入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「冬」(26)

2022年12月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日、また撮影の下見があって上に行ってきた。来年の話を、今の冬枯れの風景なぞ見てもどれほど参考になるのかと思いながら、それでも期待はしてしまう。撮影地に選ばれるか否かも含めて、まだまだ時間がかかるだろう。

 積雪はないと思っていたら、日の当たらない山道にはいつ降ったのかうっすらと雪が付いていた。焼き合わせを過ぎた2カ所の大きく湾曲する林道はやはり白くなっていて、冬道で一番難所になるド日陰の大曲がりもすでに根雪となって通行する者を緊張させてくれた。
 上の気温は正午近くで2度と、思っていたほど低くはなく、管理棟内に用意しておいた20リットル入りの水タンクが凍結していなかったのは意外だった。日帰りの予定でないなら、いつものように入り口の日当たりの良い場所に椅子を出して、ドロドロのウイスキーを飲んでで一息つくところだが、昨日は本格的な冬の前哨戦ででもあるかのように風が強くて、それすら思い留まっただろう。
 1週間前に来た時は気温は零度以下でも、冬鳥は目にした。しかし今回はその姿もなく、肌を刺すような風のせいなのかと思った。
 
 それとやはり、今回も鹿の姿がなかった。いつもなら、それでも雪の上に足跡くらいは残っているものだが、それすらない。第3牧区、第5牧区、第2牧区、そして第1牧区と回ってみたが1頭すら目にすることがなかった。もっと寒くなる厳冬期、積雪が膝くらいになっても、決まって牧場や付近の林に残留する鹿の群れを目にしたものだというのに、日頃の宿敵とも言える厄介な野生動物の身を案じている自分に気付いて、嘲うことになる。
「この世界に住んでいるのは、主に人間とその家畜なのだ」とか「今日、大型動物の九割以上が家畜化されている」などという現実を最近改めて知らされたせいもあるだろう。長年、これでも農協の畜産課の番外に身を置いてきた者として、この言の意味するところは重く、複雑でもある。
 それでいて、昨夜も豚汁を作ったし、明日は人を呼んでクマ汁と秋刀魚飯を供するつもりでいる。また、鹿の世界に行けば即刻死刑を宣告されるだろうが、越年には鹿の背ロースも用意してある。
 
 仮に菜食主義者になっても、それは自己満足でしかない。実際、鹿肉は食べないし、牛肉も、値段のせいもあるが、極力食べないが、それで助かった鹿も牛もいないだろう。
 大多数の人は店頭に並べられた肉片の本当の姿など思い浮かべないし、新鮮なネタの寿司を食べるのに海中を泳ぐ魚のことなど想像しない。数時間後にはその残滓が体内から排泄されることなど1秒すら考えずに、ハシャグぐのと同じだ。
 誰もどこへ向かって進んでいくか分からない文明を止められないのと同様、人類ゆえの宿命だと考えるしかない。

 本日はこの辺で。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする