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1日1万歩は効果無し?

2015-08-06 13:48:59 | 医療と介護
健康に暮らす10歳若返る歩行術 -インターバル速歩-

毎日新聞 2015年7月23日 医療プレミア
能勢 博 / 信州大学教授

 私が住んでいる安曇野は槍ケ岳・穂高岳を起点とする梓川(あずさがわ)と、木曽駒ケ岳を起点とする奈良井川が合流する、犀川(さいがわ)の河川敷周辺に広がる平野です。今の季節、日中はここで発生する水蒸気が雲になって、北アルプスの峰々の全貌を見ることはできません。しかし気温が下がってくる朝夕の一時、雲の合間からそれらの峰々をのぞき見ることができます。そして、この時間帯をねらって多くの市民が「インターバル速歩」をしています。
「ややきつい」と感じる運動とは
 さて「インターバル速歩」とは、「ややきつい」と感じる速歩とぶらぶら歩きを3分間ずつ繰り返すトレーニングです。これを1日5セット以上、週4日以上繰り返すと、5カ月間で10歳ほど若がえる体力を得ることができることは、連載第1回で述べました。では、一般に「ややきつい」と感じる運動とは、どのようなものなのでしょうか。
 表1に、本人にとっての運動の「きつさ」を数値で表す主観的運動強度 (RPE:Rating of Perceived Exertion) を示しました。6ポイントが最低値で「非常に楽である」、20ポイントが最高値で「非常にきつい」と設定すると、「ややきつい」と感じる運動は、12~14ポイントに相当します。簡単に言えば、2〜3分間続けると「もうダメだ」と感じる運動の、6〜7割の強度が「ややきつい」運動です。
表1 主観的運動強度(RPE)
 RPEのポイントに10を掛けると、20歳の人の1分間あたりの心拍数になります。すなわち、20歳の人で「ややきつい運動」は、2〜3分間続けると、1分間あたりの心拍数が120〜140拍になるような運動ということになります。一方年を取るにつれて、運動によって増加する心拍数の上限は低下し、1分間あたりの最高心拍数は【220−年齢】と推定されます。それから導かれる各年齢の「ややきつい運動」時の心拍数は表2のようになります。
表2 年齢と心拍数
 もうお分かりだと思いますが、「ややきつい」と感じる運動は、個人の体力レベルによっても異なります。例えば、オリンピックでマラソンに出場するような選手に「ややきつい」と感じる速度で走ってください、と言えば、私たちが全速力で走るよりもはるかに速い速度で走ります。一方、不幸にして脳梗塞(こうそく)などが原因で片足が不自由な方は、私たちよりも遅い速度でしか歩けないでしょう。でも、そんなことは問題ないのです。その方にとって「ややきつい」と感じる運動であれば、それは速歩なのです。
「ややきつい」運動を続けるのは難しい
 では、なぜ「インターバル速歩」は、この「ややきつい」と感じる速歩とゆっくり歩きを3分間ずつ繰り返すのでしょうか。答えは簡単。3分間歩くとほとんどの方が速歩を続けるのが嫌になるからです。胸がドキドキし、息が切れてきます。そして、すねが少し痛くなってきます。ちょうど、バスに乗り遅れまいとして、停留所に向かって速足で歩いているような状況を思い浮かべてください。
 実際、私たちには苦い経験があります。米国スポーツ医学会がすすめる運動処方では、体力向上・生活習慣病予防のために「ややきつい」と感じる運動を1日30分以上、週に4日以上、5カ月間実施することが推奨されています。それにしたがって、松本市の中高年の方に「ややきつい」と感じる速歩を指導したことがありましたが、結果は散々たるもの。ほとんどの方は途中でやめてしまいました。理由は「面白くない、しんどいだけ」ということでした。
インターバル速歩は「インターバル・トレーニング」の中高年版
 担当した大学院生ががっかりしてやって来て、相談して決めたのがインターバル速歩だったのです。ヒントは、1952年ヘルシンキ五輪で、長距離3冠を達成したエミール・ザトペックが考案した「インターバル・トレーニング」でした。高負荷と低負荷の運動を交互に繰り返すこのトレーニングは、世界中に広まっており、身近なところでは学校の校庭でサッカー部員がやっているのを見たことがある方もおられるでしょう。非常にきつい運動をすると、筋肉から大量の乳酸が排出され、それが息切れや筋肉痛を引き起こします。しかし、2〜3分ゆっくりした運動を挟むと乳酸が代謝され、再度非常にきつい運動が可能になります。その結果、トータルで長時間、高強度の運動をすることが可能になります。
 これを歩行系の運動に導入したのが「インターバル速歩」です。結果、松本市のほとんどの参加者がトレーニングを継続しました。大げさだと思われるかもしれませんが、私は、これは人間行動学上の大発見だと思っています(笑い)。だから、授業中、信州大学の学生にも言っています、「疲れたと思ったら無理せずに休みなさい、そのうちまた頑張ろう、という気分になりますから」と。
1日1万歩は効果なし?
 ちなみに、インターバル速歩中に分泌される乳酸は、筋肉肥大を引き起こし、さらに筋肉内での酸素を利用しやすくすることで、体力を向上させます。連載で後に述べますが、この体力の向上こそが、生活習慣病の予防・治療に必要なのです。一方、一般に推奨されている1日1万歩をもし、低い (楽な) 強度で「ダラダラ」と実践されていたら乳酸が産生されず、顕著な効果は得られないでしょう。「きつく、短く」歩いて勝負をしよう、これがインターバル速歩なのです。

のせ・ひろし 1952年生まれ。京都府立医科大学医学部卒業。京都府立医科大学助手、米国イエール大学医学部博士研究員、京都府立医科大学助教授などを経て現在、信州大学学術院医学系教授(疾患予防医科学系専攻・スポーツ医科学講座)。画期的な効果で、これまでのウオーキングの常識を変えたと言われる「インターバル速歩」を提唱。信州大学、松本市、市民が協力する中高年の健康づくり事業「熟年体育大学」などにおいて、約10年間で約6000人以上に運動指導してきた。趣味は登山。長野県の常念岳診療所長などを歴任し、81年には中国・天山山脈の未踏峰・ボゴダ・オーラ峰に医師として同行、自らも登頂した。著書に「いくつになっても自分で歩ける!『筋トレ』ウォーキング」(青春出版社)、「山に登る前に読む本」(講談社)など。

原爆投下70年
潘 国連総長、寄稿全文
毎日新聞 2015年08月05日 19時54分

長崎市を訪れ、被爆マリア像の前で会見した潘基文・国連事務総長
=長崎市の浦上天主堂で2010年8月5日、金澤稔撮影
関連記事: 潘国連総長寄稿「核廃絶、責任尽くす」
 国連の潘基文(バン・キムン)事務総長は日本への原爆投下から70年の節目に「核兵器のない世界」の実現を求め、毎日新聞にメッセージを寄稿した。その全文を紹介する。
 広島と長崎に原爆が投下されてから70年を迎えるにあたり、5年前にこの2都市を訪問した時のことを思い出します。感動的なその体験は、被爆者との面会で一層意味のあるものとなりました。勇敢な生存者たちの勇気と不屈の精神に深く感動しました。核兵器のない世界を求めて信念に満ちた行動を続けてきた彼らの70年間という歳月に敬意を表します。
 被爆者の平均年齢が80歳を超え、広島・長崎から世界の隅々に向けて発信されてきた彼らの平和へのメッセージを広げていくことの緊急性をいま強く感じています。
 被爆者の疲れを知らぬ積極的な活動のおかげもあり、核兵器のない世界というゴールを目指すという点では私たちはみな完全に一致しています。核兵器のない世界の実現はすべての国家と国民にとって利益となるのは明らかです。しかし、核軍縮の責務は明確であるにもかかわらず、核兵器のない世界をどうやって実現するのかについては深刻な意見の相違が残っています。
 だから私は各国の指導者に呼びかけるのです。世界を不安定なものにする兵器に貴重な国力を浪費するのではなく、人類の要求を満たす大胆でかつグローバルなビジョンを受け入れるように、と。核軍縮の緊急性に疑問を呈する人には被爆者の声を聞けと言いたい。勇敢で打たれ強い被爆者のまなざしを見ずして、核兵器が何をもたらすかを分かっている、と言える人はいないでしょう。
 広島、長崎への原爆投下から70年というこの荘厳な節目以上に、核兵器が人類にもたらす結末を思い起こすのに適切な機会はありません。
 この70年の節目は、この最も破壊的な兵器を地球上から取り除くための具体的な行動をとるチャンスでもあります。私はかねて核拡散防止条約(NPT)の当事国、特に核保有国に対し、核軍縮につながる効果的な方策について交渉するという義務を果たすよう強く求めてきました。これは個別の、しかも相互に補強しあうような措置に支えられた枠組みに合意することで(核兵器の廃絶という)この目標を追求することができます。あるいは、強力な検証制度に裏打ちされた核兵器禁止条約の交渉を検討することでも可能です。
 また、私は一貫してすべての国による核実験全面禁止条約(CTBT)の批准を提唱してきました。条約はすべての核実験を禁止し、核兵器の開発と拡散を抑制するほか、核軍縮の進展に貢献するものです。核実験で生じる危険な放射性副産物から環境を守ることの助けにもなります。
 国際社会として、私たちは(原爆投下から70年の節目を)歴史的なチャンスととらえ、意見の隔たりを埋め、一致できる点を見つけ、軍縮を実際に進展させるべきです。
 原爆投下から70年、国連創設から70年を迎えるにあたり、私たちは、核兵器のない世界の実現に向けて、いま一度全力を尽くす責任を、被爆者、すべての生き物、そして未来の世代に対して負っているのです。
 ◇長崎原爆資料館で記帳
 私は長崎を訪れ、原爆の悲惨な出来事を見ることに身の引き締まる思いです。原爆の惨状はとてもショッキングであり、そして被爆者の勇気は驚くべきものでした。被爆者の歴史的な出来事が、全人類に語り継がれていくことを願います。共に核兵器のない世界の実現へ向けて、取り組んでいきましょう。悲しい歴史を学びそして伝えていく場として、長崎原爆資料館を称賛いたします。
 国連事務総長 潘基文(2010年8月5日、長崎原爆資料館で記帳)
 ◇広島原爆資料館で記帳
 65回目の原爆の日を記念する平和記念式典に国連事務総長として参列し、光栄な思いです。この優れた博物館は、想像を絶する破壊と人類の苦痛を私たちに伝えてくれます。後世の世代がより平和に、より豊かに生きていける核兵器のない世界を実現するために、共に取り組んでいきましょう。
 国連事務総長 潘基文(10年8月6日、広島原爆資料館で記帳)

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