入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「夏」(42)

2023年07月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  遠くで人の声がする。段々近付いてくる。かなり大きな声で男女二人だと分かる。テイ沢から来たのだろう。
 あの渓相で目にし、触れ、そして感ずることのできた清流、苔、オゾン、鳥の声などが、どんなふうに記憶されるだろうか。きっと悪い印象ではなかっただろう。
 
 あの人たちのように、知らない森や渓、入道雲の湧き立つ尾根道を、汗を流しながらよく歩いたものだ。特に、夏の山の大きな空、刷毛で薄く掃いたような雲、遠くまで続く山並みなど、もし今になって目にしたら、どんな気持ちになるのだろうか。「山のパンセ」のあの人と同じく、「もう登らない山」と決めたはずの山だが。

 こうして呟いて、さて、どこの山を想い浮かべているかというと、実は具体的な山の名を挙げることは難しい。仮に南であったり、北であったりしても、もっと狭い山域となれば、早送りしている映像のようで止まらない。
 誰かに、どこそこの山に行ったことがあるかと問われ、それに応える中で浮かんでくる山の姿なら映像は停止し、その時の経験なども思い出せる。
 結局はいろいろな山行がたくさんの色になって夏山の心象風景が出来上がっているのだろう。そうそう、夢の中に出てくる東京や奥多摩、秩父が実際の風景とは違うように、頭に残っている夏山も記憶が幾枚も重なってできた合成写真のようなものだとは言えまいか。
 
 仲間と歩いた山よりも単独の山の方がその色は濃く、登攀よりか気ままに歩いた山の方がまだ鮮やかで、懐かしい。しかも、一度しか訪れたことのない山の方が印象に深い気がして、何度も訪れた南陵や一ノ倉、あるいは奥又白や大樺沢は心象的には平凡である。もう一度行ってみたいというほどの気持ちがあるのかないのか、あってもそれほど強いとは思わない。
 それに、夏の山はそれが高かろうが低かろうが明るく、逆に冬の山は今の季節が夏だからということもあるだろうが、今はこのまま扉を開けずに、向こうの部屋にしまっておきたい。登攀についても同じだ。

 昨日、「山が心身を鍛えてくれた」と今さらのように思ったりしたものだが、そういう気持ちを持てたことは、何の意味もなかったと思うよりか自分の過去のために良かった。さて入笠については、はたしてどのような心象風景が出来上がりつつあり、その評価はどう下るのだろうか。

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 本日はこの辺で。
 
 
 

 
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