あれはいつのことだったろう。横浜スタジアムでのパールボウル準決勝、場内アナウンスが奮っていたっけ。
「第一試合、松下電工インパルス対NECファルコンズ、バトル・オブ・エレクトロニクス! 第二試合、レナウン・ローバーズ対オンワード・オークス、バトル・オブ・アパレル!」
もはやレナウン・ローバーズは存在しない。私の中でライスボウルといえば「京大vsレナウン」だったのに。(アメフトにハマった時期的に)
NECファルコンズも存在しない。SEに絞って就活した結果、一部リーグで活躍してるチームがあるからとNECのソフト子会社に入ったのに。(就活なんて略語もなかった時代です。ファルコンズはNEC本体ではなくグループ会社のチームだったので、後援会にも入れませんでしたが)
インパルスはがんばっているけど、社名変更で「パナソニック・インパルス」になってしまったのはほんの少し寂しい。
そして、オンワード・オークス。
「日産のアメフト部は日産プリンスパルサーズっていうんだぜ」
「じゃあオンワードは樫山ズか?」
なんてこと言ってたらほんとに樫(オークス)だった。パルサーズも、もういないよな。Xリーグがまだ「東京スーパーボウル」だった時代。パールボウルのゲストに「49ersの」ジョー・モンタナが来りしてた時代(「これから毎年来ます」と言ったわりにそれきりだったような。その後チーフスで復帰して忙しくなったかな)。
オールドファンだと自慢するわけじゃないけど、私のイメージではリクルート・シーガルズも若いチームだし、鹿島ディアーズさえ新興チームだったりするのです。(最近見てないと言ってるようなものだけど)
雨の駒澤競技場で、1チームの人数より少ない観戦者(20人もいなかったかも)の一人として、オンワードと戦うNECを応援したのが懐かしい。(いまでは関東の社会人は東京ドームでの試合がほとんどな気がするけど、当時ファルコンズは悪天候に強かった印象がある)
オンワードは一時期、「オンワード・スカイラークス」と名乗っていた。企業チームから、企業にスポンサードされるクラブチームとなって、「すかいらーく・スカイラークス」と合併したものだったと思う。合併前のすかいらーくは「競技することは仕事に生きるから、入社3年(だったかな)はアメフトだけやれ、そのあとは仕事に専念」という考えだったと、アメフト月刊誌で当時読んだ記憶がある。だからベテランはいないけど、社の理解の下で、卒業引退を控えた学生選手のような緊迫感で戦っていただろうそんな若い選手たちがオークスに合流したのだから期待は高かったし、それに答えたと思う。
でも今シーズン前にすかいらーくが支援から撤退、懐かしいオークスというチーム名に戻ったのはオールドファンとしてはうれしかったのだけど。
NECファルコンズの撤退は、たぶんだけど、予定されたものだったと思う。パールボウルトーナメントでの活躍にも関わらず、補強していこうという意思がある時期からまったく見えなかったから。「これだけの実績を上げたから、来年はいい選手に入ってもらってさらに」と期待するのだけど、次のシーズンはまた同じようなメンバー。解散したときは納得してしまった。
けどオークスは、チームにとっても選手にとっても、かなり急だったんじゃないかなぁ。今年に入ってのこの経済情勢ったらなぁ。
それとももしかするとだけど、「最後はオークスの名で」ということだったんだろうか。
(あやふやな記憶と思い込みとで書いています。)
「第一試合、松下電工インパルス対NECファルコンズ、バトル・オブ・エレクトロニクス! 第二試合、レナウン・ローバーズ対オンワード・オークス、バトル・オブ・アパレル!」
もはやレナウン・ローバーズは存在しない。私の中でライスボウルといえば「京大vsレナウン」だったのに。(アメフトにハマった時期的に)
NECファルコンズも存在しない。SEに絞って就活した結果、一部リーグで活躍してるチームがあるからとNECのソフト子会社に入ったのに。(就活なんて略語もなかった時代です。ファルコンズはNEC本体ではなくグループ会社のチームだったので、後援会にも入れませんでしたが)
インパルスはがんばっているけど、社名変更で「パナソニック・インパルス」になってしまったのはほんの少し寂しい。
そして、オンワード・オークス。
「日産のアメフト部は日産プリンスパルサーズっていうんだぜ」
「じゃあオンワードは樫山ズか?」
なんてこと言ってたらほんとに樫(オークス)だった。パルサーズも、もういないよな。Xリーグがまだ「東京スーパーボウル」だった時代。パールボウルのゲストに「49ersの」ジョー・モンタナが来りしてた時代(「これから毎年来ます」と言ったわりにそれきりだったような。その後チーフスで復帰して忙しくなったかな)。
オールドファンだと自慢するわけじゃないけど、私のイメージではリクルート・シーガルズも若いチームだし、鹿島ディアーズさえ新興チームだったりするのです。(最近見てないと言ってるようなものだけど)
雨の駒澤競技場で、1チームの人数より少ない観戦者(20人もいなかったかも)の一人として、オンワードと戦うNECを応援したのが懐かしい。(いまでは関東の社会人は東京ドームでの試合がほとんどな気がするけど、当時ファルコンズは悪天候に強かった印象がある)
オンワードは一時期、「オンワード・スカイラークス」と名乗っていた。企業チームから、企業にスポンサードされるクラブチームとなって、「すかいらーく・スカイラークス」と合併したものだったと思う。合併前のすかいらーくは「競技することは仕事に生きるから、入社3年(だったかな)はアメフトだけやれ、そのあとは仕事に専念」という考えだったと、アメフト月刊誌で当時読んだ記憶がある。だからベテランはいないけど、社の理解の下で、卒業引退を控えた学生選手のような緊迫感で戦っていただろうそんな若い選手たちがオークスに合流したのだから期待は高かったし、それに答えたと思う。
でも今シーズン前にすかいらーくが支援から撤退、懐かしいオークスというチーム名に戻ったのはオールドファンとしてはうれしかったのだけど。
NECファルコンズの撤退は、たぶんだけど、予定されたものだったと思う。パールボウルトーナメントでの活躍にも関わらず、補強していこうという意思がある時期からまったく見えなかったから。「これだけの実績を上げたから、来年はいい選手に入ってもらってさらに」と期待するのだけど、次のシーズンはまた同じようなメンバー。解散したときは納得してしまった。
けどオークスは、チームにとっても選手にとっても、かなり急だったんじゃないかなぁ。今年に入ってのこの経済情勢ったらなぁ。
それとももしかするとだけど、「最後はオークスの名で」ということだったんだろうか。
(あやふやな記憶と思い込みとで書いています。)
「レナウン アメフト」と
検索していましたら、
こちらの書き込みを
見つけました。
"バトル オブ アパレル"、
懐かしいです。
あれは確か私が
入社(入部)した年か
翌年でしたから
90年か、91年の
パールボウル予選の
準決くらいかと思います。
会場は横スタでした。
あのとき私は4-3のDTと
スナッパーで出てました。
確か、
試合は最後にQB須永君に
そのまま持っていかれて
負けましたが、
中々燃えた試合でした。
・・・
あの試合から18年、
当時あった企業チームも
殆ど姿を消しています。
地元が東海地区なので
「どんな感じかな?」
と思い、名古屋の某チームで
プレイしましたが
色んな面でショックを受け、
チームは辞めました。
手元には学生時や
レナウンの頃の試合ビデオが
大切に保管してあります。
現役時の試合や
練習風景は
私の一生の宝物です。
長文、
失礼しました。
場内アナウンスの係りの人、そのフレーズを自分でかなり気に入ったようで「バトル オブ アパレル」「バトル オブ エレクトロニクス」を連呼してましたね。
NECファルコンズ応援グッズのバンダナ、処分する気にもなれず保管しています。
選手どころか後援会でさえなかった私でもそうなのだから、各チームの関係者にはいろいろな思いがあるのでしょうね。
応援グッズを
いつまでも持っている人達って
いたのかもしれませんね。
私はグランドコート、
トレーナーを未だに
持っています。
グランドコートは当時、
ローバーズの関係者のみに
配られたものです。
(当たり前か!笑)
横スタをはじめ、
千葉マリン、駒沢陸上、
川崎球場…
どれも思い出深い
試合会場です。
昨日、久しぶりに
タッチダウン誌を
立ち読みしていたら
当時ローバーズで
コーチだった猿木さんが
ゼロックスにいらっしゃることを知りました。
川崎球場はスタンドがなくなってしまったのですよね(球場自体なくなったと聞いて驚きましたが、スタンドなしの球場として残ったときいて少しうれしかったです。)
私自身、あの頃は独身の暇に飽かせて、1日で4試合も観戦したりしていました。ひいきのチームの試合でなくても自分が座ってるほうのサイドのチームを応援して。
ですね!
私もスカウティングのため初めて駒2へ行ったときはグランドの近さにビックリしましたよ(笑)
初めて間近で見たチームは日大でした。
間近で見るまでは真っ赤だと思ってましたが微妙にオレンジぽっかったのを見て、当時はビックリしたものです。
日大といえば、いつだったかたぶん横スタでの試合で、判定が不服だったのか篠竹監督がフィールドにずかずかと入ろうとして、スタンド中から「とっつぁん、入るのだけはだめだ~」とツッコミの声が上がってた記憶があります。他大学の偵察部隊からも「とっつぁん」と、たぶん愛情と尊敬呼ばれ方をするすごい人なんだなと。それがすでに故人ですから、時の流れです(なんか昔語りスレにしてしまっていますが)
篠竹さんが審判の判定に対し
グランドに入っていくシーンで思い出すのは
84年に戦った、対関学戦ですねぇ。
QB松岡さんのスニークで
審判団の判定が割れたとき
篠竹監督は審判に指をさしながら
抗議しにグランドへ入って行きました。
行動の良し悪しは別として
試合中、
監督にあのような熱い行動を
見(魅)せられると選手たちには
伝わるものってありますよね。
QB鈴木隆之、松岡秀樹、ディフェンスキャプテンの植田隆雄、DTのババこと田中、みんな泣いていました。その涙は、過去の日本シリーズで西武対巨人の9回2アウトのファーストを守っていた清原が流した涙と同じに涙に思えました。それはRRの選手はシルバースターが憧れであり尊敬しているチームだったからだと思います。シルバースターに入りたかった私もその一人でした。