でどこが塗装教会


と思いつつ、一歩中に入るや・・・・・・







正面の輝くばかりの白い祭壇以外は



天井といい壁といい柱といいあらゆる面が

壁画で覆い尽くされています


それは宗教画だったり



ヤシが繁るハワイの風景を模したものだったり。



ヨーロッパの教会だったらフレスコ画となりそうなところも



遠近法を活かして奥行きをもたせて

平面を限りなく高く深く押し広げ
小さな空間に巨大な宇宙を生み出しています。


なんという情熱。なんという宗教心。
寝食も忘れ一心不乱に自分の魂まで塗りこめたような絵。

描いたのは教会を建てたベルギー人宣教師ジョン・ベェルゲ神父


1899-1902年にかけて教会が建設され、その後絵が描かれたそう。

神父は絵画の教育を受けていない我流画家だったそうで


流派や技巧に頼ることなく、ほとばしる情熱を

これでもか
これでもか
これでもか
・・・・・

・・・・・

・・・・・


と絵筆に込めていったからこそ、宗教というものを超えて

観る者の心を打つのでは。


振り向けば極彩色の空間が闇に沈むような外の眩さ。



外に出れば丘の向こうはただただ碧い太平洋



こんな場所に眠る幸運を得た人たち



いかついトラックでやってきた白シャツの男性が

教会の入り口にひとり座って、いつまでも海を眺めていました。


ハワイ島は雄大な景色に感動しきりでしたが、
建物としては最も忘れがたい場所になりました。

カイルアコナに来るときは必ず立ち寄りましょう。


ハワイ行:カイルアコナの夕陽

2018年02月03日 | ハワイ:ハワイ島

コナ・コーヒー三昧で思いがけず長くなった1日。
一番の繁華街カイルアコナに戻った後は駆け足


モクアイカウア教会

ハワイ最初のキリスト教会


1820年に建設が始まり1837年に完成した

会衆派教会
カメハメハ2世の許可を得てここからハワイでの教化が開始。
最初は木造だったそうですが何回かの火災を経て
現在の石造りになったそうです。


内装はハワイ原木のコア。



尖塔は一帯のランドマークで教化の象徴のように見えます。

石造りに造り代えられるとき、土着宗教の神殿ヘイアウの
石が使われたというのが新時代の幕開けを象徴するよう。


正面のひときわ優美なイギリス風の建物は

かつての王族の別荘だった

フリヘエ宮殿

今は博物館になっていますが、時間切れで訪問できず


たまらなく可愛いハワイ王朝の紋章



こちらは商業施設のランドマーク

コナ・マーケットプレース


そして

コナ・イン


本来だったらここでカクテル片手に



沖を行くカヌーでも見ながら



夕焼けを楽しむべきなんでしょうが

(※風見鶏の代わりに風見舟


私たちはこちらへ。

前の日に雲で夕焼けが見られなかった場所


イギリス風の小さな教会前のビーチにつながる静かな庭



一緒に夕焼けを見ていたのは番のインドハッカだけ。



なにせ夫は大の夕焼けフェチ

タイミングはもちろん場所も重要(らしい)


排水用なのか通気用なのか石壁にはいくつも穴が開いていて



インドハッカがそこに納まって夕陽をみています。



鳥にもわかる美しさ

まるで演出のようにカヌーがゆっくり横切っていきました。


この熟れた柿のような色は空気中の火山灰の乱反射なのだと
画廊のご主人がお客さんに説明していました。

だから、ハワイ島の西側でしか見られない夕陽なのだと。


何気ない1日であって感謝の念でいっぱいになる荘厳な輝き

沈んで行く陽とは反対に、明日もがんばろうという
前向きな気持ちが心の中で昇ってくるようでした。


夜はフォスターズ・キッチンという店へ

スポーツバーのような店で
これがアメリカ的なレストランでもある?


2階で眺めがいいかなーと思ったら
 
暗くてほとんど何も見えませんでした(笑)


お料理もアメリカン(爆)



店内はほぼ満席で予約なしで座れたのはラッキーでした。



こんなに食べていたとは



男性から女性への転換でホルモン投与を始めたらしい
トランスジェンダーのウエイトレスがサーブしてくれてました。


お店の出口に書いてあったマハロ
ハワイ語で「ありがとう」

自分に正直に生きる若い彼女の姿に逆にこちらが
ありがとう
正直なことは強くて潔くて美しい


ハワイ行:コーヒー三昧の長い1日

2018年02月02日 | ハワイ:ハワイ島

かつての典型的な日系コーヒー農園だった内田博物館の後は



ケアラケクア・ランチ・センター(KRC)へ



ランチはlunchではなくRanchなので

ケアラケクア大牧場
アメリカやオーストラリアではランチと言うけれど、
NZは国土が狭いせいか牧場(ファーム)ばかりなので
なんだか新鮮な響き


そこにあるチョイスマートというスーパーへ。

ここに入っていた(らしい)カフェに行きたかったのですが
もうなくなっていました。


ここもグリーンウェル一族の所有で

1870年にできたグリーンウェル・ストアの実質的な後継店
でも、一族の話になったらあと3、4本はいっちゃうので
ここは端折って、



超遅めランチに

なかなか素敵なラナイ(=ベランダ)がありました。


地元産の詰め合わせ的シーザーサラダ



目の前は20世紀初頭の建物らしいコナ劇場

一帯はオールドコナとも呼ばれかつての町の中心部


今やカイルアコナに人の流れが移り

すっかりノスタルジックな場所になってしまったよう。


その後は高台から海辺にかけての下りのドライブ

やってきたのはキャプテンクック記念碑の近く


でもなんでもない場所で、単なる迷子

会えるものなら会ってみたかったウミガメ
いたのは地元の人だけで、道だけ聞いて退散~


無事着いたのは

ケアラケクア湾州立歴史公園
ケアラケクアは一帯の地名なんですね


みんながスノーケルやカイヤックを楽しむビーチの奥には



石を積み上げ農耕の神ロノを祀ったヒキアウ・ヘイアウ

ハワイの人には神聖な神殿跡なのだそうです。


湾の対岸に当たるのがキャプテンクックが没した場所

イギリス人としては最初にNZに到達した人でもありますが
記念碑まではカヤックでしか行けないそうで望遠で見ただけ。
(※一応陸路もあるようですが、時間も用意もなく要再検討)


その後は再び博物館があったコナ史学会博物館に戻り



今度はグリーンウェル農園見学



この手のコーヒー農園見学はどこも無料のようで



ツアーが終わったらコーヒーを買ってもらうという趣旨のよう



コーヒーの木を見せてもらったり



実がコーヒーになるまでの説明を聞いたり



作業場を見学したり



でも私はたわわになっているアボカドに痛く感動

(※常に感動ポイントがズレてる件)


美味しいコナコーヒーもご馳走になり
チョコでコーティングした手作りのマカダミアナッツなど購入。

(※家ではネスプレッソの軟弱なヤツ


ハワイ・ベルトロードの州道11号線を北上して

コーヒー三昧だった長い1日を終えてカイルアコナに戻りました。


ハワイ行:内田博物館

2018年02月01日 | ハワイ:ハワイ島

今年ももう2月ですね。
2017年3~4月の生まれて初めてのハワイの旅行記
なんとか9ヵ月遅れの1月中には終えたかったのですが


終わるどころかどんどん長くなり
最初の訪問先ハワイ島からすら脱出できず(笑)


初めて訪れる場所は見るもの聞くものすべてが新鮮で
ついつい長くなってしまいます


もうしばらくお付き合いを



=============



H.Nグリーンウェル・ストア博物館を出たあと、すぐそばの

コナコーヒー・リビング・ヒストリー農園


リビング・ヒストリーですから、生きた歴史
過去を再現するのではなく保存したままの展示です。
かつての典型的な日系コーヒー農園が見られる貴重な場所。


通称「内田ファーム」と呼ばれているそうですが

受付兼おみやげコーナーには見事な毛筆で書かれた
内田博物館


キャビネのドアは全て洗濯板
ここからしてアガる昭和生まれ(笑)
(※生家は生まれたときから洗濯機だったけれど)


庭ではロバが草を食んでいました。

かつては重要な輸送手段でした。
カワいい~


パパイヤ



パイナップル



バナナ

他にもアボカドやマカダミアナッツも。


菜園

青々した新鮮な野菜


えっいきなりコーヒー



青い実がびっしりなっています。



農園の中に立つ内田家

一家は1925年にコナにやってきて翌年にこの家が完成。
そのわずか3年後には大恐慌
大変な船出だったことでしょう。


ちょっとした生垣も自然で実用的

目隠しにもなって花や緑が目に優しい。


素朴な木目に映える植え込み



和風にアレンジされた素敵な玄関

実用のための番傘や下駄が実に美しい


一歩中に入るや、そこはもう

日系「大草原の小さな家」(笑)


初めて訪れたのに胸が苦しくなるような郷愁



私は過去世のどこかで移民だったことがあり

ほの暗い家の中から眩い外を眺めていたことがある
と根拠はなくても確信してしまうような光景。
NZでも同じような事を何度も経験しました。


貧しく大変だったけれど、一家で団結して生き抜いた人生

家族のありがたみが骨身どころか生まれ変わっても残るほど
深く深く刻まれた過去世だったような気がします。


それ以外、初めての光景に目が潤んでしまう理由がわかりません。

ここは台所で、大きな蒸し器


農園に持って行くお弁当の袋

丈夫な米袋を再利用


このタイムマシーンのようなものは

オーブン
何を焼いていたのか?


煮炊きは釜で。

暑いハワイの家の中で、火を使うことは重労働
キッチンの風通しは何よりも重視されたそうです。


寝室

日本から引っ越してきたときに持ってきた柳行李
子どもの頃に生家で見たことがあります。


日本で見慣れた規格とは違う小さな布団



天井はトタン屋根の熱が下りてこないよう

白い布で覆われていました。奥はタンス


外ではコーヒー豆干しの実演

ホシダナ(干し棚)と呼ばれ


棚の下にはローラーがついていて

女子どもでも屋根の下に出し入れできました。


コナは午後になると雨が降るので、その時だけ

豆をしまえるように日系人が考案したものだそう。


1960年代生まれぐらいの日本人であれば

初めてであってもどこか懐かしい内田家
1994年まで実際に家として使われていたそうです。


私もいつか、どこかで

大草原の小さな家に住むローラだったのか(笑)


行けてよかった