ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

夢見:天国の屋台

2017年12月31日 | 浅き夢見し

荒唐無稽ながら非常に理路整然とした長い夢で
不思議体験の連続に、「私」はガッテンしていました。


起きた時もかなり長いストーリー展開を覚えており
余裕しゃくしゃくで長めのヨガで1日をスタートしたら
ヨガ後のリラクゼーション(という名の瞬間二度寝)で
展開をきれいさっぱり忘れてしまいました


なので覚えているほんの数コマの話。


「私」は案内され、白っぽい路地のような所を歩いて行きます。
「あなたの場所はココです。」
と案内の男性が言い、「私」は白いブースの前で止まりました。


男性に紹介された小柄な女性はシェフでした。
「タイ人かカンボジア人かな?」
と思った長い黒髪の女性は、小さな身体とは裏腹に
7~8キロはありそうな大きな長い魚のえらにグッと手を入れ
曲げた左右の腕に1匹ずつ提げて「私」に見せてくれました。


どうやらこれをこれから調理するようです。
「私」と彼女の間には言葉が通じないのか会話がなかったものの、
彼女は淡々としつつも非常に落ち着いていて慣れた様子でした。
「私」は自分の場所で働く彼女に全幅の信頼を寄せていました。


「できましたよ。」
男性に呼ばれて行くと、さきほどの魚が見事に調理されています。
魚以上に長い銀食器の上に尾頭付きで置かれ、その間の身が
見事な3種類の横一列の違う料理に調理されています。


奥は赤かった皮に火が通ってグレーになった焼いた部分
中央はほぐして骨をとったふっくらとした白い身の部分
手前は何かと炒めたらしく赤と緑と白でカラフルな部分


3種類の間にはグリーンの野菜が装飾的に施され
誰も手を着ける前のホテルのビュッフェか
お供え物のように美しい仕上がりでした。
もう1匹も美しく仕上がっていたのですが、思い出せません。


「私」は心から感心し、案内の男性とシェフに礼を言いました。


魚の料理は白いブースの一番奥に置かれていました。
手前は広い空間になっていましたが、誰もいません。


ただ料理が置いてあるだけなのに、なぜか人の気配を感じました。
それどころかワイワイ活気づいている気がしました。
いい気が流れていて、人がいないのに賑やかな気がしました。


「私」は白い簡素な祭壇にも見える場所の魚を振り返りつつ
心から安心してその場を立ち去りました。



多分、夢はここで終わったのですが、
幽体離脱で魂が身体に戻る前だったか
戻って目覚めた瞬間だったか、


「あれは天国なんだ
とふと閃き、状況が理解できました


あの白いブースのようなものは左右にずっとつながっていて
まるで縁日の屋台のようでした。
その中に自分の場所があり(お墓なのか?)
そこに置かれた華美な魚は間違いなくお供えだったのでしょう


その前の開いた空間に人の姿はなかったものの
賑わっていたと感じたのは、たくさんの魂が来ていたからでは?
まだ人間の「私」にはその姿までは見ることができませんでした。
どの屋台も前の部分に空間があり、集まれるようになっていました。


あれで魚を摘み食いしたら、「千と千尋の神隠し」になっちゃう
子どもに助けてもらわなかったら、この世に帰れなかった


整然とした美しさに「私」には食べるという発想はなく、
それが捧げられるためのものであることを知っていたようです。
まぁ最近、すっかり食い気がなくなっているのも幸いしたのか?



=============



旅行記はハワイの途中も途中、ハワイ島を北上するところまで。
これから東から西へ横断して島を一周するところです。

続きは年明けにでも。


万事超マイペースなブログですが、開設から丸1年。
これまでお付き合いありがとうございました


来年は飛躍的に定期更新になる







予定はまったくありませんが
今年よりはもうちょっとマメに更新できるといいなぁ、と。


どうぞ皆さま、良いお年をお迎え下さい。
2018年が光り輝く1年でありますように。


西蘭みこと


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ハワイ行:モンキーポッドの木の下で

2017年12月22日 | ハワイ:ハワイ島

ヒロのダウンタウンから少し離れた場所にある

鳥居


ここはハワイ王朝最後の女王となったリリウオカラニ女王が

寄贈した公園で、その名を冠したリリウオカラニ公園


日系人がヒロの開拓に尽くしたことを記念した

日本庭園風の造りで1917年に完成したそうです。


かと思えばこんな巨大なバニアンツリーもあり

日本と南国がほどほどに共存しています。


この本格的な茶室は

裏千家第15代からの寄贈で


今でも茶会が行われているそう。



塔や



凝った太鼓橋まであり



結婚写真撮影のメッカのよう



アジア系や



ポリネシアン系の人ばかりで



このサイズ感といい



こんな雰囲気といい

NZのアイ(ランダー)ちゃんのノリにそっくり
やっぱりポリネシアンの血は争えない(笑)


近くにはホテルがたくさんあり

次に来るときはこの辺に泊まろう


ホテルの敷地内でも

一大撮影大会(笑)
おめでたいこと、誰もとがめたりしないよう。


橋でつながったココナツ島



地元の子が楽しそうに遊んでいました。



ここからヒロのダウンタウンが一望できました。

何度も何度も津波に襲われながらも立ち直った街
今でも大勢の日系人が暮らす街


そして大勢の日系人が眠る街でもあります。

旅先での墓地には興味がある方ですが、


このアラエ墓地には思わずクルマを停めてしまいました。

こんな風に思うのは自分だけかと思ったら、
トリップアドバイザーでページができていました
スゴい高評価だし


それぐらい目も足も止まるような美しい場所でした。



日本人にはこの日本の墓石と漢字がなんとも胸に詰まされます。



生花でも造花でもたくさんの植物が供えられ

いかに故人がしのばれているかがうかがえます。


プランテーションで働いていたのは日系人だけでないので
いろいろな国の人のお墓もありました。

ローシャだなんてポルトガル人かな


モンキーポッドの木の下で結婚を祝うハワイ生まれもいれば



モンキーポッドの木の下の異国の地で永久の眠りにつく人も。



自分もまた移民の日系一世なのだということを、深く自覚したヒロ。
たくさんのことに感動し、学び、考え、いよいよヒロを後にしました。



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ハワイ行:ヒロの食

2017年12月21日 | ハワイ:ハワイ島

今から8ヵ月も前の旅行だったとはいえ写真があるので、
何をして何を食べたのか思い出せるはずなのに
今回ばかりは何を食べていたのか思い出せない


とにかく朝は毎日スタバでスタート



さすがアメリカ、

ドライブスルーがあります


時間によってはけっこうな混み方

駐車場もふんだんにあるので、
「そこまで並ぶんだったら、降りてきて買った方が早くない?」
と思うのはせっかちな元日本人だから


初日の夜はスイサン(水産)で買ったシーフードで



カフェ100にも行きましたが

それ以外はどこで何を食べていたのか
今になって写真があまりないのが発覚


ここは珍しくランチで行った



ジャッキーレイズ・オハナグリルという店

オハナはお花みたいですが、ハワイ語で「家族」
ファミリーグリルということで、


まぁファミレスですよね?

店の雰囲気もサービスもまさにそんな感じ。


ただ、カイコドウ(懐古堂なのかな?)という古いビルにあり



重厚な感じはなかなかステキ



ここも太平洋津波博物館と同様に元銀行だった場所で
ファースト・バンク・オブ・ヒロ(ヒロ第一銀行)だったそう

大きな金庫跡はワインセラーになっていました。
こりゃ安全(笑)


衝立もステキ



私のケサディラ

サラダいっぱいでウレしい


夫はフィッシュバーガー

心配していたような食べられない量ではなく
最後までおいしくいただきました
野菜と魚の鮮度は抜群


最後の夜は結婚記念日のお祝いも兼ねて

Sハタ・ビルにある


カフェぺスト



ここは超絶要予約

満席で天井しか写真が撮れない(笑)


サラダ



シーザー



カラマリ



ピザ

飲んでいたはずですが写真ナシ


あったのはコレだけ(笑)

ラテだけどアメリカだとアメリカン


やっとお客が引けてきて店内写真
ものすごく広い店ですが天井が高いので圧迫感がありません。

誕生日だのお祝いらしい家族連れなど地元の人が大勢いました。


そういう「特別な日」の思い出とともにこのレストランは

多くのヒロの人に愛され続けるんでしょうね。



プランテーションの栄枯盛衰、戦争、津波を乗り越えたSハタは

まさにヒロの顔


周辺に多くのホームレスが集まっているのも今のヒロの一面



次に来るときもここには必ず立ち寄ることでしょう。

(※必ず予約しなきゃ


ファーマーズマーケットのビーフンや



ジンジャーレードも

手作り感ハンパなく好きでした


ぜひ次回はこのナゾのワンタンに挑戦してみよう(笑)



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ハワイ行:第100歩兵大隊カフェ

2017年12月20日 | ハワイ:ハワイ島

ハワイのヒロ滞在中のある夜はココへ

夫が行きたがっていたカフェ100
ハワイを代表する食ロコモコ発祥のレストラン。


ホームページを見て初めて知ったのですが、
カフェの名前の100は第100歩兵大隊の100でした


第二次世界大戦中、祖国アメリカへの忠誠を示すべく
ハワイ生まれの日系人二世の志願兵を中心に編成され、
ヨーロッパの前線で勇猛果敢に戦ったあの部隊


史実としてしか知らなかった存在が

目の前で温かいオレンジ色のネオンになっている


創業者のリチャード・ミヤシロは終戦後に復員し、
1946年に故郷ヒロで第100歩兵大隊の100を名前に冠した
カフェを目抜き通りのカメハメハ・アベニューにオープン
リチャードも第100歩兵大隊に属し、多くの仲間を失いました。


開店後3ヵ月でエイプリルフールデー津波に襲われます。
店はなんとか持ちこたえ、ミヤシロ夫妻は3人の娘を育て上げます。


1960年、リチャードはついに念願だった大きくて近代的な
二代目の店をマノノ・ストリートにオープンします。


ところがその3週間後、今度は別の津波に襲われ店は全壊。
一家は真新しい店が壊れて行くのをすぐ隣の自宅から目にし、
自分たちもまた家ごと数ブロック先まで流されてしまいます。
一家は生き残ったものの、夢だった店は生き残れませんでした。

(※確かに1960年の津波の方が高かった)
 

第100歩兵大隊で闘ったリチャードはとことんタフでした。
1962年に三代目となるカフェ100をキラウエア・アベニューに開き、
店は今でもそこで営業しています。
中心から離れた場所でひときわ目立つネオンの意味が、
これでわかりました。


三代目の店は当時のヒロでは珍しかったドライブインで、
メニューから自由に食事が選べる初のファストフード店でした。
持ち帰って食べてもいいし、店内で食事をすることもできました。
レストランとファーストフードのいいとこ取りの実現です。


店はすぐに人気を博し、ロコモコとビーフシチューが看板料理で
今でもリチャードのレシピに忠実に作っているそうです。


現在の経営者は二代目で娘のゲイル・ミヤシロで、彼女によると
「腹いっぱいにしてやれ」
というのが父親の口癖で、今でもおいしい料理をたっぷりと
良心的な価格で提供することを受け継いでいるそう。


確かにここの料理は他と比べて二度見する安さ

今週のスぺシャル・ロコモコが4.05ドル
コーヒー1杯の値段でお腹いっぱいという訳です。


「多くの家庭、学生、老人の収入は限られているけれど、
誰でも人生の楽しみの一つである外食ができるように」


という店の方針は今でも生きており、私たちが行った時も
ひっきりなしにクルマが来ては出て行きました。


ロコモコ



こちらもたっぷりで本当に新鮮だったサラダ



ヒロの多くの人の食堂として、なくてはならない存在なんでしょう。
店も客も親から子へ、そして次の世代へと引き継がれ
ヒロがある限り続いていく店なんだろうな~と思いました。



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ハワイ行:エイプリルフールデー津波

2017年12月19日 | ハワイ:ハワイ島

今回3~4月にかけて初めてハワイに行った目的のひとつは
4月1日の結婚記念日を祝うためでした


私たちは26年前の1991年4月1日に
「上手く行かなかったら、冗談ってことにして別れよう!」
と入籍しました。


その4月1日にハワイで大惨事が起きていたとは

71年前のエイプリルフールの日にハワイを襲った津波で
159人が尊い命を落とし、ヒロだけで96人が亡くなりました。


津波は遠くアリューシャン列島で起きたM8.6の地震によるもので

当時は警報制度が全くなかったため島民には晴天の霹靂でした。
4年間の辛く苦しい太平洋戦争の直後の惨劇でした。


入り口に浦島タロ子がいる



太平洋津波博物館

「4月1日は入館料無料」
というのを目にして、何の知識もないままやってきました。


元銀行だったという重厚な石造りの建物。

その重厚さゆえに難を逃れた津波の生き証人でもあります。


中に入ると4月1日を記念する行事の真っ最中で

一面に展示された古い写真に絶句。


無料につられ、私たちは4月1日の記念日当日に

この大惨事を知りました。


「ハワイでも東日本大震災みたいなことがあったんだ

という貧弱な比較しかできなくても、事の重大さは理解しました。


沖合いに建設されていた長い防波堤がなければ

被害はもっと甚大だったと言われています。


それでもヒロでは500件の家屋や商業施設が全壊し
1,000件以上が被害を受けたそうです。



市民に愛されていた、ぽつんと残ったヒロ劇場

周辺の建物は跡形もなく消えています。


今のヒロはカメハメハ・アベニューより海側には建物がありません。

でも当時は手前の海側にもたくさんの建物がありました。
(※中央を横に走る道がカメハメハ)


それらが瓦礫となってカメハメハ・アベニューに堆積し

右端のヤング・ビルディングは


今でも現役です。



模型の中にあったクレス(KRESS)



これも残っていました。



カメハメハを挟んで海側だったか山側だったかで命運を分けたよう。



この通りは今の



ここのよう。

通りの向こうにはカメハメ・アベニューそしてヤシと海


博物館の中には銀行当時の金庫が残っていて

中でビデオが上映されていました。


海側は津波で壊れた鉄道橋



地震から1年後の1947年の写真



手前の橋は今でも残っており



そこから見えるのは鉄道橋ではなく高速道路。

鉄道は壊滅的被害を受け、後には鉄道ではなく高速道路を
14年をかけて建設し、1960年4月1日の津波記念日に全面開通。


その53日後の5月23日に、ヒロは再び津波に襲われます
なんという皮肉な運命

高速道路の脇にひっそり立っていた灯台のようなものは


津波に襲われた年と波の高さが刻まれた記念塔でした。

1960年に開通した高速道路を襲った津波は1946年のよりも高く
その間にも何度も津波があったんですね。


日本人町があったシンマチ(新町)も甚大な被害を受け

今は公園になっていました。


NZも日本も含まれる環太平洋火山帯の中央のようなハワイ

いつまでも大きな地震や火山の噴火がないことを祈るばかり。

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ハワイ行:ヒロ街歩き

2017年12月18日 | ハワイ:ハワイ島

海に面した大通りもいいけれど



古い街は住宅街歩きも興味深い

半円アーチ窓が多いこと!


モーレツに流行った時期があるんでしょうね。

庇も木製で手作り感ハンパない
オーストラリアやNZもそうですが木がふんだんにあったせいか
古い家だと、思いもかけないものが木製だったりします。


民家のような赤十字



軍人募集の窓口



ひときわ大きかった建物は連邦政府のビル

なーるーほーどー


それ以外のビルと呼べそうなものは古いものばかり



あまり修繕していないのは

往々にして派手色


古さは色でごまかせって?



でも、どーにもならずにそのまま古びているものも。



時の流れに身を任せ



これはKAIKAN=会館とあったので

集会場のよう。


閉店セール中のギターとウクレレの店



とてもそうは見えないけれど

銀行


ありがちなことですが、

グラフィティーの派手さが


逆に周囲の古さを引き立てていました。




ヒロは海から遠ざかった内陸部に新しい街が開けていて

こういうものも


ありました。

すぐ隣にはウォルマートも。


プリンスクヒオ・プラザというヒロ最大のショッピングモール



ペイデー・ハワイだなんて、

まんまのサラ金(笑)


ここのスタバも何回か利用しました。

巨大なモールの存在に、
「そうか、ここはアメリカなんだ
とふと納得したりなど。


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ハワイ行:ペレ城ハレマウマウ

2017年12月17日 | ハワイ:ハワイ島

ハワイ島といえば火山
火山といえばハワイ島


なにせ火の女神ペレが居に定めた島



しかし、写真にあるようなこんな光景

ホントに見れるの


「火山に行くなら暗くなってから
と聞いていたので、夕方目指して出かけました。
向かったのはハワイ火山国立公園のキラウエア火山。


キラウエア火山のイキ火口は1959年11月に大噴火を起こし
5週間にわたって噴火を繰り返しました。

溶岩が空に吹き上げ、その後雨のように降って来たそう


噴火は36日間続き、溶岩は36年かけて固まったんだそうな
今では溶岩を歩くこともできますが、熱を持っている場所も多く

用意周到で行くよう、いろいろ注意がありました。
歩いた知り合いは、ガスの臭いで気分が悪くなってしまったそう。


ここは見晴らし台だったのですが、ガスが濃く天気も悪く

ほとんど何も見えませんでした。


本当はこういうものが見えるらしいです。



暗くなる前にナフクとも呼ばれるサーストン・ラバチューブへ。
ラバ(溶岩)チューブ(洞窟)とは、噴火で溶岩が流れる際に
外側が固まっても内側が流れ続けた結果、トンネルになったもの。



溶岩の流れた跡が壁にくっきり残っています。

ほんの20分ほどのコースでした。


周辺をドライブしているとあちこちからガスや水蒸気が。



でもモクモクしているばかりで箱根並み



「こんなもんなの

と思いながら


ジャガー博物館の展望台があるハレマウマウ火口にやって来ると




火口の中に赤いモノが



こここそがペレの住処とされる場所



You are hereってことで、

これがペレ城の全容らしいです(笑)


ここは100年以上溶岩が流れ出ているんだそうです



1923年にはこんな噴火もあったんだそうです。



アメリカ人には分かりやすい比較かもしれないけれど

私には今ひとつピンと来ない(笑)


ハワイという列島は火山活動で生じた島からなり
左から右へと島が形成されているそう。

だから一番右に位置するハワイ島に活火山がある
納得まくり。


しかし、ハワイ島から40キロ沖合いには新しい島ロイヒが
海面から水深969メートルのところに形成されており、
あと1万~10万年もすれば水面に出てくるそうな
それまで待てないけど


暗くなるに連れて炎がより鮮明になり

「火山に行くなら暗くなってから
という意味がよくわかりました。


慣れない道に慣れない左ハンドル、おまけに雨だったので
早めの夕暮れでも十分に堪能できました。夫の運転も完璧
(※帰る頃でもどんどんツアー客が来てました)


またいつか

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ハワイ行:火の女神が住まう島

2017年12月16日 | ハワイ:ハワイ島

今年3~4月にかけて行ってきた人生初ハワイ
(※この旅行記は8ヵ月遅れでお届けしています


いつものごとく下調べゼロのまっさらな状態で
現地に着いてから気分で観光、気分で食事


そんな状態なので、ハワイの神話など欠片も知らず
火の女神ペレの話も博物館で初めて知りました。

これがペレ
確かに黒髪が溶岩になった女性の絵を
何回か見たなーと


ペレは遠い国から海を渡って新たな領土を求めてハワイに渡り
苦難の末カウアイ島に到着しました。杖で大地を突いたところ、

不仲の姉、水の神ナマカオカハイの声がしたのでその地を捨て、
島を移動して、オアフ、マウイを経て最後にハワイ島に到達。
この島だけは大地の下から姉の声がしなかったそうな。
火の神ペレはハワイ島を住処としました。


これは科学的にも正しく、ハワイ島だけは活火山があるため
島が地球の内部とつながっており、
今でもマグマが吹き出ては溶岩となっているわけです
う~ん神話といえども侮れな~い


ペレはまた、カウアイ島の王子ロヒアウを気に入り
従順な妹ヒイアカに、王子を迎えに行かせました。


ところが、道中いろいろなことが起き、長い時間が経過し
2人がハワイ島に戻って来たときには、あまりの遅さに
ペレは自分を差し置いて2人が懇ろになってしまったのだと
嫉妬で怒り狂って爆発
ロヒアウはその炎で命を落としてしまいます。


ヒイアカは忠実に使命を果たしただけなのに2人の仲を疑われ、
あまりに惨い仕打ちに、ロヒアウの命を蘇らせます。

2人はぺレに愛想を尽かし、カウアイに駆け落ちして結ばれ
いつまでも幸せに暮らしたそうな


強く美しく、神々の中では最も有力な神として崇められながら
その嫉妬深さや暴君ぶりでも恐れられるペレ



火の女神が住まう島ハワイ島

やっぱり火山は見ておかないと


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ハワイ行:ヒロ・ファーマーズマーケット

2017年12月15日 | ハワイ:ハワイ島

生産者が近いので鮮度が違う

ヒロ・ファーマーズマーケット


水・土の規模が大きいようですが、
毎日休まず営業中

まさに庶民の台所


パイナップルなんか収穫前で好きなの選べるし~

というのは冗談で、これはその辺の植え込み


商品はコチラ。



でもバナナは庭で採れたようなのがたくさんあります



さすが市場
安い~

旅行中は料理しない主義で見るだけですが、それでも楽し~


なぜか玉ネギが剥いてあるし~



ジンジャーやタマリンドを売っている店も多く、産地なのか?

ここには竜眼がありました。


こんなのも発見

ゲータレードならぬ
ジンジャーレード(笑)


いろいろなフレーバーがありましたがお店の薦めは
リリコイ(パッションフルーツ)
ジンジャラーなのでもう一気飲みの勢い(笑)
よく冷えていたし、美味しかったです


屋台もたくさんあって

肉系人気


移民も多いのでエスニックも多数

タイ料理


後がスゴいことになっている

プロパンガスのボトルをくっつけたまま走ってきたのか(笑)
NZじゃ絶対許可されないだろうな~


Any kineのワンタンってなんだろう

と思ったら、
kine=kind
でカインと読むハワイのローカル英語、ピジン英語でした
Any kind of Wontonsってことかぁ


英語のアバウトぶりがちょうどイイ感じ(笑)
シングリッシュ(シンガポールの英語)もまぁ、そんなもん

慣れたら楽そう。英語が伸びない可能性大ながら
(※今でも伸びてないし


おいしそうなものがいろいろあっても

そんなに量が食べられない私たち。


慎重に慎重に選んで~



こんな感じとなりました



その間もどんどん搬入されてきます。



ここも人気店でした。



カキ氷だけじゃなくて食事もできるよう

(※遠慮のない色がとってもハワイ


ここではクッキーげっとん

素朴な手作りでサックサク
美味しかったです。


目の前には海が広がっていて

なんとものんびりとした場所


みんなが集まってくるこの周辺。

私たちも毎日繰り出していました。


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ハワイ行:精霊の宿る谷

2017年12月14日 | ハワイ:ハワイ島

ダンとポーリーン・ルトケンハウス夫妻が

私財を投げ打って創ったハワイ熱帯植物園


谷なのでずっと下って行くと木々の間から

波しぶきが見えます
ダンが惚れこんだという海に続く地形


海に出る前に森の中にぽつねんと立っていた

ク(KU)の ティキ(Tiki)


ティキ

マオリ語と同じ

NZでは「子ども」とされることが多い、要は人を模った彫り物
ク(KU)はハワイの四大神の1人なんだそうな


この木は元々植物園に生えていた樹齢80年のモンキーポッドツリー
(※「この木なんの木 気になる木」と同じ種類の木!)
それをヒロの彫刻家ウィリアム・バーガスが精魂込めて彫った
まさにマスターピース


こんな守護神に守られた癒しと安らぎのイヤシロチ

すべてが在るべくしてここに在る
そんな気がしました。


夫妻の鳥小屋



鮮やかなオウムが静かに寄り添っていました。

私は夫婦仲が良く一生連れ添うといわれる鳥が大好きです。
夫妻もきっと切っても切れない仲だったんでしょうね。


ひっそりと立て札が立つ、人工的に開けた場所を発見

立て札によると、周辺は19世紀にはサトウキビ畑だったそうで
ポルトガル人、中国人、日本人、フィリピン人が働いていましたが、
20世紀初頭には人が去り、ジャングルとなっていったそう。


ダンと助手は深い藪を切り開いていく中でこの墓地を見つけました。
誰がいつ、誰のために建てたものなのかは知りようがないものの
「この墓を精一杯手入し、敬意を持って永遠に保存していく」
と記されていました。


どんな人生を送ったどこの誰なのかはわからなくても、
彼らが最高の場所で最高の形で永久の眠りにつけることは
まちがいなく、葬られた人にもそれを護る人にも感動しました。

こんなに素敵な場所


目の前に広がるオノメア湾

ごつごつした岩の間を白い波が渦巻くような場所
一瞬たりとも同じ表情のない自然の美しさと厳しさと。


これは双子岩(ツインロック)で、日本でいう夫婦岩。

ここにはかつてカハリイという先住民の村がありました。
ある日、多数のカヌーが沖合いに現れ、襲撃を恐れた
長老たちは1組の若い恋人に身を賭して村を護るよう託しました。
2人は一晩で岩となり、その周りには危険な潮が渦巻き
カヌーが近づけなくなったそうです。


これは園の入り口付近にあった鐘

かつてここには古い教会があり、園の案内所に使われていましたが
1988年に焼失。鐘は園の始まりの記念になりました。


目に入って来るすべてのものにストーリーがあり

それを記して訪れる人たちと分かち合い、
ここにある全てが大切なものであることを教えてくれます。


それはまた人でも、ありとあらゆる生き物でも同じことで
ひとつひとつが、ひとりひとりが有名無名にかかわらず

大切で尊いものなのだということに気づかせてくれます。


そんな優しさと祝福に満ちた谷
それを形にするために情熱も私財も捧げた夫妻

園全体に立ち込める神聖さは精霊が宿るからなんでしょう。
なんとも清浄で平安で、「地上の楽園」というガイドブックで
使い古された死語が、ふと息を吹き返すような場所でした。


緑の深さと海の広さと波の白さと

全てがただただ美しい場所


夫妻の情熱と努力と先見の明に

心から敬意を表します。
この地を永久に残してくれてありがとう、
ダン&ポーリーン

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ハワイ行:癒しと安らぎの植物園

2017年12月12日 | ハワイ:ハワイ島

ハワイ熱帯植物園

ありがちな名前の植物園ですが、
本当に行ってよかった


島のあちこちが植物園のようなハワイ島ですが



ここは一歩足を踏み入れたところからすべてが違う



創設者夫妻が世界中から集めてきた植物が多数あります。

ローズ・オブ・サイアム
本当に熱帯のバラのよう


この辺はトーチジンジャーと呼ばれ



どれも美しい花の松明



こんなに毛深い植物も(笑)

虫除けなのかな?


傾斜があるわりには遊歩道が整備されていて

とっても歩きやすかったです。
でも距離もあるので、歩きやすい靴が無難


谷なので平地が少ないのに

隅々まで驚くほど丹精されていて


それはそれはキレイ



園全体に癒しと安らぎが満ち満ちているような不思議な場所



これだったら植物が自ら生い茂り

(※パンダが飼えそうな竹林


実もたわわになり



いろいろな生き物が



自然に住み着きそう



いわゆるイヤシロチなんでしょうね



手入されているとはいえ、どの植物も

咲き誇り


育ち

ここに在ることを喜んでいるよう。


まるで水彩画のような



朽ちることのない

美しさ



この植物園にはたくさんの物語がありました


1977年に新婚のダンとポーリーン・ルトケンハウス夫妻は
初めてハワイ島を訪れます。
ダンは56歳。長年営んだ事業を売却したところでした。


その時、17エーカーの海に続く谷が売りに出ていました。
1メートル歩くにも草刈りが必要なほどのジャングルで
車や機械、電気製品やゴミが不法投棄された場所でしたが
ダンは海に続くこの谷を一目で気に入り、夢を描きました。


この海に続く美しい谷を買って、貴重で静寂な植物園を造り
人々に楽しんでもらい、素晴らしい谷を永遠に守ろう!


数ヵ月でダンは夢に着手し、その後8年の歳月をけけて
谷を整地し、植物を植え、知られざる滝を見つけ、池を造り

(※これが隠れていたなんて!)


遊歩道を整備し

助手たちとともに毎日朝から晩まで泥んこになって働き
1984年、とうとう一般公開に漕ぎつけました。



(つづく)
まぁ、そもそもが連載なんですが(笑)
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ハワイ行:白亜の寺

2017年12月11日 | ハワイ:ハワイ島

ヒロ散策を始めてすぐに気づいた白亜の建物

スパニッシュ・コロニアル風だけれど


和風にも見え



イオニア式の柱の上には

家紋


えぇぇぇえ
誰か立ってる
日蓮

親鸞でした



ナゾに美しい白亜の建物はお寺でした。


ここも1929年の大恐慌直前に完成してる

壮麗さに当時の日系社会が持っていた力のほどを感じます


その時、中から日本人の若いお坊さんが出てきて

なーんと中を見せて下さいました
教会風な造りで椅子がたくさん並んでいます。


絢爛豪華な祭壇
中の柱はコリント式

教会に対抗するにはこれぐらい派手な必要があったそう。


宗教の在り方自体が教会を模しているようで
週末に集まったり檀家の活動があったり教会に似ています。

信者さんの集会場もありました。


こんな半円アーチ窓なのに直線的なステンドグラスで

なんとなく障子風に見えてしまうから不思議


すぐ隣が大きな保険ブローカーで



キノシタさん

大きな檀家なのかな?


すぐ近くにスタバがあり

朝は毎日ここからスタートしていました。


別のお坊さんがたまたま隣の席で

信者らしき人の悩みを熱心に聞いていたこともありました。


このスタバはホームレスの人の出入りが自由で
お水をもらって行く人、トイレを借りる人いろいろでした。
お店の人がとても親切でお水に氷がいるか聞いていました。


ホームレスの人も丁寧にお礼をいい、仲間同士挨拶をしては
店を出て行きます。

そこで買った息子へのお土産のマグ
黒いロゴがNZっぽくて珍しいかなと思って。

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ハワイ行:ハワイのケパニ

2017年12月10日 | ハワイ:ハワイ島

1920年代のアメリカは、「永遠の繁栄」と呼ばれた成長を謳歌し
ヒロもサトウキビやパイナップルなど農作物輸出で栄え



その繁栄ぶりは古い建物に残るパイナップル・モチーフに

しのばれます。
多数のパイナップル御殿やサトウキビ御殿があったんでしょう。


ヒロで人気のレストラン「パイナップルズ」

いつも混んでいて今回は行かなかったものの、ぜひ次回に。


パパイヤも



豊かな水で育つタロイモも



海の幸も豊富で



ヒロは大勢の移民を受け入れながら繁栄を誇っていましたが

20年代末に大恐慌がアメリカを襲い、瞬く間に世界に伝播し、
農作物相場の大暴落で大きな痛手を受けたそうです。


大きな建物は大恐慌以前に建てられたものばかりで



傷跡の深さがうかがえます。

ここは1922年完成


こんなスパニッシュ・コロニアル建築自体が、

20年代全開


今も昔もバブル期には金をかけた一大開発が進むもの。

最大のS.ハタ・ビルは1912年の建設


この名前からもわかるようにハタ家は日系移民

砂糖の仲買で財をなしたそうです。


日本人はハワイ語でケパ二と呼ばれ
1920年には日系人人口がハワイ全体で43%に達したそう
そのかなりがヒロに集中していたんでしょう。

今でも小さなヒロのあちこちに小さな日本があります。
モチ&マンジュウという和菓子風お菓子


日系人は農業だけでなくあらゆる産業に進出していきました。

ここは「スイサン」(水産)というシーフード専門店


思わずいろいろ買い込んで



この日は部屋食



まさかここで子持ち昆布に出会うとは

(※塩漬けのままでこのままでは食べられませんでしたが)


サラダも調達



日本、NZ、ハワイと自分の来し方行く末を思いつつ

偶然見つけたNZ産ワインで乾杯


今回の旅行をヒロから始めたのは正解だったよう。



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ハワイ行:今日という日を繰り返す街

2017年12月09日 | ハワイ:ハワイ島

ハワイ島のヒロは古い街でした。



NZの多くの地方同様に

20世紀初頭に経済的なピークを迎え


その後100年近く経ても、街はほぼその時のまま

時が止まったかのような佇まい


経済的な必要性がないので



古い建物を補修をしながら使い続けています。

(※nzの多くの地方も同じ)


1922年に建てられ、その後部分補修したんでしょう。

(※経年のままに朽ちていく建物もたくさんあります)


街全体が減価償却を終えているような場所。

今日という日が、つつがなく繰り返されればそれでよく
特には上を目指さない、そんな暮らしぶりに見えました。


若い頃に出会ったら、退屈な場所だったでしょうが



50代で出会うにはなかなかいい場所でした。



「人生は今日という日の繰り返し」という真実を知り、

街と人の寿命は違っても、立ち居地に親近感を覚えました。


古い事もそれを大切に使う事もワルくない

新しく広げる必要がないのなら、


今あるものを大切にしていけばいい。



家族や友人のように。



何もない豊かさを心から愉しめる年齢に出会ってよかった。



50代の遅い出会いは、あるべくしてあったようです。



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ハワイ行:初ハワイはヒロから

2017年12月08日 | ハワイ:ハワイ島

2017年3~4月のハワイ旅行


夫婦して人生初だったという、日本人には珍しい2人
(※海外はさんざん行ったのに、なぜかハワイはスルー


4月1日は結婚記念日なので、行ったことのない場所
ということでハワイになりました。



次男の強力な推しもあり、まずはビッグアイランドことハワイ島

行く前から夫婦して
「ワイキキより気に入りそう
と踏んでいました。


ホノルルで国内線に乗り換えてハワイ島東側のヒロ空港へ。

空港からして南国調


トラックの大きさが

いきなりアメリカ(笑)
コークだし


空港でレンターカーを借りてやってきたのは

シェラトン・ホテル
だったらしい、ただのアパート(爆)


確かに敷地や池が広く、宿泊施設だったような造り

これが部屋ごとに切り売りされて個人所有になっているよう。
住んでいる人もいれば宿泊施設として貸し出している人も。
部屋にあったハンガーにはシェラトン・ホテルの印刷が(笑)


実はココでエアビーアンドビー・デビュー

ハワイ初上陸ながら、不動産投資の下見も兼ねていたので
むかしからハワイにある民泊のリアルを知っておこうと
エアビーを利用してみました


キッチン・バスルーム付のいわゆるスタジオルーム

ほぼネットで見たとおりでした。


左ハンドルに慣れないながらも、がんばってくれた夫

交通量が少ないのは助かります。


とにかくお腹がペコペコで
(※オークランドから乗り換え含めて13時間

目に入った中華系ベトナム料理ラムズ・ガーデン


5点満点で2.5点ぐらいでしたが(正直者)

腹ごしらえができて
いざ散策へ

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