ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ6回目・フレーザー島行:メリーポピンズの街

2021年05月10日 | オーストラリア:フレーザーコースト

2018年9月のフレーザーコースト
で最後に立ち寄ったメアリーバラ。


2大中心地のもう片方ハービーベイ
は美しい海と地元民で活気があり



大きなホテルも何軒かあったので



クルマで入って来た時からメアリー
バラの旧態依然の寂れた印象は強く



歩き始めるとさらに強まりました。

商業施設の空室や売り物件が多数


小さな街の限られた中心部にして



これだけの件数ということは
地元経済が推し計られます。



閉店を知らせる紙



この店も売りに出ていました。



19世紀に建てられたホテルの多く
は低所得者向け住居になっており



植木鉢や洗濯物に生活感があり
宿泊施設としてはほとんど利用
されていないのではないか?



完成した頃は街のランドマーク
だったであろうロイヤルホテル



民間職業斡旋所ももぬけの殻



教会系慈善団体。寄付の受付と
食料を無料で配るフードバンク
を兼ねているのかもしれません。



ここもフードバンクで、人が
盛んに出入りしていました。

いずれも大きな通りの路面店で
需要の高さがうかがえます。


隣の中華料理店の名前は『幸運』




街の散策を始めてすぐに気づいた

この信号


誰もが笑顔になってしまいそう。



そしてメリーポピンズの銅像も。

ミュージカルや映画でおなじみ
傘をさして空からロンドンの
街に舞い降りたスーパーナニー


原作者でイギリス児童文学作家
パメラ・リンドン・トラバーズ
はメアリーバラの出身でした。

右手の銀行の2階で1899年誕生
父親が銀行の支店長で、一家は
2階で暮らしていたそうです。


メリーポピンズが銀行家バンク
ス家で職を得るのも、幼少時代
の経験が基にあると言われます。
てっきりイギリス人だと思って
いたのでオーストラリア出身に
びっくりやら身近に感じるやら。


2020年にミュージカルが来た
時は、いそいそ出かけました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:20世紀初頭で立ち止まり

2021年05月09日 | オーストラリア:フレーザーコースト
2018年9月のオーストラリア
はフレーザーコーストで最後
に立ち寄ったメアリーバラ。


19世紀には州都ブリスベンに
拮抗するほど勢いがあった時
期もあったそうですが、今は
大きく様変わりしています。


視界に飛び込んで来るひと際
大きな建物は全て当時のもの。

1879年に完成した教会と
1887年に完成した鐘楼


当時の栄華、教会の権勢を



今に伝える大きさと壮麗さ。



街のシンボル市議会堂

1908年完成


今はクリニックになっていた
1888年の建物



これも19世紀末に建てられた?



1876年のホテルと思われる建物



1882年の駅舎



教会と道を挟んだ1898年からの宿



アールデコ風に手直しされて
(※それでも100年近く前)

今は週140ドル(1.2万円)の木
賃宿か低所得者の住居のよう。


メアリーバラは運輸、金、羊毛
サトウキビ輸出の主要地として
関連する機械製造や造船も発達
した、工業の街でもありました。



しかし、金の枯渇や船の大型化
と陸上輸送の発達で河港の地位
が低下し、街の役割も周辺産業
も衰退していったようです。



金の発見と枯渇が街の運命を
左右したのはNZのダニーデン
も一緒ですが、ダニーデンは
遠隔ながら海に面し、良港に
恵まれ、ポートチャーマーズ
は木材の一大積出し港です。

(※ポートチャーマーズ)


またオタゴ大学を擁する学園
都市、観光名所として発展し
たことで、若者や旅行者を呼
び込むことに成功しました。

(※オタゴ大学)


メアリーバラは20世紀初頭で
立ち止まり、どこにも踏み出
さずにいるように見えます。


ふんぞり返る白人経営者と
働くアボリジナルの従業員

今のNZなら絶対にNGな壁画


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:河港メアリーバラ

2021年05月08日 | オーストラリア:フレーザーコースト

ハービーベイと並ぶフレーザー
コーストの中心メアリーバラ

といっても、何の知識もなく
フラりと立ち寄った街でした。


まずは地図を確認。碁盤の目で
19世紀に開発されたのが明白な
オーストラリアによくある古い街

ポートサイドという地名があり、
「こんな内陸に港
と思ったら、河港でした。


メアリーバラはその地名どおり
クイーンズランド州を北上して
先程フレーザー島からのフェリ
ーを降りたリバーヘッズに注ぐ、
全長300キロ近いメアリー川の
河口近くに位置する街でした。

(※赤線がメアリー川)


河口近くといっても、ここから
リバーヘッズまで30キロ以上で

大陸になじみがないせいか、
港=海の感覚だと内陸です。


メアリー川とかつての河港周辺

鉄道が平行しており物流の要
だった過去がしのばれます。


周囲は新しく整備された公園に。



メアリーバラの歴史は、羊毛の
積出し港として1847年に開始、
街の発展が始まりました。大型
船の入港を可能にするために、
1856年には新しい今の街の開発
に着手され、1859年には通関が
できる出入国港となりました。


今や見る影もないですが、ここ
は20世紀初まで国際交易と移民
の入国で大いに栄えた地でした。

意外にも19世紀には国内屈指の
移民入国港だったそうです。


移民の波に加担したのが1867年
ギンピ―での金鉱の発見で、
世界中から一攫千金を夢見る男
たちが押し寄せ、ゴールドラッ
シュが巻き起こりました。

(※ギンピ―博物館の看板)


金の発見はメアリーバラの重要性
を一段と高め、この地の銀行は計
400万オンス以上(113トン以上)
(👆こういう量になると金も鉱物)
の金輸出にかかわったそうです。


カフェがあったアデレード通りや



ケント通りは行政やビジネスの
中心という新しい街の顔となり
次々に建物が建設されました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:アデレードつながり

2021年05月07日 | オーストラリア:フレーザーコースト
来た時と同様にホテルのカート

これに乗って桟橋に向かい、


本土リバーヘッズに戻りました。

(※沖合の島がフレーザー島)


乗客はバスや自分のクルマに乗り
込みあっという間に散り散りに。



後に残った私たち。ハワイを
思い起こさせるような南洋植物



色鮮やかで思わずパチパチ。



同じ植物でもNZより大きい



何が違うんだろうとつらつら
想いつつ、耳ダンボで夫の
電話に聞き入っていました。



2018年8~9月のフレーザーコ
ースト旅行には、5月に購入し
ていたアデレードのホテル物件
の引き渡しを無事終えるという
重~い使命があったことはすで
にお話していたとおりですが、


正式な引き渡し日は9月3日で、
この日は翌日の4日でしたが、
まだ引き渡しが終了していない
という、それまで13回の不動
産売買で未経験の初遅延


懲罰的ペナルティーが科されて
も仕方ない非常事態に直面して
マッケンジー湖で心が安らいだ

のもつかの間。本土に戻って
ネットがよくなったこともあり
夫が当局に掛け合っています。


問題は到着時に申請しておいた
私たちが現在オーストラリア国
内におり、NZ人として国内の
中古不動産を購入する権利があ
る、という内務省の証明が期日
内に出ておらず、それがないと
南オーストラリア州では不動産
の引き渡しができませんでした。


相手は政府機関。自分たちでは
どうすることもできないものの、
こちらの事情を説明すると、電
話の向こうの公務員は平謝り。


まるでサービス業のような対応
で、公共サービスという言葉が
身にしみました。この電話で
最終決着し翌5日に取引完了


この証明以外の必要書類と資金
は期日までに揃っており、双方
の弁護士がその点を確認してい
たので、売主側の理解で幸いに
もペナルティーは免れました
(※この話はコチラでも)



心から安堵してやってきたのは
ハービーベイと並ぶフレーザー
コーストの中心メアリーバラ



可愛い動物たちの銅像が



アデレードのブタたちを彷彿

自然な姿に笑顔になります。


アレっ

キミは本物(笑)


突然出現したのはアデレード通り

なんというアデレードつながり


思わず目の前のカフェに駆け込み



ホッとひといき



大仕事を終えた夫は旅行中の
定番バーガーにかぶりつき



私はパイとサイドサラダで。



@ パークサイド・オン・アデレード



ともあれ、重~い使命完了


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:美しく厳しい自然遺産の島

2021年05月06日 | オーストラリア:フレーザーコースト

2018年9月のフレーザー島最終日。

朝ごはんに中華粥がありました。


宿泊したキングフィッシャー
ベイリゾート
はオーストラリア
らしい大きさとラグジュアリー



スマートモダンで洗練とはひと味
違う親しみやすさがあります。



それがオーストラリアテイスト



広々としたロビーエリアは画廊
のようでもあり、プチ博物館の
ようでもあり、島にまつわるもの
がたくさん展示してありました。



マヘノに関しても模型、写真、
説明と詳しい展示があります。



わかってはいても胸が痛む、
かつての木材の切り出しの様子



あらゆる手段で運び出したのは

(※マッケンジーレールライン)


NZもオーストラリアも一緒です。

(※木をいかだにして漕いでいく!)


木材運搬用の大きな船が停泊で
きる立派な桟橋が造られました。



当時の建物。左上から時計回りで
木の皮でできた作業員の家
初期の宿泊施設
現場責任者の家
学校



入植者たちは先住民アボリジナル
のブッチュラ族とは比較的良好な
関係を保っていたそうですが、

守り続けた木々が切り出される
のをどんな思いで見ていたのか。


彼らを描いた美しい絵画も。






上下で別れるホテルのスロープ



下に行くと海側のバルコニー付き
の部屋だったようです。

(※私たちは上に行き庭側でした)


リゾートらしいプール周り



またいつか戻ってきましょう。



美しく厳しい自然のままの



自然遺産の島、フレーザー島



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:天国に一番近い湖

2021年05月05日 | オーストラリア:フレーザーコースト

観光の最後にやってきたのは
フレーザー島の中心に位置する



マッケンジー湖



砂の島の湖という存在だけでも
不思議なのにその美しさたるや



天国に一番近い湖

と思ってしまったほどでした。


雨水だけでできた湖で、みんな

さっそく飛び込んでいました。


砂の島だから天然のビーチ



クリスタルクリアな水



パウダースノーのような白砂



海にはない淡水ならではの

優しさを感じました。


湖につながる川はないそうで

汚れても流れ出ずに堆積する
だけなので日焼け止めは禁止


みんな思い思いに楽しんでいて



その気持ちもよくわかるけれど



私には神聖すぎて見つめるだけ。

清らかで心まで洗われるよう。


ツアーは無事、楽しく終了。

どこまで行っても砂場のよう(笑)


夜はディンゴのスパークリング
ワインで砂の島に乾杯

(※またシーザーサラダの夕べ)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:レッドサティネイ

2021年05月04日 | オーストラリア:フレーザーコースト

砂の島なのに緑豊かという
不思議な光景のフレーザー島


砂の中に元よりある菌根菌
が植物を育み森を育てている
といわれてもなかなかピン
と来ないほどの濃緑と樹勢



樹木に生命力があるせいか

寄生植物もよく見ました。


これなど絡めとられるよう💦



それでも共存しています



水が豊富なことも重要



栄養と水で砂でも木が育ち、



こんな大木にまでなります。



ここはパイルバレーといい、
サティネイまたはフレーザー
島テレビンノキという高木が
見られます。高さ30mにも
なる真っすぐな巨木です。

通称レッドサティネイと呼ばれ
南米ペルーやフランス領ギアナ
産サティーネと並ぶ高級木材。


ステインを塗ると褪せたイチゴ
のような赤になり、高級家具の
材料にもなっていたそうです。



さらに真っすぐな幹は19~20世
紀初頭にかけて、桟橋の支柱や
電柱に利用されていましたが、
今ではもちろん島のすべてが
自然保護の対象になっています。


ここではバスを降りられました。

降りてももちろん砂です(笑)


しかし、フレーザー島は2020年
11月に焚き火の不始末で火災が
発生し、6週間にわたる森林火災
で、島の約半分近くが消失する
という大惨事に見舞われました。

濃緑の森はどうなっているのか。


逃げ場のない島の大規模火災は



野生動物にとっても残酷です。

(※ディンゴ)


2020年初は南オーストラリア州
カンガルー島でも落雷で出火し
島の半分を焼く甚大な被害が出
ており、森林火災の1年でした。


いずれの島も自然の宝庫だった
だけに残念ですが、1年でも早く
元の姿が戻るように祈ります。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:砂島の砂山ピナクルズ

2021年05月03日 | オーストラリア:フレーザーコースト

2018年9月に訪れたフレーザー島。
世界遺産で世界最大の砂の島は
どこまで行っても砂でした。


川底も砂なら



道も砂で



湿って硬くなったビーチは
高速道路の走りやすさ



マヘノの後に訪れたピナクルズ



名前の通り山頂のような場所



「砂の島にも山があったのか

と思ったら、これも砂山でした💦


強い潮の流れによって堆積した海砂
が吹き寄せられてできた島と異なり
この部分は鉄分を多く含む粘土質が
混じることで黄色く、粘り気のある
砂で形成された古い部分だそう。

オーストラリアらしい黄色は国の礎
でもある鉄と切っても切れない関係
なのだと知ると、感慨深いです。


山に見えても砂山なので保護と安全
のために登山は禁じれていました。

眺めるだけで末永く残ってほしい。


島のあちこちに黒焦げの木があり
森林火災予防の野焼きの跡なのか?



夏には気温50度近くにもなるので
火災を拡大させる恐れがある枯草
などを事前に焼き払っておく伝統
的かつ有効な森林管理の方法。



左側の陸地に近いホテルのある
キングフィッシャーベイから、
グルグル回り右の外洋に面した
ユーロンベイにやってきました。



ここにも小さなホテルがあります。



長期滞在者には良さそうな場所で



パン屋やテイクアウトの店や



ガソリンスタンドもありました。



場所柄ガソリン代が高~い💦

リッター200円はこの国では激高


ツアーバスがみなここに集まって、



みんなでビュッフェランチ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:マヘノの砂葬

2021年05月02日 | オーストラリア:フレーザーコースト
NZ史にたびたび登場するマヘノ

NZとオーストラリア間のライナー
として両国に広く親しまれた後、


第一次世界大戦中は病院船として
HMNZHS(国王陛下のNZ病院船)
という尊称が贈られる活躍を遂げ

両国民の脳裏に刻まれたその名前。


マヘノは1905~1935年の30年間
の数奇な激務を終えた後、6月に
メルボルンから日本に向け、最後
の航海に出ました。大阪の解体業
者に廃船として売却されたのです。


航海といってもプロペラが外され
自走することができなかったので
別の蒸気船に曳航されていました。
鉄くずとなるための片道の航海。

1905年の建造中のマヘノ
NZのダニーデンの地名


これらのプロペラが外されたのか。



しかし、マヘノが日本の地に辿り
着くことは、ありませんでした。


大阪に向けた2艘はオーストラリア
東海岸で猛烈な暴風雨に見舞われ、
ばらばらになってしまいました。


自走できないマヘノは荒海を漂流
した挙句、7月9日にフレーザー島
の東海岸で座礁してしまいます。


船体の片側には大きな穴が開き、
日本行きは断念されました。



船内の家具や装飾は島民が記念に
持ち返り、第二次大戦中には豪軍
の実射の的にもなったそうです。

海風や潮に洗われた年月を物語る
なんとも深い赤銅色の厚い錆


満身創痍も今や骨格を残すばかり。



その姿を目にし、脇に立った時

「マヘノはこのタスマン海
に留まりたかったんだ

と急に気が付きました。


知らない異国で鉄くずになるより
ずっと行き来したこの海で朽ち果
てることを選んだと感じ、胸が熱
くなり涙があふれるようでした。



何度もくぐり抜けてきた嵐を呼び
曳航される鎖を引きちぎり、2度
と動かなくなって、この砂の島で
最後のひとかけらが朽ちるまで、

慣れ親しんだ海とともにいよう。


意思を持ってそうしたとしか思え
ないような、展開とその後の姿。

私はいろいろな見聞や自身の経験
からモノ、特に動力で動く大きな
モノには意思があると信じます。


国王陛下の白船の誇り高い最期。



いつか砂に埋もれて消えるまでの

長い長い砂葬を目にしているよう。


私も自分の最期は自分で選びたい。

と強く思った、孤高な姿でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:国王陛下の白船

2021年05月01日 | オーストラリア:フレーザーコースト
2018年9月のフレーザー島の
島内観光は、道なき道を行く
ような場所も多々ありました。


海岸は平らで真っすぐに走れる
からか、みんな高速道路並みに
飛ばす飛ばす(笑)

バスも飛ばしてたな


車線も信号も制限速度もない場所。

思いっきり走れて爽快そう


タイヤ痕がそれを物語る



みんなが集まる観光のハイライト




見えてきたのは巨大な錆びた鉄の塊



ダイビングをしていた頃、海底の
沈船は何回か見ましたが、これほど
大きな座礁船は初めて見ました。

マヘノ


NZ史上にその名を残す歴史の証人



マヘノは1875年にNZのダニーデン
で創業したユニオン蒸気汽船が所有
していた客船で、1905年にスコット
ランドで建造され、オーストラリア
との間で客船として活躍しました。

当時としては斬新なデザインが人気
を博し、航海も1日短縮して4日に。
(※模型はホテルのレストランにて)


ユニオンは第一次世界大戦まで世界
屈指の海運会社で詳しくはココで。


しかし、1915年の第一次大戦中に
イギリスはトルコでの戦局の打破に
無謀なガリポリ上陸作戦を決行し、
その犠牲者はNZ兵2,700人、オース
トラリア兵8,700人、英兵2万1千人、
という途方もない数になりました。


NZにとり建国以来最悪の事態で、
今に至ってもそれは変わりません。



(※ガリポリに関してはあちこちに
書き散らしていますが、ご興味が
あれば、コチラからどうぞ)


1915年に当時の政府はマヘノと
姉妹船マラマを本格的な病院船に
造り変え、2艘は大勢の傷病兵を
トルコのガリポリからギリシャに
送り、その色からホワイトシップ
(白船)とも呼ばれていました。

(※当時の絵はがき)


2艘は終戦までに延べ4万7000人
の傷病兵を移送し、HMNZHS
(His Majesty's New Zealand
Hospital Ship)、直訳すれば
「国王陛下のNZ病院船」という
最高の尊称が贈られました。



戦後は再び客船に造り変えられ、
NZとオーストラリア間の客船や
貨物船として利用されました。


しかし、マヘノはその役目を終え
1935年3月に最後の航海を終えた
後、6月にはメルボルンからなんと
日本の大阪に向けて出航しました。


長くなるので、つづく。
(※まぁ、旅行記なので毎回
「つづく」なんですけどね~)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:ディンゴ

2021年04月29日 | オーストラリア:フレーザーコースト

2018年9月のフレーザー島
3日目はバスで島内観光へ。

島内は道らしい道が少なく
ビーチ以外歩ける所がなく
クルマも四駆のみで島内観
光はほぼ観光バス限定です。


トラックのようなバスも。

舗装されていないどころか
完全な砂の上をガンガン行
くにはこれしかないのです。


フレーザー観光の目玉は、
クジラと並ぶディンゴも

ディンゴは、約5千年前に
インドネシアから持ち込ま
れた犬を祖先に持つとされ
犬種の中でも最もオオカミ
に近いんだそうです


18世紀にはアボリジナルの
ペットとして飼われていた
記録もありますが、植民地
化で牧場経営が開始すると
家畜を襲う害獣として駆逐の
対象になっていきました💦



猟犬化したディンゴとオオ
トカゲを狩るアボリジナル

(※南オーストラリア博物館)


フレーザー島はオーストラ
リア東海岸では貴重な持続性
あるディンゴ生息地だそう。



ディンゴは群れて暮らし、
食べ物を求めて人に危害を
加えることもあり要注意。



キャンプ中の乳幼児が襲わ
れる事件はオーストラリア
のあちこちで起きており、
1980年には生後9週間の赤
ちゃんが連れ去られ、母親
が証拠もないまま殺人罪で
有罪となって服役した有名
な事件も起きています。
(※詳しくはコチラでも)


事件を映画化したメリル・
ストリープ主演の「ア・
クライ・イン・ザ・ダーク」
を移住前に観ていました。


見た目は犬でも野犬は野犬。

島の至るところに注意書き
があり「近づくな」「食べ
物をあげるな」が基本のキ


見られない日もあるそうで
すが、この日は2回遭遇

ビーチでなにか掘っている


どんどん掘り進み



なにか見つけたよう



かな?



骨だけですが食べずに持ち
返ったので子どもがいる?



2回目も開けたビーチで。



どこからともなくひょこ
っと現れた色の薄い1匹



毛並みが良く運転手曰く
若いメスだそうです。



ホテルにはアップの写真



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:キングフィッシャーベイの鳥

2021年04月28日 | オーストラリア:フレーザーコースト

ホテル名はキングフィッシャー
ベイリゾート
で、名前もロゴも



みなキングフィッシャー

つまりカワセミ


ところが島で見かけるのは

圧倒的にこの鳥ばかり


嘴も大きさも体型も違う。



カワセミと違って人を恐れず

こんな近さでも平気で


カモメと変わらない距離感。



この鳥はオオアジサシでした。



漢字だと『大鯵刺』と書き

鯵が刺せそうな立派な嘴


ぢっと待って水面で獲物を捕獲
し生きたものしか食べないそう。



そこはマミジロウと一緒かな。



杭の上で仲良く獲物待ち



ホテル名のキングフィッシャー
はオーストラリアのマスコット
的存在の笑いカワセミ、現地名
クッカバラのことでした。

(※これはブリスベンで撮影)
色はグレーっぽく地味めですが
鳴き声が笑い声に似ているとか。
いつか聞いてみたい


クッカバラは夏場に白アリを
求めて島に渡り営巣するそう。
時期が早すぎたのか滞在中は
一度も見かけませんでした。


また夕暮れ時になってきました。



ピンクに染まるホテルの建物



鳥にもわかるのか、この輝き

マミジロウが見つめる先には


見事な夕陽

また明日


夜は前夜に行かれなかった

マヘノ・レストランへ


前菜のサラダと



デザートがビュッフェで

メインディッシュだけ注文
というスタイルでした。


これを全部合わせれば

またまたシーザーサラダ(爆)
1日何度でもOKなヒト


夫のメインはイカリング

メインらしくないけど大好物


私は魚でさっぱりと。



併設されているバー



ホテルのHPによるとマヘノは

現在、サンド&ウッドという
名前になったようです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:75万年をかけた世界遺産

2021年04月27日 | オーストラリア:フレーザーコースト
ホエールウォッチングを終え
ホテルへの帰路につき、急に
しげしげと見たフレーザー島

(※それまではクジラに夢中)


島内観光では見られない外から
見た、世界最大の砂の島の姿



それも移動するにつれて刻々
と表情が変化していきます。



「日本にこんなケーキあったよね」



と思いながら名前が思い出せない💦



チョコとクリームとチェリー



「そうだブラックフォレスト」



島は全長123キロ、幅22キロの
縦長で面積は1,840平方キロ。
1992年にユネスコの世界遺産
(自然遺産)に指定され、グレート
サンディ国立公園でもあります。

75万年という長い年月をかけて
北上する強い潮の流れによって
堆積した砂で形成されたそう。


砂丘と違って緑豊かな理由は、
ここの砂の中には元より菌根菌
という植物の根の表面や内部に
着生する菌根が含まれており、
それが植物を育む栄養となって
共生しているからだそうです。

頭では解っても砂の上に森が
広がる光景はやはり不思議
そして地盤がないので脆い💦


キャンプ中らしい人々



海岸近くでぽつぽつ見かけ



だんだん地形が平坦になって



ホテルのある桟橋に戻りました。



引き潮のタイミングでボートが
係留されているというより砂の
上に置いてある感じでした(笑)



またプールサイドバーのランチ

滞在中ずっとシーザーサラダを
食べ続けていました


夫はこの後プールでひと泳ぎ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:遭遇率100%保証のホエールウォッチング

2021年04月26日 | オーストラリア:フレーザーコースト

2018年9月のフレーザー島も
2日目を迎え、天気は上々

サクッとホテルの朝ご飯
というかホテル以外の商業
施設がまったくありません。


桟橋にやってきて、この日は
ホエールウォッチングへ。



ハービーベイがクジラの街と
して知られるのは、7月中旬~
10月下旬までのシーズン中、
ザトウクジラが見られるから。

対岸のフレーザー島は目と鼻
の先なので、どちらからでも
ツアーに参加できます。


この会社の午前ツアーでした。

シーズン中は遭遇率ほぼ100%
なのでもしも見られなければ、
再度ツアーに参加できます。
15年後に戻ってきて、クジラ
を見たお客もいたそうです(笑)


まだ朝もやが出ていました。



朝8時前だと幻想的な光景。



そのうちカラリと晴れ上がり

オーストラリアらしい日差し


シーズンど真ん中で多数の人出



海も穏やかでツアー日和



途中から何艘ものボートが
後を追いかけてきました

ツアー会社の船は互いに無線で
クジラの所在を連絡しあって
いるので、ツアーの船について
くれば見られるのは間違いナシ


あちこちのスポットに立ち寄り




キター



写真では判りませんが相当な長さ



それが急に浮上してきたり、



ヒレやシッポをバシバシやったり



目の前で潮を吹いたりするので



すごーい迫力です



何頭もいて、スキッパーには
親子かどうかも判っています。

親子だと母親をイラつかせない
よう近づかないなどの配慮も。


こんな光景がずっと続く中、



頭の中では映画「Uボート」の
テーマ曲が鳴り響いていました。

リアルでいい映画だった(笑)


後は白い砂山のフレーザー島



ついてきたボートの人たち

クジラと比べボートが小さく
父親以外は救命胴衣もなく


見ているこっちがハラハラ💦

いつ、どこから浮上するのか
わからないのに大丈夫
守らない人もいるそうですが
NZではライフジャケットの
着用が義務化されています。
(※オーストラリアもでしょう)


水着女子たちは追加料金を
払いクジラと泳ぐ人たち。

けっこう寒かったような。


かなり長い時間見られました。

最後はバイバイ
お互い元気で長生きしよう。


空にもクジラのような雲



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーサ6回目・フレーザー島行:サンセットバー

2021年04月25日 | オーストラリア:フレーザーコースト

夕暮れ時が迫り、迷わず

サンセットバー


名前どおりの絶景ポイント

子どもがいなかった頃に訪れた
モーリシャスのホテルカノニエ
を思い出し懐かしくなりました。
岬の先端のホテルでサンセット
が素晴らしく今だにベストかも。


暮れなずんでいく桟橋



バー周辺だけではなく、



みんな思い思いの場所で



夕陽を眺めています。



このヨットもそうでしょう。



超特大の望遠レンズを付けた
カメラで水に入って行く御仁



スゴい本格的です

その御仁を撮る野次馬な私


陽が落ちて行き



御仁も落ちていく

えぇぇえ防水なんだ~
今どきのカメラってスゴい。


夕陽との位置関係はこんな。



夕陽は水平線に沈まなきゃ

と頑なに信奉していた夕陽フェチ
の夫の考えを覆したこの光景


「もうハワイには行かなく
てもいいんじゃないか


という夫の爆弾発言が出たほど


いやいや、ハワイも行きますよ💦

これはこれでキレイだけど。夕陽の
ためにハワイに行く訳じゃないし


水から上がってきた御仁

いい絵が撮れたんじゃないかな。


周囲がピンクに染まるトワイライト



ホテルのレストラン、マヘノは



結婚式の人たちの貸し切りでした。

末永くお幸せに


プールサイドバーからサラダの

テイクアウェイで夜ご飯
レストランが何か所もあって
心憎い使い勝手の良さ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする