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すき家と吉野家「歴史的和解

2014-10-19 10:21:01 | 社会問題・生活

牛丼戦争の転機 ――“ニュースこう読む”


日経 電子版 10月16日 配信(編集委員 中村直文)

 外食業界でこの夏、ちょっと驚く出来事があった。犬猿の仲とされた吉野家ホールディングスの安部修仁会長とすき家を運営するゼンショーホールディングスの小川賢太郎社長が和解したというのだ。2社の歴史を振り返ると、外食産業が節目を迎えたことを象徴しているように感じる。
■36年間、口も利かない間柄

経営の第一線から離れた「ミスター牛丼」の安部氏
 2014年6月10日。大分県に本社を置くファミリーレストラン「ジョイフル」の代表取締役にして、衆議院議員の穴見陽一氏を励ます会が東京都内で開かれた。この会に安部氏と小川氏も出席。すると安部氏の姿を見つけた小川氏が駆け寄り、握手を求め、にこやかに話しかけた。中身は世間話程度だったようだが、周囲はこの光景に驚いた。
 というのもこの2人。牛丼業界で長年トップに君臨し、小川氏も吉野家出身ながら、1978年以来、36年間、口も利かない間柄だったからだ。関係者によると海外や機内で遭遇する機会はあったようだが、お互い歩み寄ることはなかった。
 1980年に吉野家が会社更生法を申請したとき、安部氏と小川氏は経営再建を巡り、対立する陣営に所属していたからだ。結局安部氏が支持する側が再建の主導権を握り、セゾングループに入る。敗れた側の小川氏は1982年に独立し、ゼンショーホールディングスを興した。
 セゾンのトップにも気に入られた安部氏は1992年に吉野家の社長に就任。2001年に280円牛丼を投入するなど吉野家を外食業界の勝ち組企業に押し上げ、ミスター牛丼と称されるようになる。これに対して小川氏は起業後は苦難の連続だった。安部氏の知名度が確立した2000年代前半にようやくゼンショーHDを成長軌道に乗せた。
 ところが2004年に米国でBSE(牛海綿状脳症)が発生し、その後米国産牛肉の輸入が規制されると攻守は逆転する。米国産にこだわる吉野家は出店も抑制し、成長力が鈍化する。ゼンショーHDはオーストラリア産を増やし、すき家の出店攻勢をかける。この頃、小川氏は決算会見になると、すき家の成長力を他チェーンと比較したデータを示す。吉野家を強く意識した姿勢が垣間見える。
■両者に起きた「異変」

ゼンショーHDの小川氏は、吉野家出身だった(右側が小川氏)
 2013年に吉野家が牛肉の規制緩和を受け、牛丼の値下げに動いたとき、小川氏は「プライスリーダー(のすき家)から2周遅れ」と吐き捨てたこともある。
 そして2008年にすき家の店舗数は吉野家を上回り、今も店舗数では大きな差をつける。安部氏も「業界1位の座を奪われ、成長力に差が生まれたことは気にならないと言えば、ウソになる」と話していた。過去の因縁、激烈なシェア争い。安部氏と小川氏の闘争が外食業界のけん引役となったのは間違いない。
 だが2人を巡る状況は今年に入り、再び一変する。ゼンショーHDは人手不足問題を背景にすき家1100店の深夜営業を休止するなど成長戦略の修正を迫られた。安部氏は2013年12月に発売した「牛すき鍋膳」がヒットし、業績も回復。そして、5月に吉野家HDの経営の第一線から離れることを表明し、河村泰貴氏(吉野家HD社長)ら若手経営陣に託した。
 今や2社とも牛丼以外の外食事業が広がり、回転ずし、うどん店、ステーキ店など総合化が進む。消費志向は多様化し、価格を中心にしのぎを削った牛丼戦争の時代は終わろうとしている。
 小川氏が話しかけた理由は定かではないが、安部氏が引退するなど様々なことが積み重なったからだろう。かつての強烈なライバルの姿勢に安部氏もまんざらではなかった様子。牛丼2強の「歴史的和解」は成長のありようが変わる、そんなワンシーンだった。


1 コメント

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Unknown (かやのかつみ)
2021-11-09 17:50:06
抜き去った後で、敗者にエール送ったのだろう。経営者の器が凄すぎる小川賢太郎。
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