ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

浮世絵と風刺画

2016-09-05 09:43:12 | 日記 国芳
今日の記事は,主に
南和男『幕末江戸の文化 浮世絵と風刺画』から書いています。

国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図」については,この前書きました。
この作品を以て,幕末風刺画の最初とするのが通説だそうです。

嘉永期の浮世絵については,
「浮世絵の絵そのものを楽しんだのではなく, 
 時事的なもの,風刺的なものの要素が加味されたことが評判となり,非常な売れゆきとなったもの」
が多いようです。

その中で私のお気に入り
国芳画「きたいなめい医難病療治」(嘉永3年,1851)
美人の名医を真ん中に,
美しい足の悪い女性,御殿女中の大尻,一寸法師,近眼,鼻なし,ろくろ首,歯痛など難病を治療している風刺戯画です。
6月に板行となったこの絵は,7月に,
女中の大尻は大奥の女中で「御守殿のしり迄つめる」という判読の評判がたち,
売れに売れて,摺がまにあわないという状態になりました。
近眼は,老中阿部伊勢守正弘だー鼻の先ばかりが見えて遠くが見えないという意味
といった具合に・・・。

その後,
文久のはしか絵
(文久2年(1862)当時,江戸町方人口約50万人のうち,2万人余りが麻疹,及び,コレラ等で死亡)
鯰絵(無断出版物)
(安政2年(1855)10月2日安政の大地震
 震源江戸湾,マグニチュード6.3と推測
 死者13万2400人余人,負傷10万1000人余人:『地震年代記』)

鯰絵に関しては,
先日行った,「江戸遊び絵づくし」にもありましたし,
歴博の特別企画展「阪神・淡路大震災20年 災害と歴史遺産」2015年
にも展示されていました。
これは,網干の廻船問屋・加藤家が江戸で買って帰ったものでした。

などなど

そしておもしろいのが,
歌川広景画「青物魚軍勢大合戦之図」
(安政5年(1855) 全国的にコレラ大流行
 生もの特に魚が全く売れず,野菜は高騰)
ぱっと見た感じは,青物と魚の争い,
でも実は,一橋派と南紀派の抗争を表しているのです。
蜜柑太夫は紀州出身の14代将軍家茂だそうです。

これらの浮世絵は,
早稲田大学の「古典籍総合データベース」で見ることができます。
かなりアップにして,細かく見ることができるので,おもしろいです。





 
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