医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

「よむ」は良き人生の基本

2014-08-31 23:48:58 | 医療と介護
★頭の良しあしは、能力の差ではなく、努力の差。
頭脳の潜在能力に、違いは、ほとんどない。
どのくらい「努力」をしたかで決まる。
★レオナルド・ダビンチは名画「モナ・リザ」に4年とも6年とも言われる歳月を費やしたとも言われている。
★絵を描くことは、人間とは何か、自分は何なのかを自身で考える、絵筆による思索だと思っています。
その中で、存在することのすごさを本当に見いだすことができたならば、「いかに生きていくか」、を考えることにつながっていきます。
“これでいいのだろうか”と周りばかり見ていると迷うことが多いでしょう。
でも、自分が信じたものをやり続けていく中で、生きる意味、生き方の答えが必ず見つかると思っています。画家・野田弘志さん
★「よむ」とは本来、もっと広く考えるべきことだと思います。
目の前のものから読み取るのは、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、読む側の経験とは知識とか人生とか、全人格がかかっているのです。
「本をよむ」こと。つまり、読書の楽しさや豊かさの原点は、その人の全感覚と内面性が生む喜びです。
内面を豊かにすれば、本当は聞き取る力も豊になるのです。
深い人間が増えること。それが社会に奥行きをもたらすはずです。
作家・神奈川近代文学館館長・辻原登さん
 







どうして若者は投票にいかないのか?

2014-08-31 09:52:58 | 社会問題・生活
日本の高齢化率は2014年で26・1%と推計されている。
2012年の前回衆議院の投票率は59・32%。
年代別投票率で最低は20歳代の37・89%。
30歳代も50・10%にとどまる。
最高は60歳代の74・93%。
70歳代は63・30%だった。
若者が投票に行かなかったことが投票者の高齢化率を押し上げた。
どうして若者は投票にいかないのか?
若者と政治の接点は見当たらない。
それが若者の政治離れを助長している。
「政治は社会を良くしていく動きだ。関わらないのはもったいない」
NPO法人ユースクリエイト代表原田謙介さん(28)

老いの肯定的な面を「老いがい」としてとらえ直す試み

2014-08-31 09:27:52 | 受けとめる力
「老い」を肯定的にみる
老いは喪失だけではない。
別の何かを得ることもある。
老いる過程で人は新しい人生の価値を創造していく。
生―老―死の循環を直視し、「いま」を本気で生きるように促す。
老人にとっては、自分の歩んできた時代体験を次世代につなぎ、生命の連鎖を見届ける―そこに老いがいの重要な意味がある。
「生きがい」:「老いがい」
老いを有能か無能かという一元的な価値尺度から解き放ち、老人にのびやかな生を約束するには何が必要か。
老いの肯定的な面を「老いがい」としてとらえ直す試みが様々な観点かた大切であることを強調したい。
そこ「老い」を肯定的にみる
老いは喪失だけではない。
別の何かを得ることもある。
老いる過程で人は新しい人生の価値を創造していく。
生―老―死の循環を直視し、「いま」を本気で生きるように促す。
老人にとっては、自分の歩んできた時代体験を次世代につなぎ、生命の連鎖を見届ける―そこに老いがいの重要な意味がある。
「生きがい」:「老いがい」
老いを有能か無能かという一元的な価値尺度から解き放ち、老人にのびやかな生を約束するには何が必要か。
老いの肯定的な面を「老いがい」としてとらえ直す試みが様々な観点かた大切であることを強調したい。
そこから日本社会の将来像が浮かび上がってくるはずだ。
東京家政学院大学学長・天野正子さん

輪太郎はミュージシャンを名乗るアグネスに心惹かれる

2014-08-31 01:33:35 | 創作欄
1990年代、取手駅周辺には2つのフイリピンパブがあった。
妻を亡くした寂しさから利根輪太郎はフイリピンパブにしばしば行くようになった。
輪太郎は失業をしていたが、不思議とのめり込んでいた競輪が順調であったのだ。
死んだ妻に操を立てるつもりはなかったが、フイリピンパブのホステスたちと深いなかになるつもりもなかった。
6号線沿いのビルにフイリピンパブのホステスたちの宿舎があったが、不思議なもので何度か共同生活をしている彼女たちの生活の場に招き入れられていた。
5人が3DKの部屋で共同生活をしていた。
彼女たちは風呂から上がると下着姿で利根輪太郎の前に姿を見せ、洗い髪をとかしたり、化粧直しなどをしていた。
42歳の輪太郎は「パパ」と呼ばれていた。
輪太郎はフイリピンに帰国する彼女たちのお土産なども買っていた。
休日の日には上野、浅草などへ彼女たちを案内もしていた。
「わたし、3年前、日本に来た時、男にだまされたね。だから、もう、だまされないね」テスは言った。
テスは自称・産婦人科の医師であった。
日本の病院で勉強したいと言っていたが・・・
輪太郎はミュージシャンを名乗るアグネスに心惹かれていた。
祖父がスペイン人と言っていた。
情熱的な目の輝きに惹かれていたのだ。
彼女たちをどこまでも、ただ愛玩するだけの男に徹したいと利根輪太郎は想っていた。

自称・競輪車券師との出会い

2014-08-31 00:44:08 | 創作欄
利根輪太郎が取手競輪場の特別観覧席で自称・競輪車券師に出会ったのは、2度目の失業の時期だった。
看護師をしている妻が肝臓かんで亡くなって8か月が過ぎていた。
5月28日が妻の命日であったので、輪太郎は5-2-8の車券を買い続けていた。
その日に、5-2-8で的中した車券の配当は423倍。
1000円的中したので、42万3000円を輪太郎は払い戻した。
だが、輪太郎の特別観覧席の隣の席に座っていた60代と想われる白髪の男は1万円も買っていたので423万円も払い戻していたのだ。
地元の常陽銀行の帯付がかかった100万円の束が4つである。
「やりますね」と言いながら輪太郎は男に興味を覚えた。
「どこかで、以前会っていませんか?あなたは、取手の人ですか?」と男が輪太郎の顔を見詰めた。
「そうですが」と言いながら輪太郎も改めて男を見詰めた。
「私の記憶が確かであれば、伊東競輪場で会ったような気がしますね」
輪太郎の妻は伊豆の川奈の出身であり、妻が実家へ帰った時に何度か伊東競輪場へ行っていた。
最後に伊東競輪場へ行ったのは妻が余命半年と宣告された年であった。
それでも妻の美樹はそれから2年余、命を長らえたのだ。
看護師をしていた妻がなぜ、早期のうちにがんに気づかなかったのか?と輪太郎は悔やまれた。
そして医療・医学の限界も感じた。
妻は1年1回の定期検診を確り受けていたのだ。
一方、輪太郎はほとんど、健康診断を受けていなかった。
まだ、美樹は32歳の若さであった。
互に子どもを欲していたのに・・・
妻が亡くなってから悲嘆に暮れ、輪太郎は酒に溺れてしまった。