「この賛美歌、大好きなのだけどクリスマスの時期しか歌えないのよね~」というのはよくある話。けど、よく考えるとおかしなことなんじゃないだろうか。
私たちが賛美を捧げる相手は、時を支配される神であって、時にしばられる方ではない。一方「季節の賛美歌」というのは、つまり時にしばられるということになるんじゃないだろうか。
でも待てよ、賛美される神は時の外にいても、賛美する私たちは時の中にいるわけで。
というかそれ以前に、賛美歌と言いながら「神を賛美」してはいない曲がけっこうあるんだよな。信仰の歌、証しの歌ではあるけど、賛美の歌ではないやつ。
たとえば、母の日の定番である「幻の影を追いて」は私の好きな歌の一つだけど、「母の信仰を顕彰する歌」であって「神を賛美する歌」ではなかった。
実は、クリスマス礼拝のプログラム案づくりをまかされていて、「賛美歌」の選曲で苦労しているのです。
考え出すと「もろびとこそりて」さえ、人に向かって(いわば水平指向で)よびかける歌で、神に向かって(いわば垂直指向で)歌う歌詞ではないわけで。あ、でも、たとえば「礼を言う」と言えばそれ以上お礼の言葉(ありがとう等)を言わなくても礼を言ったことになるのと似たようなもので「迎え奉れ」で迎え奉る意味になっているのだろうか。
難しいよぉ。考えすぎてわけわこからなくなってる。
私たちが賛美を捧げる相手は、時を支配される神であって、時にしばられる方ではない。一方「季節の賛美歌」というのは、つまり時にしばられるということになるんじゃないだろうか。
でも待てよ、賛美される神は時の外にいても、賛美する私たちは時の中にいるわけで。
というかそれ以前に、賛美歌と言いながら「神を賛美」してはいない曲がけっこうあるんだよな。信仰の歌、証しの歌ではあるけど、賛美の歌ではないやつ。
たとえば、母の日の定番である「幻の影を追いて」は私の好きな歌の一つだけど、「母の信仰を顕彰する歌」であって「神を賛美する歌」ではなかった。
実は、クリスマス礼拝のプログラム案づくりをまかされていて、「賛美歌」の選曲で苦労しているのです。
考え出すと「もろびとこそりて」さえ、人に向かって(いわば水平指向で)よびかける歌で、神に向かって(いわば垂直指向で)歌う歌詞ではないわけで。あ、でも、たとえば「礼を言う」と言えばそれ以上お礼の言葉(ありがとう等)を言わなくても礼を言ったことになるのと似たようなもので「迎え奉れ」で迎え奉る意味になっているのだろうか。
難しいよぉ。考えすぎてわけわこからなくなってる。
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