医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

「よむ」は良き人生の基本

2014-08-31 23:48:58 | 医療と介護
★頭の良しあしは、能力の差ではなく、努力の差。
頭脳の潜在能力に、違いは、ほとんどない。
どのくらい「努力」をしたかで決まる。
★レオナルド・ダビンチは名画「モナ・リザ」に4年とも6年とも言われる歳月を費やしたとも言われている。
★絵を描くことは、人間とは何か、自分は何なのかを自身で考える、絵筆による思索だと思っています。
その中で、存在することのすごさを本当に見いだすことができたならば、「いかに生きていくか」、を考えることにつながっていきます。
“これでいいのだろうか”と周りばかり見ていると迷うことが多いでしょう。
でも、自分が信じたものをやり続けていく中で、生きる意味、生き方の答えが必ず見つかると思っています。画家・野田弘志さん
★「よむ」とは本来、もっと広く考えるべきことだと思います。
目の前のものから読み取るのは、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、読む側の経験とは知識とか人生とか、全人格がかかっているのです。
「本をよむ」こと。つまり、読書の楽しさや豊かさの原点は、その人の全感覚と内面性が生む喜びです。
内面を豊かにすれば、本当は聞き取る力も豊になるのです。
深い人間が増えること。それが社会に奥行きをもたらすはずです。
作家・神奈川近代文学館館長・辻原登さん
 







どうして若者は投票にいかないのか?

2014-08-31 09:52:58 | 社会問題・生活
日本の高齢化率は2014年で26・1%と推計されている。
2012年の前回衆議院の投票率は59・32%。
年代別投票率で最低は20歳代の37・89%。
30歳代も50・10%にとどまる。
最高は60歳代の74・93%。
70歳代は63・30%だった。
若者が投票に行かなかったことが投票者の高齢化率を押し上げた。
どうして若者は投票にいかないのか?
若者と政治の接点は見当たらない。
それが若者の政治離れを助長している。
「政治は社会を良くしていく動きだ。関わらないのはもったいない」
NPO法人ユースクリエイト代表原田謙介さん(28)

老いの肯定的な面を「老いがい」としてとらえ直す試み

2014-08-31 09:27:52 | 受けとめる力
「老い」を肯定的にみる
老いは喪失だけではない。
別の何かを得ることもある。
老いる過程で人は新しい人生の価値を創造していく。
生―老―死の循環を直視し、「いま」を本気で生きるように促す。
老人にとっては、自分の歩んできた時代体験を次世代につなぎ、生命の連鎖を見届ける―そこに老いがいの重要な意味がある。
「生きがい」:「老いがい」
老いを有能か無能かという一元的な価値尺度から解き放ち、老人にのびやかな生を約束するには何が必要か。
老いの肯定的な面を「老いがい」としてとらえ直す試みが様々な観点かた大切であることを強調したい。
そこ「老い」を肯定的にみる
老いは喪失だけではない。
別の何かを得ることもある。
老いる過程で人は新しい人生の価値を創造していく。
生―老―死の循環を直視し、「いま」を本気で生きるように促す。
老人にとっては、自分の歩んできた時代体験を次世代につなぎ、生命の連鎖を見届ける―そこに老いがいの重要な意味がある。
「生きがい」:「老いがい」
老いを有能か無能かという一元的な価値尺度から解き放ち、老人にのびやかな生を約束するには何が必要か。
老いの肯定的な面を「老いがい」としてとらえ直す試みが様々な観点かた大切であることを強調したい。
そこから日本社会の将来像が浮かび上がってくるはずだ。
東京家政学院大学学長・天野正子さん

輪太郎はミュージシャンを名乗るアグネスに心惹かれる

2014-08-31 01:33:35 | 創作欄
1990年代、取手駅周辺には2つのフイリピンパブがあった。
妻を亡くした寂しさから利根輪太郎はフイリピンパブにしばしば行くようになった。
輪太郎は失業をしていたが、不思議とのめり込んでいた競輪が順調であったのだ。
死んだ妻に操を立てるつもりはなかったが、フイリピンパブのホステスたちと深いなかになるつもりもなかった。
6号線沿いのビルにフイリピンパブのホステスたちの宿舎があったが、不思議なもので何度か共同生活をしている彼女たちの生活の場に招き入れられていた。
5人が3DKの部屋で共同生活をしていた。
彼女たちは風呂から上がると下着姿で利根輪太郎の前に姿を見せ、洗い髪をとかしたり、化粧直しなどをしていた。
42歳の輪太郎は「パパ」と呼ばれていた。
輪太郎はフイリピンに帰国する彼女たちのお土産なども買っていた。
休日の日には上野、浅草などへ彼女たちを案内もしていた。
「わたし、3年前、日本に来た時、男にだまされたね。だから、もう、だまされないね」テスは言った。
テスは自称・産婦人科の医師であった。
日本の病院で勉強したいと言っていたが・・・
輪太郎はミュージシャンを名乗るアグネスに心惹かれていた。
祖父がスペイン人と言っていた。
情熱的な目の輝きに惹かれていたのだ。
彼女たちをどこまでも、ただ愛玩するだけの男に徹したいと利根輪太郎は想っていた。

自称・競輪車券師との出会い

2014-08-31 00:44:08 | 創作欄
利根輪太郎が取手競輪場の特別観覧席で自称・競輪車券師に出会ったのは、2度目の失業の時期だった。
看護師をしている妻が肝臓かんで亡くなって8か月が過ぎていた。
5月28日が妻の命日であったので、輪太郎は5-2-8の車券を買い続けていた。
その日に、5-2-8で的中した車券の配当は423倍。
1000円的中したので、42万3000円を輪太郎は払い戻した。
だが、輪太郎の特別観覧席の隣の席に座っていた60代と想われる白髪の男は1万円も買っていたので423万円も払い戻していたのだ。
地元の常陽銀行の帯付がかかった100万円の束が4つである。
「やりますね」と言いながら輪太郎は男に興味を覚えた。
「どこかで、以前会っていませんか?あなたは、取手の人ですか?」と男が輪太郎の顔を見詰めた。
「そうですが」と言いながら輪太郎も改めて男を見詰めた。
「私の記憶が確かであれば、伊東競輪場で会ったような気がしますね」
輪太郎の妻は伊豆の川奈の出身であり、妻が実家へ帰った時に何度か伊東競輪場へ行っていた。
最後に伊東競輪場へ行ったのは妻が余命半年と宣告された年であった。
それでも妻の美樹はそれから2年余、命を長らえたのだ。
看護師をしていた妻がなぜ、早期のうちにがんに気づかなかったのか?と輪太郎は悔やまれた。
そして医療・医学の限界も感じた。
妻は1年1回の定期検診を確り受けていたのだ。
一方、輪太郎はほとんど、健康診断を受けていなかった。
まだ、美樹は32歳の若さであった。
互に子どもを欲していたのに・・・
妻が亡くなってから悲嘆に暮れ、輪太郎は酒に溺れてしまった。

「2人の娘は宗教を一生懸命やっている」

2014-08-30 18:18:54 | 雑記・断片・映像
取手競輪場で知人に会う。
競輪仲間は互いに名乗らない。
「しばらくですね」
「忙しんだ。今、介護施設のカーテンの仕事があって」
「忙しいことはいいことですよ」
「もう、仕事は十分、後は旅行へ行くだけ」
温泉が好きな知人であり、奥さんと全国中の温泉へ行っている。
「娘さんは、今、何をしているのですか?」と聞いてみた。
「2人の娘は宗教を一生懸命やっている」
「宗教ですか? 以前は勤めていましたね」
「辞めて今は、宗教活動をしているよ。うちの奥さんが支援をして・・・」
「どのような宗教ですか?」
「エホバの証人」
「うちにもよく来ますよ。うちのカミさんがその女の人を綺麗で本当にいい子だと言って、褒めています」
「そう、いい人が多いね。男性も真面目で本当に性格がみんないいね」
「そのようですね」
「娘さん、結婚するといいですね」
当方は我が家の次男の結婚相手を何とかしたいと考えているのだが・・・
「相手もエホバでないと結婚できないんだ」
「そうなのですか?」
「相手がエホバの信仰をしていない場合は、エホバを止めなければならない」
これまで長い付き合いであったが、プライベートの話をしたのは初めてであった。

「太く、短く生きるんだ」

2014-08-30 08:42:17 | 雑記・断片・映像
昨日の朝は霧のような雨が降っていたが、今朝は本降りの雨であった。
目覚めたら部屋が明るくなっていた。
久しぶりに寝坊である。
6時10分になっていた。
散歩の途中、部活へ向かう中学生たちが前を歩いていたが、8人全員がのろのろ歩いていた。
追い抜いてコンビニ買い物をして外へ出て来たら、コンビニの前を通過するところであった。
背後から来たバスが停まり、前のドアが開く。
バス停ではないはず。
運転手が「お早うございます」と挨拶する。
怪訝に思って運転手を見たら友人の山田さん(仮名)であった。
消防署を定年退職して、大利根交通のバスの運転手になったのだ。
背後からであるが傘をさし、帽子もかぶっている当方に気づいたのだ。
突然の停車に乗客もさぞやびっくりしただろう。
奥さんは家人の友人で現在、パーキンソン病で療養している。
傍若無人の友人小山は50歳、肝硬変で死んでしまったが、「オイ、山田いるか! 小山だ、酒を飲みに来たぞ!」と玄関で叫ぶ。
奥さんが嫌な顔をしていたが平気である。
30代のころは、ワンカップを買い物袋に入れて歩きながら、取手一高の女子生徒に向かって「ねいちゃん、酒飲まないか?飲めばニキビ消えるよ」などと声をかける。
顔立ちは意外やソフトでイケメンなのだ。
「飲まないの?それじゃオイラが飲むよ」と蓋を開けるのだ。
その小山は賞与をもらうと取手競輪場へ向かった。
年に2回、20万円で勝負するのだ。
賞与の残りは奥さんに預けていた。
1目1万円、ゾロ目の4-4、5-5、6-6だけを買う。
ゾロ目以外は買わない男であった。
それで最高246万円を払い戻した。
「小山の真似はできないな」と皆は呆れたり、驚いたり。
競輪好きの間では、小山は特異なタイプの人間だった。
「太く、短く生きるんだ」と小山は言っていた。









取手在住の作曲家・御薗和政さん 地元「八重洲」の歌を作曲

2014-08-30 00:29:18 | 受けとめる力
「平和のこころの詩」

作詞:せとさだしさん

知人の取手在住の作曲家の御薗和政さんに地元「八重洲」の歌を友人の林田さん(仮名)が依頼したのは、数か月前だった。
御薗さんは「いいですよ、作りましょう」と応じていただいた。
そして、昨日、午後7時30分からの会合の後に、作曲された曲「平和のこころの詩」をみんなで聞いた。
音符が読めないので、どのように歌うべきか分からなかった。
作詞は御薗さんの友人の作詞家のせとさだしさんであった。

現代(いま)蘇る 加賀千代女の こころ詩(うた)
「朝顔につるべ取られてもらい水」
ああ・・・やさしさ いたわり 思いやり
このこころ みんなで暖め ひろげれば
躊躇(ためら)う こころも ほがらかに
平和の風が 飄々と 吹きわたる

以下2番、3番の歌詞が付いていた。

「医薬品リスク管理計画(RMP)について」のページを更新

2014-08-29 23:55:33 | 医療と介護
┏━━━━━━━━━━━【PMDAメディナビ】━━━━━━━━━━┓

医薬品リスク管理計画の掲載のお知らせ
( 2014/08/29 配信)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

今般、「医薬品リスク管理計画(RMP)について」のページを更新しましたのでお知らせします。
http://www.info.pmda.go.jp/rmp/rmp_index.html#select2


RMP提出品目一覧に、以下の医薬品のRMPを新たに掲載しました。


■販売名:アノーロエリプタ7吸入用/30吸入用
一般名:ウメクリジニウム臭化物/ビランテロールトリフェニル酢酸塩
製造販売業者:グラクソ・スミスクライン株式会社

■販売名:カナグル錠100mg
一般名:カナグリフロジン水和物
製造販売業者:田辺三菱製薬株式会社

■販売名:ザイティガ錠250mg
一般名:アビラテロン酢酸エステル
製造販売業者:ヤンセンファーマ株式会社

■販売名:ビプリブ点滴静注用400単位
一般名:ベラグルセラーゼ アルファ(遺伝子組換え)
製造販売業者:シャイアー・ジャパン株式会社

■販売名:プレベナー13 水性懸濁注
一般名:沈降13価肺炎球菌結合型ワクチン(無毒性変異ジフテリア毒素結合体)
製造販売業者:ファイザー株式会社


※「医薬品管理計画(RMP)について」のページにつきましては、
当週分の新規RMP掲載をとりまとめてお知らせさせていただきます。


RMPの詳細については、医薬品・医療機器等安全性情報No.300にも
解説されていますのでご参照ください。
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【医薬品・医療機器等安全性情報No.300】
http://www.info.pmda.go.jp/iyaku_anzen/file/PMDSI300.pdf#page=3
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徹が取手住人になった背景

2014-08-29 16:21:29 | 創作欄
徹と瞳は近隣に住んでいて、母親同士が友人関係あったことから見合い結婚をした。
見合いを取り持ったのは地元の信用金庫の支店長の奥さんであった。
「水上さんのお嬢さの瞳さんも28歳、このままでは婚期を逃すわ。木島さんの息子どうかしら、30歳なのよ。2人の見合いどうかしら?」
支店長の自宅の池田宅は水上家の3軒先のバス停前にあった。
「木島さんの息子さんね。奥さん何時も独身で肩身が狭いと言っていたわね。両隣の息子さんも前のお宅の息子さんも結婚して既にお子さんが居るのに、うちの息子は全く結婚する気にならない、とこぼしていわね。娘の瞳に見合いをする気があるかどうかを聞いてみるわ」
「そうしなさいよ。私が中を取り持つから、任しておいて」水上沙知絵は世話好きで既に5回も仲人を経験していた。
結局、徹と瞳は小田急線の町田駅前のレストランで見合いをした。
そして、すんなりと結婚に至ったのであるが、徹の母親が子離れできない質であったのだ。
食事の世話から風呂の世話まで母親の貴子が取り引っていたのだ。
瞳は母親の文子に愚痴をこぼした。
「親しい友たちでも家庭のことまでは、分からなかったわね。変なお母さんだったのね。嫌になったら何時も戻ってきていいのよ。瞳が結婚して不幸になるのは私見たくない。父さんが生きていたら相談できるんだけどね」と涙ぐみながら過剰反応をした。
そして他人に愚痴をこぼした。
そのことが人から人に伝わり徹の母親の耳に入った。
「私が子離れしない母親だって、何時も別れてもいいとも言ったのね。徹、瞳さんと別れなさい。あんな母親の言いなりなる嫁はいらないよ」と感情的になる。
徹の母親も人に愚痴をこぼした。
それが人から人に伝わったので事態がややっこしくなった。
結局、瞳の兄の孝蔵まで感情的になった。
「このままでは妹の瞳が不憫だ」と言い出し、徹が仕事で大阪に出張に行っている間に実家に連れ帰ったのだ。
東京へ来る以前、神戸に住んでいた瞳の母親は「芦屋夫人になりたかった」と過去を振り返ることがあった。
また、徹の母親は東京・大田区田園町本町に住んでいたこともあり、「田園調布夫人」できればなりと願っていたのだ。
また2人は娘時代、裕福な家に育ちお嬢さん気質を引きずり、互にプライドも捨てがたかったのだ。

創作欄 取手の人々

2014-08-29 15:42:59 | 創作欄
1年遅れであるが、人生の完全燃焼へ向かって、一歩を踏み出そうと徹は想った。
奇しくも茨城県取手市の住民となって20年余、愛着も湧いてきた。
あの頃、徹は大学の友人に相談を持ちかけいた。
「田中、嫁さんの実家が近いことが、そもそも問題だな」
徹の愚痴を聞いて友人の木島孝司は指摘した。
2人は酒を飲まないので、常に会えば喫茶店で懇談していた。
木島は紅茶で徹はソーダー水である。
子どもの頃から緑色が好きな徹は、緑色のジーパン姿である。
「緑のジーパンか」と木島は呆れた顔をした。
徹のバックも緑色であった。
「雇用促進住宅を田中に斡旋するよ」
「雇用促進住宅?」
「労働省の外郭団体の雇用促進事業団の住宅なんだ」
「つまり、木島が勤務する労働省の傘下団体なんだね」
「そう。普通は容易に入居できない。倍率は30倍以上。家賃が安いんで入居希望者が殺到している」
「それで、その雇用促進住宅を木島が斡旋してくれるんだ。有難い」
「船橋と取手に空きがある。どちらにする」
「船橋がいいな」
徹は競馬好きなので船橋を選らんだ。
「船橋は築15年、古い。取手は築2年、まだ新しい。瞳さんに聞いてみたら」
木島は瞳の性格を知っていたので促した。
徹は頭が上がらない妻の瞳の意見も聞くことにした。
惚れた弱みを徹は引きずっていた。
「かかあ天下」になるなと木島が予測していたとおりに、妻の瞳が家庭の実権を握っていたのだ。
男4人兄弟の家庭の一人娘であった瞳は、3人姉妹の家庭の一人息子として育った徹より、性格が勝っていたのだ。
結局、瞳が選んだ取手市内の雇用促進住宅に入居したのは、徹が28歳、瞳が24歳の年であった。









共生社会の価値観の深まりガが期待される

2014-08-29 15:23:06 | 社会問題・生活
経営の神様と称賛された松下幸之助さんの優れた理念は「共存共栄」
「自他ともの幸せを願い、共存共栄をめざしていくところに、自分自身の幸せも社会に反映も実現される」
その源流にあるのが、江戸時代以降、各地へ出向いた活躍した近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」
「三方よし」の理念。
縁がない土地の行商先で「信用」を得るには、買い手のことを大切に思って商売を心がける。
昨今の食品偽造問題の対局にある理念である。
取引で得られた利益は広く世のため、人のために還元されなければという発想は、今日の企業の社会的責任につながる。
ブラック企業などは社会的な制裁を加えられなければならない。
人の不幸の上に自分たちの幸福を築くという傲慢さは許しがたい。
「倫理、道徳」が欠如した企業は市場から退場してもらいたい。
他者の痛み、労苦を思いやる優しさ。
共生社会の価値観の深まりガが期待される。(紀)
そのとおり。












大阪桐蔭キャプテンに拍手を 中学生部門作文 ◆最優秀賞(内閣総理大臣賞)

2014-08-29 14:53:58 | 社会問題・生活
夏の甲子園、第96回全国高校野球選手権大会で優勝した大阪桐蔭の中村誠主将が、3年前の中学3年生の時に書いた作文が、胸に響く内容だと話題となり、注目を集めている。
http://www8.cao.go.jp/shougai/kou-kei/23sakuhinshu/sakuhin/chu_saiyushu.html

内閣府
「心の輪を広げる体験作文」
~平成23年度入賞作品~
【中学生部門】 ◆最優秀賞(内閣総理大臣賞)
友から学んだこと
中村 誠 (福岡県・糸島市立 志摩中学校3年)
僕には、絶対叶えなければならない夢があります。僕には体に障害を持った友達がいます。体の右半分はマヒしていて、右手はブラブラしていますが、右足は少し動くので介助すると歩くことができます。えん下障害もあるので食べ物は細かくきざんだ物にとろみをつけて介助でゆっくり食べれます。水分は多く飲めないでお腹に開けた胃ろうからチューブを通して注入します。それから失語症もあり全く声が出ません。文字盤も使えないので自分の意志を伝えることはできないのです。とても不便な生活を送っています。

 その友達と知り合ったのは僕が小学五年生の頃、四年前です。僕が野球の試合に出るようになり、対戦相手だった子と友達になった。その子は同級生と思えないくらいに野球が上手だった。ポジションも一緒だった。試合にも負けた。僕はとても悔しかった。「絶対に負けたくない」この気持ちを胸に僕は一生懸命練習した。小学生の最後の大会の決勝戦でそのライバルのいるチームと戦った。延長戦で僕のチームが優勝することが出来た。でも僕は勝ったとは思えなかった。だから中学生になっても別のチームで戦っていくことを約束した。しかしその友達といるチームとの試合があっても友達はいなかった。

 友達は障害者になっていました。障害者になって三年になります。三年前のある日を境に突然障害者になってしまったのです。原因は病気です。本当に急な出来事でした。当時僕は大きなショックで友達を受け入れることができませんでした。

 そんな友達を見て、初め「かわいそう」だと思っていました。でも一生懸命にリハビリに取り組んでいる友達の姿を見ていると、僕は「かわいそう」と思うのは良くない事だと思うようになりました。なぜかというと、人に対して「かわいそう」と思うことは、その人を見下しているように思ったからです。友達は障害を持ちながら一生懸命に生きているのに、上からの目線はごうまんで大変失礼なことだと思いました。このことは友達に対することだけではなく、全ての障害者に対して共通する気持ちです。障害者になりたくてなった人は誰もいません。そして誰もが障害者にならないという確率はゼロではないのです。

 友達のように突然、病気になるかもしれないし、事故にあってけがをしたり、またどんな災害に出くわしてしまうかもしれません。もし僕がそうなったとしたら、想像するだけでもつらいことですが、そんなとき僕は人から同情されたくないと思います。「かわいそう」と思われたくないのです。人間はどのような障害を背負っていようとも、命ある限りは生きていかなければならないことはみんなに平等に与えられていることです。ただ生きていくための条件が良いか、少し悪いかという差だけのことだと思います。だから僕は障害者を見て「かわいそう」と思うことが許せなくなりました。

 僕はお見舞いに行くと友達の車いすを押して出かけることがありますが、よく他人の視線を感じることがあります。自分と違う人を見ると違和感を持つ人が多いのだと思います。でも自分と人は違っていて当たり前なのだし、その他人を認めることは最も大切なことだと思います。世の中のすべての人が自分と違う他人を受け入れることこそ、差別のない社会の実現につながっていくように思います。

 友達のためにも、僕は野球を一生懸命頑張りプロ野球選手になり活躍します。



広島土砂災害 死者72人全員の身元判明

2014-08-29 13:13:51 | 歯科
歯の鑑定も効果 不明者2人


産経新聞 8月29日(金)12時10分配信

広島市安佐南区緑井で自宅から荷物を取りに来た住人=29日午前、宮崎裕士撮影(写真:産経新聞)
 広島市の土砂災害で、広島県警は29日、死者2人の身元について、いずれも安佐南区八木4丁目の渡辺美恵子さん(69)と高野千津子さん(60)と確認したと発表した。死亡した72人全員の身元が判明した。なお行方不明となっているのは2人で、いずれも60代の大屋弘子さんと西田末男さん。犠牲者の身元特定には歯科医らも尽力した。

 県警や消防、自衛隊は29日も不明の2人が住んでいた八木地区を集中捜索。小雨がぱらつく中、土砂で住宅が流された跡地を警察官らがスコップで掘り返し、手がかりを探した。重機も4台投入して土砂を運び出し、移動の妨げとなる大きな流木は、のこぎりで短く切って撤去していた。

 身元特定は近年、DNA型鑑定が主流だが、歯の鑑定は昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故などでも活用された。

天声人語

2014-08-29 13:05:37 | 医療と介護
朝日新聞2014年8月29日(金)付

 行き先はあるが用事はない。そんな汽車の旅を作家の内田百(ひゃっけん)は愛した。景色を熱心にながめ、食堂車で一献傾ける。〈汽車が好きだから乗りに来て乗っている〉。のんきな文章である▼1964年に開業してすぐ、東海道新幹線に筆者は乗った。祖父に連れられての大阪行きだ。鳴り物入りの「夢の超特急」に乗ることが目的だから、やはり行き先に用事はない。富士山を見て、アイスクリームを食べ、着いたらすぐに帰ってきた▼あれから50年。JR東海はこの10月にもリニア中央新幹線に着工するとしている。古くなった東海道の肩代わりをさせる意味合いもあるらしい。品川から名古屋まで最速約40分。その間の86%がトンネルだ。もう旅という言葉はそぐわない。列車は移動手段に徹することになる▼北陸新幹線が来年3月14日に開業するという発表もあった。東京と金沢や富山の間がぐんと近づく。空の便との競合もさることながら、もともと京阪神に近い北陸が首都圏との結びつきを強めるかもしれない▼関西圏が脅威を感じても不思議はない。リニアをどうせなら大阪まで同時に開業せよ、という声が高まっていると聞く。自民党なども後押ししている。名古屋まででさえ巨額の事業費や環境への影響など懸念が残る。人口も減っていく。そんなに急ぐことが現実的なのかどうか▼より速く、より繁栄を。成長や発展という言葉は私たちを常にあおる。ときには百先生のように用事のない旅に出て頭を冷やすのもいい。