キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

自民党さん 己で決めたことは守りましょう

2013-07-07 11:10:20 | Weblog

”老兵は死なず ただ消え去るのみ”マッカーサーが上下院合同会議で行った退任演説のフレーズだ、それが1951年4月19日。マッカーサーが厚木飛行場に降り立ったのが1945年8月30日で65歳、9月2日の降伏文書調印後連合国最高司令官として日本占領に当たった。(昭和天皇は44歳)米ソが占領した朝鮮半島を南北に分割独立して韓国と朝鮮民主主義人民共和国となった。1950年6月25日朝鮮人民軍が突如韓国に侵攻して朝鮮戦争が勃発した。奇襲作戦で不意を突かれた韓国軍、在韓米軍、英国、豪州両軍は敗退に次ぐ敗退で釜山を確保するのがやっとだった。これに対してマッカーサーは成功率の低い大バクチな仁川上陸を敢行、これが成功して北鮮軍にくさびを打ち込む恰好となり、逆に北鮮軍を中国国境まで攻め込んだ。これに対して中国は中国人民解放軍から選抜した『中国人民志願軍』を結成、参戦した。この人民軍の人海戦術で戦況は一進一退となった。これに業を煮やしたマッカーサーは中国本土を爆撃、核爆撃をも主張したが、トルーマン大統領は核兵器を使用すればソ連の参戦を招きかねないとしてマッカーサーの意見を却下、命令を無視して北上したのが原因で中国の参戦を招いたとして、4月11日にマッカーサーを更迭した。その後38度線の停戦ラインを境に睨み合いが現在も続いている。マ元帥が老兵は死なず・・・と演説、引退したのが71歳だった。2003年小泉首相が自民党の衆院比例立議員定年(70歳)制を例外なく適用する為に宮沢喜一84歳、中曽根康弘85歳に世代交代の為議員引退を勧告した。宮沢は不満もあったが受諾した。一方の中曽根は即座に峻拒、『政治的テロだ』と憤怒した。中曽根は中選挙区制から小選挙区制への移行に際し、比例北関東終身1位を約束されていたのだから当然だろう。未だやる事があるとの理由だった。しかし全国の県連から『特例を設けるのは疑問だ』、地元群馬県連からは世代交代を求める声が上がっていた。結局比例区から出馬が出来ず、立候補を断念し、引退した。現在進行中の参院選自民党比例候補者29人中に現職1人、新人1人計2人が71歳だ。特に新人については選挙前に自民党内で問題になっていたのを執行部が強引に押し切ったものだ。党で決めた規則だ。過去には功労のあった元総理2名さえ引退させた。それが今回は規則を無視して立候補させている。『例外のない規則はない』というが2名を特例にした根拠が判らぬ。定年制は老害を防ぐ為にも必要だろう。当選すれば任期6年後には77歳になる。