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競輪 46歳の神山雄一郎選手 悲願の優勝へ挑む

2014-11-25 03:18:29 | 未来予測学研究会
朝日新聞社杯競輪祭は、12月30日に行われる競輪グランプリへの進出を巡る戦いでもあった。
46歳の神山雄一郎選手にとって、年齢的に最後の競輪グランプリ出場がかかっていた。
そして悲願の優勝へ挑む。
全盛時代のライバルが全て引退しているのに、トップ9人枠に入っただけでもたいしたものだ。
神山は作新学院高校出身。
小・中学校時代は剣道。
自転車は高校へ入ってから本格的に始めた。
競輪学校時代(61期)は110勝で1位
昭和63年5月にデビュー
1-1-1(花月園)で勝ち、平成元年第31回小倉競輪祭新人王になる。
競輪学校の一番がプロの世界でも一番となった希なケース。
ちなみに、ミスター競輪・世界の中野の中野浩一さんは競輪学校2位
怪物と言われた滝澤正光さん(競輪学校校長)13勝で42位
吉岡稔真さんは59勝で2位
実は競輪学校をトップの成績で卒業して、G1とされるレースを取れた選手は希んなのだ。

朝日新聞社杯競輪祭
7番平原 康多
3番武田 豊樹
4番神山 雄一郎
2車単 7-3 1530円
3車単 7-3-4 3370円

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師匠は荒川博之。
中学校時代には剣道部に所属し剣道に打ち込んだが、県大会3位、東北大会ベスト16という成績に納得がいかず、自身の運動神経をより発揮できるスポーツとして自転車に目を向けた。
神山は自転車部のある作新学院高等部に進学し、自転車部に入部。
同校は自宅から約40km離れていたが、鍛錬のため片道約1時間をかけて自転車で通学した。
校在学中、神山は卒業後の進路として競輪選手を目指すかアマチュア選手として1988年のソウルオリンピック出場を目指すかの選択を迫られた(当時、競輪選手がオリンピックに出場することはできなかった。
迷っていた神山であったが、1985年12月、父親に連れられて立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ'85を観戦し、場内の熱気と選手が入場した際の華やかさに魅せられ、競輪選手を目指すことを決めた。
さらに、中野浩一や滝澤正光、井上茂徳、本田晴美らプロの選手がどのくらい強いのか挑戦してみたい気持ちもあったという。
日本競輪学校に入学し、首席で卒業
1989年には競輪祭新人王戦を優勝。
同年、日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞した。
主要レース18勝(アジア大会個人スプリント1勝、チームスプリント1勝、GI16勝)であるが、GI16勝は競輪界史上最多である。
愛称は神様、大仏。他の愛称はゴッド、ゴッド兄さん。
競輪界の神でもある。
KEIRINグランプリ出場数は最多だが、一度も優勝はしていない。
日本選手権競輪 1999
オールスター競輪 1993,1997,1999,2004,2005
高松宮記念杯競輪 1994,1995
競輪祭 1995 - 1997,2000
全日本選抜 1995
寛仁親王牌 1996,1997,2000
共同通信社杯競輪 1993,1996,1997,2001,2002
ふるさとダービー 2回
サマーナイトフェスティバル 2011
新人王 1989
アジア大会 スプリント 1998
アジア大会 チームスプリント 2002
S級S班 2008 - 2011


1 コメント

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神山雄一郎選手について (Unknown)
2016-11-18 12:10:01
神山選手って1980年度までは剣道以外ほかのスポーツもやってたじゃないか。

神山選手ってほかのスポーツだったら助っ人としても似合いそう
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