だから、ここに来た!

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二度目の『ハウルの動く城』

2004-12-12 | movie/劇場公開作品
友達が見に行くと言うので、ついていきました。

一回目では、話の筋ばかり気になって納得いかなかったので、
今回は観たい場面を素直に楽しむ、
という目標を作って行ったのです。

色々雑誌等を読んでみて、『ハウル~』について
宮崎駿がハリウッド的な王道な筋書きの流れを持たない作品しようとしていたことを知って、
そうか、そういうことか。と分かったんです。

つまり、私は小学生の頃、『魔女の宅急便』を劇場で三回見たのですが、
そのとき、何を楽しみにしていたかと言えば
どうやってキキが魔女の能力を取り戻していくのか
ではありません。

牛に足を舐められるキキが見たい、
埃にまみれて「白猫になる」と文句を言うジジが見たい、
トンボのプロペラ付き自転車が飛ぶところを見たい、
ウルスラの脚線美が見たい(笑)、
おそのさんの笑い声が聞きたい、
パン屋の主人のプレート芸が見たい、
手際良くニシンのパイを作るところが見たい、
デッキブラシの毛がバサッと伸びるところが見たい、
縫いぐるみの代わりにジジが置いていかれたお届け先の犬が見たい、
宮崎駿が出ているところが見たい、
ラジオから流れる荒井由実の曲が聞きたい、
時計台が見たい、街並みが見たい、飛行船が見たい…

それで十分過ぎた。物語どうこうはその次だったんです。

だから今回も、どうなるかを見るのではなく、
どこが素敵な場面なのか
を追求することにしました。
正解ですよ。なんの不満も感じません。何度もポロポロ泣けてきました。
映画の楽しみを筋書きだけで決めるのは間違いで、いろんな見方があるってことを
この映画を見て確認できたみたいです。
小学生の頃の私と、大人になった私、どちらの見方も大事にしていきたいですねー。
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ナイロン100℃・27th session『消失』/ホリプロ『ロミオとジュリエット』

2004-12-12 | stage
○12月8日(水)○

ナイロン100℃・27th session『消失』を見に行く。
その前に仕事があって、
CDを返しに行ったりしていたら5分ほど遅刻してしまいました…。

3時間程あるということで、
でもまぁナイロンの3時間なら大丈夫だろうと期待しつつ
(噂によると長いからトイレに行っとくように等とシツコイ場内放送があったとか・笑)
観てみたら時間が経つのがやっぱり速かった。

近未来のどこかの国なのかなぁ、
(フォルティというラスト・ネームから、ちょっと英国であって欲しい気もしますが…)
大きな戦争の後の、水もまともに飲めないような世界。
登場する兄弟の部屋は、『未来世紀ブラジル』のようにむき出しの排気菅が迫り出している。

ケラさんの作風は変わっていた。
以前の無意味なセリフや会話、独特なノリ突っ込み感(笑)が薄れて、
登場する人間を客観的に見つめて、
個人の孤独を色濃く映し出している。

今回は出演者が6人なので、余計にそれぞれの心の動きが分かりやすいのだろうけれど、
笑いに頼らずとも、ケラの芝居は成立するんだと証明していた。

最近、一気に知名度が上がった大倉孝二も、
いつもの落ち着かないキャラクターから、弟に精神的に依存するシリアスな兄役を演じているし、
みのすけは「子供のように無邪気な狂気」を潜めているようなキャラクターから
わりと分かりやすい「作られた環境によって」混乱した弟を演じている。
女性陣(犬山イヌコ・松永玲子)も、エキセントリックな部分を抑えた演技で、
以前ほど強烈な印象を残さない分、ストレートな表現に好感が持てる。
あ、三宅さんはいつもとそんなに変わんないような…(笑)?
作為的に変化しようとしているのがわかるのでした。

そこに八嶋さんが入ってきて、何にも違和感が感じないのは、
八嶋さんのドライな演技のせいだろうか…?
それでも蛇口をひねるとライトがつくような、ナンセンスさも残っているし、
やっぱりそこらへんはナイロンなんだと思うのでした。
しかし、暗い話だったなー。
記憶というものの切なさについて、これを観て余計考えるようになりました。

○12月9日(木)○
200412092203.jpg
@日生劇場、蜷川幸雄演出のホリプロ『ロミオとジュリエット』を観る。
藤原竜也君の生オーラを感じるために行ってきました!(笑)

舞台上の壁が中央を囲むように三段になっていて、
たくさんのいろんな国の人の顔が貼り付けてあり、
有名な窓ごしの会話も、一段目と舞台の間でなされます。

なんとまあ、甘い話でしょう。
「若いって素敵だよね。悲劇だけど。でもここまで出来るって素晴らしくない?
 むしろ死んでやったって感じだよね。」
などと考えている自分が、
すっかり分別のある大人になってしまったことに気付いた夜でした。
私には乳母の婚約者と結婚しろという言い分も十分理解できるけれど、
ジュリエットが恋に身を任せて死をも覚悟する気持ちも理解出来る。
出来るというか、したい。行動したい。好きな人のために死にたい。

子供と大人、純粋と分別。
どちらが真実なんでしょう?

藤原君は芝居を見るたびによくなっていく気がします。
力の抜き方を知ったような、落ち着きを感じます。
牧師と乳母が印象に残りました。
シェイクスピアって、うまいこと書きますよねー。
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