医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

所属部隊はソ連軍部隊の攻撃を受けて全滅に近く

2015-08-07 09:45:23 | 受けとめる力
五味川 純平(ごみかわ じゅんぺい、1916年(大正5年)3月15日 - 1995年(平成7年)3月8日)は、日本の小説家。
旧満州生まれ。東京商科大学(現一橋大学)に入学するも1年で中退、東京外国語学校(現東京外国語大学)英文科卒業後、満州鞍山の昭和製鋼所に入社。
ここで隅谷三喜男と知り合う。1943年召集を受け、満州東部国境各地を転々とした。
1945年8月のソ連軍の満州侵攻時には、所属部隊はソ連軍部隊の攻撃を受けて全滅に近く、生存者は五味川以下数名だったという。
1948年の引き揚げ後、自らの従軍体験を基にして1955年に発表した『人間の條件』が1,300万部を超える大ベストセラーとなり、一躍人気作家となる。その後も『戦争と人間』『御前会議』『ノモンハン』『ガダルカナル』など、数々の戦争文学を世に問うた。『人間の條件』や『戦争と人間』はのちに映画化された。
1978年、菊池寛賞を受賞。


中国軍と戦っていた日本軍は、ソ連軍とドイツ軍との動きを察知していなかった。
見通しが甘かったのだ。
軍部の無知が当然の敗北の原因となった。
ソ連戦車に日本兵士が体当たり作戦など子どもじみた絵空事でもあった。

映画「戦争と人間」 ソ連軍の協力で撮影

2015-08-07 09:08:30 | 受けとめる力
映画「戦争と人間」CSテレビで観た。
いかに戦時中日本が人権を軽視したか、をシリアスに描いていた。
戦前の日本は近代国家とは程遠い国であった。
中国の民間人に対する虐殺、婦女暴行も描いていた。
それが戦争の実体であったのだ。

戦争と人間
第一部 運命の序曲
第二部 愛と悲しみの山河
第三部 完結篇
監督 山本薩夫

脚本 山田信夫(第一部)
山田信夫、武田敦(第二・三部)

原作 五味川純平

ナレーター 鈴木瑞穂

出演者 滝沢修
芦田伸介
高橋悦史
浅丘ルリ子
吉永小百合
北大路欣也
高橋英樹
江原真二郎
加藤剛
山本圭
三国連太郎
石原裕次郎

音楽 佐藤勝

撮影 姫田真佐久

編集 円治睦夫(第一・二部)
鈴木晄(第三部)

製作会社 日活

配給 ダイニチ映配(第一・二部)
日活(第三部)
公開 1970年8月14日(第一部)
1971年6月12日(第二部)
1973年8月11日(第三部)

上映時間 197分(第一部)
179分(第二部)
187分(第三部)
製作国 日本

言語 日本語

興行収入 5億9000万円(第一部)
約3億円(第二部)
約4億円(第三部)
いずれも配給収入[1]

テンプレートを表示

『戦争と人間』(せんそうとにんげん)は、1970年(昭和45年)から1973年(昭和48年)にかけて公開された3部作の日本映画である。日活製作。監督は山本薩夫。
五味川純平の同名大河小説『戦争と人間』の映画化作品で、日本映画としては同じく五味川の小説を映画化した『人間の條件』の9時間31分に次ぐ9時間23分の長さを誇る、日活製作による戦争大河超大作である。
物語は、1928年(昭和3年)の張作霖爆殺事件前夜から1939年(昭和14年)のノモンハン事件までを背景に、様々の層の人間の生き様から死に様までを描いている。そして、その後の太平洋戦争に至る経緯について丁寧に表現されている。
第三部ではソ連国内でモスフィルムの協力の下撮影が行われた。ノモンハン事件の大規模な戦闘シーンはソ連軍の協力で撮影されており[3]、ソ連ロケ・ソ連軍全面協力の戦闘シーンという日本映画としては異例の大規模映画となっている。
当初は東京裁判による伍代家の破滅まで描いた四部作を予定していたが、豪華キャスト・本格的な戦闘シーン・海外ロケと日本の映画史上でも屈指の大作であったため、当時の日活の経営悪化もあり結果的に予算が続かず、第三部で完結を強いられた[4]。第一部だけでも3億5千万円の製作費がかかったが、大ヒット作となった[5]。

人は何かに執着する

2015-08-06 05:59:50 | 受けとめる力
動執生疑(どうしゅうしょうぎ)
人は何かに執着する。
それは思想であったり、哲学、宗教であったり、お金であったりする。
単なる詐欺師を教組と崇める場合もある。
執着している心を動揺させて、疑いを生じさせ、正しい方向へ導く。
特殊詐欺(振り込め詐欺)も人間の執着という弱点を巧みに利用するのだ。
電話してきた相手は、携帯電話の番号が変わったとまず、信じ込ませる。
信じ込むことも心の「執着」。
あるいは、儲け話で人の心を執着させる。
金融機関の人たちに期待されるのは動執生疑。
詐欺を未然に防ぐ水際作戦だ。
高齢者が多額のお金を下ろしに来る、そのこと自体が不自然。
「何にお金使うのですか?」
「息子さんが、携帯電話の番号が変わったと言っていましたか?」
「振り込め詐欺の手口を知っていますか?」
お金を下ろしに来た高齢者の「執着」する心を動揺させ、疑いを生じさせるのだ。



太宰治の愛に関する名言

2015-08-03 13:06:27 | 受けとめる力
愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。

人は、本当に愛していれば、 かえって愛の言葉など白々しくて言いたくなくなるものでございます。

愛は、この世に存在する。 きっと、ある。 見つからぬのは愛の表現である。その作法である。

恋愛とはなにか。私は言う。それは非常に恥ずかしいものである。


※太宰 治(だざい おさむ):1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日は、日本の小説家。本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。1936年(昭和11年)に最初の作品集『晩年』を刊行し、1948年(昭和23年)に山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺を完遂させた。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。
青森県北津軽郡金木村(後の金木町、現在の五所川原市)に、県下有数の大地主である父津島源右衛門(1871年 - 1923年)と母タ子(たね、1873年 - 1942年)の六男として生まれた。両親にいる11人の子女のうちの10番目(ただし太宰が生まれた時点ですでに長兄・次兄は他界)。父・源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士。津島家は「金木の殿様」とも呼ばれていた。父は仕事で多忙な日々を送り、母は病弱だったので、太宰自身は乳母らによって育てられた。
愛に飢え、愛に溺れた作家といわれる。
学生時代を含め4回の自殺未遂を繰り返し、5度目に山崎富栄と玉川上水にて心中。

偉大で美しいアメリカが終わり、醜いアメリカが始まった

2015-07-27 12:35:15 | 受けとめる力
1947年、アメリカ議会がハリウッドの映画人の思想調査に乗り出した。
聴聞会で憲法の保障する思想の自由を楯に証言拒否をするだけで犯罪とされ、刑務所へ送られた。
1950年、上院議員ジョセフ・マッカーシーの猛烈な“アカ”攻撃の演説が火付け役になり、アメリカ全土がマス・ヒステリー状態におちいった。
米ソ冷戦のただ中。
ローゼンバーグ夫妻がスパイ容疑で逮捕された。
朝鮮戦争が勃発した。
映画監督エドワード・ドミトリクは密告者となった。
民主主義とアメリカンドリームの偉大で美しいアメリカが終わり、醜いアメリカが始まったと、映画評論家の川本三郎さんは捉えた。
川本さんが10代の時に感動した映画を作った監督が権力に協力した「密航者」であることを20代になって知った。
そこから、映画評論家の川本さんが誕生した。
「密航者」の存在を知って、彼の映画を見る目が変わったのだ。
権力に抵抗した者、権力に協力(妥協)した者。
丹念に彼らのマイナーな小品まで見ていった。
「映画の戦後」川本三郎著
1950年代のマス・ヒステリーの時代のアメリカとその後のアメリカは何も変わっていない。
ニクソン大統領はマッカーシーの同僚として当角をあらわした。
アメリカの戦後は、どのような映像的深まりを帯びて示されたのか?

日本人の精神構造の原型

2015-07-26 00:40:05 | 受けとめる力
日本人の精神構造の原型を鎌倉時代などに見ることができるのではないだろうか?
例えば、幕府にとっては許しがたい存在であった日蓮聖人を抹殺しなかったことだ。
ある意味で僧侶は学問があり、民衆に慕われている徳のある存在である。
仏教に流れる慈悲の思いは、鎌倉幕府の権力側にも浸透していたであろう。
同じ仏教に対する見解(立ち位置)の相違だけで、仏の使いである日蓮を殺していいものか、という迷いも幕府側にはあっただろう。
無難な道は、殺さず島流しである。
鎌倉の民衆への日蓮の影響力を失くすことになると期待したはずだ。
そして、何時までも日蓮を佐渡に島流し状態にして置くことへの後ろめたさも幕府側にあっただろう。
なぜなら、幕府の権力者たちも仏徒であったのだ。
幕府の要人たちの慈悲の思いから日蓮は赦免され、鎌倉へ戻れたのではないだろうか?

本質を見極める力

2015-07-13 10:42:04 | 受けとめる力
「本物のリーダー」を渇望

学問の土台となる「人格」を耕すものがリベラルアーツ教育だ。
よりよい人生の扉をひらくための「鍵」となるものだ。
私たちが何かを成し遂げるためには、先人が何を成してきたかを知らなければならない。
ゆえに過去の歴史や哲学、芸術についての
幅広い知識が必要だ。
「世の中には、人々を分断するよりも、結び付けることの方が多い」と感じとってほしい。
例えば社会について学ぶ時、一般的には人々の「差為」について取り上げることが多い。そこに「差別」や「優劣」といった考え方が含まれている場合がある。
差別ばかり追っていては、他者への理解やステレオタイプ(固定観念)を助長しかねない。
情報をうのみにせず、多面的に物事を捉え、自ら判断する力である。
この「本質を見極める力」は、それは、外に対してもそうであるが、自身の内面にも向けられるべきだと思う。
人は誰しも生まれ育った環境によって、ある種の固定観念や他者への偏見を持っている。
差別を生み出す、こうした偏見に対する特効薬はない。
「考え違いをしていないか」
「固定観念にとらわれてはいないか」と常に自身を見つめ直す以外にない。
また、「自ら問題設定して解决する力」である。
人から与えられたテーマにとらわれると、偏った情報しか探せない。
でも、自分の疑問から始めれば、触れる情報
全てが思考を深める要素になる。
「開かれた心で問いを立て、答えを導く出す力」は、将来、どんな仕事に携わろうとも必ず生きてくる。
リーダーシップの問題である。
人々を誤った方向へ導いてしまうリーダーがいる一方、大変な状況の中でも人々を正しい方向へ導いいていくリーダーも存在する。
世界は今、確かな哲学を持ち、大局観から物事を捉え、未来のビジョンを描くことができる「本物のリーダー」を渇望している。






















いかなる法を持ち、どう生きるか

2015-07-12 06:27:43 | 受けとめる力
自分なんかダメだという「自己卑下」
自分さえ良ければという「利己主義」
何も変わらないという「諦め」
それは、中核となる生き方の羅針盤を持たないことに起因する。
「自分も変わることで、周囲も社会も変わる」という理念・哲学が不可欠だ。
人間の究極の偉さは、いかなる法を持ち、いかなる哲学を学び、実践し抜いたかで決まる。
表面的な地位や立場で、人間の真価は決まらない。
いかなる法を持ち、どう生きるか。
そこに人間の偉大さが輝く。


彼は「人生とは何か。何のために自分は生まれてきたのか。仕事も生活も順調であったが、ずっと確固たる哲学を求めていた」

太平洋戦争の死者は私たち一人一人であったかもしれない

2015-07-12 03:23:33 | 受けとめる力
太平洋戦争の末期の沖縄戦。
死者の総数およそ20万人に達し、そのうち軍人、兵士の戦死は10万6000人で、県民の戦争による死者は、9万4000人。
実に正規軍の戦死者に匹敵する数の住民が戦争の犠牲者になっている。
沖縄戦を本土決戦の一環とみるならば、国民のすべてが自らの存在を歴史の中で確認すべき月である。
もし1945年秋からアメリカ軍による日本本土上陸作戦第2弾(オリンピック作戦)、第3弾(コロネット作戦)と続いていけば、沖縄戦とほぼ同様の光景が描かれたはずだった程度の認識を持たなければ、私たちは沖縄の人々に申し訳ない思いがする。
太平洋戦争の死者は私たち一人一人であったかもしれないとの想像力を持つことで、あの戦争の本質がわかってくるように思う。
ノンフィクション作家・保坂正康さん











「一念」がもつ力は大きい。

2015-07-10 11:35:39 | 受けとめる力
★1938年ドイツで核分裂が発見され、ナチスの原爆開発を恐れたアインシュタインらは米国大統領に警告の書簡を書く。
この手紙から人類の核兵器の歴史が始まり、1945年8月広島・長崎へ原爆が投下された。
★だが、第二次世界大戦が終わっても原爆の開発競争は続き、人類滅亡を恐れた科学者らは1955年7月9日、核兵器に断固反対し、紛争解决のために平和的手段を見いだすよう政府に勧告した(ラッセル・アインシュタイン宣言)
★<相手を力でねじ伏せようとしても、恨みや報復の連鎖は断ち切れず、平和はけっして訪れない>
★“何のため”を深く自覚することだ。
強い根がって大樹は立つ。
人間も同じだ、確固とした土台に支えられる。
原点、根、土台を持つ人は、自在に成長していけるはずだ。
★人生の問題は対話でなくては通じない。
★深い体験に勝る力はない。
★原発における使用済み燃料の処分問題。
10万年以上の隔離を必要とする。
安全保障上からも必須の課題だ。
★「宿命を使命」に変える-発想の転換へ。
★学校や家庭だけではない、第三の居場所や人との関わりが子どもにも大切だ。
★大事ことは、その子に興味を持ち、どれだけ思い、関われるか。
カウンセリング技術も大切だ。
相手の話したかった内容を再び、確認する「繰り返し」
相手の話のポイントを語り直す「要約」。
★「一念」がもつ力は大きい。
「後ろ向きに信じこんでしまえば、現実も後退していく」
「まず自らの意識・発想を転換して、一人一人が強く誇らかに、また聡明になっていく」
まず自らが変われば新しい時代が開かれる。












日本の「ものづくり」再考

2015-07-08 11:52:54 | 受けとめる力
多くの利益を上げ、勝つことを目的とする欧米社会では、企業はM&A(合併・買収)やチェーン展開などを通し、拡大志向を高めていくのが一般的だ。
これに対し、日本企業は、薄利で少量多品種の生産を続ける。
勝つことでなく、細々とでも事業を続けていくこと、つまり継続に力点を置いている。
世界で200年以上続く企業の約4割が日本にあるという状況は、それを如実の示しているといえよう。
「食べていければいい」とい採算ギリギリの価格設定は外国にとって大きな参入障壁だ。
イノベーション(技術革新)の創出に、大事なことは?
「どうやってつくるか」でなく、「何をつくるか」とい視点だ。
日本は、創意工夫の気質にあふれ、ユニークさを保っているのが強みだ。
イノベーションを起こす根源は?
基本的には、人間の才能の問題だ。
政府がすべきことは?
日本が誇る「寛容さ」を生かすべきだ。
日本はファッションなどでもタブーがなく多様性にあふれている。
いろいろな価値観を受け入れられる社会を築くことは、国際競争力を維持、強化していく上で欠かせない。
「オタク」や「ギャル」など一見嘆かわしいほどのものこそが新しいものをイノベーションする潜在力を持っているという視点が大切だ。
権力を持つ者は頭ごなしに否定するのではなく、理解できないぐらい新しいものこそ、それを謙虚に捉え、どう価値に変えていくか真剣に考えてほしい。
未来研究者・日経BP研究所アドバイザー・川口盛之助さん


中日平和友好条約締結の根本に「信義」

2015-07-08 02:51:11 | 受けとめる力
中国と日本の平和友好条約締結、その軸の根本は『信義』の二字である。
信義の柱があってこそ、平和の橋が架かる。
信義がなければ、和友好条約締結は砂上の楼閣となる。
21世紀、期待されるのは?
先人が切り開いた「道」「橋」を改めて見つめなければならない。
原点には、先人たちの強い願いと尽力があった。
それを忘れたところに綻びも生じる。
中国、日本の指導者たちに期待されるのは?
中日平和友好条約締結の根本に「信義」があったことを付け止めることだ。
歴史認識とは、先人の努力に思いを馳せることでもある。














---------------------------------
歯科医師の丸山茂さんに「一度、中国へ一緒に行きましょう」と強く誘われたことがあった。
昭和50年代のころである。
歯科医師として、丸山さんほど中国に対して深い思い入れがある人に出会ったことがない。
「先生は、なぜ中国に強く思い入れがあるのですか?」
東京・錦糸町の中華料理店で丸山さんに聞いてみた。
「中国は、恩を知る国です。先人たちは若き日に日本で学んでいるのです。日中戦争の悲しい歴史、不幸な歴史があるのですが、中国の人は懐が広いですよ。日本の戦災孤児などを育ていますね。特に尊敬に値するのは『信義』を重んじている国だからです」
丸山さんは日中国交平和条約の過程や条約の根本に『信義』があることを認識していた。
丸山さんは誰よりも「人道」を重んじる人であった。
沼田利根















歌人島木赤彦をめぐる女たち

2015-07-06 15:51:33 | 受けとめる力
斎藤茂吉とともに、アララギ派の国民的歌人と称せられた島木明彦の50年ほどの生涯は、挫折と転生のくりかえしであった。
信濃師範を卒業後、教職についた赤彦は明治38年から1年ほど教職を退き養鶏を思い立つ。
牛飼いで歌を詠む師の伊藤左千夫にならってのことであったが、養鶏は失敗に終わり、再び教職に戻っている。

妻の不二子は諏訪湖の岸で夫のやり残した鶏のほか、養蚕と畑仕事と病身の母の介護に明け暮れる日々であった。
17歳で後妻(先妻は姉)に入った不二子は、姉の遺した眼を病む長男と、のちに生まれた5人の子どもたちの養育に苦悩しつつも夫に終生伴走している。
東筑摩郡広丘尋常小学校の校長として再び教職に戻った赤彦は、信濃女子師範を卒業したばかりの女教師中原静子(20歳)と出会う。
赤彦の心に気づいた妻は苦しみ、その心を歌に託した。
その不二子の歌が素晴らしい。
ずっとのち、赤彦の亡くなった日に、アララギの人々の世話に明け暮れる不二子の様子に、斎藤茂吉は「侍女房」という言葉を献じた。
赤彦と静子がいた同じ広丘尋常小学校には裁縫の補助教師として農閑期に通ってきていた太田喜志子もいた。
喜志子は赤彦と出会う前に、すでに相聞歌人として、信州で名を馳せでおり、その相手は歌人岩淵要であった。
喜志子は師を持たず山国の畑の中で独学で歌を詠んだ。
赤彦から何度も「アララギ」入門の誘いがあったが返事を渋り、門には入らなかった。
文学を激しく熱望した喜志子は、同郷の歌人太田水穂、四賀光子夫妻が住む東京を頼って出奔する。
その水穂の家で出会い、のちに信州を訪れた若山牧水と彼女は電撃的結婚を決める。
岩淵要を裏切った罪の意識は終生喜志子の中で故郷に向う黒々とした傷となってゆくのである。
作家・福田はるかさん











「償い」という問い

2015-07-03 01:30:21 | 受けとめる力
★戦争に直接関与したわけではない今の日本人がなぜ「慰安婦問題」を考えなければならないのだろう。
そう感じる人は多いのではないでしょうか。
「慰安婦」問題をテーマに2004~2005年に東京大学で行われたゼミは、その答えを求めて参加者みなが悪戦苦闘した1年だった。
ゼミを担当した東大教授(現・明治大特任教授)の大沼保昭さん(69)は、アジア女性基金に呼びかけ人として加わり、当時も理事を務めていた。
<「従軍慰安婦」をつくりだしたのは過去の日本の国家です。
しかし、日本という国は決して政府だけのものでなく、国民一人一人が過去を引き継ぎ、現在を生き、未来を創っていくものでしょう。
戦後50年という時期に全国民的償いをはたすことは、現在を生きる私たち自身の、犠牲者の方々への国際社会への、そして将来の世代への責任であると信じます>大沼保昭さん
「例えば原爆投下が終戦を決めたと信じている米国と戦争犯罪だと考えている日本の市民には、認識に巨大な差がある」と知識人やメディアの責任も問う社会学者の上野千鶴子さん(66)などをゼミに招いた。
東大ゼミは貴重な経験を次世代に伝える場になった。
文・岸俊光さん












人間関係が豊なほど、子どもは大きく成長していける

2015-07-01 07:41:51 | 受けとめる力
「この社会を、より良い社会に変えたい」
「人生の一大事とは、何か。それは、永遠に崩れない、絶対的幸福をつかむことだ。
嵐にも揺るがない、不動の自分を築くことだ」
「その根本の力は何か」
「自分のことをみすてず、信じてくれる先生がいる―そう思えることが、子どもたちにとって、どれほど生きる勇気となり、伸びゆく力となるか、計りしれない」
「同じことを言っていても、言う側の心の深さで言葉の力は違ってきます。心の思いを声に表したもの言葉なのだ」
真剣に心を込めて励ましの言葉を送っていきたいものだ」
「また、子どもの良い点を見つけ出して伸ばしていく取り組みも大切だ
「具体的には、短所であっても、プラスの意味に言葉を置き換えたり、どんなことでも、良さを見つけてほめていく取り組みだ」
「落ち着きがないといわれる子どもは、見方を変えれば、行動力があり、活発だということだ。
気が弱いといわれる子は、優しさがあり、相手のことを優先して考えられる子だったりする」
「大人の側に求められるのは、子どもをありのまま見つめ、その良さをみつけることだといえる。
子どもを伸ばしていくためには、大人が成長しことが求められる」
人間関係が豊なほど、子どもは大きく成長していける。
タテ、ヨコ以外の「ナナメの関係」が力を発揮する。