「美」感じる脳の部位発見 医療への活用期待
2014/11/22 21:34
人が絵画や音楽を「美しい」と感じたとき、脳の一部分の血流量が増加する――。英ロンドン大神経生物学研究所の石津智大研究員=神経美学=のチームが米専門誌などに発表した研究結果が注目されている。
この部位はうつ病や認知症などの疾患で活動が落ちるとされ、石津研究員は「『美』によって活性化させる手法は、医療の分野などで生かせるのではないか」と期待する。
石津研究員のチームは「美しさ」に反応する脳の動きを探るため、人種や宗教などが異なる22~34歳の健康な男女21人を対象に、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)を使った実験を実施。肖像画や風景画などを16秒ずつ順に45枚提示し、美しいと感じたかどうかを示してもらった。
その結果、美しいと感じた場合、美しくないと感じた時と比べ、前頭葉の一部にある「内側眼窩(がんか)前頭皮質」と呼ばれる領域で血流量が増加し、働きが平均で約35%活発化する共通性があることを確認。美しいと強く感じるほど活動量も増えることが分かった。
この21人に音楽を聞かせた場合でも同様のデータが得られたという。ほかにも多くの実験を重ねた石津研究員は「科学の世界では、美に関する感情は客観的に測定できないと考えられてきた」として研究の意義を強調する。〔共同〕
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苧阪直行 編
美しさと共感を生む脳
――神経美学からみた芸術
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四六判上製192頁+カラー6頁
定価:本体2200円+税
発売日 13.9.15
ISBN 978-4-7885-1358-7
◆amazon.co.jpへ
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◆人はなぜ、美しさに惹かれるのか?◆
社会脳シリーズ第4巻の配本です。美を感じる心は、人間にのみ備わっているのでしょうか? もしそうだとしたら、鳥たちや、魚たちまで、なぜこんなに美しいのでしょうか? 美は、生命にとって本質的な何かではないのか、と思わないではいられません。本書は、美を感じる脳の研究最前線からの報告です。社会脳の研究が広がりをみせるにつれて、従来の認知神経科学では取り組むことが困難だった美しさや、それとかかわる共感や感動などを、哲学的にではなく生物学的な立場から探る研究がはじまったのです。絵画、北斎漫画、能面、フラクタル図形などに反応する脳のメカニズムの解明をとおして、美しさと共感を生む脳のメカニズムに迫ります。
美しさと共感を生む脳 目次
美しさと共感を生む脳 序
社会脳シリーズ
Loading
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美しさと共感を生む脳 目次
「社会脳シリーズ」刊行にあたって
社会脳シリーズ4『美しさと共感を生む脳』への序
1 視覚芸術の神経美学 川畑秀明
はじめに
美への実験的接近
絵画作品を見ているときの脳活動
美の判断と脳活動
美の基準
おわりに
2 美と感性の脳内表現 三浦佳世
はじめに
知覚印象の脳内表現
感性評価に対する脳内表現
創造に関わる脳内部位
美しさに関する脳活動
絵画の美しさ判断と脳活動
おわりに
3 神経美学と色彩調和 池田尊司
はじめに
神経科学的アプローチ
近代日本画を題材としたfMRI実験
美しさに関わる脳領域のまとめ
刺激の問題
神経美学と色彩調和研究
おわりに
4 北斎漫画の神経美学─静止画に秘められた動きの印象 苧阪直行
はじめに
絵画における空間の表現
人物の表現
印象派への影響
北斎漫画
絵画における示唆運動の技法
絵画鑑賞と報酬期待
ゲシュタルト統合
北斎漫画を用いた実験
IMをめぐる最近の研究
おわりに
5 能面の神経美学─能面の表情に秘められた謎 苧阪直行
はじめに
能面について
能面の類似性評定
悲しみの表情をもつ能面のfMRI実験
おわりに
6 フラクタル図形に対するサルの好き嫌い 竹林美佳・船橋新太郎
はじめに
美的感覚による快感情の生成に関わると思われる脳部位
動物で観察される刺激に対する選好性
サルの視覚刺激に対する選好性実験
おわりに
文献 (9)
事項索引 (4)
人名索引 (1)
装幀=虎尾 隆
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美しさと共感を生む脳 序
美しさは社会脳研究でとくに興味ある研究テーマである。というのも、われわれは常に美しさを求めて、美術作品や自然の風景を眺め、さらに身近なところでは顔、姿や立ち振る舞いの美しさを通して快い感情をもつことができるからである。本シリーズ第4巻「美しさと共感を生む脳─神経美学からみた芸術」では、美しさの脳内表現について考える。
われわれは、なぜ美しさに引かれるのであろうか?
そして、美しさを感じることにかかわる脳の活動とはどのようなものであろうか?。
さらに、美しさは対象を受動的に見たり聞いたりすることからはじまるのか?
あるいは対象を能動的かつ創造的にとらえる心のはたらきとかかわるのであろうか?
美しさを感じる心のはたらきが、さまざまな脳の領域の活動とかかわることが最近わかってきた。近年、社会脳の研究が広がりをみせるにつれて、従来の認知神経科学では取り組むことが困難だった美しさや、それとかかわる共感や感動などを、哲学的ではなく生物学的な立場から探る研究がはじまったのである(Rentschler et al. 1988; 岩田 1997)。
美しさ(あるいは醜さ)をどうとらえるかは、観念論と経験論をそれぞれ源流とする哲学、とくに美学上のテーマであった。たとえば、古代ギリシアでは、美を観念的なイデアとしてとらえたプラトンに対して、アリストテレスは経験を通して美を考え、経験論から実証主義の系譜につながる美へのアプローチの源流となった。近世では、18世紀のドイツの哲学者A・バウムガルテンが理性による美的認識に対して、快や不快の経験を含んだ感性による認識を美学に取り入れた。また19世紀には作用心理学の立場から美を考えたF・ブレンターノや美しさの感性的認識を感情移入説によって説明した心理学者T・リップスがいる。美しいと感じる心の経験を機能主義から論じたW・ジェームスや純粋経験とかかわる「作用の学」から論じた西田(1950)など、直接的な意識経験をもとに美を論じる流れは近年の生物学的な美しさの研究へと展開してゆくのである。ちなみに、I・カントの『判断力批判』やG・W・ヘーゲルの『美学講義』は観念論的美学の集成のように思われているが、これらは真善美を軸とした、芸術一般の在り方についての研究であって、とくに美しさの研究を扱ったものではないことに注意する必要がある。
美しさへの経験的アプローチにとって重要な出来事は、19世紀の自然科学の勃興を背景に、心理学が哲学のゆりかごから目覚めて実験科学の色彩を帯びはじめたこと、そしてこれが経験主義による美の具体的な探求の契機となったことである。何が美しさの経験的基準となるのかを検討する実験的な動きがこの時期に生まれた。美を感性(感覚)的認識の立場から検討する試みがはじまったのである。そのような時代の流れの中で、感性経験を通した美しさについては、ドイツのG・T・フェヒナーが感覚の計量化を目指す心理物理学(psychophysics)を樹立し(1860)、続いて実験美学(experimental aesthetics)を提案(1876)したことが美への実験的、あるいは実証的アプローチへの先駆けとなった。彼は、哲学的な「上からの美学」に対して感覚をもとにして「下からの美学」、つまり、経験に基づく実証主義的な美の研究を重視した。たとえば黄金比率が美しさを決定するという考えに対して、フェヒナーは具体的に2辺の長さの比率を変化させた長方形を心理物理学的な方法で評価させその妥当性を調べるという実験的な試みを行っている。
さて、フェヒナーの心理物理学(Psycho-Physics)はその名が示すように、感覚という主観量を物理的尺度で表現し、主観と客観の世界を橋渡しする画期的な方法であった。彼によれば、心理物理学は外的および内的心理物理学に分けることができる。外的心理物理学は感覚量たとえば明るさの判断(R)は刺激の物理強度(I)の関数として表される[R=f(I)](ここで注意すべきはIもRも操作あるいは観察可能であるという点である。フェヒナーは刺激Iと判断Rの間に対数関数をあてはめた、いわゆるフェヒナーの法則を見出している)。一方、内的心理物理学は脳の神経応答(B)と感覚(S)の関数形を求める[S=f(B)](ここでは、Bはフェヒナーの時代には観察不可能であったが、現在は観察可能、Sは神経応答により生まれた感覚でありRへの反映を通して観察可能であると考えられている)。彼の内的心理物理学は感覚測定法としてよく知られている外的心理物理学の内部に入れ子状に組み込まれた予測的法則であり、Bには快不快といった感性情報が含まれていると考えることができるのである。このように、外的および内的心理物理学が組み合わされてはじめて神経応答と感覚判断の神経相関が形成されることを示したことは、現在では忘れ去られているようである。
時代が進んで、20世紀に入ると、個々の美的経験や芸術への実験心理学的あるいは実験現象学(ゲシュタルト心理学)的検討が続々と行われるようになる。実験心理学ではフェヒナーの伝統に基づき、美の経験法則が探求され、一方、現象の観察と記述を重視する実験現象学では、全体の構造的なまとまりが部分の集合に還元できないことを明らかにし、当時の要素的還元主義を批判した。これは、美しさが個々の要素の寄せ集めでは説明できないことを明らかにし、美への新しいアプローチへの道を拓いた点で重要であった(野口 2007)。一部のゲシュタルト心理学者は観察(経験)を脳の力動的な場として表現する心理物理同型説を提案したが、その検討は当時の脳科学の制約もあってあまり行われなかった。20世紀中葉から実証的な立場からとくに絵画における美しさを検討した美術史学者H・ヴェルフリン(1915)、R・アルンハイム(1954)やE・H・ゴンブリッチ(1960)、さらに実験心理学者ではR・グレゴリー(1978)やR・ソルソ(1994)などのアプローチも、経験論的な立場からの検討の成果であると言えよう。21世紀に入ると英国の神経科学者S・ゼキは視覚芸術を神経科学的に研究する学問を神経美学(neuroaesthetics)と呼び、このアプローチの先駆けとなった(Zeki 1999)。神経美学とは芸術における美的知覚の経験を神経科学的に裏づける科学で、観察された行動指標と脳の神経反応の相関関係を調べる学問である。
以上、経験論的アプローチからの美しさへの実験的検証が神経美学にまで進展してきた歩みを見てきた。美しさの認識と脳のはたらきの神経相関(neural correlates)を、本巻では神経美学の立場から検討する。
さて、美しさが、人の心を引きつけるのはなぜなのか、という問題をこの巻では視覚的な美しさに限って考えてみた。視覚を通して検討する理由の一つは、視覚系のメカニズムが知覚心理学において深く研究されてきており、同時に最近の視覚脳の認知神経科学的な解明が急ピッチで進展したことがあげられる。美しさを実証的かつ経験的に考える多くのヒントが、「見える」ではなく「見る」というアクティブで創造的な活動に認められるからである。
ここで、見るという行為を、すでに触れたゲシュタルト心理学から少し考えてみたい。ゲシュタルト心理学の創設者の一人であるK・コフカは、視覚科学の基本問題として“モノはなぜそれが見えているように見えるのか”(Koffka 1935)と問うた。この答えを出すべく多くの心理物理的実験が行われてきたが、注意すべきは見えるということがそれ自身、すでに心の創造的なはたらきを含んでいることの発見である。そして心のはたらき(視覚的意識)が脳によって担われているならば、“モノはなぜそれが美しく見えるのか”という問いに展開することができるだろう。見るという視覚的意識に共通して認められるのは、構成的かつ復元的な過程、つまり補完や充填などの能動的処理が脳内ネットワークによって担われており(第3巻参照)、美しさもこのような復元的、さらに創造的過程がかかわっていると考えられるのである。視覚的意識の基礎的なはたらきに明るさ、大きさ、方向、奥行き、角度、色、形などを検出するはたらきや、これらの情報を束ねるはたらき、さらに錯視を生み出すメカニズムまでを含めて考えてゆくのが視覚的意識研究のストラテジーであり、これは同時に視覚的美しさの神経美学的研究のストラテジーであると言ってもよいだろう。観察者の主観的な見えの世界を生み出す視覚の、さらに美しさを生む脳内メカニズムが明らかになってくるはずであり、ここに視覚の内的神経心理物理学の可能性も見えてくるのである(苧阪 1998)。神経美学の研究方法の一つであるfMRI(機能的磁気共鳴画像法)の血流反応の検討によっても、内的心理物理学の記述が可能であることもわかってきた(Tsubomi et al. 2012)。
本書で取り上げようとする美しさは、それらが機能的な意味で脳のはたらきと神経相関をもつことをfMRIなどの脳イメージングの手法で明らかにすることである。美という主観を脳という物質のはたらきという客観から推定するというパズルである。美という主観経験がクオリアとかかわるならば、この種のパズルは解けないというオーストラリアの哲学者D・チャルマース流のハードプロブレム(1995)の考えがあるが、本書では脳のネットワークのはたらきが美しさという主観(心理評価)を担う機能の一端を担っているというアイデアを「美への科学的冒険」の試みとして捉えたい。美への科学的解明が一種の設定不良問題と考えられてきた時代は過ぎ去りつつあり、美を認識する脳内ネットワークがあると考えるのである。美しさの認識については個人差がありまた文化差もあり、深い美学的議論は必要ではあるが、本巻で紹介された幾つかの実験で検討する限り、美しさはその神経美学的表現をもっていると考えられる。
さて、美しさに引かれる生物的要因の候補の一つについての面白い仮説に触れてみたい。美しい絵画によって見る人の心に感動が呼び起こされた場合、その説明には諸説があるが、その中の一つの有力な考えは対象との共感による報酬とかかわるというものである。報酬という表現は神経経済学で中心となる概念であり、購買を含む経済行為は報酬期待にモティベートされているといわれることが多い(本シリーズ第5巻『報酬を期待する脳─神経経済学』参照)。報酬を期待したり、報酬を得た場合に活性化する脳内領域として、たとえば中脳の辺縁系や眼窩前頭葉などがその神経基盤と考えられていることもこのアイデアのヒントとなっている。この報酬への期待が絵画の鑑賞にも隠されており、美しいとか共感できる対象の場合、自己と対象が一体的な関係になった結果として獲得される一種の社会的報酬であると考えるのである。もし、そうであれば、美術を含めた芸術の鑑賞は報酬期待という神経経済学のベースともなる共通の軸を分かちもっていると言えるかもしれない。
本巻の概略に移りたい。1章では、西洋画を肖像画、風景画、静物画、抽象画の4カテゴリーに分けて、それらを観察し、美しさ(醜さ)を感じているときの脳の活動(fMRI)を調べている。肖像画では、顔の処理にかかわるとされる脳の紡錘状回領域が活性化されるのに対して、風景画では、海馬近傍領域(海馬近傍場所領野)が活性化を示すことがわかった。また、静物画では、後頭葉の外側部が活動を高めるが、その領域は物体の認知とかかわることがわかった。一方、抽象画では特徴的な脳の活動を示す部位は明らかにならなかった。具象画に対して抽象画が特別な活動を示さなかったことは興味深い。
肖像、風景や静物を描いた絵画を見て、美しさを感じるときには眼窩前頭皮質が美しさの度合いに応じて、醜さを感じるときには運動野が醜さの度合いに応じて、それぞれ活動が高まることが明らかになった。眼窩前頭皮質は好悪判断とかかわることが言われており、妥当な結果のように思われるが、なぜ醜さが運動野でも活性化を示したのかは抽象画と同様に興味深く思われ、その理由のさらなる検討に興味がもたれる。
2章では、感性という文化的背景をもつ概念と関連づけながら美について考える。諸学の源といわれるギリシア哲学では美学(aesthetica)にはもともと「感性的なるもの」の学であることから、美は感性とかわる概念とされている。
美しさの要因として、多くの実験で対称性が検討の対象となってきた。ここで紹介されている研究では、対称性の判断と美的な評価を脳の反応の差分に基づいて検討すると、対称性の判断には頭頂や補足運動領野など空間処理に関係する領域が活性化した一方で、美しさの判断には前部帯状回や前頭前野などとかかわる領域が活性化することが報告されている。これは、ゲシュタルト心理学などで問題にされてきた対称性の判断が、必ずしも美しさの判断と同じ脳内領域によって担われているとは言えないことを示唆してはいる。対称性という知覚的判断が他の要因と統合された結果、美しさの印象が生まれるという可能性が考えられそうである。
この章では、いくつかの最近の研究が取り上げられているが、感性の脳内表現は、CGでつくった人工的オブジェクトであっても、その質感などは紡錘状回近傍がかかわるらしいことが、また、運動印象を与える静止画でも、側頭野領域が活性化を示すことが紹介されている。ちょっと変わったデータとして、板チョコのように見えるキーボードを見た場合、それが味覚や触感を感じさせるデザインであれば、味覚や触覚にかかわる脳領域も活性化するという実験が紹介されており、美へのアプローチには創造力もかかわると指摘されている点が面白い。また、アンケート調査によると、優れたデザインをもつ製品に対しては、購買欲求も高まるという報告は神経経済学の報酬期待の原理と共通項をもつようでこれも興味深い。
3章では、1章で西洋画が取り上げられたのに対して、日本画の風景画、人物画と静物画の美しさと色彩調和の問題が取り上げられている。 この実験の結果では、美しさが海馬傍回、下前頭回や前部帯状回のルートで、醜さが扁桃体と眼窩前頭皮質のルートで脳内に表現されていることが紹介されている。1章の結果と合わせて考えると眼窩前頭葉のネットワークにおける情報統合の活動の程度が美しさや醜さの印象を強めたり弱めたりしていることを示唆しているように思われる。
さらに、色彩調和についての行動実験から、色彩調和と感情価は相関をもち、色彩調和度が中程度の場合に覚醒度は低くなり、美しさは感情価と覚醒度による複合概念として捉えうることが示されている。色の3属性である色相、鮮やかさや明度の組み合わせが美的な印象やデザインとどうかかわるかは、これからの神経美学的研究の一つのテーマとなろう。
4章では静止画に秘められた動きの印象を北斎漫画を見せて検討している。1、3章でそれぞれの著者がかかわった美しさについての絵画のfMRI実験はいずれも、1章では西洋画、3章では日本画である違いがあるにしても静止画が検討の対象であり、必ずしも動きを感じさせる絵画ではなかった。2章でも質感にかかわる脳の反応は静止画像を中心とした刺激によるものであった。本章では、2章でも少し紹介されている示唆された運動印象(Implied Motion: IM)を感じられる静止画が、実際の脳内表現として動きを感じさせているのかどうかを、北斎漫画を用いて検討している。具体的には、北斎漫画を用いたfMRIによる神経美学的実験である。北斎漫画は線画によるスケッチであり、19世紀西洋の印象派の絵画に大きな影響を残している。変幻自在で躍動感にあふれた心の動きが体の動きを通して表現されている。ヴェルフリン(1915)もルネサンス絵画では輪郭線が表出を担い、そこに美が宿ると述べており、西田(1950)もまた線画は絵画よりも自由で力強く、表現的動作の表出にとって重要であると指摘しており(西田 1950)、この見方は北斎漫画に最もよく当てはまる。
静止画に含まれたIMこそ北斎漫画の鑑賞を導く手がかりとなっているとここでは考えられている。躍動感を生みだすIMには、漫画に運動印象を生み出す創発的な仕掛けが埋め込まれているのであり、これを中側頭領域の運動視にかかわる脳領域での運動残効説から説明している。IMの手がかりを用いて、静止した人物をあたかも動いているように認識し創造する脳内過程が、絵画の観賞とかかわると考えている。
5章では4章の日本画に引き続き、日本の伝統芸能の一つである能楽で用いられる能面の情動表情についての神経美学的研究を紹介している。能面の表情に秘められた謎を悲しみを軸に考えている。顔写真を見せてfMRIで反応を検討すると、たとえば恐れの表情が脳の扁桃体を活性化することが知られているが、恐れとは異なる情動として、たとえば悲しみを認知する脳の領域は特定できるであろうか。ここでは、はじめに能面のもつ特異な表情と、それに対して余白のある曖昧な表情をもつ能面を対比させて、悲しみの表情の脳内表現の問題について考えている。なぜ、悲しみなのかと言えば、悲しみという悲哀と情感に満ちた表情は能面の表情の一典型とも言えるからであり、また悲しみの脳内表現と扁桃体とのかかわりを検討するのに適しているからである。笑いというポジティブな感情を悲しみというネガティブな感情と対比させることも目的の一つとなっている。情動脳の中心をなす辺縁系の中で、笑いは側坐核などの報酬系とかかわるのに対して(Osaka & Minamoto 2011)、悲しみは扁桃体のはたらきとかかわるという仮説の検討が行われている。
5章までは、ヒトの神経美学的研究を中心に見てきたが、6章ではサルが登場する。しかし、ここでは、サルも美的認識をもつかという一般受けするテーマを扱っているわけではなく、フラクタル図形に対する選好行動を通して実験的に検討している。好んで選ばれる図形は快感情と美しさにかかわると想定されている。フラクタル図形という特異な視覚刺激を利用しているところにおもしろさがある。刺激への正答率の相違は、この図形に対するサルの選好性の違いを反映している。実験の結果、高い選好性を示す刺激で前頭葉眼窩部の活動が増大することが示されたことから、選好性とかかわると考えられる快感情には前頭葉眼窩部の神経ネットワークが関与していると考えられた。フラクタル図形は、さまざまな色と形を組み合わせた複雑な図形であるため、生物学的には意味のない人工的な視覚刺激であるが、サルにとって新奇性のある刺激なのである。何度も見ると親しみがわいて選好性が増加するという、いわゆる単純接触効果の結果ではないことも実験的に確かめており、ここでの選好性が刺激のもつユニークな構造によっていることがわかり、快感情や美しさを考えるヒントが示されている。フラクタル図形に対する選好性の違いと前頭葉眼窩部ニューロン活動の間にどのような関係があるのかが今後の課題であろう。1章では抽象画ではヒトの脳の活動領域の特定が難しいことが報告されているが、ここでは、フラクタル図形のような抽象的につくられたパタンについてはサルでも好悪判断があることも示されており興味深い。
なお、本巻についても編集上でお世話になった新曜社の塩浦氏に感謝を表したい。
苧阪直行
2014/11/22 21:34
人が絵画や音楽を「美しい」と感じたとき、脳の一部分の血流量が増加する――。英ロンドン大神経生物学研究所の石津智大研究員=神経美学=のチームが米専門誌などに発表した研究結果が注目されている。
この部位はうつ病や認知症などの疾患で活動が落ちるとされ、石津研究員は「『美』によって活性化させる手法は、医療の分野などで生かせるのではないか」と期待する。
石津研究員のチームは「美しさ」に反応する脳の動きを探るため、人種や宗教などが異なる22~34歳の健康な男女21人を対象に、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)を使った実験を実施。肖像画や風景画などを16秒ずつ順に45枚提示し、美しいと感じたかどうかを示してもらった。
その結果、美しいと感じた場合、美しくないと感じた時と比べ、前頭葉の一部にある「内側眼窩(がんか)前頭皮質」と呼ばれる領域で血流量が増加し、働きが平均で約35%活発化する共通性があることを確認。美しいと強く感じるほど活動量も増えることが分かった。
この21人に音楽を聞かせた場合でも同様のデータが得られたという。ほかにも多くの実験を重ねた石津研究員は「科学の世界では、美に関する感情は客観的に測定できないと考えられてきた」として研究の意義を強調する。〔共同〕
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苧阪直行 編
美しさと共感を生む脳
――神経美学からみた芸術
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四六判上製192頁+カラー6頁
定価:本体2200円+税
発売日 13.9.15
ISBN 978-4-7885-1358-7
◆amazon.co.jpへ
◆紀伊國屋書店Books Web へ
◆7ネットショッピングへ
◆人はなぜ、美しさに惹かれるのか?◆
社会脳シリーズ第4巻の配本です。美を感じる心は、人間にのみ備わっているのでしょうか? もしそうだとしたら、鳥たちや、魚たちまで、なぜこんなに美しいのでしょうか? 美は、生命にとって本質的な何かではないのか、と思わないではいられません。本書は、美を感じる脳の研究最前線からの報告です。社会脳の研究が広がりをみせるにつれて、従来の認知神経科学では取り組むことが困難だった美しさや、それとかかわる共感や感動などを、哲学的にではなく生物学的な立場から探る研究がはじまったのです。絵画、北斎漫画、能面、フラクタル図形などに反応する脳のメカニズムの解明をとおして、美しさと共感を生む脳のメカニズムに迫ります。
美しさと共感を生む脳 目次
美しさと共感を生む脳 序
社会脳シリーズ
Loading
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美しさと共感を生む脳 目次
「社会脳シリーズ」刊行にあたって
社会脳シリーズ4『美しさと共感を生む脳』への序
1 視覚芸術の神経美学 川畑秀明
はじめに
美への実験的接近
絵画作品を見ているときの脳活動
美の判断と脳活動
美の基準
おわりに
2 美と感性の脳内表現 三浦佳世
はじめに
知覚印象の脳内表現
感性評価に対する脳内表現
創造に関わる脳内部位
美しさに関する脳活動
絵画の美しさ判断と脳活動
おわりに
3 神経美学と色彩調和 池田尊司
はじめに
神経科学的アプローチ
近代日本画を題材としたfMRI実験
美しさに関わる脳領域のまとめ
刺激の問題
神経美学と色彩調和研究
おわりに
4 北斎漫画の神経美学─静止画に秘められた動きの印象 苧阪直行
はじめに
絵画における空間の表現
人物の表現
印象派への影響
北斎漫画
絵画における示唆運動の技法
絵画鑑賞と報酬期待
ゲシュタルト統合
北斎漫画を用いた実験
IMをめぐる最近の研究
おわりに
5 能面の神経美学─能面の表情に秘められた謎 苧阪直行
はじめに
能面について
能面の類似性評定
悲しみの表情をもつ能面のfMRI実験
おわりに
6 フラクタル図形に対するサルの好き嫌い 竹林美佳・船橋新太郎
はじめに
美的感覚による快感情の生成に関わると思われる脳部位
動物で観察される刺激に対する選好性
サルの視覚刺激に対する選好性実験
おわりに
文献 (9)
事項索引 (4)
人名索引 (1)
装幀=虎尾 隆
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美しさと共感を生む脳 序
美しさは社会脳研究でとくに興味ある研究テーマである。というのも、われわれは常に美しさを求めて、美術作品や自然の風景を眺め、さらに身近なところでは顔、姿や立ち振る舞いの美しさを通して快い感情をもつことができるからである。本シリーズ第4巻「美しさと共感を生む脳─神経美学からみた芸術」では、美しさの脳内表現について考える。
われわれは、なぜ美しさに引かれるのであろうか?
そして、美しさを感じることにかかわる脳の活動とはどのようなものであろうか?。
さらに、美しさは対象を受動的に見たり聞いたりすることからはじまるのか?
あるいは対象を能動的かつ創造的にとらえる心のはたらきとかかわるのであろうか?
美しさを感じる心のはたらきが、さまざまな脳の領域の活動とかかわることが最近わかってきた。近年、社会脳の研究が広がりをみせるにつれて、従来の認知神経科学では取り組むことが困難だった美しさや、それとかかわる共感や感動などを、哲学的ではなく生物学的な立場から探る研究がはじまったのである(Rentschler et al. 1988; 岩田 1997)。
美しさ(あるいは醜さ)をどうとらえるかは、観念論と経験論をそれぞれ源流とする哲学、とくに美学上のテーマであった。たとえば、古代ギリシアでは、美を観念的なイデアとしてとらえたプラトンに対して、アリストテレスは経験を通して美を考え、経験論から実証主義の系譜につながる美へのアプローチの源流となった。近世では、18世紀のドイツの哲学者A・バウムガルテンが理性による美的認識に対して、快や不快の経験を含んだ感性による認識を美学に取り入れた。また19世紀には作用心理学の立場から美を考えたF・ブレンターノや美しさの感性的認識を感情移入説によって説明した心理学者T・リップスがいる。美しいと感じる心の経験を機能主義から論じたW・ジェームスや純粋経験とかかわる「作用の学」から論じた西田(1950)など、直接的な意識経験をもとに美を論じる流れは近年の生物学的な美しさの研究へと展開してゆくのである。ちなみに、I・カントの『判断力批判』やG・W・ヘーゲルの『美学講義』は観念論的美学の集成のように思われているが、これらは真善美を軸とした、芸術一般の在り方についての研究であって、とくに美しさの研究を扱ったものではないことに注意する必要がある。
美しさへの経験的アプローチにとって重要な出来事は、19世紀の自然科学の勃興を背景に、心理学が哲学のゆりかごから目覚めて実験科学の色彩を帯びはじめたこと、そしてこれが経験主義による美の具体的な探求の契機となったことである。何が美しさの経験的基準となるのかを検討する実験的な動きがこの時期に生まれた。美を感性(感覚)的認識の立場から検討する試みがはじまったのである。そのような時代の流れの中で、感性経験を通した美しさについては、ドイツのG・T・フェヒナーが感覚の計量化を目指す心理物理学(psychophysics)を樹立し(1860)、続いて実験美学(experimental aesthetics)を提案(1876)したことが美への実験的、あるいは実証的アプローチへの先駆けとなった。彼は、哲学的な「上からの美学」に対して感覚をもとにして「下からの美学」、つまり、経験に基づく実証主義的な美の研究を重視した。たとえば黄金比率が美しさを決定するという考えに対して、フェヒナーは具体的に2辺の長さの比率を変化させた長方形を心理物理学的な方法で評価させその妥当性を調べるという実験的な試みを行っている。
さて、フェヒナーの心理物理学(Psycho-Physics)はその名が示すように、感覚という主観量を物理的尺度で表現し、主観と客観の世界を橋渡しする画期的な方法であった。彼によれば、心理物理学は外的および内的心理物理学に分けることができる。外的心理物理学は感覚量たとえば明るさの判断(R)は刺激の物理強度(I)の関数として表される[R=f(I)](ここで注意すべきはIもRも操作あるいは観察可能であるという点である。フェヒナーは刺激Iと判断Rの間に対数関数をあてはめた、いわゆるフェヒナーの法則を見出している)。一方、内的心理物理学は脳の神経応答(B)と感覚(S)の関数形を求める[S=f(B)](ここでは、Bはフェヒナーの時代には観察不可能であったが、現在は観察可能、Sは神経応答により生まれた感覚でありRへの反映を通して観察可能であると考えられている)。彼の内的心理物理学は感覚測定法としてよく知られている外的心理物理学の内部に入れ子状に組み込まれた予測的法則であり、Bには快不快といった感性情報が含まれていると考えることができるのである。このように、外的および内的心理物理学が組み合わされてはじめて神経応答と感覚判断の神経相関が形成されることを示したことは、現在では忘れ去られているようである。
時代が進んで、20世紀に入ると、個々の美的経験や芸術への実験心理学的あるいは実験現象学(ゲシュタルト心理学)的検討が続々と行われるようになる。実験心理学ではフェヒナーの伝統に基づき、美の経験法則が探求され、一方、現象の観察と記述を重視する実験現象学では、全体の構造的なまとまりが部分の集合に還元できないことを明らかにし、当時の要素的還元主義を批判した。これは、美しさが個々の要素の寄せ集めでは説明できないことを明らかにし、美への新しいアプローチへの道を拓いた点で重要であった(野口 2007)。一部のゲシュタルト心理学者は観察(経験)を脳の力動的な場として表現する心理物理同型説を提案したが、その検討は当時の脳科学の制約もあってあまり行われなかった。20世紀中葉から実証的な立場からとくに絵画における美しさを検討した美術史学者H・ヴェルフリン(1915)、R・アルンハイム(1954)やE・H・ゴンブリッチ(1960)、さらに実験心理学者ではR・グレゴリー(1978)やR・ソルソ(1994)などのアプローチも、経験論的な立場からの検討の成果であると言えよう。21世紀に入ると英国の神経科学者S・ゼキは視覚芸術を神経科学的に研究する学問を神経美学(neuroaesthetics)と呼び、このアプローチの先駆けとなった(Zeki 1999)。神経美学とは芸術における美的知覚の経験を神経科学的に裏づける科学で、観察された行動指標と脳の神経反応の相関関係を調べる学問である。
以上、経験論的アプローチからの美しさへの実験的検証が神経美学にまで進展してきた歩みを見てきた。美しさの認識と脳のはたらきの神経相関(neural correlates)を、本巻では神経美学の立場から検討する。
さて、美しさが、人の心を引きつけるのはなぜなのか、という問題をこの巻では視覚的な美しさに限って考えてみた。視覚を通して検討する理由の一つは、視覚系のメカニズムが知覚心理学において深く研究されてきており、同時に最近の視覚脳の認知神経科学的な解明が急ピッチで進展したことがあげられる。美しさを実証的かつ経験的に考える多くのヒントが、「見える」ではなく「見る」というアクティブで創造的な活動に認められるからである。
ここで、見るという行為を、すでに触れたゲシュタルト心理学から少し考えてみたい。ゲシュタルト心理学の創設者の一人であるK・コフカは、視覚科学の基本問題として“モノはなぜそれが見えているように見えるのか”(Koffka 1935)と問うた。この答えを出すべく多くの心理物理的実験が行われてきたが、注意すべきは見えるということがそれ自身、すでに心の創造的なはたらきを含んでいることの発見である。そして心のはたらき(視覚的意識)が脳によって担われているならば、“モノはなぜそれが美しく見えるのか”という問いに展開することができるだろう。見るという視覚的意識に共通して認められるのは、構成的かつ復元的な過程、つまり補完や充填などの能動的処理が脳内ネットワークによって担われており(第3巻参照)、美しさもこのような復元的、さらに創造的過程がかかわっていると考えられるのである。視覚的意識の基礎的なはたらきに明るさ、大きさ、方向、奥行き、角度、色、形などを検出するはたらきや、これらの情報を束ねるはたらき、さらに錯視を生み出すメカニズムまでを含めて考えてゆくのが視覚的意識研究のストラテジーであり、これは同時に視覚的美しさの神経美学的研究のストラテジーであると言ってもよいだろう。観察者の主観的な見えの世界を生み出す視覚の、さらに美しさを生む脳内メカニズムが明らかになってくるはずであり、ここに視覚の内的神経心理物理学の可能性も見えてくるのである(苧阪 1998)。神経美学の研究方法の一つであるfMRI(機能的磁気共鳴画像法)の血流反応の検討によっても、内的心理物理学の記述が可能であることもわかってきた(Tsubomi et al. 2012)。
本書で取り上げようとする美しさは、それらが機能的な意味で脳のはたらきと神経相関をもつことをfMRIなどの脳イメージングの手法で明らかにすることである。美という主観を脳という物質のはたらきという客観から推定するというパズルである。美という主観経験がクオリアとかかわるならば、この種のパズルは解けないというオーストラリアの哲学者D・チャルマース流のハードプロブレム(1995)の考えがあるが、本書では脳のネットワークのはたらきが美しさという主観(心理評価)を担う機能の一端を担っているというアイデアを「美への科学的冒険」の試みとして捉えたい。美への科学的解明が一種の設定不良問題と考えられてきた時代は過ぎ去りつつあり、美を認識する脳内ネットワークがあると考えるのである。美しさの認識については個人差がありまた文化差もあり、深い美学的議論は必要ではあるが、本巻で紹介された幾つかの実験で検討する限り、美しさはその神経美学的表現をもっていると考えられる。
さて、美しさに引かれる生物的要因の候補の一つについての面白い仮説に触れてみたい。美しい絵画によって見る人の心に感動が呼び起こされた場合、その説明には諸説があるが、その中の一つの有力な考えは対象との共感による報酬とかかわるというものである。報酬という表現は神経経済学で中心となる概念であり、購買を含む経済行為は報酬期待にモティベートされているといわれることが多い(本シリーズ第5巻『報酬を期待する脳─神経経済学』参照)。報酬を期待したり、報酬を得た場合に活性化する脳内領域として、たとえば中脳の辺縁系や眼窩前頭葉などがその神経基盤と考えられていることもこのアイデアのヒントとなっている。この報酬への期待が絵画の鑑賞にも隠されており、美しいとか共感できる対象の場合、自己と対象が一体的な関係になった結果として獲得される一種の社会的報酬であると考えるのである。もし、そうであれば、美術を含めた芸術の鑑賞は報酬期待という神経経済学のベースともなる共通の軸を分かちもっていると言えるかもしれない。
本巻の概略に移りたい。1章では、西洋画を肖像画、風景画、静物画、抽象画の4カテゴリーに分けて、それらを観察し、美しさ(醜さ)を感じているときの脳の活動(fMRI)を調べている。肖像画では、顔の処理にかかわるとされる脳の紡錘状回領域が活性化されるのに対して、風景画では、海馬近傍領域(海馬近傍場所領野)が活性化を示すことがわかった。また、静物画では、後頭葉の外側部が活動を高めるが、その領域は物体の認知とかかわることがわかった。一方、抽象画では特徴的な脳の活動を示す部位は明らかにならなかった。具象画に対して抽象画が特別な活動を示さなかったことは興味深い。
肖像、風景や静物を描いた絵画を見て、美しさを感じるときには眼窩前頭皮質が美しさの度合いに応じて、醜さを感じるときには運動野が醜さの度合いに応じて、それぞれ活動が高まることが明らかになった。眼窩前頭皮質は好悪判断とかかわることが言われており、妥当な結果のように思われるが、なぜ醜さが運動野でも活性化を示したのかは抽象画と同様に興味深く思われ、その理由のさらなる検討に興味がもたれる。
2章では、感性という文化的背景をもつ概念と関連づけながら美について考える。諸学の源といわれるギリシア哲学では美学(aesthetica)にはもともと「感性的なるもの」の学であることから、美は感性とかわる概念とされている。
美しさの要因として、多くの実験で対称性が検討の対象となってきた。ここで紹介されている研究では、対称性の判断と美的な評価を脳の反応の差分に基づいて検討すると、対称性の判断には頭頂や補足運動領野など空間処理に関係する領域が活性化した一方で、美しさの判断には前部帯状回や前頭前野などとかかわる領域が活性化することが報告されている。これは、ゲシュタルト心理学などで問題にされてきた対称性の判断が、必ずしも美しさの判断と同じ脳内領域によって担われているとは言えないことを示唆してはいる。対称性という知覚的判断が他の要因と統合された結果、美しさの印象が生まれるという可能性が考えられそうである。
この章では、いくつかの最近の研究が取り上げられているが、感性の脳内表現は、CGでつくった人工的オブジェクトであっても、その質感などは紡錘状回近傍がかかわるらしいことが、また、運動印象を与える静止画でも、側頭野領域が活性化を示すことが紹介されている。ちょっと変わったデータとして、板チョコのように見えるキーボードを見た場合、それが味覚や触感を感じさせるデザインであれば、味覚や触覚にかかわる脳領域も活性化するという実験が紹介されており、美へのアプローチには創造力もかかわると指摘されている点が面白い。また、アンケート調査によると、優れたデザインをもつ製品に対しては、購買欲求も高まるという報告は神経経済学の報酬期待の原理と共通項をもつようでこれも興味深い。
3章では、1章で西洋画が取り上げられたのに対して、日本画の風景画、人物画と静物画の美しさと色彩調和の問題が取り上げられている。 この実験の結果では、美しさが海馬傍回、下前頭回や前部帯状回のルートで、醜さが扁桃体と眼窩前頭皮質のルートで脳内に表現されていることが紹介されている。1章の結果と合わせて考えると眼窩前頭葉のネットワークにおける情報統合の活動の程度が美しさや醜さの印象を強めたり弱めたりしていることを示唆しているように思われる。
さらに、色彩調和についての行動実験から、色彩調和と感情価は相関をもち、色彩調和度が中程度の場合に覚醒度は低くなり、美しさは感情価と覚醒度による複合概念として捉えうることが示されている。色の3属性である色相、鮮やかさや明度の組み合わせが美的な印象やデザインとどうかかわるかは、これからの神経美学的研究の一つのテーマとなろう。
4章では静止画に秘められた動きの印象を北斎漫画を見せて検討している。1、3章でそれぞれの著者がかかわった美しさについての絵画のfMRI実験はいずれも、1章では西洋画、3章では日本画である違いがあるにしても静止画が検討の対象であり、必ずしも動きを感じさせる絵画ではなかった。2章でも質感にかかわる脳の反応は静止画像を中心とした刺激によるものであった。本章では、2章でも少し紹介されている示唆された運動印象(Implied Motion: IM)を感じられる静止画が、実際の脳内表現として動きを感じさせているのかどうかを、北斎漫画を用いて検討している。具体的には、北斎漫画を用いたfMRIによる神経美学的実験である。北斎漫画は線画によるスケッチであり、19世紀西洋の印象派の絵画に大きな影響を残している。変幻自在で躍動感にあふれた心の動きが体の動きを通して表現されている。ヴェルフリン(1915)もルネサンス絵画では輪郭線が表出を担い、そこに美が宿ると述べており、西田(1950)もまた線画は絵画よりも自由で力強く、表現的動作の表出にとって重要であると指摘しており(西田 1950)、この見方は北斎漫画に最もよく当てはまる。
静止画に含まれたIMこそ北斎漫画の鑑賞を導く手がかりとなっているとここでは考えられている。躍動感を生みだすIMには、漫画に運動印象を生み出す創発的な仕掛けが埋め込まれているのであり、これを中側頭領域の運動視にかかわる脳領域での運動残効説から説明している。IMの手がかりを用いて、静止した人物をあたかも動いているように認識し創造する脳内過程が、絵画の観賞とかかわると考えている。
5章では4章の日本画に引き続き、日本の伝統芸能の一つである能楽で用いられる能面の情動表情についての神経美学的研究を紹介している。能面の表情に秘められた謎を悲しみを軸に考えている。顔写真を見せてfMRIで反応を検討すると、たとえば恐れの表情が脳の扁桃体を活性化することが知られているが、恐れとは異なる情動として、たとえば悲しみを認知する脳の領域は特定できるであろうか。ここでは、はじめに能面のもつ特異な表情と、それに対して余白のある曖昧な表情をもつ能面を対比させて、悲しみの表情の脳内表現の問題について考えている。なぜ、悲しみなのかと言えば、悲しみという悲哀と情感に満ちた表情は能面の表情の一典型とも言えるからであり、また悲しみの脳内表現と扁桃体とのかかわりを検討するのに適しているからである。笑いというポジティブな感情を悲しみというネガティブな感情と対比させることも目的の一つとなっている。情動脳の中心をなす辺縁系の中で、笑いは側坐核などの報酬系とかかわるのに対して(Osaka & Minamoto 2011)、悲しみは扁桃体のはたらきとかかわるという仮説の検討が行われている。
5章までは、ヒトの神経美学的研究を中心に見てきたが、6章ではサルが登場する。しかし、ここでは、サルも美的認識をもつかという一般受けするテーマを扱っているわけではなく、フラクタル図形に対する選好行動を通して実験的に検討している。好んで選ばれる図形は快感情と美しさにかかわると想定されている。フラクタル図形という特異な視覚刺激を利用しているところにおもしろさがある。刺激への正答率の相違は、この図形に対するサルの選好性の違いを反映している。実験の結果、高い選好性を示す刺激で前頭葉眼窩部の活動が増大することが示されたことから、選好性とかかわると考えられる快感情には前頭葉眼窩部の神経ネットワークが関与していると考えられた。フラクタル図形は、さまざまな色と形を組み合わせた複雑な図形であるため、生物学的には意味のない人工的な視覚刺激であるが、サルにとって新奇性のある刺激なのである。何度も見ると親しみがわいて選好性が増加するという、いわゆる単純接触効果の結果ではないことも実験的に確かめており、ここでの選好性が刺激のもつユニークな構造によっていることがわかり、快感情や美しさを考えるヒントが示されている。フラクタル図形に対する選好性の違いと前頭葉眼窩部ニューロン活動の間にどのような関係があるのかが今後の課題であろう。1章では抽象画ではヒトの脳の活動領域の特定が難しいことが報告されているが、ここでは、フラクタル図形のような抽象的につくられたパタンについてはサルでも好悪判断があることも示されており興味深い。
なお、本巻についても編集上でお世話になった新曜社の塩浦氏に感謝を表したい。
苧阪直行