昨夜も上に泊まった。朝外に出たら、霧雨の中を吹く風に思わず、「野分き」という言葉までが浮かんだ。野分きは立春から二百十日、あるいはその前後、9月の1日ごろに吹く強い風、もしくはさらにもっと下って初冬に吹く風のことも言うらしいが、言葉から受ける感じは後者の風の趣きの方が強い。ただ、二百十日は即台風の記憶と重なり、落ち栗を拾って歩いた遠い日が思い出される。
どちらにしてもまだ早い。にもかかわらず、人気のないキャンプ場を歩いていると、長雨に倒された草の上を渡る侘し気な風音が、何だか季節感まで狂わせてくれるようだった。
ともかく今年、入笠に夏は来ず、そして今は野分きならぬ初秋の風が吹いている。勝手にもうそのように決めて、木々の葉が色付く本格的な秋の到来を待つことにした。
今日は盆最後の日。送り火を焚き、先祖の霊を送る古き良き慣いに異を唱える気は全くなく、そうするように身内からも言われていながら、ついご無礼してしまった。
墓参りなど余程のことがない限りしない。そういうしきたりを尊く思う気持ちはあるが、ないとは言わないが、なかなか行動に結びつかないところは、他のことに同じ。
一昨年は除夜の鐘を聞きながら、墓前に額ずき不実を詫びた。昨年は一度だけだが、墓掃除には行ったような気がする。迎え火か、送り火のどちらかもしたような気がするが、はっきりしない。
ただこうしたことも、結局は死者のためというよりも生者のためにするようなもので、そうやって遠い祖先に思いをはせ、記憶に残る人々を偲ぶことで、いささかの平安を得ることになる。だから、亡妻の霊も、東京で一人暮らす娘の許を今年も訪ねただろうと思うことにしている。
かんとさん、そうでしたか。TBIさん大変でしたね。よろしくお伝えください。
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