昭和天皇が宮内省(当時)で玉音放送の録音に臨んだのは昭和20年8月14日午後11時25~50分。
同じころ、埼玉県熊谷市上空では、数十機の米軍爆撃機が同市に焼夷弾を落としていた・
当時12歳だった作家の森村誠一さんは、父に起こされ、火の海となった町の中から川の土手まで逃げた。
「夜空に浮かんだ雲が赤く照らされていた」という。
空襲では市街地の3分の2が焼け、266人が亡くなった。
川に多くの死体が折り重なっていた。
そのそばで玉音放送を聞いたという。
森村さんは戦時中の暮らしを「ただ生存していただけで、とても生活といえるものではなかった」と振り返り、こう語った。
「戦争は人類の天敵だ。国民は自由を奪われ、敵に殺される前に人生が破壊される」