私の脳は考えることを止めてしまった。
涙もでなくなった。
今起こっていることは、現実で私の身に起きていることなのだろうか?
本当は私が死んでしまっていて、違う世界にいるのではないのか?
母の身体の変化を唯、淡々と受け入れながらも
母がいなくなってしまうことは考えられなくなってしまった。
姉は、母のことだから、このままガンと共存して
生きていくんじゃないかと思うと言った。
現実を受け入れられないと泣いた。
私は、主治医から見せられた画像の真実を
思い出しながら、でも現実は違うんだよと心でつぶき、
客観的に姉の思いを聞いた。
姉が、母に電話をかけてきた。
どこか痛みはあるのかとの問いに、
特にどこもないと答えているようだった。
そして、足のむくみがなくなってきたと姉に言った。
姉の言うとおり母はこのまま生きていくかもしれない。
母は強い人だもの。私もそう思った。
主治医に母は痛みを我慢しているのかと
尋ねると感じていないのでしょうと言ってたことを思い出した。
だが、翌日少し右脇腹付近にてを当てるようになった。
どこか痛いのかと尋ねると、何かの拍子で痛いと言った。
退院後、母は元気で私とともに3食の食事をとった。
私がいない間に洗濯物をたたんでくれたり、
私が買い物に出かけている間に毛染めまでしていた。
入院することになると思ったのだろう。
医師からの病状説明が本人と、家族に行われる前日
私は、主治医に連絡した。
なるべくソフトな説明で、希望をもてる言い方で説明して欲しい。
余命を聞かれても、絶対に本当のことは言わないで欲しいとお願いした。
痛みを口にするようになった母を考えると、
本当にこれでいいのか?
逆に変に希望を持たせていいのだろうか?
そうすることで母は我慢を続けてしまうのではないか?
医師との電話を切ってからも私は悩んだ。
医師からの病状説明の日、何かこれから楽しいことでも
始まるような慌しさで家をでた。
前日から、姉は子供たちを連れとまりに来た。
姉ももう泣かなくなっていた。
内緒で、母の弟である千葉の叔父に来てもらった。
わたしたちも初めて説明を受ける。
家族が重く受け止めない。いつも通りの生活をする。
このことを心がけ診察室に母と入った。
主治医は、「結果が出ました。知りたいですか」?
と母に聞く。
母は「がんでしょ。知りたい。」
と答えた。
主治医は、がんという言葉は使わずに
結果が良くなかったこと。
最近はいい薬があり、家でも治療ができると説明した。
母はその説明を聞き入れ、
特に質問をしなかった。
唯、今日は診察しないのかとだけ言った。
主治医は、「さっき診察しましたよ。
さわってどこが痛いのか聞きましたから。」
母が診察室を出て行ったあと
私は、主治医に再び余命と
今の現状を聞いた。
母の身体の変化が、速いスピードで進んでいる。
母の計らいで、出前のお寿司をとった。
母も、いくつか口に運んだ。
いつもと変わらない食卓だった。
そして、千葉の叔父を送りがてら
鎌倉の海を少しドライブした。
母は久しぶりに弟との会話を楽しんでいるようだった。
家に帰ってからしばらくして、母が今までにないような
悲鳴を上げた。
痛みで声も震えてしまっている。
我慢強い母が、思わず声をだしている。
「痛みを我慢したってしょうがないんだよ。
治療はできないんだよ。だから無理しなくていいんだよ
痛みをとってもらうことしかできないんだよ」
心で母に訴えた。
「病院に行こうか?」
きくと、「しばらくすれば治まるから、大丈夫だから」
震える小さな声で答えた。