厚労省の7月幹部人事に異変あり
日経メディカル 2014年8月6日 REPORT (庄子育子=日経ヘルスケア)
「一体、何が起きたのか」──。厚生労働省が7月11日付で発令した幹部人事を見て、医療団体の関係者らは首をかしげた。そこには明らかな異変が見て取れたからだ。
厚労省のキャリア官僚は、旧国家公務員I種試験(現在の総合職試験)に合格した事務官と、医師免許を有する医系技官が主だったところ。両者は主要な幹部ポストを分け合っているが、医系技官は保健・医療分野で重要な役割を担う局長・課長ポストを押さえてきた。
しかし、今回はそうした慣行に楔が打ち込まれた。人事の中身をつぶさに見ていくと、医系技官の権限縮小とみられる動きが目につく。
象徴的なのは、医系技官ポストだった医政局長に、事務官の二川一男・大臣官房長が就任した点だ。医系技官のトップは医政局長と健康局長であり、医師免許を持つ厚労官僚は入省後、この2つの頂を目指す。中でも、医療政策を所掌する医政局長は医系技官の最高責任者とされ、その人事を一手に担ってきた。
そんな医政局長の座から医系技官が引き剥がされるのは、実は今回が2度目。前回は2009年に舛添要一・元厚労相が医系技官改革を掲げて人事慣行の見直しを断行した。ただ、その際には事務次官への登竜門とされる保険局長のポストを医系技官にあてがい、省内の反発を抑えた経緯がある。そして2012年には、医系技官が医政局長を、事務官が保険局長を務める従前の体制に戻っていた。
一方、今回の人事で医政局長の代わりに医系技官に用意されたのは、保険局長よりも格下とされる老健局長のポストだった。長らく事務官が務めてきたこのポストに、初の医系技官として三浦公嗣・技術総括審議官が就任した。
この他、新設された医療介護連携担当の審議官や課長には、いずれも事務官が就任した。結局、医政と保険の両局長はもとより、新たな政策を進めるために創設された主要な幹部ポストにも医系技官は就けなかった。
これらの点について、医系技官の幹部の1人は「官邸の底意地の悪さが見て取れる人事だ」と苦りきった口調で話す。
今回の中央省庁の幹部人事は、政治主導を掲げる内閣人事局の初仕事だった。そこには安倍晋三首相の意向が強く反映したとされる。そこで、安倍首相に近い自民党議員や厚労省幹部らに話を聞くと、異口同音に「首相は厚労省のことを信用していない」との答えが返ってきた。年金記録の消失や後期高齢者医療制度への批判などが第一次安倍内閣の退陣に大きく影響したことが理由のようだが、「最近の首相は、医療者側に付いて医療の構造改革に何かと反発する医系技官を苦々しく思っている」と明かす関係者もいる。
また、官邸の要である菅義偉官房長官も、特定の医系技官幹部と折り合いが悪く、首相以上に医系技官嫌いだとの指摘がある。こうした事情も今回の人事と無関係ではないようだ。
とはいえ、厚労省内の医系技官の受け止め方は決して暗いものではない。「先の通常国会で改正医療法が成立したため、医政局の仕事は今後、地域医療ビジョン策定の実施要項作りなど定型的な業務が中心となる。そのため局長が腕を振るう場面は少ないが、老健局では介護保険制度改正の骨格をなす地域支援事業への移行シナリオが描ききれておらず、局長が調整を担う場面が多々あるはずだ」と前向きに捉える声が聞かれる。
だが一方で、「老健局長の方が医政局長よりやりがいがあると言うのは単なる負け惜しみ。今回の人事は、医系技官が官邸に見切られた結果だ」と冷ややかな見方をする医系技官もいる。いずれにせよ、旧来の慣行を打破した人事が妥当であったかどうかは今後、現場の仕事がスムーズに運ぶかどうかで判断されることになるだろう。
日経メディカル 2014年8月6日 REPORT (庄子育子=日経ヘルスケア)
「一体、何が起きたのか」──。厚生労働省が7月11日付で発令した幹部人事を見て、医療団体の関係者らは首をかしげた。そこには明らかな異変が見て取れたからだ。
厚労省のキャリア官僚は、旧国家公務員I種試験(現在の総合職試験)に合格した事務官と、医師免許を有する医系技官が主だったところ。両者は主要な幹部ポストを分け合っているが、医系技官は保健・医療分野で重要な役割を担う局長・課長ポストを押さえてきた。
しかし、今回はそうした慣行に楔が打ち込まれた。人事の中身をつぶさに見ていくと、医系技官の権限縮小とみられる動きが目につく。
象徴的なのは、医系技官ポストだった医政局長に、事務官の二川一男・大臣官房長が就任した点だ。医系技官のトップは医政局長と健康局長であり、医師免許を持つ厚労官僚は入省後、この2つの頂を目指す。中でも、医療政策を所掌する医政局長は医系技官の最高責任者とされ、その人事を一手に担ってきた。
そんな医政局長の座から医系技官が引き剥がされるのは、実は今回が2度目。前回は2009年に舛添要一・元厚労相が医系技官改革を掲げて人事慣行の見直しを断行した。ただ、その際には事務次官への登竜門とされる保険局長のポストを医系技官にあてがい、省内の反発を抑えた経緯がある。そして2012年には、医系技官が医政局長を、事務官が保険局長を務める従前の体制に戻っていた。
一方、今回の人事で医政局長の代わりに医系技官に用意されたのは、保険局長よりも格下とされる老健局長のポストだった。長らく事務官が務めてきたこのポストに、初の医系技官として三浦公嗣・技術総括審議官が就任した。
この他、新設された医療介護連携担当の審議官や課長には、いずれも事務官が就任した。結局、医政と保険の両局長はもとより、新たな政策を進めるために創設された主要な幹部ポストにも医系技官は就けなかった。
これらの点について、医系技官の幹部の1人は「官邸の底意地の悪さが見て取れる人事だ」と苦りきった口調で話す。
今回の中央省庁の幹部人事は、政治主導を掲げる内閣人事局の初仕事だった。そこには安倍晋三首相の意向が強く反映したとされる。そこで、安倍首相に近い自民党議員や厚労省幹部らに話を聞くと、異口同音に「首相は厚労省のことを信用していない」との答えが返ってきた。年金記録の消失や後期高齢者医療制度への批判などが第一次安倍内閣の退陣に大きく影響したことが理由のようだが、「最近の首相は、医療者側に付いて医療の構造改革に何かと反発する医系技官を苦々しく思っている」と明かす関係者もいる。
また、官邸の要である菅義偉官房長官も、特定の医系技官幹部と折り合いが悪く、首相以上に医系技官嫌いだとの指摘がある。こうした事情も今回の人事と無関係ではないようだ。
とはいえ、厚労省内の医系技官の受け止め方は決して暗いものではない。「先の通常国会で改正医療法が成立したため、医政局の仕事は今後、地域医療ビジョン策定の実施要項作りなど定型的な業務が中心となる。そのため局長が腕を振るう場面は少ないが、老健局では介護保険制度改正の骨格をなす地域支援事業への移行シナリオが描ききれておらず、局長が調整を担う場面が多々あるはずだ」と前向きに捉える声が聞かれる。
だが一方で、「老健局長の方が医政局長よりやりがいがあると言うのは単なる負け惜しみ。今回の人事は、医系技官が官邸に見切られた結果だ」と冷ややかな見方をする医系技官もいる。いずれにせよ、旧来の慣行を打破した人事が妥当であったかどうかは今後、現場の仕事がスムーズに運ぶかどうかで判断されることになるだろう。