こんな天気ばかりだ
昨日の話の繰り返しのようなものだが、洞窟の住人には暦など当然なかった。季節の移ろいは、目でみて、身体で感じていただけだろう。かと言って、山桜の紅葉が先かそれともツタウルシが先かと問われて狼狽える者と比べれば、当然遠い時代の彼らの方がはるかに繊細に季節を感じ、記憶もしていたことだろう。
人に教えられてようやく、キノコの季節が来たことを知るようでは、あの時代ではきっと務まらなかっただろう。
(いや、「何を」って、ほら族長とか家長とかをさ。エ?いつの世でも駄目だろう、だって。ウムー・・・、キミは誰だ。)
暦の感覚の疎い自らを、暦のなかったほら穴の住人になぞらえてみようとしてみたが、それは彼らに対して大変に失礼だと気付いた次第。
谷川俊太郎が
海に発した命ゆえ盲のように海を見る
と詩った。
毎日まいにち雨と霧の森を、時に好んで、時に憎んで、ずっと眺めながら暮らしてきた。その度が過ぎたということなのか、それともまだ不足だということなのか・・・。
いま牛を見にいったら、暮れかけた北の空に大きな青空が広がっていて、霧ヶ峰や美ヶ原を久しぶりに目にすることができた。あの薄いブルーの空が、本格的な秋の予兆を告げているのか・・・まだ、分からない。
湘南UBSのキャンプ風景
コメントを下さった方々に感謝。FJEDさん、ほどほどに、と言っても止まぬでしょう。
山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業関しましては9月5,6日のブログをご覧ください。