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「掘立柱建物」って、歴史で習いました~?

2016-10-25 | 趣味
最近 歴史の講演会などで 掘立柱(ほったてばしら)建物 という用語を よく聞くようになりました
私が 学校で習った頃には 教科書に 掘立柱建物なんていう 歴史用語はなかったと思います

話はちょっと違いますが・・・ 
縄文時代~弥生時代の住居のことは 竪穴住居 って習ったと思います
これも 今は 竪穴住居 って言うみたいです 「」が抜けたようです
どっちでもいいですが いつの間にか変わっていて 「へ~っ!」って言う感じです


話を 掘立柱建物に戻しますが 今日 地域の公民館の歴史講演会に参加したら 資料に

弥生時代の集落は 主に「竪穴住居」と「掘立柱建物」で構成されていました
また 集落を「環濠」と呼ばれる溝で囲んだ「環濠集落」も 弥生時代の特徴の一つである


という説明がありました

以前 この件で 歴史に詳しい級友たちに 話を聞きましたが なんだかはっきりせず もやもやしていました
それで 今日は チャンス! と思って 質問時間に 質問してみました

「私が学校で習った頃には 掘立柱建物という用語はなかったと思うんですが 
 現在は 学校で 掘立柱建物って 習うんですか?
 また 掘立柱建物と竪穴住居とは どう違いますか?」

講師の答えは 

「今は 教科書に 掘立柱建物という用語があります
 掘立柱建物は 初めの頃は 住居として建てられたのではなく 
 神殿などに使われた 建築様式 だったのではないかと思われるが 
 次第に 住居にも使われるようになったと思われる」


そういえば 三内丸山遺跡の 掘立柱建物は よく写真でもみますね
ネット画像

三内丸山遺跡 行ったことないです
行ってみたいです

こちらは 竪穴住居
 ネット画像

ネットにあった 掘立柱建物の説明 ↓

掘立柱住居(掘立柱建物)の歴史は縄文時代から江戸時代後期までと大変長いです。
縄文時代には、一般の住居は竪穴式ですが、拠点集落の中心となる大きな建物には掘立柱式があります。

青森県青森市の三内丸山遺跡や秋田県大館市の池内遺跡などで発掘されています。
弥生・古墳時代には、倉庫、軍事施設などに用いられ、
飛鳥時代に至って、やっと宮殿や貴族の住居に用いられ始めるとともに、
大きな建物には柱の下に土台となる礎石をおく礎石柱が出現します。

庶民の住居が掘立柱式になったのは平安時代の末期くらいからです。
これは、前記したように江戸時代後期まで続きます。
一般庶民の住居が礎石式となったのは幕末以降のことです。
もっとも、昭和でも終戦後の一時期には、急ごしらえの掘立柱建物が沢山立てられました
(バラックと呼ばれます)



この話は 有名ですね

伊勢神宮が式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で正殿等が造られているためである。
塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。
そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる
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ピーマン代わりの万願寺唐辛子

2016-10-25 | 野菜
ピーマンと万願寺唐辛子が 1日おきくらいに たっぷり採れます
野菜が高いので 採れる野菜を 有効活用しなくては 勿体ないです



少々面倒くさいのですが 万願寺唐辛子の種は除去し ピーマン風に切って炒めました



少しのベーコンの脂で 炒めました
本当に安上がりの 野菜料理です

ジャコと炒めたり チャーハンに使ったりしています
まだまだ 採れそうです

大根のおろぬきが 終わったので 貴重な緑黄色野菜です
もう少しすれば 葉大根が 採れると思いますが それまでは ピーマンと万願寺唐辛子です




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