今日のどーじょー主

2017年4月16日に引っ越しました。
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ブログのメリット

2005年12月12日 | その他
ブログを始めて、2ヶ月がたちました。
始める前は、「ブログって、何がおもしろいの?」って、なかなか始める気にはなれなかったけど。
遅ればせながら、今になって「これはすごいツールだなぁ」って思ってます。
相変わらず、トラックバックの意味もよくわかりませんが(^^;ゞ

作文は、もともとニガテ中のニガテ。
8年間、啓学院通信のコラムを年間10個ほど書いてきましたが、それさえ悪戦苦闘の連続。
文章をスラスラ書ける人にとっては、「なんであんなのがタイヘンなの?」って思うでしょうけど。



ブログのメリットを、ボクは2つ感じてます。
一つは、「自分という人間を、自分自身が把握したり、他者に理解してもらったりしやすくなる」ということ。

たとえば、歳をとってくると、「親はどんな人生を生きてきたんだろう」って思ったりします。
そんなとき、親のアルバムを見たって、「どんなことを考え、どんなことをしてきたのか」ってのはわからない。
日記のような文章が残ってたら、父親や母親の人生を読み解く大きな助けになるでしょう。

自分のことを、よく振り返るための助けにもなります。
引退して、時間がじっくりとれるようになってから、「自分史でも書くか」と思っても・・・
過去のことって、都合の悪いことは、どんどん忘れちゃう。
その時その時のリアルな感情も、ほとんど残らない。
それじゃあ、ただの履歴書になってしまって、なにも伝わらない。
後になって昔の記憶や感情を、丹念に掘り起こすのは、膨大な時間と労力がかかってしまうでしょうね。

その点ブログは、それがそのまま自分史になります。
ボクは、自分のパソコンにテキストファイルで書いているのですが・・・
ブログにしておけば、そのバックアップにもなるし、自動的に整理してくれるので、とっても見やすい。

それに何より、「だれかに見られてる」という刺激が、モチベーションになります。
「覗かれると興奮する」ってのも、ちょっと変態っぽいけど(^^;
でも、いくらおしゃべりな人でも、「だれも聞いてない」という状況ではしゃべれません。
「だれかが聞いてくれてるかも」と思うだけで、しゃべる気になったり。



二つめは、「言語化すると、概念が明確化する」という点です。

「言語化=明確化」というのは、ボクがおしゃべりをやめられない、大きな理由でもあります。
ハタ迷惑なことに、ボクは、人に話さないと自分の考えがハッキリしてこない。
だから、申し訳ないことに、会社の人がいつも犠牲になっちゃうんです。
「ブログでしゃべる」ようになって、そのご迷惑を少しでも緩和できているんじゃないかな。
#緩和どころか、増長してるかもf(^^;)

また、同じことを伝えたい人が現れたとき・・・
その人に過去のブログをメールで伝えることで、アドバイスできます。
メールでもできますが、ブログの方が過去のものを引っ張るのが、ずっとラク。



とは言っても、「しゃべるように書く」というのは、相変わらずむずかしいです。
「テープで記録して、それをタイプすれば」って思ってやってみたこともありますが・・・
徒然なる気分のままにしゃべったことは、要点がバラけてしまって、校正しても、なかなかまとまらない。

いまは、神田昌典の「文章作成の4ステップ」(←リンクは、ボクの10/16のブログです)で、以前より10倍ぐらいのペースで書けるようにはなったけど・・・
それでもまだまだ、「文章を書く」ということに、強い抵抗感がある。
人に読まれるって意識して、力んじゃってるのかなぁ。

もっと抵抗感なく、「朝」日記みたいにスラスラ書けたらなぁ。
まだまだ、おしゃべりが多すぎるし・・・
もっともっと、おしゃべりを作文にシフトしないと、みんな退職しちゃうかもしれないしなぁ(・・;)


子どもの連れ去り

2005年12月11日 | その他
小さな子どもを連れ去って、いきなり殺してしまう。
何とも空恐ろしい事件が、続いていますね。
ボクらの子どものころも、そういう事件はあったけど・・・
いまは「事件」というより、「日常茶飯事」のよう。
子どもや親にとっては、ホントに身近で深刻な問題です。

何で、子どもを殺すんだろう。
どうして、そんなおかしな心が、この社会に育ってきちゃったんだろう。
・・・などと原因究明をする必要があるでしょうが、その前に、とにかく対策を練らないと。


子どもが狙われるのは、登校時や下校時、とくに下校時だとか。
登校は、みんなが同じ時間に行くから、通学路を子どもがぞろぞろ歩いてます。
通学路で、人知れず、子どもをさらっていくというのは、なかなかむずかしい。
自宅から通学路まで人影があまりない、という場合もありますが・・・
子どもが出かける時間は、親が在宅しているケースが多く、安全なところまで送っていくこともできます。
「近隣の子どもたちが集まって、班を作って登校する」という方法も考えられます。
比較的、対策を考えやすいですよね。

それに比べると、下校は時間がバラバラで、個別対応しないといけなくなるから、タイヘン。
集団下校したとしても、学年によって時間が異なるから、集団登校よりも少人数になる。
それに、全員が同じ家に住んでるワケじゃないから、どこかでバラバラになってしまう。
かなりの効果はあるかもしれませんが、狙う側からすれば、いくらでもスキを探すことができるんじゃないかな。

子どもの連れ去りが頻繁に起きる国では、「親の送迎が当たり前」になっているところもあるそうです。
でも、現在の日本では、共働き家庭も多いですから・・・
「すべての親が送迎すればいい」というのも、厳しいんじゃないでしょうか。



個別に対応する方法としては、「子どもにぴぴっとフォンを持たせる」というのがあります。
(リンク先は「ぴぴっとフォン」のページです。機能は、以下を参照してください。)
「携帯を持たせるのは、教育上よろしくない」という考え方もあるでしょうが・・・
「親(2ヶ所)にしか電話をかけられない」「居場所確認の機能(ここだよナビ)がつけられる」というものなので、遊びには使えません。

学校では、「携帯を持ってきてはいけない」としているところも多いようですが、こういう特別な携帯はコッソリでも持っていくべきです。



もっと、「地域」という広がりで対策を考えるとなると・・・
やはり、「目」がいちばん効果的。
「だれが、どこで見ているか、わからない。」
そういう状況は、不審者たちにはとても居心地が悪いんじゃないか。
そういう意味で、「大人が見回りする」というのが、いちばんいい解決策だと思います。

さてそうなると、「だれが見回りするのか」というのが問題になる。
「保護者が交代で」という方法をとっている地域もあるようですが、共働き家庭が多い状況では、これもなかなかむずかしい。
「仕事」として、「制度」として、継続的にやるためには、「保護者から有志を募って」というのでは力不足でしょう。


こういうときは、単純に考えてみるといいかも。
いちばん単純な方法は、「学校の先生が見回りする」こと。
でも、「教師にはいろんな仕事があって、とても手が回らない」「人員が絶対的に不足している」とかで、実施できないのだとか。

ホントに、そうなのかぁ???


私立の学校の中には、「先生が見回りする」というのが当たり前のところもあります。
「生徒が繁華街などで遊ばず、ちゃんと帰宅するように」という目的ですが、でもちゃんと見回りします。
そうしないと、学校の評判が落ちます。
経営者にとっては死活問題ですから、この問題から逃げられません。

学習塾の中にも、同様の理由で、講師の「夜の街の見回り」が、毎日の仕事になっているところもあります。
塾は帰宅時間が夜遅くなりますから、夜遊びが心配。
塾生が夜遊びなんかしてたら、「あの塾に行ったら、不良になる」なんて言われちゃうし。
経営者にとっては、「近隣の評判」というのは、深刻な問題です。
教師は、イヤでも、めんどくさくても、やらされます。


経営的な理由からだろうと、ともかくも、私立学校や塾の先生は、現に「見回り」を実施しています。
「忙しくて」「人員不足で」っていうのは、「やらない言い訳」なんじゃないのかな。
それに、殺人事件の起きた近隣では、公立学校の先生も「見回り」をしているそうだし。
たぶん、やる気になれば、できるんだよね。


そうは言っても、先生全体をやる気にさせるのは、かなりの難問。
「近隣で殺人事件が起きなければ、やる気になれない」というのでは、解決にならない。
なんで、公立の先生は、見回りできないのか。

公立学校は、生徒が来るのが当たり前。
「生徒が来ないような先生は、クビになる」なんて恐怖はない。
校長も教師も、「業績」「倒産」なんて関係ないから、所詮「人ごと」って気になっちゃうんでしょう。
「校門の外は、自分とは関係ない世界」とでも思ってるんでしょう。
ホンネは、そういうことなんじゃないかなぁ。

ふだんは「子どものため」なんて、キレイな大義を振りかざしてるクセに・・・
結局は、そんな大義は方便にしか過ぎないのかな。
いい身分だよなぁ。
これだから、みんな公務員になりたがるんだろうなぁ。


・・・な~んてグチりたくなるけど(^^;
そう言われたって、公立の先生も困るよね。
いくら熱意をもって対応しようとしても、責任者不在の構造の中では、組織的に動くのはかなりむずかしい。

ボクが責任者で、人事権を持っていたら、「教師みんなで見回り」を制度にするけどなぁ。
「学校の教師は、放課後、警笛とデジタルカメラを持って、近隣地域の見回りをすること。」
そういう決まりを作っちゃう。
反対する教師がいたら、その教師の言う「子どもの安全以上に重要な業務とは何か」を確認する。
そして、それがスジの通ったものなら、その教師は見回りを免除する。
そうでなければ、閑職にまわして、いずれ解雇しちゃう。

あぁ、そういう強権を持った責任者は、公立学校には存在しないのかなぁ。


・・・って、市町村長がそうだよね。
そうか、市町村長が強権振り回して、条例を提出すればいいんだ。
で、教員組合と結託した議員たちに否決されちゃったら、小泉首相よろしく、議会を解散して住民に信を問う。
そんな肝っ玉のある首長、立候補しないかなぁ。


レッカー(;>_<;)

2005年12月09日 | その他
会社の前に路上駐車してたら、レッカーされちゃいました。
。・°°・(>_<)・°°・。
丹野くんと面談して、その後すぐに出かける予定だったんです。
まぁ、小1時間だし、ちょっとぐらいいいかなぁ。
何しろ、ボクの駐車場、会社から歩いて10分もかかるし。
すぐ出かけるから、すぐだから・・・
頭の中で、デビルくんがそう囁いてる。
「いけないかなぁ」と思いつつも、ついやってしまいました。
あぁ、これでゴールド免許とも、しばらくお別れだぁ。



地面に貼られた紙をはがし、警察へ行きます。
歩きながら、どこで自分の気持ちが緩んだか、反省してました。

車を運転したり駐車したりするときは、とくに注意深くしてるつもりなんですが・・・
それでも、たまに「つい」が出ちゃう。
今回の「つい」は、事故ではないからよかったけど・・・
「つい」が出ないような思考習慣はもちろん、出てしまってもそれを食い止める思考習慣を、再度確認しないといけないなぁ。

あぁ、それにしても最近は、なんだか思うように行かないことが多くて。
仕事でも、何となくおもしろくないことばっかり。
くっそ~、厄日が行列作って訪問してきてるんじゃないのか?
ったく、おもしろくないぞーっ!



・・・と、よろしくない方向に考えが動いてるところで、警察に到着。
それが、いけなかったかなぁ。
おまわりさんが書類に記入し始めたところで、「あの~、なんか、納得できないんだけど。」

いかん、やめとけっ!
自分が悪いのは百も承知なんだし、言ってもしょうがないこと。
やめとけ、やめとけ。
・・・と頭の中のエンジェルは忠告するんですが。


(詭弁 はじまり)
自分の会社の前で、荷物を降ろしてただけなんですよ。(←ウソ(^^;)
下痢してるんで、おなかが痛くなってトイレしてただけなのに。(←大ウソ(^^;;;)
それで、戻ってきたら車がないって、どういうことなの?
下痢してようが、失神して倒れようが、法律は法律ってことなのかい?

前に、同じ場所に、半日も違法駐車されてて・・・
「レッカーしてくれ」って通報したのに、パトカーがやってきて運転手呼び出しの放送して、移動させておしまい。
運転手は無罪放免だったんだよ。
それなのに、ボクは40分でレッカー。
いったい、どういう基準で取り締まってるワケ?

ボクの駐車場の入り口付近にも、隣の不動産屋が違法駐車の列を作ってて、車の出入りが危なくてしょうがない。
不動産屋に電話して注意しても、改善されないし。
それで、仕方なく警察に通報したのに、口頭指導だけ。
駐車禁止を取りもしない。

そうそう、他にもおかしいことと言えば・・・
うちの会社の向かいの道路、右折禁止を誤って進入してくる車が多いんですよ。
これは、標識がわかりにくいからなんです。
うちの会社の職員も3人つかまったけど・・・
ふだん、危ない運転なんかしない人が、そういうところでつかまるのは理不尽だと思いませんか?
ホントだったら、「わかりにくい標識を正す」とか、「進入口に立ってて誤って入ろうとする車に注意する」のがスジでしょ。
それを、20mほど入ったところで物陰からコッソリ覗いてる。
毎日通るけど、しょっちゅうそういう卑怯なことしてる。

ふつうに生活している人の、ちょっとしたミスをほじくって罰金とって喜ぶなんて、イジメと変わらないんじゃないの?!
(詭弁 おわり)



ガンバって働いているおまわりさんに、30分もクダ巻いちゃった(~_~;)
大和は、見た目より、ずっと治安が安定しています。
ガラが悪くなりやすい街を、おまわりさんたちが厳しく取り締まってくれるからじゃないかな。
あぁ、それなのに、おまわりさんに絡んだりして。

なんか、レッカー代&罰金の27,000円分、ウップン晴らしさせてもらっちゃったような。
最後は、「いつもお世話になっているのに、文句言ってすみません」と謝ってしまいました( ..)ヾ
あの若いおまわりさんに、悪いことしちゃったなぁ。。。



リンクが無効に・・・

2005年12月09日 | パソコン
「かさ」さんから「携帯で閲覧すると、リンクが無効になっている」とのご指摘をいただき、初めて携帯でWebを見てみました。
すべてのリンクが無効になってますね。
他のgooブログも、やはり無効になってます。
タグをいじってみたりしたのですが、ダメでした。

gooに問い合わせたところ、↓のような返事。
これからは、リンクには、「リンク先の概要」みたいなのを書くようにします。


==(以下、gooからの回答)===============

お問い合わせいただきました件についてですが
携帯電話からブログを閲覧された際に
記事内のリンク先が、携帯電話からでも
ご覧いただけるページとは限らない為
携帯電話で表示する際は除外させていただいております。
何卒ご了承くださいませ。

恐れ入りますが、リンクにつきましては、
パソコンでご確認していただきますよう
よろしくお願いいたします。


古淵教室の忘年会

2005年12月04日 | パソコン
おととい、古淵の教室で、忘年会がありました。
古淵は、NPO法人はあとふるが運営する「市民のためのITを考える会」という、何とも長い名前の教室です(^^;
NPOの運営スタッフからは、ボクと、いつもメンテナンスでお世話になってる丹野くんが出席しました。

全部で何名だろう、お寿司屋さん貸し切り状態で。
ほとんどの利用者さんが、参加してくださったそうです。
パワフルだったぁ!

インストラクターの臼倉さんが、全部手配してくれたのかな?
どうも、ありがとうございました。


丹野くんが、携帯で撮った写真をブログにアップしてくれるそうで。
アップしたら、コメント入れてね。>丹野くん


わたしの年賀状♪

2005年12月04日 | パソコン
取引先への支払いなどで、毎月何回か、大和中央一郵便局というところを利用しています。
先月は、ちょっとタイミングが悪かったようで、かなり待たされてしまいました。
ぼ~っとイスにすわってると、何となく耳につく音楽が。
年賀状の歌なんですけど、それがくり返しくり返し流れてて・・・
待ってる間じゅう、ず~っと聞かされるんで、耳についちゃって、郵便局を出るころには口ずさんでたり(~_~;)

気になって、オリコンチャートを調べたんですが、出てないんです。
おもしろい歌なんだけど、売れてないのかなぁ。
「年賀状」「キャンペーンソング」をキーワードにしたら、見つかりました。
ここで聴けます。



年賀状って、ふつうは何枚ぐらいもらうものなんでしょう。
ボクは友だち少ないから、営業関係を除くと、毎年20枚ぐらい。
この歳では、かなり少ない方かも。

年賀状にこだわり出したのは、まだ塾のアルバイト講師をしていたころのイヌ年だから・・・
ちょうど二回り前になります。
当時はパソコンがないんで、1枚1枚手描きの絵をかいてました。
いまは、パソコンで絵を仕上げて、ウラ面全面に印刷。
メッセージは、オモテの宛名の下に書くようにしています。
絵の中に、詩を入れていた時期もありましたが・・・
正月早々、気味悪がられるんで、やめました(^^;

受け取る年賀状も、数は少ないけど、けっこう楽しみです。
ステキな「作品」や、知人の家族の写真が出てたりすると、何度も見ちゃう。
そういう年賀状は、見ていてとても幸せな気持ちになります。
今は、「メールで年賀状」というケースも多いようですが・・・
どんな媒体を使うにしても、気持ちを伝えるのがコミュニケーションの原則。
ハガキでもメールでも、気持ちが伝わればいいと思います。


一方で、いつも思うのですが・・・
何のメッセージもない、「一律印刷の年賀状」というのは、なんだか味気ないですよねぇ。
営業目的で、印刷のみの年賀状をよこす会社って、けっこうあります。
そんなの、まったく意味ないんで、やめた方がいいんじゃないかなぁ。
もらっても、うれしくも何ともないし・・・
もらったからって、「おぉ、○○から年賀状が来たか。よし、注文しよう」なんて思うワケない。

もっとヒドいのもあります。
幼稚園からの年賀状。
瀬谷に住んでたときは、子ども宛に、先生からのメッセージがついた年賀状が来ました。
子どもにそれを読んでやると、「返事を書く」と言い出して・・・
めちゃめちゃな字だか絵だかを、熱心に書き始める。
「これは○○の絵だそうです」と親が但し書きをつけたり。
ところが、町田に越してきてから受け取る年賀状は、「寒々しい」の極み。
一律印刷で、園長以下、先生たちの名前がずらっと記載されている。
さらにひどいモノは、「あけましておめでとう。__ちゃんにあえるひを、たのしみにしています」ってなってて・・・
そのアンダーラインのところに、子どもの名前が記入されていたり。
ボクの心に、つめた~い季節風が。。。(・・;)



前に、会議で「生徒さんたち全員に、安田から年賀状を送ったらどうだろうか」という話が出ました。
そんなん、受け取った人が喜びますかねぇ。
そもそも、全員に一律の年賀状なんか、出したくないし。
「高慢なヤツだ」と言われるかもしれませんが・・・
生徒さんへは、毎年「くださった方に、一通ずつ返信の年賀状を作る」としています。
「生徒さんへ年賀状を出すかどうか」というのは、先生方の自主性に完全にお任せしてしまっています。

教室によって、「生徒さんへ年賀状を送りたいので、会社でハガキを買ってくれないか」と自発的に提案してきてくれたり。
先生方が、勤務時間外に印刷したりして、こだわりの年賀状を作ってくれる。
あぁ、こういうのはありがたい提案だなぁ。


ところが、いつだったか、ある教室の年賀状を見せてもらう機会があって、ガクゼンとしてしまいました。
最初からなのか、いつの間にかそうなってしまったのか・・・
「会社がハガキ代を出すから」「なんとなく毎年の習慣で」
そんな理由なのかなぁ、一律印刷モノを出していたんです。

「ステキな年賀状を努力して作ったんだから、いいじゃないか」
「無償労働までしているのに、文句言われたらやってられない」
その年賀状を出していた先生たちは、そう言って怒るかもしれない。
でもそれは、「送る側の言い分」であって、「受け取る側の心」を考えなきゃ。
いくらキレイな年賀状でも、一律印刷モノ受け取って、生徒さんが喜ぶかなぁ。
生徒さんに、「あったかい心」が伝わるのかなぁ。



以前、塾のコラムで「無償労働をどう考えるか」について書いたことがあります。
有償無償を問わず、いや無償だからこそ、「心を伝える」責任があるんじゃないか。
・・・というような言い分です。

お金のことを言うとイヤらしいかもしれないが・・・
ボクは、「会社で使っているお金は、みなさんから預かっているお金」だと思っている。
喜びや幸福を生み出すため、みなさんがボクに信託してくださっているものだと。
それを「虚礼」なんかに使い込んじゃって、いいんだろうか。。。

「現在の生徒さんだけに送る」という場合もあるし、「すでに退会なさった生徒さんも含めて」という場合もあります。
そのご縁を感謝する気持ちを伝え、受け取った方から喜んでもらえるような年賀状。
そんな年賀状を送っていただけるなら、無償労働をしてくださった人の気持ち、信託していただいたお金、そういうものたちも喜ぶと思うんです。


ありがたいことに、うちの先生方はみなさん、「会社のこと」より「生徒さんのこと」を考えてくださる。
会社として、喜んでいいんだか(^^;;;
でも、とてもとても、ありがたい心だと思います。
だからこそ、生徒さん一人ひとりへ、そのだいじな「心」を込めることはもちろん・・・
受け取った方が、その「心」を感じてくださるようなメッセージを書いて、あるいは描いてもらいたいんです。



あの人に感謝の気持ち♪
あの人に感謝のカタチ♪
マッタリした妙な感じだけど、けっこういい歌だなぁ。


コラム 12月号

2005年12月02日 | 啓学院通信のコラム
長女がとつぜん、「町田高校に進学したい」なんて言い出しました。
おやおや、つい先日まで「進学しないで働く」なんて言ってたのに。
どういう風の吹き回しかと聞いたら・・・・・・、
「通信教育の進学情報ホームページを見つけた。町田高校は、自由な校風なんだって。なんだか楽しそう、行ってみたい!」だって。
「明るく楽しいキャンパスライフ」には、憧れちゃいますよね。

ところが安田家では、「自由」などというと、ボクのおしゃべりスイッチが入る仕組みになっています。
かわいそうに、長女はその後、延々とお説教を聞かされるハメになってしまいました。



ボクも、地元では「自由な校風」で有名な高校に進学しました。
小テストも中間テストもない、制服もない、校歌を歌わされることもない。
授業をサボっても怒られない、やっちゃいけないこと(?)やっても怒られない。
パラダイスみたいでしょ?
でもね、これって実は、すごくむずかしいことなんです。

世の中、「自由」という言葉が大好き。
「自由は善、管理は悪」だと信じているかのようです。
しかし、「自由」というヤツは、ちゃんと扱わないと「放縦」という化け物になっちゃう。
もし、自由を自分の幸福のために生かそうと望むなら、「管理」こそがテーマになってくるんです。

人間は、親や他人の管理から、自己管理できる存在へと成長していきます。
もちろん、いきなりそうはならない。
自己管理ができるように、子ども時代から少しずつ自由を与えられ、少しずつトレーニングを行っているんです。

たとえば、キミには「自由な時間」というのがありますよね。
マンガを読んで爆笑してても、友だちと遊んでてもいい。
そういう時間に、心からやりたいワケでもないことをして、何となくズルズルと過ごして、自己嫌悪に陥ったことはありませんか?
たとえば、キミは「自由に使えるお金」を持っていますよね。
ちょっと遊んだら飽きてしまうようなオモチャに浪費して、自己嫌悪に陥ったりしたことはありませんか?

そのとき感じた「自己嫌悪」は、忘れない方がいいです。
そういう気持ちをよく味わって、そこから何を学ぶか。
どういう問題意識を持つか。
それこそが、自由を生かせるようになるカギとなります。

大きくなるにしたがって、どんどん「自由の波」が押し寄せてくる。
手放しで喜びたくなるけれども、はたしてそうはいかない。
何を買ってもいい。
どこへ遊びに行ってもいい。
夜遊びしたっていい。
最近では、親がいつまでも養ってくれて、働かなくてもいい自由を手にしている人もいる。
そして、そんな自由におぼれて、「自分の人生」に戻れなくなっちゃう人がいます。

キミたちが、どんな人生を目指しているか、それは一人ひとり異なるでしょう。
しかし、何を目指すにしても、「みずから歩き出す人間になる」ことが達成されなければ、自分の人生を生きることにはなりません。
そしてさらに「みずから歩き続ける」ことが必要になります。
さらにさらに、「続ける」には、「管理」ということが必須のテーマになります。
みずからの人生を歩く自由を持ち続けるために、どうしたら自己管理を上手にできるようになるか、考えてみてくださいね。